
まさに島根でのみ神無月でなく「神在月」にあたる今回の旅行で ちょっと不思議な体験をしました!
昨日の記事に載せた足立美術館へ ホテルから向かう道すがら、「この先 黄泉比良坂」という看板を偶然見つけました。
大学で担任だった先生の専門分野が『古事記』。成立は日本文学史上最古であり、日本文学を学ぶにあたって必ずふれるものです。
これまで『古事記』関連を学んだ中で一番思い出深いのが大学入試です。
筆記試験は、60分講義を聴いて その内容を1000字程度にまとめるというもので、「『古事記』から推測する黄泉の国の位置について」 の講義でした。
そこで大きく取り上げられていた黄泉比良坂(よもつひらさか)、看板を見た瞬間 これはお導きかも?!と思いました。
勉強して知った場所に偶然辿り着くなんて早々無いことです。
現在、黄泉比良坂=伊賦夜坂(いふやざか)といわれています。
写真2枚目までが黄泉比良坂の表示がある場所で、こちらは神話の通りに大きな石があり、先は推測するに 崖になっていて通れない様子。
逆に伊賦夜坂の表示がある方は奥へ行けるようになっていたので、ちょっとだけ一人で見てこようという気持ちで行きました。
不思議と足が進んだという感じで、「塞の神」社への分岐表示まで来ると
それまでの伊賦夜坂が その先は下っていくんだなあ、と分かって
塞の神様にお参りするか、坂を下って先に行ってみるか、それとも引き返すか暫く迷い...
ひとまず写真を撮り、家族みんな待たせているし心配しているだろうからやっぱり引き返そう!と...
「何か」によって右の靴先に軽くタッチされて ?!
見ると 凄いスピードでうねりながら坂を下っていく蛇の姿。
思い返すと、結構な長さと太さがありました。
とても驚いたので、悲鳴だかなんだかよく分からない声をあげながら来た道を戻り
落ち着いてから写真に撮ってきた坂の由緒板を見ると、
『日本書紀』に 伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉から追ってきたものたちに対して「この先に入ってきてはならない」と杖を投げ、そこから「塞の神」が生まれたと記されていて、地元の人たちは伊賦夜坂を通る時には塞の神の社前に小石を積んでいく風習がある、ということでした。
蛇は神々の先導役であり、導いてくださる存在と言われます。
風習をよく知らないまま手前まで行って悩んでいた私に、教えてくれたのかもしれません!
もしかしたら、そのまま黄泉の国へ迷い込んでいたかも...
実は野生の蛇を見たのは初めてでしたが、不思議と怖い感じはなくて、足先に「よっ!」とハイタッチ(ロータッチ?)されたような感覚でした。
こちらが何かしたわけではなく、普通に立っていただけだったので それでまさかあちらから当たってこられるとは、、
単に、学んで知った場所を見つけて散策したら蛇に遭遇した、というだけの話なのですが
場所や遭遇したものが神話に基づくだけに 私にとってはとても興味深く貴重な体験でした。
ここしばらく、写真のどこかに蛇の姿がないかと探しています(^ ^)
亡くなってしまった、会いたい人に会える場所と伝えられる黄泉比良坂(伊賦夜坂)
石碑や 神話に基づく桃の木のほか、
「天国(黄泉)への手紙」を届けてくれるポストなども設置されていました。
奥まっていて足場も悪いので、どなたかに会いに行かれる方がいらっしゃいましたら くれぐれも気をつけて!



