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バイブレーションの話の続き

2008-08-25 10:43:21 | 運勢のこと
氷の状態からバイブレーションが上がっていくと、氷は水になりますよね。 水は氷と違って、流動性を持っています。 水はどんな器にも入れることができます。 また、水は他の水と合流することもできます。 同じように、水状態にある人は他の人をうけいれます。 ところが、水にはいろんな色が付いていることもあって、自分とは別の色の人に会うと色が混ざってしまうこともあるでしょう。 つlまlり、流動性はあるけれど、他のバイブレーションの影響も受けやすく、ちょっとしたことで固まってしまうことも有るでしょう。 このレベルでは人はポジティブになったりネガティブになったりを繰り返すみたいです。  

ポジティブ状態が多くなると軽くなって、時々は水蒸気状態になることがあるかも知れません。 でも、ネガティブサイドに振れると、またミスに戻り、ネガティブ状態が続くと固まって氷になってしまいます。

水のバイブレーションのレベルでは、他の人の考え方や意見を受け入れはするものの、dまだまだ抵抗力は持っています。 「あなたの意見は正しいかも知れないけど、やっぱり私の方が正しいと思う」というのがこのレベルでしょう。 However、これが氷のレベルだと、「あなたは間違っている。 私が絶対に正しい」となります。

それが、水蒸気レベルに達すると人は無限の広がりを持つようになり、何に対しても抵抗せずどんな人とも交流できるようになり、どんな考え方も意見も受け入れるようになるでしょう。 水蒸気レベルの人は、人と人、人と自然、人と宇宙が全部繋がっていることを実感するみたいです。 その状態が "We are all connected" という、いわゆる「悟り」のひとつの経験のようです。

正直なところ、僕は水と水蒸気の間を行ったり来たりしているみたいです。 ある時は、一瞬さとったように感じることもあるのですが、次の瞬間にはぐっと落ち込んでネガティブになってしまうこともあります。 それは、自分の中にネガティブな部分があるということを、まだ素直に認められないからなのかも分かりません。

どうやら、この世に生命を持って生きている間は、僕たちはポジティブとネガティブの両極性から逃げられないようです。 それなのに、僕たちのほとんどはポジティブサイドになることばかりを気にしていますよね? 言い方を変えれば、「良い人」になろう、「HAPPYだけが欲しい」とばかりを目指して努力しているのです。 でも、「良い人」の中には「悪い人」が、そして、"HAPPY" の中には "UNHAPPY" がかならず眠っているのででねえ! その逆に、「悪い人」の中には「良い人が」、"UNHAPPY" の中には ”HAPPY”が潜んでいるのですよ。 このポイントはすごく大事なので、よーく考えたみたくださいね。










生きてて良かったァー

2008-08-25 08:42:51 | 運勢のこと
入院二日目。 昨日の痛みもなく、気分は爽快とまではいかないけど、悪くはない。 すごく危ない状態だといわれてはいたものの、腹が減っていることにちょっと驚いてしまう。

夜勤の看護師さんが、朝一番の血液採取にやってきて窓のカーテンを開けてくれた。太陽の光がパーッと差し込む。 窓を背にして僕の方に歩いてくる彼女の周りに後光がさしているように見えて、なんだか有り難くなっってしまった。 バイタルサインがほとんど正常レベルに戻っていると彼女が確認してくれた。 どうやら、もう大丈夫みたいだ。 とは言っても、チューブやコード類に繋がれてベッド上で真上向いて身動きが取れない状態は変わらない。 でも、とにかく生きている。 まだ死んではいない。
 
体全体の一体感はずーっと続いてる。 脚も手もうごくし、エナジーもある。 なんだか、そのまま起きあがって家に帰れそうに思うんだけど、もちろん駄目なんだろうな。

「あのね、夜中に部屋の中でペタペタってスリッパの音がしたんだけど、何かいるの、この部屋に?」と僕は恐る恐る彼女にきいてみた。
「あっ、そう? スリッパの音がしたんだ。 まあ、この部屋では何人も亡くなってるから、居ても不思議じゃないはね」と、意外と驚かない。 ということは、やっぱり居るんだな。 僕はそれ以上何も言わなかった。 その会話はそれで終わってしまった。

二日目は検査も何もなくて、ただただ安静。 一日中考える時間がある。 でも、頭の中に何も浮かんでこない。 頭も心もなんだか空っぽ状態っていうのかなあ。 

その年は僕にはいろいろ有って、生きていくということ、死ぬということ、未来のこととかを考えて、頭がつねに忙しかった。 そういったことを、そんなに時間をかけて真剣に考え続けたことは、僕のそれまでの人生では一度もなかったと言っても良い。 きっと、気が付かないうちに、考え、思い悩んでエナジーが落ちて体がやられてしまったのだと思います。  そして、その一日前にとうとう体のヒューズが飛んだのです。

ヒューズが飛んだ僕の体は、頭と心を空っぽ状態に持っていき、僕の思考や感情に邪魔されないようにしておいて修復を計ったのでしょう。 朝日を見たときの嬉しさ、生きているという喜び、看護師さんに対する感謝などは、心の深いところから湧いてきたもので、思考ではないし感情でもない。 それらはそこに自発的に生まれた。 その中に僕というエゴは居なかった。

ぼくは、本当にゆっくりした気持ちで入院二日目をベッドの上で過ごした。 気が付くたびに眠っている。 なるようにしかならないし、なるようになってなっているのだろうという感じでした。 それは、諦めとは違って、ポジティブな無抵抗とも言える態度です。