goo blog サービス終了のお知らせ 

ウエディングフォトグラファーになる方法

ウエディングフォトグラファーになる方法。
写真学校で習うエッセンス、現場で必要な知識、プロカメラマンになる方法を公開。

music「世界の真ん中」を聞きながら

2009-04-24 22:04:10 | Weblog
music「世界の真ん中」を聞きながら
バイク・ライディングを体験しよう!
下記のURLをクリックして、
PC画面で、スピーカーをONにしてmusicを楽しもう。

オーストラリアの海岸線を突っ走るライディングの感動を体験できますよ。

心に響く
ご機嫌なムービーです。
HONDAのバイク・プロモーションフィルムです。
下記のアドレスをクリックすると、楽しい世界が画面いっぱいに、ごきげんな楽しい音楽とともに広がります。ぜひ、試して下さい。
↓↓
http://www.honda.co.jp/VTR/theater/index.html
Goodなミュージックをバックに、女性ライダーがバイクで、青い海が広がる海岸線を走るステキなシアター・フィルムです。
ホンダのプロモーションビデオですが、走る疑似体験が出来ます。
さあ、あなたも、今、ステキなバイク・ライディングを経験しましょう。
ステキな音楽が流れ、風になって走る女性ライダーのイメージです。

クリックすれば、あなたも、自宅に居ながら、バイクツーリングの楽しさを体験できちゃいますよ。今まで知らなかった世界かもしれません。わくわくする短編ムービーフィルムです。スピーカーをONにして、バック・ミュージックを楽しんでくださいね。自宅にいながら、素敵な世界の旅でリフレッシュできますよ。
↓↓
http://www.honda.co.jp/VTR/theater/index.html

これを見た私も、また、次の休みの日が待ち遠しくなります。
こんどは、どこへ、行こうか、

そして、だれといこうか。

人生は、まだまだ楽しい。

グーフィーパパと一緒に、さあ、バイクに乗って、飛び出そう!
今夜、このURLをクリックするだけで、バーチャル体験、スロットル全開!!

Hi Fellas Let's go together !
Come on with us !!

グーフィーパパ

僕の古びたフィルムと心風景

2009-04-14 17:37:37 | Weblog
ファインダーから見た心風景


知らない人は知らないが、知る人ぞ知る、
あの伝説のフォトグラファー、
グーフィーパパが、
カメラ・ファインダーを通して感じた心風景、

そして、時にカメラを持たず、心の眼のファインダーで捉えた53年の人生の原風景を回想し書き下ろす。

心の中にしまいこんでいた遠い記憶の断片は細切れのフィルム。
年月を経て、すこし変色してしまったカラーフィルム。
そんな心のフィルムを現像してみよう。

その写真を現像して引き延ばして見ると、遠く過ぎ去ったあの時、その場所に、タイムマシンに乗ってタイムスリップする。

父のカメラで、初めて写真を撮った日。
白黒フィルムを入れて、逆光の太陽光をバックに電柱を撮った。現像したら、夏の日の入道雲とシルエットの電柱とトランスが不思議な光景を作り出していた。私はそれに美を感じた。
まだ小学校低学年だったころ、まだ、ゼロ戦隼人、戦艦大和が少年雑誌で人気アイテムだったころだ。プラモデルをたくさん作ったが、そのほとんどが、ゼロ戦、紫電改などの戦闘機、大和、武蔵などの戦艦、航空母艦、戦車だった。

父も戦車へ爆弾背負って体当たり肉弾自爆攻撃で出撃する3日前に終戦。
当時の私の周りの大人たちは皆戦争を経験した大人たちだった。大阪大空襲、満洲からの引き上げ、シベリアの強制労働を本当に経験した人たちの世界だった。

当時、僕が、お正月に初詣に成田山不動尊に行くと、道端には、かならず、何人かの傷痍軍人の人が土下座して居た。手や足を戦争で吹き飛ばされたり、目が見えなくなった人が真っ白の着物を着て軍帽をかぶって傷痍軍人として人々のお情けをいただくという情景だった。土下座をする人の横には必ずアコーデオンやハーモニカで「♪ここは~、お国の~、何百里~♪」の悲しい調べを奏でていた。

父は、給料の2カ月分を払ってカメラを買ってもっていた。なかなか、私には触らせてもらえなかったが、時折、許しを得て持たせてもらった。ずっしりとした重み。シャッターボタンを押すと、「バッ・シャ!」という重厚なシャッター音が鳴った。いまも耳の奥に蘇る。そのカメラは今は行方不明になってしまった。その父も、そのカメラも、もう見ることはできない。
当時、暇があれば見ていた写真集がある。当時の私の身長からすれば、とても大きな写真に見えた。A4サイズの毎日グラフだった。ページを広げると自分の体の半分くらいの大きさの大パノラマを見ているように感じていた。そこに白黒写真が広がっていた。
一番印象に残っているのが、父の本棚にあったその毎日グラフ(写真雑誌)「昭和の戦歴」だった。第二次大戦の従軍カメラマンの戦場写真集だ。その題は、「帝国軍人の日本兵も人間だった。不許可写真集」だった。
従軍記者が撮った写真だったが、軍が掲載を不許可にした写真集だった。
友を担いで逃げる兵など、それが現実であったが、軍としては戦意高揚にはならないと不許可になり、没原稿にされた写真たちだった。本来なら陽の目を見ずに廃棄される運命であったろう。しかし、敗戦したことで、毎日新聞社がその写真を引っ張り出して、戦場の現実を語る貴重な写真集としたのである。

夏の暑い日に、汗をふきふき、扇風機を回しながら、A4版の白黒写真のその戦場写真集のページをめくっていたあのころ。窓の外の蝉の声がジージー、シャーシャーとうるさかった。カルピスとスイカをかじりながら、半ズボンとクレープのランニングシャツで、腹ばいになって、畳の上に広げた毎日グラフの各ページに広がる写真の光景の中には、砂塵の中で地べたに必死で這いつくばっている兵士、ジャングルの行軍する兵の足元で、泥水の中で鉄兜と軍服を身につけたまま白骨になっている兵士のクローズアップ、銃剣でさされた捕虜がグアッと口を開けた瞬間の光景、地下豪に隠れながら、煙が立ち上がって敵に見つからないようにと、ろうそくの火で飯盒を炊こうとしている兵士の顔の表情と、ろうそくと、飯盒のズームアップ。 中国大陸のある夏の日のカンカンでりの太陽の下、乾いた砂ぼこりを立てながら傷ついた戦友を背中に背負って、飛んでくる弾丸の中を豪に向かって必死の形相で逃げ込んでくる兵士を豪の中から先に入っていたカメラマンが撮影した写真などなど。 帝国軍人としてではなく、軍服をきることになった魚屋さんや学校の先生達が、普通の人間としてそこで必死で生きようとしていた姿が記録されていた。
場所は中国戦線、シンガポール、インドネシア、ビルマ戦線、ラバウル島、他、名も知らぬ島や大陸の地。

いろんな場所に送り込まれ、そこで、それぞれの運命をたどることになった人びとの生き様、死に様を、銀塩フィルムに必死に撮りとめた従軍記者魂。その魂の叫びに感動しながら、その同じ視点に立って、まさにその時その場所に自分がいるように感じていたあのころ。

細切れの記憶。
それは、まるでひとコマの35mmスライドフィルム。
そのスライドフィルムを拡大鏡でのぞいてみれば、目の前に、ドーーンと大きくその時ファインダーで見た世界が展開する。
あの日、あの時に、時空を超えて自分が舞い戻っている。
ああ、確かにあの時、こんな光景だった。そして、その時、僕はそこに生きて、そこで何かを感じていたんだ。とっても大切なことを感じていた。
その記憶が走馬灯のように脈絡なく蘇る。
きっと、皆さんもそんな経験がございましょう。

私のそんな心風景を脈絡なく随想的につづってみたくなりました。
誰のための役に立つでもないが、
ただ、なんとなく語ってみたくなりました。

聞いてくれた人は、きっといい人です。

こんな話にお付き合いいただき、ありがとう。

さあ、はじまり、はじまり・・。

グーフィーパパ

東西冷戦時代、ソ連軍政下のポーランドの想い出

2009-04-11 06:50:06 | Weblog
今日、私のmixiの日記に足跡を残してくれた方が、ポーランドにゆかりのある方でした。
そのプロフィールを見て、ふと、私は青春の記憶を思い出したのです。

22才の青春まっただ中、無謀にも東側陣営への放浪の旅を決行した私。その時の記憶が走馬灯のように思い出され、何かを書かなくては居られない衝動に駆られました。

もう、30年も前です。当時の私は、長髪、髭のヒッピースタイルの若者でした。ジーンズにバックパック、馬鹿ちょんカメラと一握りのお金だけを持って旅に出たのです。
横浜から船に乗って、竜飛岬を抜けて日本海を渡り、東西冷戦真っただ中、アメリカと戦略核ミサイルを向け合うソビエト連邦の軍港ウラジオストックへ渡り、鉄のカーテンの向こう側に降り立ったあの日。

シベリア鉄道に乗り、モスクワへ向かった。
自由があふれる星から、まるで、第二次大戦中の日本のように、言論の自由も、移動の自由もなく、職業選択の自由もない世界。
お金でパンを買っても、だれもありがとうと言わないし、にこりともしない世界。 パン屋さんも肉屋さんも、全員が国家公務員。おしゃべりに夢中の店員さんに、「その商品を見せてほしい」というと、「私の仕事を増やすんじゃないよ」とじろりと睨まれる。 何をするにも賄賂が必要。お店で肉を買うにも、裏口へまわって賄賂を店員に払う世界。表のガラスケースには肉がないが、裏口へまわり、店員のポケットにお札をねじ込むと、ちょっと待ってろ、と引っこんで、しばらくすると、新聞紙にくるんだ肉をポンとなげてよこす。 
まったく別の星へ降り立ったようでした。

マックでハンバーグを買うと見知らぬ女性店員が、満面の笑顔でありがとうを言う、そんな西側の世界では当たり前の価値観が、逆に「おかしいんだ」と気付かされもしました。あれは、私にではなく、私のポケットのお金に笑いかけているんだ。私の人格への笑顔ではない。と。あたりまえですよね。私に好意を持ってほほ笑んでくれたのでは絶対にありません。

なにがなにやら、今まで当たりまえと思っていたことが、実は、あたりまえじゃないと気付いて混乱する不思議の国のアリス状態でした。

まさに、銀河鉄道999の鉄郎のような経験をすることになった放浪の旅の始まりでした。

下記は、その足跡を残してくれた方へ私がさっき書いたメッセージです。
あのときの思い出を、今はフィルムの色も変色してしまっている当時の写真と、文章でつづって本をかいてみようかなあ。
あの経験を誰にも話さず、墓に持って入るのはもったいない気がする。
自分の子供たちにも、ゆっくり話して聞かせたことはない。
妻にもはなしていない、信じられない当時の思い出。ポーランドのナチスの強制収容所の記憶も。そこで知ったコルベ神父と、この年になって偶然住むことになった土地のカトリック赤羽教会での再会。
現在も、続く、語りつくせない不思議な出会い、輪廻があります。

「鉄のカーテンの向こうで」なんて題は面白いかも。

☆-------------------------☆
こんにちは、足跡へのお返事です。

私が23歳の時、まだ東西の壁があったころ、ワレサ委員長が頑張っていたころ、ソビエト連邦をシベリア鉄道で横断して、ポーランドのワルシャワへの片道切符で降り立ったあの日を思い出しました。

そこで知り合ったヤンさんというコンピュータエンジニアの方のおうちへウルルン滞在した思い出。

物資が不足し、西側陣営の世界の情報が何も入らない今の北朝鮮のようなひどい環境でしたが、そこで生きているポーランド人の方のつつましやかな生活に惹かれました。
ワルシャワの公園でピアノの生演奏があり、人々がそれを聞き入っていました。文化的な豊かさを感じました。 

その後ヤンさんは、東西冷戦下、ドイツ経由でアメリカへの脱出に成功。奥様と娘さんも一緒にアメリカに渡ったという知らせがとどき、喜んだのを覚えています。

その後、ドイツの東西の壁が崩壊し、ソビエト連邦が崩壊し、今は、あの時代がなんだったのかなあ、と思ってしまいます。

ポーランドということで、ちょっと思い出に浸ってしまいました。

若き日の思い出です。

グーフィーパパ



ガレージハウスを自分の手で建てる

2009-04-09 22:47:49 | Weblog
4月18日、19日は、ガレージハウスを自分で建てる研修コースに参加します。
場所は、長野県の諏訪ICから20分。ビーナスライン沿い。
木製ガレージハウスメーカーのグリーンベル社の主催です。
グリーンベル社の殺し文句、これに私はグラッと来ちゃいました。
↓↓
☆ ----------------‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐☆
ガレージは男にとっての大人の遊び場!
http://www.green-bell.co.jp/catalog/index.html
男なら、一度は自分だけのガレージを夢見た事があると思う。
木製キットガレージなら、無限の創造力で自分で造り上げる楽しみがある。思う存分、車やバイクのメンテナンス、本でしか見た事のないガレージを仲間と集う場所として、きっとビールがあれば話も弾む事だろう。
ガレージ内部に工具・部品を装飾し、自分空間をDIYで造るのも楽しみの一つである。愛車を眺めながら、自分だけのガレージスタイルを見出す事・・・・それが至福の時とも言えるはずだ!
さぁ、キットガレージの楽しみをゆっくりと検討して頂きたい、憧れのガレージを手に入れて欲しい。きっと、貴方だけのガレージを見つける事が出来るだろう・

詳細→ http://www.green-bell.co.jp/school/school_008.html

☆-----------------------------------------------------------------☆
いつかは、バイクと車をいれるガレージの付いたアメリカ式の住宅にすみたいとおもっている私。
いよいよ、その準備を始めます。まずは、組み立て体験です。

大工さんに頼まずに自分でこつこつと家やガレージを作るニュージーランドの人たちのキューイー式の生活をしたいと思っているので、土間打ちから、柱建て、屋根葺きの基本的な知識が得られればと思って参加します。

後日、研修内容を写真でご紹介しましょう。

天候も暖かくなり、絶好のバイク日和になりそうな天気予報。(^。^)
18日の朝は、晴れていればバイクで朝4自発予定。
中央道を朝日を背に突っ走り、八が岳やアルプスの山々の美しい景色を楽しみながら目的地へ向かいます。バイクツーリングと、ガレージ建築の勉強と一石二鳥。しかも、18日の夜は、ペンション「けせらんぱさらん」でのんびりと日本アルプスのふもとですごせるという贅沢な二日間になりそうです。


ワクワクしてまいります。
グーフィーパパ

どっちが幸せ? 

2009-04-06 00:13:06 | Weblog
こんな記事を見ました。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=798724&media_id=71&m=1&ref=news%3Aright%3Apickup


居心地の良い家庭、悪い家庭。

どちらが幸せなのだろうか?

家庭とは居心地の良いところであるべきだ、と、だれしもが思う。

ただ、その意味は、親離れしない子、子離れしない親が一つ屋根で暮らし続けることではない。

又、一方で、
居心地の悪い家庭であったがゆえに、独り立ちが出来ることも有る。


居心地がいい家でそだつことが幸せか、居心地の悪い家庭が幸せか、

結局、人間(じんかん)、万事塞翁が馬、ってことだろうか。

最近読んだ興味深い本がある。

父親が母親を殺すのを目撃した子供がいた。
その子供は、その後、そのトラウマで、まともな会話が出来なくなり、社会に順応ができない青年になっていった。

その青年は、現在は多くの人を救うコーチングのコンサルタントになっている。

彼は言う。「その酷い体験をした自分を悲劇とおもいつづけるか、思い切って発想を変えて、そんな酷い経験であっても、そこから得た、「自分にとって良かったことは何か?」と問うことができるかどうかで、人生がまるっきりかわってしまう。」と。

私が、今まで学んだコーチングや質問力トレーニング、心理学などのちょっと 小難しい理論はさておき、けっきょく、それらをどう活用すれば、よいかが、分かりやすく説明されている本だ。

私は、この本を、3人の子供達に父からの役立つ本としてプレゼントしたいと思っている。

いままで、質問力トレーニング、コーチング、Dカーネギーの著書などをプレゼントしたが、それらとも関連して、使える実践力を即時に見につけられる本だと思う。

この著者はいう。良い質問を自分に問いかけよ。
人は、なぜ生まれてきたか、と問うよりも、「より良く生きるためには、自分は何をしたいか? すべきか?」と問い続けることが良い結果をもたらすと。

事実、私はその質問を常に自分に投げかけ、今自分がしていることの是非をそれで判断できるようになり、良い方向へ向かいつつあると実感しています。

その本の名前→1063人の収入を60日間で41%アップさせた、「目標を達成する技術」
著者:マイケル・ボルダック
発行:フォレスト出版

副題:どんな目標も達成できる「成功の心理学」だ。

この論理の基礎は、「人は感情で動く。その感情を自分が自在にコントロールできれば、人生もコントロールできる。」だ。
そのコツが書かれている。
知っている人は、知っていない人より、確実に、自らの望む結果を手に入れる確率は高まるはずだ。

子供達には父からのプレゼントとして是非伝えたい。

釣った魚を子供に与えても、親が居なくなれば、子供は魚を口に出来ず、飢える。
親が伝えるべきは、釣る方法だ。いや、それよりも、釣る方法を考え自ら方法を見つける「問題解決力」を育んでやることが大切なのだと思う。

コーチング研究者
グーフィーパパ



100円マックで儲かるのは、なぜ??

2009-04-04 08:48:02 | Weblog
グーフィーパパのビジネス談話室:

ビジネスを目指す君へ:
今、成功するビジネスは二極化される。

宝石などの金持ちを狙う高利益商品サービス、

もう一方が、
広く大衆を相手に、薄利多売。

その典型であるマックが、なぜ、今利益が出るのか?そのビジネスモデルの手品のタネを明かしたニュースがあった。

なぜ「100円マック」でも儲かるのか:マック式ファイナンス論
プレジデント4月 3日(金) 12時22分配信 / 経済 - 経済総合

解説図↓
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090403-00000301-president-bus_all


マクドナルド、100円ハンバーガーのコスト・利益の仕組み

「うちは薄利多売のビジネス」と原田泳幸CEOは断言する。それをマクドナルドが世に知らしめたのは、210円だったハンバーガーを100円に値下げした1994年のことだ。この思い切った値下げによって、販売数が一挙に20倍も増えたという。

 円グラフ(下部参照)の左側をご覧いただきたい。94年当時、210円で売られていたハンバーガーのコスト・利益の内訳である。原材料費57.5円、社員人件費40.7円、店舗賃借料21.0円、その他販売管理費66.6円などコスト計197.1円に対し、営業利益はわずか12.9円だ。110円も値下げして、儲けはどこから出てくるのか。その秘密は、固定費と変動費にある。
 変動費とは、肉代・パン代といった売り上げに比例して動くコストのこと。固定費とは人件費・店舗賃借料など、必ず発生する決まった額のコストのことだ。
 この図から、ハンバーガーは、固定費率が高く、変動費率の低い商品だということがわかる。値下げをしても儲けを出すためには、2つの条件が同時に必要となる。まず、先ほどの「商品の変動比率が低い」こと。そして、「値下げによって、販売数量が大幅に増加する」ことだ。

 実は、マクドナルドは全国展開の前に、89年に仙台市で、20円引きの190円でトライアル値下げを行ったことがある。このとき、ほとんど販売数量は変わらなかったという。20円の値下げに対し、当時の消費者は見向きもしなかったのである。そこで、94年の場合では、全国展開として思い切って110円の値下げを実施したのだ。
 100円という、半額以下の価格には、さすがに消費者が敏感に反応し、販売数量が爆発的に増加した。1個当たりの固定費が、人件費2.3円、販管費3.7円など大幅に圧縮されたのだ。それが図の右の円グラフだ。
 この結果、1個当たりの営業利益が12.9円から34.7円までなんと2.7倍に増加したのである。

 この仕組みこそ、売れば売るほど1個当たり固定費(固定費÷販売数量)が少なくなり、利益が上がるマクドナルドの薄利多売ビジネスの正体だ。
 1個当たりの販売価格がたとえ下がったとしても、大量に売れればその分、利益が大幅に拡大することになる。だから、原田CEOは、徹底的に客数の増大にこだわるのだ。客数が増えれば「100円マック」に加えて、ほかの商品を一緒に買ってくれる機会増につながる。
「10人から10円ずつもらうのではなく、100人から1円ずつもらうのが、うちのビジネスのあり方。年間、延べ14億人のお客様がマクドナルドに来店するが、1人から1円ずつ利益が増えれば、年間14億円の増益になる。1円の差がビジネスを大きく左右する、それが薄利多売の強みでもあり怖さです。1円の価値と14億円のスケール感を、同じように実感することができて、はじめて経営しているといえるのです」(原田CEO)


文=野崎稚恵 (ノンフィクション・ライター)
取材協力=田中靖浩
図版作成=ライヴ・アート

(PRESIDENT 2007年10.1)

では、ユニクロはどうだろうか?

同じ理屈があてはまるだろうか?

そして、あなたなら、どんなビジネスを、いくらの資金でどのように開始しますか?


フォトジャーナリスト
グーフィーパパ


遺影写真を撮るボランティア活動

2009-03-22 09:21:42 | Weblog

最近、自分自身が日の沈む年齢になってきましてねえ、死ぬことが身近になってきました。

先日、急に焼けた鉄棒を背中から突き刺されたような激痛に息も出来なくなり、全身の筋肉があまりの痛みに耐えるために硬直し、救急車で担ぎ困れました。
わずか米粒の半分ほどの石が尿管を通過した尿管結石でした。幸い翌日にはけろりとして退院できましたが、一日中、いつ終わるとの知れぬ、死ぬほどの痛みにうんうんうまっておりました。あ~、これで俺もおわりか・・。と観念しました。
「これで、死んでも、特にやりのこしたことも無いなあ、」と達観している自分におどろきました。死ぬことをすでに受け入れている自分が居ました。皆に何時かは訪れるそのときがきたんだなあ、という思いでした。

先日父を亡くし、その葬儀に使う写真でいいのがなかった。弟が金婚式で撮った写真を使ったのですが、その時自分が撮った写真がないのに悔いが残りました。
今年は、80歳の母を撮ろうと思います。好きな裁縫をして楽しそうにしている瞬間をさりげなく撮りたいと願っています。

遺影用の写真を撮る仕事がとても意味の有る仕事と思うようになりましtた。
禅仏教では、生き様という言葉ありません。
あるのは、死に様です。

その人生の意味は、死に様にあるというのです。

生老病死を禅的に捉える視点で写真をとってみたいなあ。

しばらくは、ボランティアで、葬儀のお金もない身寄りのない老人の方で、遺影用の写真くらいは持っておきたいという方用に、ステキな遺影写真を撮ってプレゼントしようかとも思っています。

グーフィーパパ

ぶつぶつ交換しよう!

2009-03-19 17:48:33 | Weblog
以前からやってみたかったこと。
それは、ぶつぶつ交換。

そんな折に、テレビで見たの興味深い実例を見た。

「あるアメリカの失業中の若者が、結婚をきっかけに家が欲しいので、赤いクリップをインターネットに載せて、「だれかぶつぶつ交換しませんか?」と始めた。
けれは、必ず相手のところへ出向いて、言葉を交わし、写真を撮ってブログに載せた。
やがて、わらしべ長者のように物々交換を通じて、人と人のつながりが広がり、最後は、本当に家まで貰っちゃった。」という、夢のようなストーリー。

私も、やっとこさ、四畳半の大きさの物置兼 庵(いおり)が完成したので、これから始めてみようと思う。ここにおけるサイズのものならいいな。

それをまた写真にして掲載。
ぶつぶつ交換をつづけていって、私も、自分のガレージハウスや、
はたまた、ホームレスの方々の食事と宿泊を提供できる施設などの建設とか、人の役に立つことに広げてみたいなあ。

今日、早朝、仕事に向かっている途中で、腰が90度以上曲がってしまったおばあさんが、道路わきのごみ置き場で食べ物を拾おうとがさがさと探している光景を見た。
私には何もできなかったのだが、本当にみていて気の毒だった。
そういった気の毒な方のためになることにつなげてみたいなあ。
一方で自分もRichでいたいという俗人の私。

すべてを投げ捨てひとさまのためにとまでは、凡人の私には無理ですが、なにかしてみたくなった。
ぶつぶつ交換で、自分も、人も、他人さんも幸せになる仕組みが、なんとなくですが、出来そうに思うのである。

さて、何から始めようかなあ?

土日に私が受け渡しに行ける範囲ですから、西川口から土日に行って会える人に限定。

日帰りや、一泊で、韓国や、ベトナムに行くことになるかもしれないなあ。
これもまたおもしろいね。

さて、何から始めるかを、今日は、夜ごはん食べながら考えます。

残りの人生を意味あるものにしたいし、楽しみたいし・・。

よくばりな、
グーフィーパパです。



父娘展レポート

2009-03-16 11:20:17 | Weblog
佐々木添司 父娘展レポート

3月14日の朝一番、まだ、会場の準備中でお掃除をしているところへお伺いしました。
まだ、他のお客さんが来られる前でしたので、ゆっくりとお話をうかがうことが出来ました。
サラリーマンをしながら、土日に書き溜めた作品と、プロカメラマンのお嬢さんが取りためた写真が展示されていました。
そこにあるのは、とても暖かい家庭の空気でした。
被写体であるおばあちゃん、お父さん、お母さんと、カメラマン(娘)のお互いの暖かい気持ちがストレートに見るものに伝わる写真が印象的でした。お父様の絵の中に家族を奥様と娘を描いた絵がいくつかありました。その絵には、家族をあたたかく、静かに見つめるお父様の真情が素直に表現されていました。
奇をてらったテックニックで見せるのではなく、いつもどおりの、当たり前の日常ではあるが、世界に一つしかない、もっとも心安らぐ世界一幸せな空間がそこにあるんだ、それが、家庭なんだ、家族とはそうあるべきなんだ、と再認識させてくれる作品の数々。
ず~とそこに居たくなるアットホームな展示会でした。

開場時間になると、大勢のお客様が家族連れで入ってこられました。
狭い会場は一杯です。あちこちで感心の声が上がり、楽しげな会話が沸き起こります。
【写真↓】
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/71/51632b1c88942944a166c8a35c9d2160.jpg特筆すべきは、お父様が書いた俳句漫画です。
これは、もしかしたら、出版しても、いけるんじゃないかと思い、私も知り合いのプロモーターへ紹介しようと思っています。

会場に来られた方々も皆、この特設コーナーには足を止め、みるやいなや、ぷっと噴出すし、顔を見合わせて笑う。お父様曰く、俳句のストックはいくらでもあるので、これからもそれに漫画を付けてかいてみようとおもう、とのこと。
これは、楽しみである。
お父様が俳句で入選して、ハワイ旅行の賞をもらって、家族がハワイ旅行に行くことになった入選作品は次の句:

「気を読めず、一人だじゃれで、浮くおやじ」

私がいいなあ、と思った句:
「定年を、ねぎらう妻に、注(つ)ぐ一杯」
【写真↓】
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b0/dd3f2070fc1ef44d279308a442f27fd5.jpg

今日15日がラストデイ。

是非、足をお運びください。
場所:渋谷・アートギャラリー道玄坂
Tel:03-5728-2101.

グーフィーパパ

SONY α-700と旅に出る。

2009-03-13 09:55:46 | Weblog
SONYのα-700を先日買いました。

新古品で、メーカー保証付きで、16--105mmレンズ付きで、縦位置グリップ付きで合計約11万円でした。

フジヤカメラの激安限定品

恐るべし!

ミノルタの50mmマクロ、反射式500mmレンズを使って作品作りに使用します。

使ってみて、良いところがいっぱいあるカメラでした。

良い使用レビューがありましたので下記紹介します。
↓↓
http://www.satouchi.com/alpha/review_44.html

私の感想も、これと同じです。
特に、撮ったあとすぐみる液晶画面が、恐ろしくクリアーで美しく、PC画面で確認するのと同じレベルで画像チェックできるのが嬉しい。
16--105mmレンズもすごくいい!
ボケ具合も最高で、ポートレートから風景までこれ一本でOKだ。
ウエディングもこれ一本でいけるなあ。

でも、ファインダーをのぞいたまま露出補正、調光補正を変更できるのは、やはりキャノンのEOS-30D, 40D, 5Dしかない。 となると、それらの微調整が頻繁に必要なウエディングの撮影では、やはり、まだ当面、キャノンEOSシリーズが主流になるなあ。
しかし、旅に連れていくカメラとしてや、個人の作品作りなら、このSONY α-700が最高だ。

旅先では、宿泊先でゆっくりとその日撮った絵を、その液晶画面で鑑賞できます。パソコンを持ち歩く必要がありません。

さてさて、こいつをバッグに入れて、バイクで旅に出たいなあ。

今度の休日には、ちょこっと千葉の南房総にでもいくかな。

グーフィーパパ