先日の土曜日(2/22)は、寒波襲来のさ中ではありましたが、天気も良さげだったので南房総を少し回ってきました。嫁からは「こんな寒い日に物好きだねぇ。」とあきれ顔されてしまいましたが、近場ばかりでは面白味の無いので、この日はせめて南房総でも行ってみたいと思ったのです。
自宅を朝7:30に出発し、国道16号線の保土ヶ谷バイパスから横浜新道を抜けて横浜へ。そこから国道15号線から産業道路を経由してアクアラインに入るというルートで、まずは海ほたるSAへむかいました。さすがに朝7時過ぎでも気温は低く、風は冷たいのですが、一応、ズボンの中の両太ももの内側と、下着の上にセータを着込んで、両脇の下の計4か所に「貼るホッカイロ」をつけてみました。これをやってもやはり寒さはあるのですが、止まった時に体が寒さで動きが硬くなる事は防げます。
自宅から海ほたるまで約1時間半、午前9時過ぎには到着です。
自宅を出る時、朝食が取れなかったので、ここで朝食をと思ったのですが、フードコートの大半の店は10時開店なので、この時間ではまだ準備中の店も多く、かき揚げ天ぷらそばを食べました。お値段は800円でちょっと高めかなと。
そこあと、コーンポタージュの缶スープを飲んで体を温めてから出発です。
こんな寒い日でもバイクの方はそれなりに居ましたね。この時間で駐輪場には二十台近く止めてありました。でもシーズンになるとこの二倍~三倍のバイクがいるはずなので、そこから考えるとやはり少ない台数と言えるのかもしれません。
まず向かったのは九十九里浜方面で、茂原を抜けるコースで向かいます。
東京アクアラインから首都圏中央連絡自動車道を走り、茂原長南ICで下道に下ります。そこからはGoogle Map先生に行先を「太東埼灯台」を設定し向かいました。海ほたるからは約1時間半ほどの場所です。
何故この太東埼灯台へ向かったかと言えば、Google Mapで見晴らしがよい場所とあったので、少し立ち寄ってみたくなり向かいました。
灯台手前付近から私の前をアウディが結構飛ばして走っていました。「もしかしたら同じ方向に向かっているのかな?」と思いましたが、その通りでこのアウディも同じ灯台に向かっていたのです。
駐車場ではアウディの隣に止めたのですが、アウディのドライバーが下りてきて「寒いのによくバイクではしっているね」と声を掛けられました。それは見た感じ60代くらいのオジサン(自分も50代後半くらいのおやじなんですが)で、おしゃれなジャンバーと帽子をかぶった人でした。
「お兄ちゃん、いくつなの?」と聞かれたので「58歳です」と答えると、「おー、まだまだ若いじゃん」との事。私が年齢を尋ねると七十歳の人でした。なんでも去年までスズキのカタナ1100に乗っていたそうですが、体力的にきつくなったのでバイクは売却したとの事。でもバイクは大好きらしくバイク談義で10分ほど語り合ってしまいました。
その後「なんて太東埼灯台に?」と聞かれたので、見晴らしがよさそうだから立ち寄った事を伝えると、どうやらここには太平洋戦争時代に帝国海軍のレーダー施設があったらしく、その跡を紹介してくれました。
その他にも茂原に昔は海軍飛行場があった事や、旭町にも同様の飛行場があった事。また南房総にもいくつか基地があったので、米軍のB-29の攻撃にさらされた事も教えてくれました。何故、こんなに戦時中の歴史に詳しいのはを尋ねると、どうやらこのお方の父親は神風特攻隊の生き残りで、自身も海上自衛隊で仕事をしていた事を教えてくれました。
ここで戦時中の事や当時の航空機の事などに話を咲かせてしまい、20分ほど談笑してしまいました。私は以前に全日空の機長だった石崎氏の「機長のカバン」と「機長のボイスレコーダー」という本を愛読していた事があり、そこにはこの石崎氏も特攻隊の生き残りとして、戦時中の航空機の事、予科練の事、戦後日本の航空界で活躍した事が描かれており、そこで読んだ話なども交えて会話はついつい弾んでしまいました。
しかしここでふと思ったのは、私の母親も戦時中は小学生でしたが、当時の様子をたまに語って聞かせてくれました。しかし最近では、この日本の太平洋戦争の経験を語れる人も少なくなり、若い世代の中には知らない人も多くなったという事です。これはこれで残念な事ですよね。
さて、ちょっとここで長居してしまったので、次はこの近くのミステリースポット擬(もど)きの場所を訪れました。
この場所は外房線の浪花駅の近くで、岩船地蔵尊の近くなのですが、国道から少し入った道路になります。ここには「!」の道路標識が設置されており、写真の先、100メートルほどの反対車線にも同様の標識が立っています。この標識は危険個所の警告標識なのですが、実際に走ってみると道路は問題ありませんし、特に警告する様な状況は見受けられません。しかし何故は「!」が設置されています。これは何故なんでしょうか。。
YoutuberのYama.Q氏がこの標識について動画で取り上げています。
一体何なんでしょうかねぇ。。。。
ここまで走ってきた時、空模様は雪雲で少し大きめな雲がちぎれて飛んできており、雪が舞い始めていました。この時期でも南房総で小雪が舞う事があるんだと少し驚きながら勝浦方面に向けて走りました。
勝浦近辺では、かなり雪も舞い始めていましたが、遠くは晴れていたのでまずは雪が降るエリアを抜ける事を優先にして走りました。
勝浦では勝浦タンタン麺を食べたいなと思っていましたが、雪が舞う中でどうもそんな気分にもなれず、とりあえずそのまま行川アイランド駅まで走る抜ける事にしました。
行川アイランドとは、昭和40年代頃なのでしょうか。一大レジャー施設として賑わった場所で、当時は小学生の遠足であったり、首都圏の人々の観光地でした。しかし1983年に東京ディズニーランドが開園してから、立地的に外房に位置している事もあって客足も少なくなり、2001年3月に閉演しました。
最寄り駅の行川アイランド駅ですが、現在では外房線も1時間に上下1本しか走っておらず、駅も現在では無人駅になっています。
駅前には電話機が撤去された電話ボックスがあり、往時は人もにぎわっていたのでしょうが、その衰退した場所を物語っている感じがします。
駅から五分ほど歩くと、行川アイランドへの入り口が見えますが、現在では立ち入り禁止で中を伺う事も出来ません。
ここで時間は13時を過ぎてしまいました。帰りは金谷から東京湾フェリーで久里浜へ戻るつもりなのですが、フェリー出向は確か15:20なので、そろそろ向かわないと時間に間に合わなくなりそうです。ここまで昼食も取らずに走ってきましたが、とにかく鴨川を抜けて保田から金谷へ向けて急ぐことにしました。
鴨川市街地はそこそこ車の多くて、抜けるのに少し時間がかかりましたが、15時前には金谷に到着しました。何とかフェリーの出航時間に間に合いました。
フェリー乗り場ではバイクは10台ほどで、やはり少ない状況でしたが、意外だったのは車の利用客が多かった事です。
フェリーで金谷から久里浜までは40分ほどの船旅です。昼食を取り損ねましたが、ここでイワシバーグとおにぎりで軽く腹ごしらえをしました。
この東京湾フェリーの通る航路は、浦賀水道と言って東京湾へ出入りする船の要衝です。大小さまざまな船舶が行き来しています。デッキに出ると様々な船が見れますし、金谷方面も良く見えます。タイミングが良ければ海上自衛潭のイージス艦や潜水艦も見れる事がありますが、この日は見る事が出来ませんでした。
この後、久里浜からは横浜横須賀道路の佐原ICへ向かい、一路自宅まで走ります。やはり16時を過ぎると風が冷たくなり、バイクにのっていても凍れてきます。
この日、自宅には17時半頃に到着。走行距離は約260キロ程度でした。