アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

華厳二稿 Ⅲ 朱雀門外の歌垣

2017-03-17 15:44:09 | 物語
そのⅢ 朱雀門外の歌垣

 阿倍内親王の生母光明子は、皇太子妃の時代から窮民救済や薬草等の採取と
病気の治療に大きな関心を持ち、興福寺に悲田院(貧民や孤児を救うために作
られた施設)と施薬院(民救済施設・薬園)を創り、皇后となった後には皇后宮
にも創り、自ら病人の看護に当たられたりした。
 菩薩と称えられる行基も又、窮民救済に一生を捧げました。橋、路、貯水池
を創り、貧民救済の寮施設布施屋を建てました。
 行基は、進んで野山で衆生の為に説教をしましたが。これを政庁が禁じた為
に、お尋ね者になってしまいました。
 しかし、聖武天皇の大仏建立に行基の土木技術と動員力は欠かせず、朝廷は
大仏建立を行基にゆだねました。大仏開眼供養の時には、行基は大僧正の位を
贈られました。
 その時、行基は少しも喜はなかったと伝えられています。

 天平三年(734)年、二月一日。
 朱雀門が開かれ、鼓吹司が門外に整列して管楽を演奏しました。
 越天楽(黒田節などの元になった雅楽)の調べに誘われて、聖武天皇が家族
と大臣達を従え、朱雀門に出御して歌垣をご覧になりました。
 五位以上の風流と恋の分かる男女、二百四十余名が参加していました。
 衆生の見学が許され、数万人の人々が門外の広場と朱雀大路に溢れていまし
た。
 男女の求愛が公に許された歌垣は後世には風紀の乱れから禁止されてしまい
ますが、平安時代に復活し、現代の暗闇祭りに発展しました。

 二十余名の若者が列を成して登場して、
 ザッザッザツと勇ましく踏歌で足を踏みならして難波曲を歌いました。
「難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬ごもり」
 若者達の一糸乱れぬ踏歌はまるで征戦する兵士の様に勇ましかった。
 次に、やはり二十余名の娘が男踏歌に続いて女踏歌を悩ましくもしなやかに
舞って謡いました。
「今は春べと 咲くやこの花」
 娘達の裳が風にひらめいて、春の息吹を巻き上げ、平城は一気に春爛漫が如
くになりました。
 鼓吹司達も春の喜びを管楽で奏し上げ。
 嫌が上でも聴衆は熱く燃え上がって行きます。

「難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬ごもり」
 謡い、舞ながら若者達は女踏歌の方に乱入して、それぞれが目当ての娘に近
づいていきます。
「今は春べと 咲くやこの花」
 娘達は、好ましくない若者からは逃げ、好きと思う若者には対の踊りを捧げ
ます。
 娘達の中に阿部と井上がおりました。采女と女孺もいました。彼女たちの位
階は精々七位ですが、高い位階の家の出身なので参加を黙認されていました。
 井上は男踏歌の中に白壁王の姿を必死に探しましたが、望むべきも有りませ
ん。
 白壁王は、若者達に混じるには少々お年を召していましたので遠慮したので
す。それに、王は目立つような行為を、疎まれる天智系の皇族として禁じてい
ました。
 井上はようやく白壁王を見つけました。勿論男踏歌の中では有りません。
 衆生の観衆の中に紛れ込んでいました。庶民のような出で立ちで井上を見守
っていたのです。
 微笑みながら見つめ合う二人。

 踊り疲れた阿部と井上は、縁台で休んでいました。二人に采女と女孺が従っ
ていました。
 一同が聖武天皇から賜った菓子を愉しんでいたとき、一人の若者、式家の藤
原弘嗣が近づいてきました。
 采女達に緊張が走りました。
 弘嗣は何をするか分からぬ乱暴者と言われていたからです。
 弘嗣の前を遮るように、南家の豊成と仲麻呂か佇みむました。
「邪魔だ、どけ」
「恐れ多くも内親王方の席であるぞ」と、豊成。
「控えろ」と、一括する仲麻呂。
 この騒ぎに、護衛の衛士佐伯五郎を捜す由利。五郎が衛士を数人随えて駆け
てきます。
 五郎の姿に胸を撫で下ろして安堵する由利。
「今日は無礼講だ、それに俺は姫様に用ではない、そこの采女だ」
 と、弘嗣は阿倍の横に控える由利の方を見た。
 それでも、遮る行く手を緩める気配を見せない南家の兄弟。
 弘嗣は二人を突き飛ばして近づいて来た。
 血相を変えて追う南家の二人。
 阿部は仲麻呂が懐に刀子を隠しているのに気が付いた。
「豊成殿、落ち着きなされ」
「ははあ」
 豊成は阿倍の前に跪きましたが、仲麻呂はいまにも弘嗣に切りつけそうな殺
気を漲らせています。
「仲麻呂! 狼藉は成りませぬぞ! お控えなさい! なおも騒ぐなら、衛士
に命じて捕らえさせますぞ」
 阿倍の前に壁を創って身構える五郎と衛士達。
 ようやく仲麻呂は立ち止まりましたが、不服そうにあらぬ方を見ながら、横
目で弘嗣を監視している。
 弘嗣は由利の前で跪いて、手折った梅の枝を捧げた。が、彼の視線は明らか
に阿部に注がれていた。
 どうすれば良いのか躊躇って、由利は阿倍の顔を伺った。
 素知らぬ顔で空を眺めている阿部、視線だけを由利に向けて、微かに顎を動
かした。受け取れと言っているのだ。
 渋々梅の枝を受け取る由利。
「この花の、一枝のうちに、百種の言そ籠もれる、おほろかにすな」
 阿部は可笑しかった、この乱暴者の弘嗣が恋の歌を、それも内親王のわたし
にらしい。どうせ家持にでも手ほどきを受けたのだろうもとも思った。
 由利が又阿部の顔を伺っている。
 阿部は微笑み、顎をしゃくった。
 真備の娘、才色兼備と謳われる由利、忽ちの内に返歌を浮かべた。
「この花の、ひと枝のうちは、百種の言待ちかねて、折らえけらずや」
 弘嗣は小首を傾げて由利と阿部の顔を交互にみた。意味が図りかねたのだ。
 声を上げて笑う阿部、すっと手を差し出して、由利の持つ梅を折ってしまっ
た。そして、阿倍の手に移った梅の一輪を髪にさした。
「わたくしは、そこに控える中心者豊成やしたり顔の仲麻呂より,無骨な弘嗣
の方が好み」と、心で確かめる阿部であった。

 この有様は、乱暴者の弘嗣が采女・由利と阿倍内親王に軽くあしらわれた話
として京師に伝わった。

 瓢箪池の水浴びから七年前の事でした。

華厳二稿 そのⅡ 井上の恋

2017-03-17 14:34:07 | 物語
そのⅡ 井上の恋
 
 阿倍の采女で眞備の娘由利が中衛府屯所に駆けつけた時、屯所は一人の衛士
しかおりませんでした。
「皇太子殿下が池に水を張るようにと」
 由利の胸は激しく息せき切っていました。走ったからでは有りません。その
衛士を知っていたからです。その火長(十人隊長)佐伯五郎を憎からず思ってい
たからです。
 無言の儘立ち上がった五郎は窓際によって旗を振ると、堤に待機していた衛
士が堰へと走りました。
 五郎は由利の下手に正座をし、由利を見上げました。
「姫様、何か、水などお持ちしましょうか?」
「五郎様、戯れ言など言わないで下さい」
 五郎は今度は胡座を組んで由利に微笑みを送った。別にふざけて由利を姫と
呼んだのでは無い、由利は正七位だが、いっかいの衛士の五郎は無位の身だっ
た。身分が違いすぎたのだ。
「五郎様にお訊きしたい事が有ります。良い?」
 由利は五郎を媚びを売るような笑顔で見詰めた。
「なんなりと」
「貴男は礫の五郎の異名で呼ばれる分けが知りとう御座います」
「わたしが決して太刀も槍も取らず、石礫で敵に向かうからで御座る」
 遙かなる生駒の山並みを望みながら五郎が答えた。
「それが何故かと? 訊いているのです」
「人を殺すのが嫌だからで御座る」
 由利に視線を移す五郎、険しく悲しい眼をしていた。
「修練を積めば、石ころでも人を傷つけ、殺すことも出来るのです」
「ならば衛士を辞めては? いいえ辞めてしまい、近畿を離れ、例えば吉備で
百姓を為さりませ」
 吉備は由利の故郷だ、故郷で五郎と夫婦となって余生を送りたい、儚く適わ
ぬ夢であった。
「わたしは兵士になるために生まれた男。朝廷を御守りするのはわたしの本
懐」
 想いを告げた由利の胸の動機は止まりません。扇を開いて顔に風を送ると、
少し落ち着きました。
「一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ」
 由利は好きな万葉歌を詠いながら舞った。
 由利の裾裳が翻り、薄衣の太股が露わになった。
 五郎も立ち上がり、刀子を鞘ごと抜いて扇の代わりとして、由利の舞に応え
た。
「君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ」

 一日(ひとひ)こそ、人も待ちよき、長き日を、かくのみ待たば、有りかつま
しじ
 君が行き、日長くなりぬ、山たづの、迎へを行かむ、待つには待たじ

 二人は何度も詠い、舞続けた。
由利は長い日など待てぬと嘆き。五郎は必ず迎えに行くと約束しているの
だ。

 衛士の一人が池の堰を切ったので、たちまち池は透き通った水で溢れた。
「皇太子、泳げば少しは涼しくなりますわ」
「ええ、お姉様、わたくしもそう思っておりましたの」
 井上斎宮は薄衣を纏ったまま池に入って行きます。
 阿部皇太子は采女と女孺(にょじゅ、めのわらわ)達を見やって、
「さあ、あなたたちも一緒に」と、薄衣を抜き捨てて、ザブリと頭から池に途
飛び込んだ。
 女孺は三人とも、袴と衣を脱いで皇太子に従った。
 二人の采女も女孺にならった。
 由利だけは池に入らずに、皇太子達が泳ぐのを見ていた。吉備真備の娘だっ
た彼女は有る事を知っていたからだ。

 池の辺、その茂みで二人の貴公子が池に背中を見せた。二人の内親王の様子
を伺いながら話をしていたが、思わぬ展開に慌てて顔を背けた。
 当時の高貴な女性は人前で着替えたり、肌を見せる事を恥ずかしがらなかっ
たが、貴公子はあえて直視することを控えるのが嗜みであった。
「天真爛漫とは伺っておりましたが、これ程とは?」
「両陛下は心配されておりましたが、わたくしは、あれはあれで良いと考えて
おります」
「ところで、梓の中将。先ほどのお話はすでに決まっておりますのでしょう
か?」
「いいえ、私が両陛下に進言しただけで、決まった分けでは有りません」
「中将(すけ)殿、吉備真備といえば秀才と聞こえておりますが、白猪史真成
(しらいのふひとまなり)という書生の名は聞いた覚えがございませんが?」
「真備と真成は大学寮では白虎と青龍に喩えられていた程の青年です、鉈のよ
うな真備、剃刀が如き切れる真成、この二人に皇太子の教育を託し、即位成さ
れた後の政治も任せるのが良いと思っています」
 高梓は中衛府の中将で実質的な指揮権を持っていた。
 中衛府は東の舎人とも呼ばれており、皇太子の近衛兵をも兼ねていた。
 梓は、皇族派の長屋王と藤原一門との醜い政争に明け暮れる朝廷を懸念し
て、阿部皇太子が即位した時には、盤石の体制で大和朝廷を支える覚悟であっ
た。
 白壁王と親しくしているのも、天智系の王達の協力を求めての事だった。
が、さすがの高梓も、白壁王と井上斎宮が恋仲とは知らなかった。
 
 数日後、井上斎宮一行は伊勢への路を急いでいた。
 行列は三条大路を進み、平城京師を抜け、暗越街道に入ると急に細くなっ
た。三人通れるかどうかだ。
 牛車に揺られながら、井上は憂いに浸っていた。再び白壁王に会えるかどう
か分からない。なんどもなんども平城の方を振り返ったが、想いは募るばかり
で、夏の空のように晴れることは無かった。
 街道の右手の丘の上の生駒仙坊から一団の沙弥が現れて、街道に入り、平城
へと行脚してきた。
 信心深く、行基禅師を慕っていた井上は、わざわざ牛車から降りて、車も人
も道端に寄せて沙弥達の通りすぎるのを待った。
 沙弥達は賛嘆を歌いながら行脚していた。
「百石(ももくさ)に、八十石(やそくさ)そえて、給いてし、乳房のむくい、今
ぞわがするや」
 井上は今平城で流行っているこの賛嘆を知っていたが、直に聞くのは初めて
だった。
 生駒仙坊の沙弥達は、こうやって賛嘆を歌いながら托鉢をしているのだ。
 傍らの乳母が耳元で囁いた。
「姫様、あの者達は物持ちからは托鉢をうけますが、貧者には逆に食物などを
与えるそうですよ」
「ほんとうに、心の澄んだ方達なのですね」
 二人の囁きが聞こえたのだろうか? 三人の沙弥が笠を取って井上の前に立
ち止まった。
 二十歳を過ぎたばかりの沙弥が、眼光鋭く、良く通る美しい声で歌った・
「願い奉る御詠歌を」
 触れなば忽ち切れてしまう刃物の如き眼光の沙弥は南家仲麻呂とそっくり
だ。と、井上は思った。
 中年の穏やかな沙弥と菩薩が如き悟りを開いた容貌の老いた沙弥が若者と共
に賛嘆を歌った。
「百石に、八十石そえて、給いてし、乳房のむくい、今ぞわがするや 今ぞ我
がするや 今日せでは何かはすべき 年も経ぬべし さ夜もへぬべし」(注・
光明子作との説も有ります)
 老いた沙弥が井上の眼前に鉢をつきだした。催促をしているのだ。
 井上は慌てていくらかの銭を鉢に入れて合掌した。
 眼を開けると老沙弥は穏やかに微笑んでいたが、鉢を更に突きだした。
 慌てて布や着物を持って来させて、老沙弥に渡そうとすると、横から若い沙
弥が無言のまま受け取った。
「伊勢までの道中恙無く、ご無事で行きなされ。御母君はお元気で御座います
か」
 そう言った老沙弥はまた微笑んだ。
 井上は菩薩のようなお方だと思った。
 三人は笠を被って再び賛嘆を歌いながら行脚を始めた。
「母上をご存じなのかしら」
 独り言を呟きながらぼんやりと見送っている井上。

 老沙弥と井上の母・広刀自は旧知の仲だった。
 三人は沙弥では無く、歴とした僧侶だった。
 眼光の鋭い若者は、若き日の怪僧弓削道鏡。
 穏やかな僧侶は、薬師寺義淵僧正最大の後継者、東大寺初代別当良弁。
老いた僧侶は、菩薩と謳われた行基禅師、その人だった。

 我に返った井上が牛車に乗ろうとすると、道端に騎乗の公卿がいた。白壁王
だ。
 下馬した白壁王が井上の前に跪いて木簡を捧げた。
 恥ずかしさと嬉しさで顔を紅く染めた井上が木簡を受け取った。
 木簡には短歌が書かれていた。

 恋ひ死なむ、後は何せむ、生ける日のためこそを、妹見まく欲りすれ

 うろたえる井上に、気を利かした乳母が木簡と筆を渡した。
 木簡をもって返歌を詠もうとするが、どうしても浮かんで来ない。仕方が無
いので、好きな短歌で代用した。

うつつには、逢ふよしもなし、ぬばたまの、夜の夢にを、継ぎて見えこそ

    2017年3月16日   Gorou