Takの秘密の木

誰にもいえない気持ちは、誰もしらない秘密の木の洞に、こっそり語って蓋をするんだって。@2046

ウォルト・ディズニーの約束

2014-03-30 | ドラマ・映画・舞台の感想
メアリー・ポピンズの原作が好きで、ディズニー映画のメリー・ポピンズを見た時、「・・・なんでこうなっちゃったんだろう・・・」と思ったことがある人は、この作品を観ればすべての違和感や疑問が解決するんじゃないでしょうか?

小学生の頃、P.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」は私の愛読書でした。
そこにコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」とヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」を合わせた3作品が、私の幼少期のイギリス観の基礎を作ったのではないかと思います。
アメリカ文化よりも早く、イギリス文化に(本を通して)馴染んだみたいなんですよねー・・・。だから、"偏屈・変人・人にあまり好かれない人物が主人公"であることに、何の不自然さも覚えない。
むしろ、ピーターパンにしても、メリー・ポピンズにしても、金髪碧眼の品行方正ホームズと太っちょワトソンが定番になるホームズ物にしても、アメリカナイズされた作品にはいつも違和感を覚えた。

この映画の前半は、P.L.トラヴァースは、いわゆる「孤独で意固地になった扱いにくい英国女性」として揶揄を込めて描かれています。
まあ、ディズニー本人の話をディズニーが作ったんだから、ディズニー側をそんなに悪く描くはずがないのはわかっていたんですけどね。
でも、私からすると、トラヴァースの言ってることの方がむしろ当然というか、なにもおかしなことは言っていないというか。
ディズニー側のクリエイターが、登場人物やセットの細かい設定にうるさいトラヴァースに「そんなことがそんなに大事?!」と混ぜっ返した時には、逆に心底あきれ返りましたよ。
ものをつくる人間の言葉とは思えない。本当にあんなこと言ったんですかね。
この映画を作った人は、ディズニー側に共感させたかったのかも知れないですが、私は観れば見るほどトラヴァースの味方に。(苦笑)

でも、それだけで終わらないところがこの映画のすごいところで。
もしかしたらそれもこれもみんな織り込み済みなのかもしれませんね。
トラヴァースとディズニーの間にはどうしようもなく深い断絶があるわけですが、それでも映画「メリー・ポピンズ」は造られたわけです。
なぜ最後に、トラヴァースはディズニーによる映画化を許可したのか?
できあがった作品をプレミアで観ても、やっぱりトラヴァースは文句を言うんです。原作が好きな人間なら、彼女の感慨はやっぱりもっともなんです。
でも、彼女は許可したことを後悔しているわけではない。ディズニーの手に委ねたことを悔やんではいないんです。
それはなぜなのか?
トラヴァースの過去を振り返りつつ、"メアリー・ポピンズとは何者なのか?"を探るミステリー展開は、『永遠の0』にも似ていますね。

トラヴァースを演じたイギリス人女優エマ・トンプソンの力によるところが大きいと思うけど、想像していたよりはフェアに描かれているという印象が残りました。
そしてラストのラストで「BBC Films」とクレジットされたのを観て心底納得。(笑)


なるべく、原作を読んでから、そしてディズニーの「メリー・ポピンズ」を観てから鑑賞することをおススメします。
ものをつくる人間なら、いろいろ考えさせられることが多いのではないでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。