アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

三界の夢 そのⅩⅦ 敦盛

2017-03-18 14:24:33 | 物語
そのⅩⅦ 敦盛

 夜の帳が降りた頃、芳一の琵琶と平家語りが始まった。祇園精舎の鐘の聲

 琵琶の音を合図に、本能寺は無数の篝火に照らされて夜の闇の中に浮かび上
がった。

♪ 沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす

 笙の調べが、まるで天から降ってきたように境内と舞台と、鑑賞する人々に注
いだ。
 舞台中央の芳一の後ろに、笙を吹く尼御前が姿を現した。
 篳篥の音が地上に降り立ち、平家の公達が現れ、竜笛が天地の境を流離うよ
うに漂っている。
 若武者平敦盛が吹く青葉の音色に促された芳一の琵琶が激情のままに、荒々
しくかき鳴らされた。

♪ 驕れる人も久しからず 唯春の夜の夢の如し

 舞台下手に二人の白拍子が現れ、扇子を開いて、ヒラヒラヒラと、盛りの花
弁を散らせるかの如く、揺らめかせた。
 上手の白拍子も又、扇子をヒラヒラとさせながら芳一の側に寄って傅いた。
 下手の二人もそれに習って傅き、三人声を合わせて芳一の謡を唱和した。
♪ 驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し

 芳一は迸る激情のままに琵琶を掻き鳴らし、後方にズラリと並んだ、徳子を
始めとした平家の公達達はが管弦を協奏して琵琶の音色を包み込んだ。

 芳一が見えぬ夜空、宇宙を見上げ、琵琶の音を止めた。
 協奏していた管弦隊もまた、音を止め、境内には静寂だけが漂った。
 三人の白拍子、祇王と祇女と仏が静かに立ち上がり、白鞘から剣を抜き、三
方に散った。
「猛き者もつひには滅びぬ」
 今度は芳一、琵琶を弾かずに、能が如くに吟じた。

 舞台前面の三方向に佇んだ三人の白拍子が剣舞を始めた。
 祇王と祇女が床をトトンと踏み鳴らすと、仏がトンと応えた。
 
 芳一の琵琶と協奏する管弦が静かに哀調の調べを奏で始めた。
 さらに、芳一の琵琶が悲しくも静かに境内を漂った。
 ♪ 偏に風の前の塵に同じ
 
 白拍子達は、風に舞い散る花の如くにクルクルと舞いながら舞台に蹲った。

 近習を従えた信長は眼を皿のようにして見惚れていた。
 実は信長、平家語りを聞いたことが無かった。
 敦盛の段だけが好きで、自らも舞い謡ったのだ。
 信長が小姓の一人に耳を寄せ、口を扇子で隠して囁いた。
「敦盛はいかがしたのじゃ」
「上様、しばしの辛抱を。この後壇ノ浦へと続き、敦盛の段になる手はず」
「であるか」
 信長は満足そうに、二度三度と頷いた。

♪ 思へば、此世は常の住処にあらず
 芳一の平家語りが続いている。
♪(仏)草葉に置く白露
♪(祇王と祇女)水に宿る月より猶あやし

 信長が身を乗り出し、声を立てずに嬌声を上げた。

♪(芳一)金谷に花を詠じ
♪(祇王と祇女)栄花は先立て
♪(仏)無常の風に誘はるゝ
 たたみ掛けるように芳一が謡った。
♪ 南楼の月をもてあそぶ輩も
 芳一、仏、祇王、祇女が声を揃えて謡った。
♪ 月に先立つて、有為の雲に隠れり
 
 信長が膝を立てて扇子を開いた。

♪(芳一)人間五十年

 信長は堪らずに立ち上がって舞い、唱和し始めた。

♪ 化天の内を比ぶれば

 信長も信長の家臣も、芳一も、白拍子も平氏の公達も声を合わせて唱和して
いる。

♪ 夢幻のごとくなり

 信長がトトンと床を二度踏みならした。
 舞台の三人の白拍子がそれぞれ信長に応えた。

 ドンと大きく踏みならす仏。
 トンと祇王、トトンと祇女。

♪ 一度生を受け 滅せぬ物のあるべきか


 明智軍は、久御山(くみやま)の木津川畔で夜食を取っていた。、
 休憩していた分けで無く、黒鍬部隊が木津川に浮き橋を築くのを待っていた
のだ。
「まだか。早くしろ。夜が明けるぞ」
 火が急かした。
「大将、こんな川騎馬なら渡れましょう」
「うむ。渡るか」

 その頃、明智軍は隊毎に集められていた。
「者ども良く聞け。敵は本能寺に有り」
 利三が大音声で呼ばわった。
「我が殿が、仏敵、平氏の信長を討って、土岐源氏の光秀様が征夷大将軍に成
るのだ。この戦を命の限りに励め、子々孫々にまで語り継がせよ」
 と、眼光鋭く一同を見回す。
「怖じけるな、臆病風を吹かした輩はこの利三の槍の錆にしてくれん。よい
か、此より鬨の声を上げる。ウオーッ!」
 将兵は皆利三に応えて雄叫びを上げた。
 鬨の声は明智全軍に伝番していった。

 木津川堤の火が騎馬に一鞭呉れた。
「我に続け!」
 ザンブと木津川に馬を乗り入れる火、三百騎も我先にと続いた。

 赤揃いの騎馬隊が川の中頃に差し掛かった頃、浮き橋が完成した。
 勇んだ明智軍将兵が橋に殺到した。
 火と武田残党が岸に勢揃いした時、また殿軍に成っていた。
「おのれ、者ども遅れを取るな」
 気を取り直した火が、馬に激しく鞭を飛ばした。

 丑三つ時、芳一の寝所に林が忍んで来た。
 芳一に躙りよる林が思わず膝を止めた。芳一が見ていたからだ。
 芳一は眠れずにいたため、林の気配を悟っていた。
「法師様、ここは直に戦場に成りまする、巻き込まれぬ内にお逃がし致しま
す」
 
 林は芳一を抱えるようにして本能寺の外に連れ出し、待たせてあった籠に乗
せ、丹波屋に送り届けた。
 芳一をヨシとヨシコに託した林は、本能寺にとって返した。

「法師様、よくぞご無事で」
 居間で親子の対面が果たされていた。
「お兄様、優しいお兄様、わたくしに眼を下さったお兄様」
「それでは矢張り」
「妹のヨシコで御座います。これからはお兄様の眼となって、ご恩に報いて生
きて参ります」
 妹の言葉で全てを悟る芳一、見えぬ眼乍ら、両の腕で母と妹をしっかりと抱
きしめた。


 本能寺は蟻の出る隙間も無い程、明智の軍勢で取り囲まれていた。
 だが、物音を立てる者は一人としていなかった。
 本能寺は三姉妹によって丸裸に為れており、雑兵の一人一人に至るまで頭に
たたき込まれていた。
 皆、光秀の采配が振られるのを固唾を飲んで待っていた。
「ソレッ」
 光秀が遂に采配を振った。
 一斉に鬨の声を上げて、塀に梯子を掛け、よじ登った将兵が境内に雪崩れ込
んだ。

 時ならぬ鬨の声に、織田の侍は跳ね起き、雨戸を蹴破って面に走り出た。
 なんと、水色桔梗の光秀の旗印で取り囲まれているではないか。
 鉄砲隊の一斉射撃にバタバタと倒れる織田侍。
 一人が信長に報告する為に寝所に走った。

 唯ならぬ気配に、信長は寝具の上に跳ね起きた。
 十人程の近習達が駆け寄ってきた。
「上様、謀反に御座います」
「であるか、して・・・?」
 おっとり刀で駆けつけた侍が叫んだ。
「水色に桔梗の紋」
「であるか。是非も無い」
 信長は単衣の上から永楽銭の柄矢筒を襷に掛け、弓を抱えて寝所を駆け出
た。
 廊下で蒼が控えていた。
「蒼、何をしておる。早く逃げよ、光秀奴が謀反を起こした。明智の兵ならば
女子供に害は及ばさぬ。いいか、達者で暮らせ、生き抜くのじゃぞ」
「承知仕りました」
 左の衽(おくみ)を上に出して単衣を羽織っていた風は、不思議な事が有ると
思っていた。謙信公と同じ言葉を信長が残したからだ。
 蒼は右の掌で懐の小判が縫い付けられた守袋を確りと掴んで、左手で腹を押
さえた。
 蒼は立ち上がり様に単衣を一気に引き裂いた。
 蒼揃いの忍び衣装の風が現れた。
 風は長い髪を結い上げ、額に蒼い鉢金の鉢巻きをキリリと締めた。
 萌葱の林が駆け込んで、風の左に並んだ。
 騎馬の火が襖を蹴破って登場した。
 騎馬から飛び降りた火が、くるりと回転をして、これまた林の左にすっくと
立ち並んだ。
 蒼の風、萌葱の林、真紅の火が勢揃いした。

 信長と近習達は獅子奮迅の活躍をしていた。
 信長の矢は確実に明智の将兵を貫いていたが、多勢に無勢、次第に近習達が
倒されていった。
「上様、最早これまでで御座います」
「であるか」
 信長と四人の近習が寝所に駆け戻った。自害をする為だ。

 寝所に駆け込むと、光秀と光晴が次の間に控えていた。
「日向、でかした。じゃが後が大変じゃぞ」
「お後の事はこの光秀にお任せあれ」
 光秀と光晴は片膝をついて死に行く信長に礼を捧げた。
 矢筒と弓をかなぐり捨てた信長が太刀を手に取った。
「裏切り者」
 四人の近習が一斉に光秀に斬りかかった。が、忽ちの内に光秀と光晴の刀の
錆と成り果てた。
 見届けた信長が太刀を抜いて鞘を捨て、柄を逆手に持った。
 天井から真紅の蝙蝠が飛び降り、信長の足を抱え込んだ。
 堪えきれずにつんのめる信長に、火が罵声を浴びせた。
「自害などさせぬぞ、魔王奴」
 又一羽の萌葱蝙蝠が飛び降り、信長の隙を見付けて手槍で突っ込んだ。
 槍を腹に突き立てられた信長、今度は仰向けに倒れて行った。
 背後に舞い降りた林が、背後から信長の身体を支え、耳元で囁いた。
「上様、蒼に御座います。恐れながら、あなた様のお命は、この風が頂戴致し
ます」
 風は逆手に持った忍刀で信長の喉を掻き切った。
 その時、轟音と共に寝所の天井が落ちてきて、信長もろとも三姉妹を排煙の
中に掻き消した。
 思わず駆け寄ろうとする光晴を光秀が止めた。
「光晴、無用じゃ」
「信長の御首級を掻き出しまする」
「首などどうでも良い」
 光秀の言葉で、光晴は渋々後に続いた。
 光晴とて信長の首など欲しく無かった。が、本音は火が心配だったのだ。
 
 硝煙の本能寺の夜が明けた。
 朝焼けに燃え、粗方燃え尽くされた本能寺で本堂だけが無事な姿を見せてい
た。
 その本堂の屋根に、三本の旗印がはためいていた。
 永楽銭の旗を確りと持って佇む風。
 毘の一文字を染め抜いた旗を掲げる林。
 火は、風林火山の旗を翳していた。
「風よ、我らは向後如何にせむや」
 林と火が風に問うた。
「林よ、あなたは法師殿を支えて生きて行くが良い。火よ、お前は光晴殿をお
守りするが良い」
「姉上は如何いたす所存?」
 林と火がまた姉に問うた。
「わたくしは、甲斐の山奥に隠れ住む積もりです」
 林が謙信の旗印を、火が信玄の旗印を風に渡して屋根から消えた。
 三本の旗を抱えて確りと佇む風、零れそうになる涙を堪える為か、大空を仰
いだ。
 そこには、何処までも紺碧の青空が広がっていた。
三界の夢・完   作・Gorou

華厳二稿 そのⅣ 薬狩り

2017-03-18 13:55:48 | 物語
そのⅣ 薬狩り

 神亀6年(729)、8月5日、甲羅に「天王貴平知百年」と文字の書かれた瑞亀が
見つかり、天平と改元された。
 天平とは、仏になる修行を華にたとえ、その華で仏の位を飾る華厳の世界を
地上に築く事。それが聖武天皇と光明皇后の悲願で有った。
 しかし、百年の平和どころか、激動の時代の幕が上がった。

 養老の遣唐留学生、吉備真備と僧玄昉が帰朝した事で一気に幕が切り落とさ
れた。

 天平七年(七三五)八月二十六日。帰朝留学生従八位下下道朝臣眞備が、唐
礼百三十巻を始めとした暦から鎧をも貫き通す矢、儀礼用の矢に至るまで、唐
から持ち帰った貴重な文献武具などを献上した。
 翌八年には玄昉 に封戸や童子などを与えた。
 
 時の朝廷は人材不足に悩まされていた。期待をかけていた阿倍仲麻呂の帰朝
が玄宗皇帝から許されず、遣唐大使藤原清河(北家)は台風のため遠く南の島
に遭難し、結局この二人は生涯を唐で過ごした。

 聖武天皇は真備と玄昉を重用し、合わせて薬師寺の僧侶良弁を華厳の総本山
・東大寺別当に任命した。この時、薬師寺からは、後の怪僧弓削の道鏡もまた
東大寺に移ってきた。権勢を欲しいままにする藤原氏への牽制と対抗策だっ
た。
 特に真備は、四書五経に精通していただけで無く、諸葛亮孔明の八陣をも極
めていた、当に文武両道の俊英であった。

 野山に出て衆生に仏の道を教えていたお尋ね者の行基は薬師寺の僧侶で有
る。薬師寺の義淵僧正と共に玄奘(三蔵法師)の直弟子道昭に教えを請うた兄弟
弟子であったが、義援は薬師寺と法相宗を継ぎ、行基は土木技術と窮民救済を
継いだ。
 光明子と藤原氏の氏寺興福寺、実は法相宗の総本山であった。
 筆者はこれらの因果関係に何かが潜んでいる可能性が高いと思っている。
 以下余談。奈良の薬師寺に取材した時、当時の管主が、筆者が行基の話を向
けた途端に、好意的だった態度が硬化し、「行基大僧正は薬師寺の僧侶では有
りません」と、言い切りました。
 歴史とは難解な物です、史実と事実と真実が万華鏡の様に広がって、とても
筆者如きには見通せる物では有りません。

「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む」
 真備の礼記の読み下しに阿部内親王が復唱した。
「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む」
「其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉ととのふ。 其の家を斉えん
と欲する者は、先ず其の身を修む」
 内親王は正座をして書見台の礼記を懸命に見詰めている。
 正座をしていたのは、真備を師として敬う為だ。
 真備の娘由利は内親王の後ろに控えていたが、声に出さずに復唱していた。
「由利、あなたも声に出して復唱するのです」
 阿倍の言葉で、真備が厳しい視線を浴びせた。私語を慎むように言い渡して
いたからだ。
 由利は父真備の顔色を伺うようにして見詰めた。
 真備が娘に微笑んだ。
「其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉ととのふ。 其の家を斉えん
と欲する者は、先ず其の身を修む」
 今度は、二人声を合わせて復唱した。
「後は? 姫皇子、読んで下さい」
「はい、其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正す」
「はいは入りませぬ。続きを由利、あなたが読みなさい」
 由利は緊張で喉がカラカラになっていた。父真備は彼女が生まれて直ぐ唐に
留学したので、なんとこの時が初対面だった。少し風変わりな父娘の対面であ
ったが、由利は十分に満足していた。
 まさか父の講義を受けられようとは夢にも思わなかったからだ。
「其の心を正さんと欲する者は、先ず其の意を誠にす」
 
 聖武天皇は真備にやがて皇太子になる、阿部内親王の教育を任せ、この国の
将来をも託した。
 真備にとってはやや不本意で有った。二十年にも及ぶ唐の留学で、儒教と軍
略を極めたが、古代の中国政治家の多くが、昼は儒家や法家、夜は老荘の人だ
ったように、彼も又老荘の徒で有った。
 真備は帰朝が適ったならば、故郷の吉備に隠棲する積もりだったが。この国
の危機を知り、強く請われて内親王の教師となり、大学寮の講師をも務めてい
た。さらに、近衛兵と言える中衛府の軍師でも有った。

「真備先生にお願いが御座います」
 講義を終えた時、阿部内親王が真備に頭を下げている。
「何をしているのです。貴女様は内親王で御座います。臣下に頭など下げては
いけませぬ」
「この場には、わたくしと真備先生と由利しかおりませぬ故、師として尊敬の
心をあらわしての事です」
 苦笑する真備、一体何を考えているのか計り知れないと思った。
「して、何でしょうか?」
「わたくしに文だけで無く武の教授もお願いしたいのです」
「姫皇子(ひめみこ)は、やがて皇太子となり、天皇となられお方。しかも女
性であらせられる。武など必要に成りはしませぬ」
「いいえ、だからこそ一通りの武道、馬術、剣術、弓の道を身に付ける必要が
有ると、わたくしはおもいます」
 真備はまたも苦笑為ざるを得なかった。
「内親王(ひめみこ)、それは屁理屈というもの」
「真備」
 阿部は今度は真備と呼び捨てにした。
「教えなさい。理屈抜きにわたくしは武術が好きなのです」
 真備は少し驚いた、正直な上に人間関係の機微を心得ている。
 真備は、この時から阿部内親王を好ましく思った。行く末立派な皇太子に、
そして民の上に立つ、澄んだ心でお仕え出来る天皇(すめらみこと)にお育て
したいとも思った。

 教えてみると、意外に筋が良かった。特に馬術と弓は急速に進歩を遂げた。

 天平八年(736)、生駒郡司から訴えが有った。生駒山中の鹿が増えすぎ、
木の若芽や、若木の皮を食い散らし、放っておけば禿げ山になりかねないと。

 政庁は急遽薬狩りをすることに決定した。
 鹿は神聖な生き物として保護されていて、衆生(民衆)が殺して食べたりし
たら厳重に処罰された。悪くすると死罪になったりしたのだ。
 鹿の数を調整する事を薬狩りと呼んだ。
 鹿の肉は滋養に富み、爪の先からは毛、皮に至るまで役に立つので薬狩りと
言われたのだ。
 また、鹿狩りは公家の特権で庶民には縁が無かった。
 この宮中行事には官女達も参加して紫草などの薬草を摘んだそうだ。

 東(ひむがし)の野に かざろひの立つ見えて かえり見すれば
 月傾きぬ    柿ノ本人麻呂

Gorou

華厳二稿 Ⅲ 朱雀門外の歌垣

2017-03-17 15:44:09 | 物語
そのⅢ 朱雀門外の歌垣

 阿倍内親王の生母光明子は、皇太子妃の時代から窮民救済や薬草等の採取と
病気の治療に大きな関心を持ち、興福寺に悲田院(貧民や孤児を救うために作
られた施設)と施薬院(民救済施設・薬園)を創り、皇后となった後には皇后宮
にも創り、自ら病人の看護に当たられたりした。
 菩薩と称えられる行基も又、窮民救済に一生を捧げました。橋、路、貯水池
を創り、貧民救済の寮施設布施屋を建てました。
 行基は、進んで野山で衆生の為に説教をしましたが。これを政庁が禁じた為
に、お尋ね者になってしまいました。
 しかし、聖武天皇の大仏建立に行基の土木技術と動員力は欠かせず、朝廷は
大仏建立を行基にゆだねました。大仏開眼供養の時には、行基は大僧正の位を
贈られました。
 その時、行基は少しも喜はなかったと伝えられています。

 天平三年(734)年、二月一日。
 朱雀門が開かれ、鼓吹司が門外に整列して管楽を演奏しました。
 越天楽(黒田節などの元になった雅楽)の調べに誘われて、聖武天皇が家族
と大臣達を従え、朱雀門に出御して歌垣をご覧になりました。
 五位以上の風流と恋の分かる男女、二百四十余名が参加していました。
 衆生の見学が許され、数万人の人々が門外の広場と朱雀大路に溢れていまし
た。
 男女の求愛が公に許された歌垣は後世には風紀の乱れから禁止されてしまい
ますが、平安時代に復活し、現代の暗闇祭りに発展しました。

 二十余名の若者が列を成して登場して、
 ザッザッザツと勇ましく踏歌で足を踏みならして難波曲を歌いました。
「難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬ごもり」
 若者達の一糸乱れぬ踏歌はまるで征戦する兵士の様に勇ましかった。
 次に、やはり二十余名の娘が男踏歌に続いて女踏歌を悩ましくもしなやかに
舞って謡いました。
「今は春べと 咲くやこの花」
 娘達の裳が風にひらめいて、春の息吹を巻き上げ、平城は一気に春爛漫が如
くになりました。
 鼓吹司達も春の喜びを管楽で奏し上げ。
 嫌が上でも聴衆は熱く燃え上がって行きます。

「難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬ごもり」
 謡い、舞ながら若者達は女踏歌の方に乱入して、それぞれが目当ての娘に近
づいていきます。
「今は春べと 咲くやこの花」
 娘達は、好ましくない若者からは逃げ、好きと思う若者には対の踊りを捧げ
ます。
 娘達の中に阿部と井上がおりました。采女と女孺もいました。彼女たちの位
階は精々七位ですが、高い位階の家の出身なので参加を黙認されていました。
 井上は男踏歌の中に白壁王の姿を必死に探しましたが、望むべきも有りませ
ん。
 白壁王は、若者達に混じるには少々お年を召していましたので遠慮したので
す。それに、王は目立つような行為を、疎まれる天智系の皇族として禁じてい
ました。
 井上はようやく白壁王を見つけました。勿論男踏歌の中では有りません。
 衆生の観衆の中に紛れ込んでいました。庶民のような出で立ちで井上を見守
っていたのです。
 微笑みながら見つめ合う二人。

 踊り疲れた阿部と井上は、縁台で休んでいました。二人に采女と女孺が従っ
ていました。
 一同が聖武天皇から賜った菓子を愉しんでいたとき、一人の若者、式家の藤
原弘嗣が近づいてきました。
 采女達に緊張が走りました。
 弘嗣は何をするか分からぬ乱暴者と言われていたからです。
 弘嗣の前を遮るように、南家の豊成と仲麻呂か佇みむました。
「邪魔だ、どけ」
「恐れ多くも内親王方の席であるぞ」と、豊成。
「控えろ」と、一括する仲麻呂。
 この騒ぎに、護衛の衛士佐伯五郎を捜す由利。五郎が衛士を数人随えて駆け
てきます。
 五郎の姿に胸を撫で下ろして安堵する由利。
「今日は無礼講だ、それに俺は姫様に用ではない、そこの采女だ」
 と、弘嗣は阿倍の横に控える由利の方を見た。
 それでも、遮る行く手を緩める気配を見せない南家の兄弟。
 弘嗣は二人を突き飛ばして近づいて来た。
 血相を変えて追う南家の二人。
 阿部は仲麻呂が懐に刀子を隠しているのに気が付いた。
「豊成殿、落ち着きなされ」
「ははあ」
 豊成は阿倍の前に跪きましたが、仲麻呂はいまにも弘嗣に切りつけそうな殺
気を漲らせています。
「仲麻呂! 狼藉は成りませぬぞ! お控えなさい! なおも騒ぐなら、衛士
に命じて捕らえさせますぞ」
 阿倍の前に壁を創って身構える五郎と衛士達。
 ようやく仲麻呂は立ち止まりましたが、不服そうにあらぬ方を見ながら、横
目で弘嗣を監視している。
 弘嗣は由利の前で跪いて、手折った梅の枝を捧げた。が、彼の視線は明らか
に阿部に注がれていた。
 どうすれば良いのか躊躇って、由利は阿倍の顔を伺った。
 素知らぬ顔で空を眺めている阿部、視線だけを由利に向けて、微かに顎を動
かした。受け取れと言っているのだ。
 渋々梅の枝を受け取る由利。
「この花の、一枝のうちに、百種の言そ籠もれる、おほろかにすな」
 阿部は可笑しかった、この乱暴者の弘嗣が恋の歌を、それも内親王のわたし
にらしい。どうせ家持にでも手ほどきを受けたのだろうもとも思った。
 由利が又阿部の顔を伺っている。
 阿部は微笑み、顎をしゃくった。
 真備の娘、才色兼備と謳われる由利、忽ちの内に返歌を浮かべた。
「この花の、ひと枝のうちは、百種の言待ちかねて、折らえけらずや」
 弘嗣は小首を傾げて由利と阿部の顔を交互にみた。意味が図りかねたのだ。
 声を上げて笑う阿部、すっと手を差し出して、由利の持つ梅を折ってしまっ
た。そして、阿倍の手に移った梅の一輪を髪にさした。
「わたくしは、そこに控える中心者豊成やしたり顔の仲麻呂より,無骨な弘嗣
の方が好み」と、心で確かめる阿部であった。

 この有様は、乱暴者の弘嗣が采女・由利と阿倍内親王に軽くあしらわれた話
として京師に伝わった。

 瓢箪池の水浴びから七年前の事でした。

華厳二稿 そのⅡ 井上の恋

2017-03-17 14:34:07 | 物語
そのⅡ 井上の恋
 
 阿倍の采女で眞備の娘由利が中衛府屯所に駆けつけた時、屯所は一人の衛士
しかおりませんでした。
「皇太子殿下が池に水を張るようにと」
 由利の胸は激しく息せき切っていました。走ったからでは有りません。その
衛士を知っていたからです。その火長(十人隊長)佐伯五郎を憎からず思ってい
たからです。
 無言の儘立ち上がった五郎は窓際によって旗を振ると、堤に待機していた衛
士が堰へと走りました。
 五郎は由利の下手に正座をし、由利を見上げました。
「姫様、何か、水などお持ちしましょうか?」
「五郎様、戯れ言など言わないで下さい」
 五郎は今度は胡座を組んで由利に微笑みを送った。別にふざけて由利を姫と
呼んだのでは無い、由利は正七位だが、いっかいの衛士の五郎は無位の身だっ
た。身分が違いすぎたのだ。
「五郎様にお訊きしたい事が有ります。良い?」
 由利は五郎を媚びを売るような笑顔で見詰めた。
「なんなりと」
「貴男は礫の五郎の異名で呼ばれる分けが知りとう御座います」
「わたしが決して太刀も槍も取らず、石礫で敵に向かうからで御座る」
 遙かなる生駒の山並みを望みながら五郎が答えた。
「それが何故かと? 訊いているのです」
「人を殺すのが嫌だからで御座る」
 由利に視線を移す五郎、険しく悲しい眼をしていた。
「修練を積めば、石ころでも人を傷つけ、殺すことも出来るのです」
「ならば衛士を辞めては? いいえ辞めてしまい、近畿を離れ、例えば吉備で
百姓を為さりませ」
 吉備は由利の故郷だ、故郷で五郎と夫婦となって余生を送りたい、儚く適わ
ぬ夢であった。
「わたしは兵士になるために生まれた男。朝廷を御守りするのはわたしの本
懐」
 想いを告げた由利の胸の動機は止まりません。扇を開いて顔に風を送ると、
少し落ち着きました。
「一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ」
 由利は好きな万葉歌を詠いながら舞った。
 由利の裾裳が翻り、薄衣の太股が露わになった。
 五郎も立ち上がり、刀子を鞘ごと抜いて扇の代わりとして、由利の舞に応え
た。
「君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ」

 一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ
 君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ

 二人は何度も詠い、舞続けた。
由利は長い日など待てぬと嘆き。五郎は必ず迎えに行くと約束しているの
だ。

 衛士の一人が池の堰を切ったので、たちまち池は透き通った水で溢れた。
「皇太子、泳げば少しは涼しくなりますわ」
「ええ、お姉様、わたくしもそう思っておりましたの」
 井上斎宮は薄衣を纏ったまま池に入って行きます。
 阿部皇太子は采女と女孺(にょじゅ、めのわらわ)達を見やって、
「さあ、あなたたちも一緒に」と、薄衣を抜き捨てて、ザブリと頭から池に途
飛び込んだ。
 女孺は三人とも、袴と衣を脱いで皇太子に従った。
 二人の采女も女孺にならった。
 由利だけは池に入らずに、皇太子達が泳ぐのを見ていた。吉備真備の娘だっ
た彼女は有る事を知っていたからだ。

 池の辺、その茂みで二人の貴公子が池に背中を見せた。二人の内親王の様子
を伺いながら話をしていたが、思わぬ展開に慌てて顔を背けた。
 当時の高貴な女性は人前で着替えたり、肌を見せる事を恥ずかしがらなかっ
たが、貴公子はあえて直視することを控えるのが嗜みであった。
「天真爛漫とは伺っておりましたが、これ程とは?」
「両陛下は心配されておりましたが、わたくしは、あれはあれで良いと考えて
おります」
「ところで、梓の中将。先ほどのお話はすでに決まっておりますのでしょう
か?」
「いいえ、私が両陛下に進言しただけで、決まった分けでは有りません」
「中将(すけ)殿、吉備真備といえば秀才と聞こえておりますが、白猪史真成
(しらいのふひとまなり)という書生の名は聞いた覚えがございませんが?」
「真備と真成は大学寮では白虎と青龍に喩えられていた程の青年です、鉈のよ
うな真備、剃刀が如き切れる真成、この二人に皇太子の教育を託し、即位成さ
れた後の政治も任せるのが良いと思っています」
 高梓は中衛府の中将で実質的な指揮権を持っていた。
 中衛府は東の舎人とも呼ばれており、皇太子の近衛兵をも兼ねていた。
 梓は、皇族派の長屋王と藤原一門との醜い政争に明け暮れる朝廷を懸念し
て、阿部皇太子が即位した時には、盤石の体制で大和朝廷を支える覚悟であっ
た。
 白壁王と親しくしているのも、天智系の王達の協力を求めての事だった。
が、さすがの高梓も、白壁王と井上斎宮が恋仲とは知らなかった。
 
 数日後、井上斎宮一行は伊勢への路を急いでいた。
 行列は三条大路を進み、平城京師を抜け、暗越街道に入ると急に細くなっ
た。三人通れるかどうかだ。
 牛車に揺られながら、井上は憂いに浸っていた。再び白壁王に会えるかどう
か分からない。なんどもなんども平城の方を振り返ったが、想いは募るばかり
で、夏の空のように晴れることは無かった。
 街道の右手の丘の上の生駒仙坊から一団の沙弥が現れて、街道に入り、平城
へと行脚してきた。
 信心深く、行基禅師を慕っていた井上は、わざわざ牛車から降りて、車も人
も道端に寄せて沙弥達の通りすぎるのを待った。
 沙弥達は賛嘆を歌いながら行脚していた。
「百石(ももくさ)に、八十石(やそくさ)そえて、給いてし、乳房のむくい、今
ぞわがするや」
 井上は今平城で流行っているこの賛嘆を知っていたが、直に聞くのは初めて
だった。
 生駒仙坊の沙弥達は、こうやって賛嘆を歌いながら托鉢をしているのだ。
 傍らの乳母が耳元で囁いた。
「姫様、あの者達は物持ちからは托鉢をうけますが、貧者には逆に食物などを
与えるそうですよ」
「ほんとうに、心の澄んだ方達なのですね」
 二人の囁きが聞こえたのだろうか? 三人の沙弥が笠を取って井上の前に立
ち止まった。
 二十歳を過ぎたばかりの沙弥が、眼光鋭く、良く通る美しい声で歌った・
「願い奉る御詠歌を」
 触れなば忽ち切れてしまう刃物の如き眼光の沙弥は南家仲麻呂とそっくり
だ。と、井上は思った。
 中年の穏やかな沙弥と菩薩が如き悟りを開いた容貌の老いた沙弥が若者と共
に賛嘆を歌った。
「百石に、八十石そえて、給いてし、乳房のむくい、今ぞわがするや 今ぞ我
がするや 今日せでは何かはすべき 年も経ぬべし さ夜もへぬべし」(注・
光明子作との説も有ります)
 老いた沙弥が井上の眼前に鉢をつきだした。催促をしているのだ。
 井上は慌てていくらかの銭を鉢に入れて合掌した。
 眼を開けると老沙弥は穏やかに微笑んでいたが、鉢を更に突きだした。
 慌てて布や着物を持って来させて、老沙弥に渡そうとすると、横から若い沙
弥が無言のまま受け取った。
「伊勢までの道中恙無く、ご無事で行きなされ。御母君はお元気で御座います
か」
 そう言った老沙弥はまた微笑んだ。
 井上は菩薩のようなお方だと思った。
 三人は笠を被って再び賛嘆を歌いながら行脚を始めた。
「母上をご存じなのかしら」
 独り言を呟きながらぼんやりと見送っている井上。

 老沙弥と井上の母・広刀自は旧知の仲だった。
 三人は沙弥では無く、歴とした僧侶だった。
 眼光の鋭い若者は、若き日の怪僧弓削道鏡。
 穏やかな僧侶は、薬師寺義淵僧正最大の後継者、東大寺初代別当良弁。
老いた僧侶は、菩薩と謳われた行基禅師、その人だった。

 我に返った井上が牛車に乗ろうとすると、道端に騎乗の公卿がいた。白壁王
だ。
 下馬した白壁王が井上の前に跪いて木簡を捧げた。
 恥ずかしさと嬉しさで顔を紅く染めた井上が木簡を受け取った。
 木簡には短歌が書かれていた。

 恋ひ死なむ、後は何せむ、生ける日のためこそを、妹見まく欲りすれ

 うろたえる井上に、気を利かした乳母が木簡と筆を渡した。
 木簡をもって返歌を詠もうとするが、どうしても浮かんで来ない。仕方が無
いので、好きな短歌で代用した。

うつつには、逢ふよしもなし、ぬばたまの、夜の夢にを、継ぎて見えこそ

    2017年3月16日   Gorou

華厳 Ⅳ 薬狩り(改定)

2017-03-15 18:12:55 | 物語
そのⅣ 薬狩り

 神亀6年(729)、8月5日、甲羅に「天王貴平知百年」と文字の書かれた瑞亀が
見つかり、天平と改元された。
 天平とは、仏になる修行を華にたとえ、その華で仏の位を飾る華厳の世界を
地上に築く事。それが聖武天皇と光明皇后の悲願で有った。
 しかし、百年の平和どころか、激動の時代の幕が上がった。

 養老の遣唐留学生、吉備真備と僧玄昉が帰朝した事で一気に幕が切り落とさ
れた。

 天平七年(七三五)八月二十六日。帰朝留学生従八位下下道朝臣眞備が、唐
礼百三十巻を始めとした暦から鎧をも貫き通す矢、儀礼用の矢に至るまで、唐
から持ち帰った貴重な文献武具などを献上した。
 翌八年には玄昉 に封戸や童子などを与えた。
 
 時の朝廷は人材不足に悩まされていた。期待をかけていた阿倍仲麻呂の帰朝
が玄宗皇帝から許されず、遣唐大使藤原清河(北家)は台風のため遠く南の島
に遭難し、結局この二人は生涯を唐で過ごした。

 聖武天皇は真備と玄昉を重用し、合わせて薬師寺の僧侶良弁を華厳の総本山
・東大寺別当に任命した。この時、薬師寺からは、後の怪僧弓削の道鏡もまた
東大寺に移ってきた。権勢を欲しいままにする藤原氏への牽制と対抗策だっ
た。
 特に真備は、四書五経に精通していただけで無く、諸葛亮孔明の八陣をも極
めていた、当に文武両道の俊英であった。

「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む」
 真備の礼記の読み下しに阿部内親王が復唱した。
「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の国を治む」
「其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉ととのふ。 其の家を斉えん
と欲する者は、先ず其の身を修む」
 内親王は正座をして書見台の礼記を懸命に見詰めている。
 正座をしていたのは、真備を師として敬う為だ。
 真備の娘由利は内親王の後ろに控えていたが、声に出さずに復唱していた。
「由利、あなたも声に出して復唱するのです」
 阿倍の言葉で、真備が厳しい視線を浴びせた。私語を慎むように言い渡して
いたからだ。
 由利は父真備の顔色を伺うようにして見詰めた。
 真備が娘に微笑んだ。
「其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉ととのふ。 其の家を斉えん
と欲する者は、先ず其の身を修む」
 今度は、二人声を合わせて復唱した。
「後は? 姫皇子、読んで下さい」
「はい、其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正す」
「はいは入りませぬ。続きを由利、あなたが読みなさい」
 由利は緊張で喉がカラカラになっていた。父真備は彼女が生まれて直ぐ唐に
留学したので、なんとこの時が初対面だった。少し風変わりな父娘の対面であ
ったが、由利は十分に満足していた。
 まさか父の講義を受けられようとは夢にも思わなかったからだ。
「其の心を正さんと欲する者は、先ず其の意を誠にす」
 
 聖武天皇は真備にやがて皇太子になる、阿部内親王の教育を任せ、この国の
将来をも託した。
 真備にとってはやや不本意で有った。二十年にも及ぶ唐の留学で、儒教と軍
略を極めたが、古代の中国政治家の多くが、昼は儒家や法家、夜は老荘の人だ
ったように、彼も又老荘の徒で有った。
 真備は帰朝が適ったならば、故郷の吉備に隠棲する積もりだったが。この国
の危機を知り、強く請われて内親王の教師となり、大学寮の講師をも務めてい
た。さらに、近衛兵と言える中衛府の軍師でも有った。

「真備先生にお願いが御座います」
 講義を終えた時、阿部内親王が真備に頭を下げている。
「何をしているのです。貴女様は内親王で御座います。臣下に頭など下げては
いけませぬ」
「この場には、わたくしと真備先生と由利しかおりませぬ故、師として尊敬の
心をあらわしての事です」
 苦笑する真備、一体何を考えているのか計り知れないと思った。
「して、何でしょうか?」
「わたくしに文だけで無く武の教授もお願いしたいのです」
「姫皇子(ひめみこ)は、やがて皇太子となり、天皇となられお方。しかも女
性であらせられる。武など必要に成りはしませぬ」
「いいえ、だからこそ一通りの武道、馬術、剣術、弓の道を身に付ける必要が
有ると、わたくしはおもいます」
 真備はまたも苦笑為ざるを得なかった。
「内親王(ひめみこ)、それは屁理屈というもの」
「真備」
 阿部は今度は真備と呼び捨てにした。
「教えなさい。理屈抜きにわたくしは武術が好きなのです」
 真備は少し驚いた、正直な上に人間関係の機微を心得ている。
 真備は、この時から阿部内親王を好ましく思った。行く末立派な皇太子に、
そして民の上に立つ、澄んだ心でお仕え出来る天皇(すめらみこと)にお育て
したいとも思った。

 教えてみると、意外に筋が良かった。特に馬術と弓は急速に進歩を遂げた。

 天平八年(736)、生駒郡司から訴えが有った。生駒山中の鹿が増えすぎ、
木の若芽や、若木の皮を食い散らし、放っておけば禿げ山になりかねないと。

 政庁は急遽薬狩りをすることに決定した。
 鹿は神聖な生き物として保護されていて、衆生(民衆)が殺して食べたりし
たら厳重に処罰された。悪くすると死罪になったりしたのだ。
 鹿の数を調整する事を薬狩りと呼んだ。
 鹿の肉は滋養に富み、爪の先からは毛、皮に至るまで役に立つので薬狩りと
言われたのだ。
 また、鹿狩りは公家の特権で庶民には縁が無かった。
 この宮中行事には官女達も参加して紫草などの薬草を摘んだそうだ。

 東(ひむがし)の野に 炎(かざろい)の立つ見えて かえり見すれば
 月傾きぬ    柿ノ本人麻呂
    平成29年3月15日(水)  Gorou