スピリチュアル開運アセンション・ブログ

ジェームス松本の公式ブログ
あなたの開運はここから始まる!

今日は寒いですね

2008-09-29 10:00:39 | 運勢のこと
今朝、龍神村の憲子と電話で話しました。 あちらも凄く寒くて、昨日は最高気温が20度に行かなかったそうです。 東京よりもずっと南なので気温もそれだけ高いはずなのにです。 お年寄り達が、「こりゃあ何かおきるぞ」と言って怖がっているそうですよ。

地球は今大変な状況に有ると思いますが、この先どういう風に変化していくのかは僕たち一人ひとりの心がけ次第ですね。 まず、デパートやお店の過剰包装はやめて欲しいと思いませんか? 

それはさておき、昨日書くのを忘れたことがありました。 それは、なぜ周りの人たちに笑顔を、優しい顔を向けることが大事かの件です。 僕たちの脳にあるミラー細胞は、五感を通して入ってくる情報に同じように反応します。 つまり、暗い顔の人を見ると自分もそれに反応して暗くなるのです。 反対に、いい顔、笑顔、優しい顔などを見ると、ミラー細胞の働きによって、見た人も同じような顔になり心も軽くなるのですよ。

だから、笑顔、いい顔をどんどん振りまきましょう。 自分が今は落ち込んでて暗い顔をしているかも、と思う人はちょくちょく鏡を見て笑顔を作る練習をしましょう。 笑顔を作ってると同じような人たちが周りに寄ってくるし、その笑顔を見た人たちにプチ幸せをあげることが出来るのです。

兎に角、一に笑顔、二に笑顔ですからね。 慣れると自然に笑顔が作れるようになるから。 頑張って下さい。

例えば、今職場なんかでいじめに遭っている人は、相手のことをその人が居ないところでその人の仲間に褒めてご覧。 その時に笑顔を忘れずに。 あっと言うようなマジックが起きますよ。 それは、笑顔のパワーと言葉の魔力なのです。

それでは、「無財の七施」の続きはまた今夜にでも書きましょう。










さあ、始めよう「無財の七施」

2008-09-28 17:10:46 | 運勢のこと
「無財の七施」はお釈迦様が提唱された功徳を積む方法です。 お金や物が無くても七つの立派な布施が出来て、運勢を好転させることが出来るとおっしゃいました。

その方法とは;

1. 優しい目で人を見ること。
   
とかく運勢に勢いがない時、人は誰でも表情が硬くなり暗くなります。 暗い顔をした人にはエナジーの高い人、運勢の良い人は寄って来ません。 その代わり、やはり暗い人とか運勢の悪い人、はたまた悪い企みを持った人達が寄ってきます。 道を歩いてると「ちょっとお時間ありますか?」などと言って、訳の分からない輩が話し掛けて来たりします。 

先日、僕の所にネームリーディングに来た方が開口一番、「この頃町を歩いているとやたらと変な人に声を掛けられるんですが、どうしてですか?」と質問されました。 彼女の運勢サイクルを観てみると、下降期の2年目でした。 下降期の2年目は一番辛くてきつい時なので、自分でも気が付かない内に顔が沈んでしまいます。 それはそのままその人のエナジーレベルの低さを現しているのです。 そこにつけ込んで来るのが、怪しいキャッチセールスや新興宗教の勧誘人なのです。 彼らの仕事は、エナジーの低い落ち込んだ人間を捜して、それこそキャッチすることなのです。

運勢が悪いときは人の顔はとかく暗くなり、歩くときは元気なく背中が曲がり気味で足に力が入っていません。 その反対に、運勢が良い人は、前を向いて、堂々と、顔の表情も明るく自信ありげに歩くものです。 人間の顔には104本の筋肉があり、その殆どが顔の表情を作る表情筋と呼ばれる筋肉です。 それらの表情筋を使って人は知らず知らずの内に自分の心の状態を現しています。 ところが面白いことに、顔や体の表情を変えると心の状態が変わります。 これは、脳の中に存在するミラー細胞という脳細胞の働きなのですが、その働きを逆手に取って、心を元気にしてついでに運勢まで好転させようというのが、「優しい目、優しい顔」を周りの人に向けなさいとするお釈迦様の教えなのですよ。2600年前のお釈迦様がミラー細胞の存在を知っていたとは思えませんが、人間の表情と心の相関関係はお見通しだったのです。

兎に角、家にいるときも外に出たときも、しっかりと前を向いて、堂々と、にこやかな表情で歩きましょう。 アメリカやヨーロッパの白人社会に行くと、人々がよく微笑みかけてくれます。 最初は慣れないものですが、少し時間が経つと自分も相手に微笑み返す事が出来るようになって、ちょっと嬉しくなったりします。 微笑むと微笑みかえす、そこに言葉を越えた優しさと愛情を感じるようになります。 「日本人は笑わない人種だ」と昔から外国人に揶揄されて来てますが、決してそうではなくて、心を開くまでちょっと時間が掛かるだけなのです。 僕は、「いつもニコニコ、ありがとう」をモットーにしています。 その理由は、このお釈迦様の教えと同じなのです。 僕の周りで運勢の良い人たちを見ていると、兎に角いつもニコニコしているし、「ありがとう」という言葉をよく使う事に気付いたのです。 そこで思い付いたのが、ハッピーライン理論なのですが、その説明はまたの機会にします。

とにかく、優しい顔を、にこやかな顔を周りに振りまきまくりましょう。

つぎは、「無財の七施」の二番目の「優しい言葉を施す」に付いて書きます。





いつでも出来る「無財の七施」

2008-09-28 10:14:58 | 運勢のこと
今日は、何日振りかで日比谷公園に散歩に行ってきます。

帰って来てから、「無財の七施」について書かせてもらいます。

「無財の七施」は日頃から僕が心がけている、バイブレーションアップ術です。 この方法は自分の気づきと心がけ次第でいつでも、何処でもそして誰にでも出来ることで、確実にエナジーとバイブレーションが上がって来ます。 そうすると、不思議なことに運勢も上がってきます。 運勢アップのためにやるというのは、最初はちょっといやらしいと思われるかも知れませんが、やっている内に自然に出来るようになります。 反対に、それらの行為が自然に出来るようになって初めて効力を発揮するということも出来ます。

「無財の七施」は、やればやるほど自分自身が気分良くなってくるので、自分から進んでやるようになる。 その点が他の方法との一番の違いだと思います。

では、続きは後ほど。


五木寛之さんの話の続き

2008-09-27 16:54:01 | 運勢のこと
今日は、昨日の話の続きです。

五木寛之はもう50年も作家を続けて来ているそうです。 今までに書いた作品はなんと500冊にもなります。 そして、驚いたことに、ある新聞に連載している作品の連載回数は8000回以上で20年以上も続けているそうです。 世界最長の連載としてギネス記録にも登録されています。 

一人の人間の何処にそれだけの情熱とエナジーがあるのだろうか? 僕も8-9年前に「週刊SPA!]で一年間連載をやらせてもらいましたが、一週間に一度の締め切りがもの凄くきつかったです。 毎週あちこちに取材に行って記事を書く。 口で言うのは簡単ですが、実際は相当大変な仕事でした。 一週間に一度だけでも大変なのに、それが毎日ですよ、五木さんの場合は。 それも20年も。 想像を絶する偉業です。

それだけの仕事を続けていれば当然と言えば当然だろうと思いますが、彼は今までに2回休筆したことがあるそうです。 それがどうした理由であったのかはハッキリとは言いませんでしたが、どうやらその時期に彼はうつ状態に陥っていたようです。

そんな話の流れの中で、彼が実際に習慣としている、落ち込みから抜け出るためのあることを紹介してくれました。 

それが今日のテーマなのですが、それは誰にでも簡単に出来ることなので、みんなに教えてあげます。

1, 喜びノート、または、2, 悲しみノート

つまり、毎日の生活の中で経験する「嬉しかったこと」を簡単な文章で書き留めるノートが「喜びノート」。 同じように、「悲しかったこと」を書き留めるのが「悲しみノート」なのだそうです。 この二つのノートの内のどちらかを続けていると、徐々に落ち込みから抜け出ることが出来るそうです。 

落ち込み期間が続いているとき、エナジーとバイブレーションが下がっているときは、喜び、感動、そして悲しみにも反応する心の力が低下しています。 鬱状態の人の顔に表情が無いのはそのためじゃないかと思います。 ところが、「喜びノート」もしくは「悲しみノート」を付け続けていると、心の力が解放されるようになって、落ち込み状態や鬱状態から抜け出せるそうです。 五木さんもその方法できつかった時期を乗り越えることが出来たと言ってました。

彼は、嬉しかったことを一行の文に書いている。 その一例として次のような出来事を書いていました。 「カレー屋でお金を払ったらお釣りが多く返ってきて嬉しかった」。
これは結構笑えましたね。

その番組を見た後、僕はいつものように近くのマクドナルドに行ってホットコーヒーを頼んだら、その店で一番の笑顔美人が、「いつもご来店ありがとうございます」と言ってコーヒーの只券をくれました。 家に帰ってきて、すぐにこの事をノートに書き込みましたよ{笑}

時間もお金も掛からないことだから、今エナジーと気分が下がっている人にはお勧めです。 是非やってみて下さい。

じゃあ、また明日。
















いつまでも青春しようよ{笑}

2008-09-26 17:13:24 | 運勢のこと
久しぶりに見た五木寛之は、若くてハンサムで格好良かった。 

彼が30代の半ば頃、僕がアルバイトをしていたバーというかスナックでよく見かけた。 時々、酒も奢ってもらった。

その店は、今でいうところの「文壇バー」で、毎夜毎夜、出版関係の人たちと作家で溢れていた。 講談社の野間さん、紀伊国屋書店の田辺社長{通称ゲゲゲの鬼太郎}、徳間書店の徳間社長、五木さん、戸川のおばさん{戸川昌子}、etc, 変わり者としては、三平師匠。 その頃の三平師匠の運転手が林家ぺーさん。 そこに一般客やらゲイやらレズが混じって、お化け屋敷を形成してましたね。 なんで僕がそんなところに居たかというと、その店は戸川のおばさんが経営していて、彼女のお姉さんがママだった。 そのママの息子に僕が英語を教えていたという関係で、気付いたら、人手の足りないお化けバーでアルバイトをすることになったのです。 

純情な僕にとっては、もの凄い社会勉強というか、分けのわからん世界の勉強になりました。 ある晩、心配した僕の姉が視察にやって来て、「あんた、こんな所に居たら駄目! すぐに帰りましょう」と言われたけど、もう遅かった。 なにせ、僕はすでにその店では人気者になちゃってたんだから。 もちろん、僕はゲイでも何でも無いんだけど、なんだかみんなに気に入られちゃって。 とくに、徳間社長には大変気に入られて、「おい、坊!」と呼ばれていました。 その縁もあって、僕は40過ぎてから徳間グループの役員にさせられちゃって、東南アジアで宮崎アニメの配給の仕事をやらされましたよ{笑}
だから、僕は宮崎アニメには詳しいのです。 まあ、そんな事はどうでもいいのですが。

そんな懐かしい五木さんの顔を今朝テレビで見たので、彼の話に聞き入りました。

彼は、次のような事を言ってました。 「人生、無風状態の時はいくら動こう、進もうとしても動かないし進まない。 帆を張って待っていれば、その内風が吹いて動かしてくれる、進ましてくれる。 人生は他力本願です」と。 これは、そのまま僕の言っている運勢のサイクル理論に当てはまります。 

動こうとしても動かない、進もうとしても進まない無風状態の時が下降期です。 帆を張って待つときが平坦期。 風が吹いてきて動かしてくれる、進ましてくれる時が上昇期、ということになります。 そして、「他力本願」の他力とはまさに月の神様、太陽の神様に当てはまります。 

人生に偶然は無いといつも思ってますが、今朝の五木寛之さんにはびっくりでした。 まさに、そうそうそうなのですよ、分かってくれてありがとう、みたいな感じでした。

おまけに、彼は、彼独自の、下降期からの抜け出し方、うつからの抜け出し方まで教えてくれました。

その話はまた明日ー 









きつい時はこうやって抜け出そう

2008-09-26 09:56:45 | 運勢のこと
今朝は散歩の帰り道に宝塚劇場の前を通りました。 凄く沢山の女性達が車道の両側の広い歩道を占拠している。 その数、ざっと見積もって300人くらいです。 そして何組かのはっきりしたグループとフリーな人たちに分かれているようでした。 あるグループは同じ色のジャンパーを羽織っていて、別のグループは同じ色のマフラーを首に巻いている、といった具合です。

時々グループ全体で立ったり座ったりしている。 みんなの様子からすると、明らかに誰かの到着を待っているようでした。 誰を待っているのか興味が湧いたので、僕も近くに立って20分ほど待ってみましたが、一向に現れる気配がないので、諦めて帰ってきました。 それにしても、あの女性達のパワーには脱帽です{笑} 僕には何人かの宝塚出身の友達がいるので、今度会ったときに今日のことについて聞いてみようと思います。

ところが、この、好きなことに時間とエナジーをつぎ込む事が、不運期を乗り切る一つの方法なんです。 運気が下がっているときは、とかく一人で思い悩みがちで、悩めば悩むほど落ち込んで行くものです。 その落ち込みを防ぐ方法の一つが目の前の仕事ややるべき事に集中することであると、すでに書きましたよね。 それと理屈は全く同じで、好きなことに没頭しているとエナジーが上がってきます。 つまり、頭が、思考が、心配事や悩み事から離れている時に宇宙のエナジーが流れ込んで来るのです。 試してみたら直ぐに分かりますよ。 何かに没頭していると時間の感じ方が変わります。 楽しいことをしていると、あっという間に時間が過ぎてしまって、「えっ、もうこんな時間?」と思ったことがあるでしょう!? ところが、人を待ってる時や嫌な仕事をしているとき、悩み事を考えているときは時間が経つのが遅いものです。 この、時間感覚の違いは、ドイツのベルグソンという博士が発見したので、ベルグソンタイムと呼ばれています 
これは、別の呼び方では、「サイコロジカル・タイム」と言われていて、人間の精神が作り出す時間の流れを意味します。 それに対して、時計が刻む時間は、「クロック・タイム」と呼ばれ、現実の出来事はこのクロックタイムに支配されています。 

このことから分かることは、実を言うと、精神には時間という軸が無いということなのです。 今ここではこれ以上は深く入りませんが、ベルグソンタイムだけは覚えておいてください。

下降期を上手く過ごすためには、より多くのベルグソンタイムを持つことが一つの方法なのです。 何でも良いから、集中、没頭しましょう。 それが楽しいことなら尚更いいです。 本を読む、好きな音楽を聴く、旅行をする、映画を見る、友達とだべくる、カラオケで歌いまくる、好きな楽器を弾きまくる、etc. 何でも手近な事でいいのです。 趣味のない人は、何か見つけましょうよ。 どうせ悩んでたって解決はやってこないのだし、動こう、前に進もう、ともがいてもこの時期は時間も風も味方はしてくれません。

今朝のテレビ番組で、作家の五木寛之さんが面白い事を言ってました。 どこか僕の運勢のサイクル理論に通じることだったので、後で書きます。 

五木さんとは、僕が青山の学生だった時から何か縁があって、よく見かけたものでした。
その頃も、ものすごく格好良かったですが、75才になられた今もその格好良さが衰えていないのにはびっくりしました。

僕もああいう風な歳のとりかたをしたいな。 

 







" 元気ですかー!?”

2008-09-25 15:19:45 | 運勢のこと
今日は僕の母が亡くなった時のことを書こうと思っていたのですが、天気が良くて清々しい気分なので止します。

おまけに、昨日は「闇の子供たち」という暗くて、悲しくて、ヘビーなテーマの映画を見て、今の世界に蔓延る”お金への隷属”の一つの現実に直面させられました。 僕のアメリカ人の友達が、「貧乏は罪悪だ!」と言ったことがありました。 その時は、「なんで貧乏が罪悪なのか? みんな好きこのんで貧乏になってるんじゃない!」と反論しましたが、その後、彼の真意が分かりました。 お金への隷属こそが、あらゆる罪悪の根元なのです。 この映画はその事を如実に描いています。 それが、この地球という星のレベルなんだから仕方がない、という見方もあるかも知れませんが、もしそうならばその現実は僕たちが作り出したものであるという事実を受け入れざるを得ないことになります。 

そのことに対して僕たちは、というか僕は一体何が出来るのだろうかと考えさせられます。 恐らく答えはそう簡単には出ないでしょう。 もしかすると、一生出ないかも知れません。 でも、僕は今の自分に出来る事を探して、地道にやっていくつもりです。 僕の甥のマークは毎月何十ドルかを貧しい国の子供達をサポートしている里親ファンドに寄付しているようです。 それも一つの方法でしょう。 僕は僕なりに似たような事をしていますが、詳細は省きます。 それぞれの個人がベストだと思うことをすれば良いと思います。 全く何もしないよりは、どんなに小さな事でも、とにかく何かをしなければと再度認識させられた映画でした。 

時間のある人は是非ご覧になって下さい。 銀座の近くのスバル座で10月3日まで上映してます。

夏がやっと終わりに近づいて、秋の臭いが空気に漂って来ましたね。 秋は、僕にとっては一番精神が落ち着く季節なので、これからの長い夜を読書とか瞑想を楽しむ時間に当てて、益々エナジーとバイブレーションを高めるために使おうと考えてます。

エナジーとバイブレーションを上げる方法はいくつもありますので、次回からそれらの方法について書こうと思います。 その中には、以前お約束した過去を消す消しゴムも入ってます。 それらの方法は、下降期を上手に乗り切る方法でもあるのです。

ということで、またねー









僕の親父は盆踊りの歌に送られて

2008-09-24 09:48:17 | 運勢のこと
僕の父親は、夏の盛りに盆踊りの歌に送られてあの世に逝きました。  それは、僕が11才の夏の8月17日の事でした。

その1週間前に朝食中に倒れたまま昏睡状態になり、一時は回復の兆しを見せたのですがその前日から病状が急変したのでした。 夜になると隣近所の人たちや親戚が集まってきて、死にゆく父親を取り囲み祈りを捧げてくれています。 当時の龍神村は人口の8割ほどがキリスト教の信者だったので、お祈りをすることは日常の習慣となっていました。

僕は、間近に迫った父の死という現実に直面できなくて、自分の部屋に閉じこもって、窓際でマリア様に「どうか僕のお父ちゃんを助けてください」と一生懸命に祈りました。 その窓を通して月の明かりが煌々と入ってきます。 そして、人の死の床には全く似つかわしくない盆踊りの歌が、近くの小学校の校庭から大音量で流されていて、それが家の前の山に木霊して蒼い月明かりを通して僕の部屋にぶつかって来ます。 なんだかやたらと腹立たしさを感じたことを覚えてます。

しばらくすると、その煩い音楽がピタッと止まりました。 そのまま全く音楽は戻って来ません。 もしかすると?と思った時、親戚のおばさんが僕の部屋に来て「お父ちゃんが死んだよ」と言いました。 でも、僕はそこを動こうとはしないで、部屋の隅に行ってうずくまったまま泣きました。 親父の死に直面したくなかった。 見てしまえば本当に終わりだと思った。 見なければ、見ない限りは親父はまだ生きている。 そんな感じでした。

それから一年が辛くて長い一年でした。 何故かというと、僕の母親が父の死を受け入れられなくて、毎晩、毎晩、一日も休み無く、親父の位牌の前で泣くのですよ。 親父もきっと辟易したことでしょう。 家の中の電気を全部付けていても、今までと違って何だか暗い感じがしたものです。 冬の雪がしんしんと降るように、家の中全体に沈黙がしんしんと天井から降りてくるようでした。

家の者から笑顔と笑いが消えました。 とくに、笑い上戸と言われていた母親が全く笑わなくなった。 僕は、笑いたくても笑えなかった。 家の中では。 

そんな状況が一年続いたのですが、一周忌を済ました途端に家の中の空気がガラッと変わりました。 その時は本当にホッとしたものです。 恐らく、母親以外はとっくに立ち直っていたのですが、母親に気を遣って悲しい振りをしていたのでしょう。

その母も一年を過ぎると元の笑いを取り戻しました。 その時は本当に嬉しかった。 家の中の電気も明るくなった。 天井から重苦しい沈黙も降りて来なくなった。

お釈迦さんが、ある村を通り掛かったときに、一人の女が大声で泣きわめきながら家の中から飛び出してきました。 お釈迦さんはその女に近づき「どうしたのか?」と声をかけました。 女は嗚咽の合間に「家の者が亡くなったのです」と言いました。 「女よ、そんなに嘆いてはいけない。 この村で死人の出ていない家があるなら、その家を言ってごらん」と女に尋ねました。 少し経ってから、女は首を横に振りました。 死は何処の家にも、村にも町にもあるのです。 

一杯悲しんだら、また前に向かって歩き始めましょう。 

とは言っても、母親の時はいつもよりは長く引きずりましたね。 19才の時でした。 その話は明日にでもします。  

死ぬことは終わりではない

2008-09-23 12:51:15 | 運勢のこと
人が死ぬと、その人が近しい人であればあるほど、僕たちは大きな悲しみを感じます。
特に、母親に関しては、圧倒的な悲しみ、行き場のない辛さを感じます。 その感情は実際に母親を亡くした者にしか分からないものです。

僕は、今までの人生で両親、3人の兄と姉、義理の姉、妻達を亡くしてもうこれ以上は悲しみは欲しくないほど、人の死というものがもたらす辛さを噛みしめて来ました。 

でも、あることを境に余り長く悲しむことが自分にも、そして死んだ人にも良くないものであるということを悟らされました。

その出来事は、1999年の暮れから2000年の頭にかけて起きました。 クリスマスも間近に迫った12月23日の夜、友達から電話がきて彼女のおばあさんが危篤状態にあるので来て欲しいということでした。 僕は早速彼女の母親の家に出掛けて行きました。
奥の部屋のベッドに寝かされているおばあさんは、肩で激しく息をしてました。 人は死が近くなると肩で大きく息をします。 それは多くの人の臨終に立ち会って知ってました。彼女のおばあさんもまさにそんな状態です。 

僕が呼ばれた理由は、僕が気功師であることを知っていた彼女が、最後の頼りにしてくれたのでした。 その時点で二人の主治医が余命数日と宣言していたということです。 友達によると、1月8日がお母さんの誕生日だからそれまでは持たせて欲しいとの事でした。 僕には何の確信もありませんでしたが、とにかくやれるだけはやってみようと、早速おばあさんに気功をしてあげることにしました。 

それから毎晩1-2時間、僕は彼女のおばあさんのところに通いました。 気功を始めてから数日すると、おばあさんの排尿の量が増えて腹水も減って、呼吸がだいぶ楽になったようでした。 クリスマスはおばあさんの看病をしながらシャンパンを飲みました。 何だかおかしい気もしますが、僕は毎晩おばあさんのそばに居ることがその年の暮れの最重要事なのでそんな形でクリスマスを祝うのも仕方のないことでした。 

そしてなんと、無事に年を越したのです。 正月もおばあさんのそばで祝いましたよ。 後はもう少し頑張って8日のお母さんの誕生日を無事に祝うまでおばあさんの命を持たせることです。 迎えた1月8日、おばあさんはまだ生きてます。 その傍らで、みんなでお母さんの誕生日を祝ったのは言うまでもありません。

「ああ、これで役目がはたせた!」とやっと一安心。 と思ったのは甘かった。 「ジェームス、私の弟が今アメリカに行っていて、16日に帰ってくるから、それまでなんとかおばあちゃんに生きていて欲しいの」と友達が言う。 「おばあちゃんも、もうずいぶん頑張ったから、自信は無いけどやってみるよ」ということで、僕は引き続き毎晩通うことになりました。

いよいよ明日が16日だという日の夜、僕はいつものようにおばあさんの所に行きました。 そして、いつものように気功をやって差し上げようとすると、話すことも出来ないおばあさんが僕に語りかけて来ました。 その言葉は口を通してではなくて、僕の頭に直接入ってきたように感じました。 「もういいよ、行かして下さい」と聞こえました。 僕は非常に驚きましたが、彼女の言葉を尊重したいと思い、家族の皆さんを集めて今聞いたおばあさんの言葉を伝えました。 すると、みんなも泣きながらも頷いてくれました。

それで、僕はおばあさんに最後の挨拶をしました。 そしたら、またおばあさんが僕にいいました、「ありがとう」と。 僕は、その時初めて、死にゆく人とまともに接してまともに別れを告げることが出来たのだと思いました。

そして、次の日の朝10時35分に、おばあさんは無事にあちらの世界に旅立たれました。 

そして僕は気付いたのです。 人は殆どの場合、死にゆく人にきちんとしたお別れの挨拶をしてないんじゃないかって。 悲しみのあまり、自己憐憫のあまり、僕たちは死にゆく人たちに真正面から接してないんじゃないかって。 だから、悲しみがいつまでも残るのでは無いんだろうか。 結局は、その悲しみは自分に向けられたもので、亡くなった人に向けられたものではないのでしょう。 余り悲しんでると、もしくは引き留めてると、友達のおばあさんのように逝きにくくなってしまう。

もちろん、亡くなった人を弔い、悲しむのは悪いことではないと思います。 僕もそうしますから。 でも、ある程度で切り上げるようにしています。 僕たち生きている者には明日があり、死んだ人には次の世界が待っているからです。 またいつか必ず逢えるのです。 その日を楽しみに、今日も生きて行きます。 感謝の心とともに。  

合掌。




2,3日お休みさせて下さい

2008-09-23 09:46:59 | 運勢のこと
急なんですが、大の仲良しの友達のお母さんが、今日未明に亡くなられたので僕は彼女を慰めに明日の朝から2,3日出掛けて来ます。

今夜まではまだ東京に居るので、もう一度書けるかも知れませんが、あまり期待しないで下さいね。

僕も、一昨年から身内が4人も亡くなったので、辛さはよく分かります。 輪廻転生を信じている僕としては、亡くなられた人には、「お疲れさまでした。 ご卒業おめでとうございます。 あちらの世界で楽しく暮らしてくださいね」と声を掛けてあげたいのですが。 そして、ご遺族の方達には、「それでも人生は続いていくから、精一杯生きていこうね」と、慰めてあげたいのです。

ということで、今から友達のお母さんのご冥福を祈らせていただきます。

「それでも、日はまた昇る」 アーネスト・ヘミングウェイの言葉です。

みんな、元気に生きて行こうね。 "JOIE DE VIVRE"




人間の健康

2008-09-22 21:15:56 | 運勢のこと
今日は健康のために、秩父の温泉に行って来ました。 今朝、出掛けるときは、三峰山と三峰神社に行ってからその先は考えようと思ってたのですが、なかなか雨が止まなかったのと途中で道に迷って時間を食ってしまったので三峰山は諦めて、秩父の「満願の湯」という日帰り温泉に行きました。

久しぶりに西武池袋線で所沢まで行き、そこで友達のマヤコンの車に乗り換えて、埼玉を奥へ奥へと進みます。  一時間もすると町並みが消えて山の中です。 小雨が煙る山の中は酸素が一杯という感じです。 

そして、やっと着いた奥長瀞「満願の湯」の湯はサラサラでしっとり、我が龍神温泉によく似た湯質でした。 露天風呂の真下には小川が流れ、川向こうにはきれいな滝が日頃の疲れを洗い流してくれるようにマイナスイオンを撒きながら落ちています。 「ああ、気持ちいいなあー!」 ということは普段は結構疲れてるんだ、僕は。

健康というと、僕たちは体の健康の事ばかりを思い浮かべるようですが、本当は健康には三つあるんです。 1. MENTAL HEALth 2. PHYSICAL HEALTH 3. SPIRITUAL HEALTHの三つです。 つまり、精神の健康、体の健康、そして、スピリチュアルの健康です。

精神の健康は最近では一般的に知られるようになりました。 特に、鬱状態や鬱病は誰でも知っているはずです。 ところが、スピリチュアルの健康についてはまだ全く知られていないと思います。 

人生がきついときは、精神と肉体の健康に異変が起きやすいものです。 下降期にはそれが顕著に表れます。 でも、その事を通じて僕たちは沢山の事を学ぶのです。 自信過剰、傲慢、愛の無さ、自己中心的態度、ETC. そんなことを辛さを通して学ぶのです。 その辛さを乗り切るには、まず自分を、今の状況を否定しないでそのまま受け入れ、そして自分の事を誰よりも好きになることです。 自分を愛することです。 僕はみんなにいつも言うのですが、自分が自分の事を愛せないのに、他の人をどうやって愛することが出来るの?って。 自分の事が愛せない人を誰が愛してくれるの?って。 シンプルな事ですよね!? 

今のままの自分を愛せるようになると、心の力が蘇って来るはずです。 そうすると、喜ぶ力、感動する力が湧いて来るでしょう。 それが、"JOIE DE VIVRE" と言うのです。
フランス語で、「生きる喜び」ということです。 この言葉は、カナダのモントリオールで一時期市民全員の合い言葉でした。 「お幸せにー!」「貴方も、お幸せにね!」と街中でみんなが声を掛け合ったのです。 そして、死にかけてた町が現在のように生き生きとした美しい町になったのです。 言葉の力は凄いものです。 「私は自分のことをとても愛してます」と毎晩寝るときに自分に言って下さい。 どんな効果があるのか分からないとか、自分は愛することが分からないとか思っていたとしても、とにかく自分に「愛してる」と言い続けましょう。 愛は奇跡を起こします。 それが、スピリチュアルの健康をもたらしてくれます。 

自分の事を愛してると実感できるようになったら、家族にその言葉を向けましょう。 アメリカの精神科の医師が言ってましたが、アメリカで精神病院に入院しいる人の殆どが人間関係、それも家族間の人間関係の難しさが原因だそうです。 だから、その関係を最低普通にするために僕が提案したいのは、「愛してます」という言葉を心の中で相手に向かって言うことです。 直接的に言葉にして言うことは有りません。 寝る前に、心の中で呟くだけで良いのです。 焦らず、期待せずに奇跡を待ちましょう。

ということで、僕はこのブログを読んでくれている一人一人に、「お幸せにー」 そして、お休みなさいー!

今日は、久しぶりの休みです

2008-09-22 07:56:44 | 運勢のこと
みなさん、おはようございます。

今日は、久しぶりの休みで、友達と埼玉の秘境と言われてる秩父に行って来ます。 秩父は、埼玉県、群馬県、長野県、そして山梨県の県境に位置してます。 ひとまたぎで四つの県に行くことが出来る面白い場所でもあります。  

三峯山という山があって、その山の頂上には三峯神社があります。 以前はロープウェイで行けたのですが、それが老朽化したために運休になったらしいので、どうやって頂上に行くのかを今日は確認してこようと思います。

今、下降期のトンネルに入っている人は、兎に角今日一日、そして一日一日を目の前の仕事ややるべき事に集中してください。 焦らないこと。 焦ると月の神様の策略にはまるだけですから。 トンネルは絶対に抜けられます。 焦って、迷って、いろんな事をしようとすると、返って逆の効果になってしまいます。 

「目の前のことを一生懸命にやる」、それが下降期を乗り切るための一番の方法です。 

じゃあ、また今夜、続きを書きます。

久しぶりの冨麗華{ふうれいか}

2008-09-21 12:11:02 | 運勢のこと
久しぶりの冨麗華は、やはり混んでました。 僕が冨麗華に行くのは従業員に中国人が多いので、中国語が聞けるからです。 中には、広東語も分かる人が居るので、広東語を忘れないためにちょっとプラクティスするのにはもってこいなのです。

とまあ、そういうことで、昨日のランチは飲茶でした。

香港に住んでたときに気付いた事なのですが、香港人というか中国人は占いとか風水が大好きだと言うことです。 もう一つ好きな物にギャンブルが有ります。 中国人から占いと風水とギャンブルを取ったら何が残るんだろうとさえ思いました。 そして、金持や成功者になれば成る程それらを楽しむ傾向があるように感じました。

占いとか風水に頼りすぎるのは、僕個人としてはあまり好きではないのですが、人生を結構長くやっていると、時には自分の判断力や決定力にブレが生じることも有ります。 特に、運勢の下降期には焦りと迷いによって間違った判断や決定をしてしまうことがよくあります。 そんな時に他の人の意見を参考にするのは良いことだと思います。 それに、気付く気付かないにかかわらず、最終決定を下しているのは自分自身なのですから。 だから、何回も言ってるように、人生は飽くまでも自己責任なのです。 他の人に大事な決定を委ねたとしても、結果は必ず自分に戻ってきます。

その点を自覚しておけば、運勢のサイクルに上手く乗って人生を上に上に登っていくことが出来ると思います。 ただ、人間にはとても厄介な付属物があります。 それは、エゴというものです。 極端に言うと、人生とはエゴとの闘いだとも言えます。

例えば、全てのネガティブな感情はエゴから出てきます。 怖れ、怒り、妬み、嫉妬、見栄など、挙げていけばきりがありません。 僕もそうですが、時々自分の事が嫌になりませんか? 特に、意味もなくというか、本当はそうすることは良くないと分かっていながら我を張ってしまった時です。 下降期にはそんな事がよくあります。 「人のふりみて我が振り直せ」と言いますが、人のことはよく分かるのに自分の事となると、いきなり自分を見失ってしまうのです。 それがエゴの恐いところです。 

自分のエゴを克服することさえ出来れば、もう人生迷わなくても済むようになるのに、何か事があって自分のエゴが攻撃されると、エゴは一気に反撃に出るのです。 どんなに頭がいいとか、人間が出来ているとか言われている人でも、他人から何かのことで攻撃されたり、批判されたり、自分と違う反論をされたりすると、もう我を忘れたかのように自分を守ろうとするものです。 後で冷静になって考えると、「なんで俺はあの時あんなに頭にきたんだう?」と思えるもののなのです。 でも、その時には感情的になっているために、自分を見失ってしまうのですよ。 怖くないですか? つまり、自分の感情が自分の考えと体を支配してしまうのです。 多くの犯罪がエゴの感情に乗っ取られた状態で引き起こされているのです。

僕にも感情に支配された経験が何度もあります。 誰にでも有るのです。 本当に恐いのは、ヤクザやちんぴらや世間ではなくて自分のエゴなのです。 下降期にはそのエゴと如何に闘うか、もしくは手なずけるかが一番の課題なのですよ。

エゴについてはいくらでおも書けるくらい、エゴというものの複雑さとその働きは凄いものなのです。

朝から重たい話でごめんね。 エゴのことは避けては通れないのです。 まあ、美味しいデザートでも食べて楽にしてください。 僕は、今からバナナダイエットです{笑}

明日からは、下降期の乗り切り方について書いて行きます。 もう待てない人達から催促が来てますので!


雨のち晴れ、から、また晴れのち雨へ

2008-09-20 09:00:35 | 運勢のこと
昨日の台風は、僕の田舎である和歌山県に大雨を降らしました。 なんと、一日で700ミリ以上の雨が降ったそうです。 ところが、僕の実家のある龍神村ではあまりというか殆ど雨は降らなかったと幼なじみの憲子が言ってきた。 

僕には何人かの仲の良い幼なじみがいて、小学校を卒業して以来あまり会うこともないのに、未だに名前で呼び合っています。 憲子もその一人です。 彼女の家に遊びに行くと、僕と旦那が二人で「憲子、憲子」と呼ぶので、知らない人はどっちが彼女の夫か分からない状態になります{笑}

これだけ長い間、お互いに仲良く大事な友達として付き合ってきてるということは、きっと僕のブループリントの中にも彼女のブループリントの中にもお互いの存在を書き付けていたのだろうなと思います。 夫婦でもないのにこんなに仲の良い女友達がいることに僕は感謝します。

そして、上昇期の続きですが、2年目の最高調の勢いを保ったまま3年目に入って行きます。 どの時期についても言えることですが、それぞれの期間は2-4年続きます。 従って、上昇期も長い人で4年くらいで、短い人だと2年足らずと言うことも有ります。 まあ、平均して3年と見て置いて下さい。 その長短の差の理由は後で書きます。

上昇期の終わりは、それこそある日突然やって来ます。 その日が来るまでは昇り調子がいつまでも続くように思えるほどなのですが。 みんなそれで勘違いを起こしてしまうのですよ。 何もかも上手く行ってるのは自分の実力のお陰だとね。 そう思わせるのは、次に待ち構えている月の神様なのだと思います。 上昇期はある日を境にまた下降期へと移るのです。 この時にまだ行け行けムードで事を進めていると痛い目に遭います。 かと言って、びくびくしろと言うことではありません。 調子の良い期間が3年も続いたら、そろそろ脇を締めに掛かりなさい、ということです。 もう一つ言えば、調子が良過ぎる時にも直感を働かせておきなさい。 そうすれば、下降期への境目が自分で分かるようになると思います。

上昇期の運勢を自分の実力だと勘違いしていると、下降期にはいった途端に月の神様に酷い目に遭わされます。 最近の例でいうと、ホリエモンと、グッド・・・の会長だったひとですね。 

昔、僕の友人に30代で大成功した男がいました。 ある日、僕と僕の友達のアメリカ人数人が彼の家に招待されました。 彼は得意げに新築の広大な自宅を案内してくれます。 そして、中庭にさしかかったとき何だか違和感のある物を発見しちゃいました。 何だったと思いますか? それは、なんとなんと彼自身の銅像だったのです。 思わず吹き出しましたよ。 でも、あるいみ、「こいつは凄い奴だ」と思うと同時に、「ああ、こいつは終わったな」とも感じました。  そして、それから数年後に彼の会社は数千億円の負債を抱えて倒産しました。 「ああ、やっぱりな」というのがその時の感想でした。

「気を付けよう! 傲り、高ぶり、屁のかっぱ」ですよ。 まあ、人には言えませんが、人間謙虚じゃなくちゃね。 特に、上昇期にはその点に気を付けて下さい。

じゃあ、またあとで。

今日は、お昼は麻布十番近くの一の橋にある、冨麗花という中華レストランでの飲茶に誘われました。 この店は、あの小泉元首相のお気に入りの店で、北京ダックと上海蟹が有名です。 機会が有ったら是非行ってみて下さい。TEL 03-5561-7788。 僕は、そこの醤油チャーハンとザーサイが大好きです。







今日は良い日です

2008-09-19 13:23:04 | 運勢のこと
今日は良いニュースが続きます。

2,3年前から友達の、20代後半の女の子からさっきメールが来ました。 新しい就職先が決まったそうなのです。 2ヶ月前にカウンセリングに来たときに、平坦期への曲がり角にいるから、それまでいた会社を辞めて次の仕事を探すとすぐに見つかるよ、とアドバイスしたのですが、全くその通りになってしまって僕も驚いています。 それも、今度の会社が僕の知り合いの会社で、2度びっくり! 運勢のサイクルは上手く動いてるんだなあ、という感じです。

それで、上昇期の続きですが、2年目がもう爆発的に伸びる年なんですよ。 恐いくらいに物事がうまく行くし、仕事も発展します。 チャンスがどんどんやって来て、どれを取ろうか?状態になることもあるので、欲の感じゃなくて直感を使って見極めることがだいじです。 そして、この年は結婚のチャンスが最も高い年でもあるんです。 恋愛適齢期に巡り会った男女は、上昇期の1年目か2年目にはだいたい結婚してしまいます。 

今下降期に居る人からすると、「何言ってんだろう、ホントに! あたしゃそれどころじゃないんだよ」と言いたいかも知れませんが、どんなに辛い下降期を過ごしている人にでも、いつかは平坦期が、そして上昇期がやって来るのです。 おまけに、下降期がきつければきついほど、上手く乗り切ると上昇期の上がり方は半端じゃなくなるのですから。

僕の好きな言葉に、「雲の上はいつも晴れ」というのがあります。 以前に書いたニューヨークの友達が辛い時期を過ごしていたとき、この言葉を軽い気持ちで教えてあげました。 軽い気持ちで、と言う意味は、偉そうに説教臭くならないようにという意味です。
でも、その時の彼の心にはちゃんとメッセージが伝わっていたようで、「あの時、ジェームスが言った言葉で、俺は持ちこたえたんだよ」と聞いたときは、ちょっとホロっときました。 

僕は、ほとんど毎晩、自分の SPIRIT GUIDE と話します。 話すと言っても、相手の言葉が聞こえるわけではないので、一方的に自分の言いたいこととか、お願い事とか、お礼を言うだけなのですがね。 でも、そうすると気持ちが凄く落ち着きます。 すでに亡くなった家族や顔も知らないご先祖様に語りかける事もあります。 僕は、どんな宗教にも属してはいませんが、今までの勉強と体験から、REINCARNATION は信じてます。 そして、いわゆる、SPIRIT GUIDE {指導霊}とか、天使とか、亡くなった人の霊とかの存在も抵抗無く信じられるのです。 正直言って、僕も寂しいときは有ります。 一日中自分の部屋でひとりぽっちで過ごすことも有ります。 そんな時、僕は自分のSPIRIT GUIDE
と話すのです。 

下降期のトンネルに入ると、誰かと一緒に居ても寂しさを感じるようになります。 あせったり、迷ったり、自信が無くなったりします。 そんな時には、自分の SPIRIT GUIDE{スピリット・ガイド}に語りかけなさい、具体的なお願いをしなさい、そして、信じなさい。 僕は、何度も窮地から救われたことがあります。 SPIRIT GUIDE が付いてない人は居ませんから、安心して下さい。 あちらの声は聞こえなくても、こちらが言うことは向こうには聞こえていますから。 

ちょっと、話がそれちゃってごめんね{笑}

あっちの世界にまつわる話は、その内おいおい話します。 おたのしみにー