goo blog サービス終了のお知らせ 

ウエディングフォトグラファーになる方法

ウエディングフォトグラファーになる方法。
写真学校で習うエッセンス、現場で必要な知識、プロカメラマンになる方法を公開。

房総最南端の灯台と蝶々

2009-09-28 21:17:21 | Weblog
無性に東京湾の海と外海を見たくなって、朝からいそいそとバイクに一眼レフカメラとか荷物を積み込んで、早朝5時半頃出発。 がらすきの高速道路と海ほたるを巡航速度100キロで快適に飛ばした。

とある小さな港にバイクを停めて、バイクを降りて草原に座り込んで海を見ながらコーヒー牛乳とパンをかじる。 

カモメの泣き声、磯の香り、波の音を聞きながら、ねっころがると、空が抜けるように青くて奇麗だった。 風がそよぎ、太陽の暖かい光を感じながら目を閉じると最高の気分だった。


洲崎灯台の足元の草原に蝶が居た。
一眼レフで追ってみた。
いい写真が撮れた。



Photo-School



イーグルの羽 (アメリカインディアンの知恵)

2009-09-16 05:37:25 | Weblog
[イーグルの羽]

先日「イーグルに訊け」と題するインディアンの哲学(フィロソフィー)について
書かれた本を読んだ。

アメリカ先住民族のインディアン。

昔からの伝統を捨て、近代的生活を始めたインディアンには国から生活保護が出る

それにより生活は物質的には豊かになったが、彼らのこころは荒み、アルコール中
毒、麻薬、などでボロボロになって居る現状だ。

しかし、その一方で、
今も、昔ながらの伝統を守り、映画で見たことのあるインディアンの三角屋根テン
トで暮らすインディアン部族がいる。
かれらの生活は貧困で悲惨であるが、そこに暮らす人々、子供たちの眼は輝き、そ
こにいる犬まで妙に人懐っこいと、そこで暮らした日本人の著者は言う。

かれらは、インディアンの先祖の知恵と伝統を今も守って生きている。
インディアン達は、全ての存在が創造主ワカンタンカの前では平等と考えている。
鳥も、魚も、木も、水も、石も、みな「兄弟」と呼ぶ。

人間同士であっても、年齢や、性別や、身分で差別することがない。
すべての人を尊重する。
話し合いの時には、大人も、老人も、しゃべることが出来るのかと思うほどの子供
達まで一人前の発言権が認められている。

かれらは、話し合いの時、発言する人は、イーグルの羽根を持つことになっている

羽根を持って話している間は、他の人は絶対にその言葉を遮ってはいけない。
羽根を持って話すのが、子供であっても、周りの大人達は黙って話を聴くのである


(参考図書:「イーグルに訊け」インディアンに学ぶ人生哲学 飛鳥新社)

あなたは、子供のころ、親や、兄弟、先生、友達から、イーグルの羽を渡されたこ
とがあっただろうか?

もし、インディアンの子供たちのように、イーグルの羽を持って話すことが出来て
、おとな達が黙ってそれに耳を傾けてくれたとしたら、今の君は、今と同じだった
ろうか?

私は思う。
イーグルの羽を懐から出して、そっと、子供たちや、意見を言いたい人に手渡し、
「皆の衆、この子(人)の話をきこうではないか、」と、しわがれ声でいいながら
、車座に加わって座り、静かに耳を傾けるインディアンの長老のような、そんな老
人に私もなりたい、と。

皆さんのこころのポケットには、イーグルの羽が入っていますか? 
それを、そっと出して、相手の人に渡してみましょう。

きっと、幸せになりますよ。
相手の人も、
あなたも。


イーグルのロゴが入ったアメリカンバイク愛好家
グーフィーパパ



http://photo-school.sakura.ne.jp/

ハーレのバイク便

2009-08-19 15:42:53 | Weblog
街を走るバイク便。
ホンダ、ヤマハなどの国産メーカーはよく見るが、ハーレーの大型は見ないですね~。

私がバイクにまたがるのは、一か月中、ほんの何日かです。

これでは、ハーレー君もかわいそう。

なにか乗る理由を作ってもっと乗ってあげないとなあ。

そこで、ふと、思ったのが、バイク便。

ハーレーに乗った私に運んで、手渡してほしい。 
普通のバイクではだめで、ハーレーのロードキングで届けてほしい、という人が,
この広い世界には居るかもしれない。

だとしたら、そのお手伝いをしてもいいだろうと。

料金は、普通のバイク便と同じでいいと思う。
私の都合もあり、土日や夜間の、たまにしかそのサービスはできないが、
もし、そんなサービスを求めている人がいたら、どうぞ、ご相談くださいね。やってみようよ。

僕のバイクには、キャンプ用品荷物を積むキャリアを付けているので、ちょっとした小包なら十分に運べます。

<その2>

バイクで出かけた先の景色を写真で撮って居ます。
もし、今の、あそこの景色どんなふうになっているか、写真で撮ってe-mailで送ってほしいという人がいたら、写真を撮って送ってあげましょう。
僕も、走っていく目的もあり、走る楽しみと、そして、ひとの役に立つ喜びの一石二鳥。

せっかく持ったバイクだから、楽しみながら、人の役にも立って、もっともっと楽しく使いたいなあ。

そんなふうに、もし、ハーレーのバイクを人助けに使うサービスを思いつけば、それを望む人がいれば、そんなNPO法人を作っても面白いよねえ。

どんなもんでしょうかねぇ?

最近、まわりでインフルエンザにかかる人が増えてきました。
ビタミン剤のむくらいしか予防策ないよねえ。

みんさんは大丈夫ですか?


グーイ―パパ
http://photo-school.sakura.ne.jp/

ハーレーのバイクと一緒に撮影はいかがですか?

2009-08-07 10:43:54 | Weblog
ふと、思いつきです。
今日の朝、コーヒー飲んでて、ふっとひらめいたのです。

実は、私事、
8月盆明けに、ハーレーダビッドソン、ロードキング 黒、2009年式 ノーマル仕様を購入します。
ハーレーカタログ↓
http://www.harley-davidson.co.jp/lineup/touring/flhr.html 


これを撮影用にレンタル貸出したい、と思いました。

☆ハーレーにまたがったポートレート写真が欲しい人向け撮影。

☆ハーレーをバックにして、プロのモデルさんを被写体に、アマチュアカメラマン撮影会兼撮影技術研鑽セミナー


そんな撮影会を企画しちゃおうかなあ。

ご興味ある方や、こんなサービスが欲しいという方は、お気軽に、コメントください。

グーフィーパパ

撮影セミナー開催の予告

2009-07-01 22:59:57 | Weblog
現在、数人のプロカメラマンと一緒に、写真教室を準備中です。

35mmフィルムサイズのデジタル一眼(EOS-30D, D-300,α-700クラス)を使ってプロフェッショナルなポートレート撮影、ペットの上手な撮影方法等、を土日の数時間を使って習得できるコースを考えています。

・デジカメ一眼を買ったが、いつもオートでカメラ任せで撮っている。
・取扱説明書に書いてある内容がよくわからない
などといった、一般の方、ママさん、ご高齢の方の悩みを解消するサービスとして、短時間、お手ごろ費用のセミナーを検討中です。

ところで、このブログを覗いてくださった皆さんなら、なにを習いたいですか?

こんなことを学べる、実習できるセミナーや教室があるといいなあ、と思っておられたら、是非、教えてください。

今作っているセミナーの教材や、プログラム、カリキュラムに加えさせていただきます。

最初のセミナーは東京、関東圏を計画していますが、関西や地方へもイベント的に出没してみたいなあと、今からワクワク、ドキドキしています。

生徒の皆さんと一緒につくる教室にしたいなあ。

グーフィーパパ

お絵かき先生

2009-06-17 11:23:28 | Weblog
お絵かき教室の先生

それは、私がまだ幼稚園生だったときのこと。
よく晴れ渡った天気の良いある日だった。

一台のスポーツカーが、僕たちの遊び場の公園の入り口に停まった。
小型の真っ赤なスポーツカーだった。
大人二人が、詰め込まれるようにやっと座れる小さなスポーツカー。
ボディーはワインのような赤い色。
光沢ある表面が太陽の光をメタリックに反射させている。

座席は黒い幌の屋根で覆われていた。
それを後ろに蛇腹みたいに押して倒すと、オープンカーになった。
まるでマンガのルパン三世が降りてきそうな、しゃれた車だった。

その日、私が住んでいた家の裏にある公民館で、お絵かき教室が、はじまり、そこに現れた絵の先生が乗って来た車だった。

その車から降りてきたのは、ほっそりした背の高い若い青年だった。
ちょっと長髪で、あごひげがマンガのルパンの次元のあの鬚で、顔もあの次元みたいな感じで、物静かな絵描き先生だった。口にはパイプをくわえて、静かなまなざしで子供たちを見る。
一緒に降りてきたのは、美しい女の先生だった。二人は若夫婦だった。
この二人が一緒にたっている姿は、まるで「わたせせいぞう」の絵のような感じだった。

その日は、お絵かき教室体験会であった。
私が住んでいた家の裏にある公園と隣接する小さな公民館で、お絵かき教室が、はじまり、そこに現れた絵の先生が乗って来た車だった。

その日のお絵かき教室は、無料体験ということで、近所の悪がきどもも、そこにあつまっていた。
そこは、いつも自分が近所の悪がきどもと一緒に遊んでいる公園だった。
その公園で、好きなものを描きましょうという無料イベントであった。
私や子供達は、先生の前に並んで、画用紙をもらって、クレパスと絵の具を借りて、あちこちで絵を描き始めた。
私は、公園の裏山に立つ一番大きな松の木を見上げた。
いつも木登りをして遊んでいた公園の裏山の大きな一本松だった。

やがて、幼稚園児の私は、公園のシーソーにまたがって、その松の木の絵を描き始めた。

クレヨンでいろんな色をいっぱい使って描いて、そらは、水彩絵の具の濃い青をクレパスの絵の上から塗りたくった。松の木の茶色、葉の緑、青い空色の絵。ものすごく熱中して描いたことを今でも思い出せる。
自分が描いた「本当」の「絵」だった。
いまでも、その時の興奮を覚えている。
本格的に絵の道具をつかって、本気モードで絵を描くことが、なんと楽しいことか。
すぐに没頭してしまった。

そして出来上がった木の真ん中に、一呼吸置いてから、最後にでっかいカブトムシを描いてクレヨンを置いた。
「できた!!」と、お絵描きの先生にもっていくと、
男先生が腕組みをして、だまって見下ろしている。

パイプをふかして、なんにもいわないが、目がにこにこしている。

女先生が、「わー、すごくいいわ~」と手にとって見ながら言ってくれた。

「この真ん中のものはなに?」と聞かれた。

「カブトムシ!」と僕は答えた。

すると、一瞬周りにいた母や大人たちは目を見合わせ、「そっか~、は~はっはっは」と笑う。

そんな僕の姿を見た母は、お絵かき教室への入会金を払った。決して裕福ではなかった我が家で、母が自分の内職の収入から払ってくれたのだ。
僕はその絵を世紀の大作のように胸を張って受け取り、母と一緒に家へ持って帰った。

それから、中学を卒業するまで、毎週土曜日は、必ず、休まず、そのお絵かき教室に僕は通った。行きたいから行った。 私が行きたがるから、親は月謝を払い続けたのだった。

父は、私が最初に描いた「松の木とカブトムシ」の絵を、私が大学生になるころまで、廊下の一角に張っていた。
大人になるまで僕はその絵を廊下を通るたびに見ることになった。
その時の父の気持ちはなんだったのだろうか? 
その父はもういない。80歳で他界した。

学校の授業はおもしろくなかったが、土曜日のお絵かき教室はとても充実していて、そこにいって絵を描くことが私のもっとも大好きな時間であった。野球やベッタン(メンコ)や、ビー玉遊びよりも、私は絵を描くことが好きだった。

女先生は、その日描いた絵を、次の週の土曜日に返してくれる。
生徒全員の絵を女先生は見てくれるのだ。
そして、絵の裏には、赤いクレヨンで、でっかい5重丸がつけられていた。
「よくできました!」とほめられているように僕は感じ、うれしかった。
男先生も女先生も、絵の描き方は何も教えなかった。
すきなように描かせた。

どんなへんてこりんな絵でも、「それが、いいんだ。世界で一枚しかない絵だぞ」とニコニコしてほめてくれる。
子どもたち全員に、そうやって「ごじゅうまる」「花まる」をつけてくれる。

学校では、いつも成績が悪く、親から「なんや、この成績は?! 勉強する気無いんか?」といつも言われ続けている僕にとって、唯一、胸を張って親に見せれる成績だった。

「また、5じゅうまる、もらったでぇ!」と自慢げに見せる子供たちの顔は皆輝いていた。

やがて、男先生は、ドイツで展示会をして好評を得たとかで、だんだんと画家としての将来に明かりがみえて来ていた。
お絵かき教室も、「とってもいい先生がいる」と口コミが広がり、どんどんと生徒が増え、あちこちのお絵かき教室会場を掛け持ちする売れっ子先生になっていった。わたせせいぞうの絵の世界のように、すがすがしく、ロマンティックで、若くて有能な画家夫婦。順風満帆にみえた。

そんなある日、男先生が、教室に来なくなった。
赤いオープンカーに乗ってくるのは、女先生とアシスタントの美大の学生さんだけになった。
ある日、男先生が亡くなったという知らせがあった。

癌であった。

そのあとも、女先生は、いつもの笑顔で教室へやってきた。

悪ガキどものいたずらには、低い落ち着いた声で、「いけませんね!」と厳しい目でじっと子供の目をみつめる。女先生の綺麗な目でじっと見つめられてしまった悪ガキどもは、ちゃんと姿勢を正して、作品つくりに向かう。

先生に褒められることがうれしくて、それを失いたくなかったのだと思う。

ちゃんとしていると先生はとても穏やかで、そして、「ごじゅうまる」をくれるのである。

大学になってからも、社会人になって実家に帰った時も、その女先生が、教室でたくさんの子供たちの絵をみてまわっているところへ、時々お邪魔した。
ひょっこり現れた私を、先生は「あ~、なつかしいねえ。え?もうそんな年になったの?」と笑顔で迎えてくれた。そして、そこにいる生徒たちに、「このお教室の先輩よ」と紹介してくれるのだった。

その先生も、もう、いない。

50年ほども前のことなのに、あの男先生が乗ってやって来たスポーツカーの赤と黒。
あのとき見上げた一本松。
シーソーとブランコがあった公園。
みんなもう、いまは無い。

だけど、

僕には、つい昨日のことのように、鮮明な写真を見るように、今も思い出せるのである。

グーフィーパパ




わが生涯でもっとも感動した絵

2009-05-12 22:03:31 | Weblog
今日、友人であるアモウ氏からメールをもらった。
私を心配して書いてくれたようだ。
私がつねづね、「人生、もう時間がない。人間いつ死ぬわからんし。最近、救急車にはこばれ、もう、あかんか?とおもったこともあったし、」という私の言葉に、彼は私を案じて、元気出せよとメールをくれた。

それに対する私の回答である。私は悲観しているのではなく、時間がいつまでもあるとは、思うまい、今を生きようとしているのだと、アモウ氏へ返信したメールである。

関係者へ公開したい。


アモウくんへ、

わっはっはっは!心配すんな、アモウよ。


銀河鉄道スリーナインで哲郎はある日、ある惑星に降り立った。

そこの人間達はすべて機械の体を手にいれ、永遠の命を得た。結果、どうなっていたか?
哲郎が見たものは?

死ぬことがなくなった機械人間達は、何もやる気が起きない。
壊れた建物、道路を直すものも居ない。みな、マリファナを吸ってよこになっているような怠惰な世界になっていた。

以前、アウシュビッツ収容所で、ガス室へ送られる前に閉じ込められるコンクリートの小さな部屋を見たことがある。
20人が押し込められる小さなコンクリートの部屋だ。
そこの壁に、切手くらいの大きさの絵が三つあった。

ポケットにあった小さな鉛筆で、ドイツ兵に見つからないようにからだで隠しながら書いたのであろう、床に近い高さのみょうなところに書かれていた。

その絵は、人の顔であった。ポートレートであった。ミケランジェロの絵のように、まるで、写真のようで、また、生きているような立体感があった。今からガス室へ送られ死ぬことがわかっている、そこにいた人の顔であった。

私が、我が人生で見た、一番美しかった絵が、それである。

教会に描かれた色彩豊かなミケランジェロの絵よりも、鉛筆一本で、最後の限られた時間で渾身の作品を残した、この名も無き画家のその絵に私は感動した。 そこに居た人の絶望の表情であるが、人間の誇りはすてていない、なにか、凛としたものと絶望の入り混じる、なんといっていいか、まさに、その時、その人が、そこに、このようにいたんだ!!って訴えてくる絵なんだ。

今でもあるはずだから、一度、アウシュビッツへ行って、見てみて欲しい。
涙がこぼれ、言葉を失うはずだ。
そして、また、その絵の技術の高さに、驚異的なほど高度に卓越したその写術力に感動するであろう。

もう、自分は死ぬことが分かっている。時間がないことが分かっている。
だからこそ、人は、最後に全力で生きようとするのである。

それが、今の私である。

どうかな?
私の真意が分かってもらえたろうか?

グーフィーパパ

P.S.
添付の写真は私が、その時私が撮影した写真の一枚だ。
アウシュビッツ強制収用所を幾重にも取り囲む鉄条網。
ここには脱走できないように高圧電気が流れていた。


この鉄条網へ身を投げ出して、自殺を選ぶ人も多かったという。
「絶望」の象徴であった。
(この写真はグーフィーパパの展示作品であり、無断で複写・配布を禁じます。)


------------------------
Originakl Message:
グーフィーパパへ、
> ちょっと、言いたいんやけど。おまえ、人生もうちょとで終わりとか、なんで、そんなこと言うねん!まだこれからやで。「これが青春だ!」てメール送ったことあるやろ。心の持ちようやで。俺なんか、本気で、これから青春やと思ってるんやから。
アモウより

アウシュビッツ強制収用所 ホロコーストの現場

2009-05-12 21:37:24 | Weblog
昭和54年、ヒッピー風の若者だった私は、横浜から船に乗り、ナホトカへ行き、シベリア鉄道でソビエトを横断し、ポーランドへ向かった。

【↑シベリア鉄道の車窓から見たシベリアの大地】

持っていた切符はそこまでだった。
あとは、放浪のたびであった。

旅先でであったポーランド人の若者ヤン氏の家にウルルン滞在し、
あるひ、かれは、私をアウシュビッツ強制収用所へ連れて行った。
そこで私が見たものは、筆舌を絶する歴史の事実であった。


【↑アウシュビッツ強制収容所跡にて】
この写真は、
私が、その時私が撮影した写真の一枚だ。
アウシュビッツ強制収用所を幾重にも取り囲む鉄条網。
ここには脱走できないように高圧電流が流されていた。

この鉄条網へ身を投げ出して、自殺を選ぶ人も多かったという。
「絶望」の象徴であった。

(この写真はグーフィーパパが著作権を持つ展示作品であり、
無断で複写・配布を禁じます。)


ホンダのバイク試乗会に行きました。

2009-05-12 21:34:48 | Weblog
今日5月10日は朝からホンダのバイク試乗会に行きました。
SHADOW400, 750, ゴールドウイングに乗って、ご機嫌。
会場風景、そして、試乗マシンに乗りご機嫌な私のスナップ写真。

試乗走行コースは、すごく長い走行コースを二週します。



奇麗で、広い会場で、80キロ以上瞬間出して、ABSブレーキの制動テストもしてみました。



表紙の写真のゴールドウイングGLは、ハーレーのロードキング以上のロイヤルサルーン、エグゼクティブの風格漂い、かつ、エンジンは静かで振動もなく、まさにバイクのセルシオであった。
定価300万だが、近所のレッドバロンで、新品同様の中古が150万円で出てる。
どっちがいいかなあ?
いずれにせよ、買ったら、置き場所と、出先での駐車場探しがちょいとめんどうだろうが、そんなこと忘れちゃうくらいすばらしい乗り心地、コクピットの絶妙の設計に惚れ惚れしてしまった。

ハーレーにはない、魅力がある。どっちもいいなあ。

グーフィーパパ

アルプス山麓の早朝

2009-04-25 13:36:28 | Weblog
八ヶ岳山麓のペンションの朝は、鳥のさえずりで目覚めた。
4月の早春の風が、少し開いた窓から入り込んでレースのカーテンをやさしく揺らす。
ベッドで体を上半身だけ起こして窓から外を見た。

真っ青な空と山の遠景が眩しかった。



きつつきがココココと軽快な音を鳴らしている。

時計を見ると、まだ、早朝7時30分のペンションの朝食時間まで少し時間があった。
そそくさと顔を荒い、ジャンパーを引っ掛け、皮ブーツを履いた。
皮手袋をポケットにねじ込んで、ヘルメットを抱えてペンションの玄関を外に出た。
バイクのイグニッションキーを差し込んだ。
大きく伸びをして深呼吸すると、マイナスイオン一杯のすこしひんやりとする空気が旨かった。

暖機運転をしながら、景色を楽しむ。

八ヶ岳、南アルプスが連なる。
アスファルト道路は整備され、まっすぐに山麓を貫いていく。
対向車はほとんどない。
この早朝の景色と道路を独り占めして、
快適に走る。
アルプスの景色。
まるで絵の中を走っているようだった。

南アルプスが雪をかぶり、朝日を受けて真っ白に輝く。
風は少し冷たく気持ちがいい。対向車がほとんど来ない道を独り占めして、スロットルを快適に開く。巡航速度は80km。
それでもゆったりと走っているように感じた。開けた視界の360度がパノマティックヴューだった。

畑の中に鯉のぼりがあった。 大きな鯉のぼりが広い平野の真ん中に泳いでいた。

そうだ、もう5月のこどもの日だ。
村の子供達の健やかなる成長を祈る気持ちが、この歳になって私もよく分かる。
どんなことよりも、わが子が健やかなることが一番ハッピーなことなのだ。

雪を山頂に残す山々をつつむ天空は澄みきった青。
凛とした空気を体中に感じる爽快な春の朝のバイク・ライディングを楽しんだ。
2009年4月19日