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ほな

ある日の忘備録

コソッと残っていてほしい

2024年09月01日 16時18分05秒 | 思うこと

過日、手回し式充電ラジオの作動確認を行うと、スピーカーから流れてくるは『ラジオ深夜便』。
お便りの宛先の案内に、不意をつかれたような心持ちとなる。
今時なら、メールフォームやeメール、Xのハッシュタグを使うからであるけど、いや待て、ここはAMラジオで、しかも深夜便だ。

友人には年賀状仕舞いしたから来年から送らんといていわれたし、DMやお義理の葉書もめっきり来なくなり、我が家に来るのはせいぜい車検の案内くらいである。
そんな折、郵便物の値上げの報を聞いても、今時積極的に利用する奴なんかおるんかえ、くらいの所感しかなかった。
なので『ラジオ深夜便』の宛先の案内には感心したとともに、『湯けむりスナイパー』のこのエピソードを思い出した。

そういやガキの頃、深夜放送に葉書を送って採用され、記念品のキーホルダーをもらって喜んだものだった。
調べてみると、今でも葉書を受け付けてる番組ってあるもんやな。
みんがみんなインターネットに慣れているわけでないし、声を届ける手段の一つとしてコソッと残っていてほしいな、と無責任ながら思う。

 


闇は

2024年08月28日 02時16分32秒 | 思うこと

出張で花の都へ。
現場をよく知る者が行き、取引先の担当者と直接顔を合わせ技術的な話をする、という役割。
ふだん電話かメールのやり取りだけだと、(どうしても避けられない取引上の)揉め事が起こった時にギスギスするものだが、これにより少しく緩和されるようである。

汗をかかず痛みを知らぬ者が行ってトンチキな話をすると、よけい揉め事が大きくなるのだ。
このご時世、売りに行って売れるものではないので、次善の策という感じ。
自分方も含め、これからシェアを増やすというより、これからどう生き残るかがヒシヒシと感じられ、なかなかスリリングであった。

話はいきなり変わるのだが、昨今、芸能人やアスリートなどに対するインターネット上のバッシングが激化しているように見える。
そこで上記したことに思い至った。
直接会って強く意見をいえる関係性以外なら独り言にとどめ、相手に対して口出しすべきではないと思うのやけどなぁ。

それに自分自身がどれだけ清廉潔白か、ということにもなる。
んなもんあるわけないがな。
誰にかて闇はあるやろ。


まだ続いているかと

2024年08月04日 13時20分53秒 | 思うこと

録画していた『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を観る。
封切り時に観に行き、さらにビデオでも何回か観たくらい好きな映画であった。
が、今回久方ぶりに観て、「あら?」となった。

その原因はタランティーノが演じたリッチー・ゲッコーにある。
自分の知り人の西洋人に、(リッチーのように性犯罪や強盗は行わないが)彼の見え方や聞こえ方、それらから来る思考が一般的ではない、と思わせることが多々あり、自分は距離を取るようにしている。
彼のことを知るまでは、単にタランティーノが演じる狂気じみた奴、くらいに思うていたのだが、雰囲気や思考が酷似しているように見えてしょうがなく、今回久々にこの映画を観てゾッとしたのだ。

この他にも、人形アニメ『ひつじのショーン』も好きだったのだが、これに登場する牧場主がこれまた知り人の西洋人に酷似しているのだった。
顔や体型は違うのだけど、偉そうなくせにトンチキで鈍臭いところと服装ががソックリで、これまたショーンを観ても笑えなくなった。
笑えないどころか、ムカつくので観なくなってしまった。

他にも西洋人を数人知っているが、日本人なら洟も引っ掛けない硬い牛肉を美味い美味いと喜んで食ったり(苦笑)、人の意見に対して必ずあーいやこーいうたり、言語の通じない相手に対してだけ(!)やたら紳士的だったり、一番多いのが他国の気候や文化にまったく興味がなく自分の考えや経験だけをゴリ押ししてきたりなど、もうロクなもんではない。
確かに西洋人は上記のように、表面上は紳士的であったり、ちょっとしたジョークを飛ばしたりするので、自分の見た感じでは、婦女子はそういうのに明らかに弱い。
しかしそんなのは日本人が、箸を器用に使う、玄関で靴を脱ぐと同じレベルのことであって、人間性とは何の関わりもないのである。

 

 

自分も傍目には、蜂須賀のいう嫌な奴に見えているのかもしれないけど、同胞がやたらと西洋人になびくのを見て苦々しい心持ちなることは、今でも度々ある。
あとこれは、自分の知る環境に於いてのことだけかも知れないと前置きするが、英語を話せる同胞は話せない同胞を下に見ているのは、強く感じる。
そういうのを見るにつけ、日本の戦後はDNAレベルで植え付けられ、まだ続いているのかと思う。


身を以て知る

2024年08月03日 16時00分15秒 | 思うこと

この夏で、四捨五入すると還暦になる歳、いわゆるアラ還になってもうた。
5歳のときの10歳といえば頼もしいお兄さんで、15歳のときの20歳といえば違う世界の大人で、25歳のときの30歳といえばもうマジでオッサンにしか見えなかった。
がしかし、55歳の自分に60歳といえば、すぐそこに見えてるし何やったら手の届く世界である。

『迷走王ボーダー』を知ったのが18の時だから、37年も経ってもうたんやな、と。
自分に残された時間は、その37年どころかもっと短いはず。
別に悲観的とか感傷的にはなってないけど、「人生のリセット」を何回かしてたら気付いた時にはもうアラ還、という感じで、時の流れをまざまざと身を以て知るであるよ。


そら確かに

2024年06月23日 03時00分33秒 | 思うこと

過日、テレビの歌番組に上條恒彦がでていたので、リモコンをザッピングする指が止まる。
彼が「出発の歌」を歌っている横で、金髪の若造がクネクネしながら一緒に歌っている。
カメラが引くと、さらに彼らを囲むようにして、その日の出演者が皆思い思いに体をくねらせ歌っている。

非常に気分の悪い画面(えづら)に思え、テレビの前で一人憤怒。
そら確かに上條恒彦は歳をとった。
マイクも重たそうに持ってるし、かつての声量もないし、体かて一回りも二回りも縮んだように見える。

しかしだ、見栄えがせんからという判断で、そのような演出になったのだろうが、上條恒彦に対するひどい侮辱だろう。
なんで彼一人で歌わせない。
現在の、老人そのものになった、それでもそういう姿を晒して歌う「出発の歌」にこそ、重みというか良さがあるんと違うのかい。


歩のない将棋は

2024年06月16日 12時53分09秒 | 思うこと

ネットニュースで、「配属ガチャ」「上司ガチャ」なる言葉を見かける。
仕事が気に入らなければ、新卒にも関わらず、代行業者を使いサッサと辞めてまうらしい。

過日、自分が勤める会社に中学生の職場体験があったのやけども、彼らは帰りしな事務方の担当者に不平をいうて一悶着あったらしい。
草抜きや切り戻した苗の枝の掃除がお気に召さなかったようで、しかしそういう下働きが現場業務の過半、事前に学校側との打ち合わせでもいうている筈。

一介のおっさんとして、負け惜しみかも知やんけど「歩のない将棋は負け将棋」やで、と独りごちる。
ドラマ『季節のない街』の最終回でもキーワードとして使われ、久方振りに耳にしてニヤリとしたのだけど、負け組大幹部の原作作品やブルハの歌詞のように、「額に汗かいて」生きて行こうぜ、というてみる。


罪な映像

2024年05月19日 12時50分22秒 | 思うこと

キダ・タローが亡くなり、ニュース番組で流れた、氏の活躍を振り返る映像の一場面に胸を衝かれた。
「かに道楽」の前で指揮棒を振るキダ・タローの後ろの映画の看板は、今はなき劇場である。

田舎住まいの自分にとって、ミナミという街は、ただ彼女と映画を観に行く、買い物へ行く、というだけでとても楽しい街だった。
それも二十代くらいまでで、いつしか足が遠のくようになった。

落語を聴くようになり、久々にミナミへ行って、その様変わりに、外国人しか歩いていない通りに大層驚いた。
そこはもう自分の知っているミナミではなかった。

なので、不意に目にした昔のミナミの景色に、胸を衝かれたのだった。
感傷はあかんけど、人も景色もなくなったとは、罪な映像であるよ。


書店に思う

2024年05月11日 09時03分18秒 | 思うこと

 

好きな作家の新刊を今か今かと待ちわび、何かオモロそうなのないかいなと背表紙を目で追ったりと、書店に通い、書店が楽しい場所だったのも今は昔。
でもそれなら、子供の頃に近所にあった、精肉店、鮮魚店、牛乳配達所、米穀店、薬店、呉服店、家具店、玩具店、菓子店、喫茶店、スポーツ用品店、大衆食堂、お好み焼き屋、それらだって全部なくなった。
もちろん書店は文化の発信地、知識の泉という側面もあるだろうけど、前述の個人商店も何か役目や必要性があって開店したわけで、閉店が役目や必要性を終えたというのなら、残念ながら街の書店だって同じくではなかろうか。


素晴らしい日々

2024年04月03日 15時23分12秒 | 思うこと

『宇宙(そら)よりも遠い場所』というアニメの再放送を観終える。
ひょんなことから出会った4人の17歳の女の子が、民間の南極観測隊に同行し、三ヶ月間南極に滞在する、というお話。

別段感じ入ったということはないのだけど、最終話で4人が滞在期間を終え日本へ帰る、というあたりでハッとした。
自分が18んとき、バイクで北海道や四国を走ったときのことを思い出したのだ。

ただ10代というだけで優しくされ助けられ、しかし当の本人はそれには全く気づかず、学校でもなく勿論仕事でもない今まで経験したことのない日々。
アホな自分は、最後の日になってようやっと視界を流れていく景色や走行風が当たり前の毎日、実はそれがとても貴重で愛おしいものであったことに気づくのだった。

その翌日から、またしょうもない日々が続くんやなぁ、と重たい心持ちとなる。
しかし、刻刻と景色が変わり風に吹かれ流れるという「素晴らしい日々」を知ってしまったのは、何物にも代えがたい大きな収穫で、それは50代になった今でもそう思う。


頭の中に霧

2024年03月17日 01時37分38秒 | 思うこと

 

『迷走王ボーダー』の明美と酒屋のオヤジが駆け落ちするエピソード。
明美の「複雑なことを考えると頭の中に霧がかかったみたいになっちゃうの」というセリフが、自分の甥っ子とダブる。
甥っ子は中学生のとき、頭の中に霧がかかると自転車で家出をしていた。

父親が一回、警察が一回、自分が一回、身柄を確保している。
別にグレてもないし、家の居心地も悪くないし、本人もトロいわけじゃない。
昨年は校則が厳しい高校で禁止されているスマホの持ち込みがバレて面倒事になったのだが、それだって隠すこともできたろうに、いざ先生を前にすると頭の中に霧がかかってしまったようだ。

甥っ子を見てると、上手くやればええのにアホやなぁ、とは思う。
もう一方では綺麗事じゃないけど、それでもええんちゃう、とも思う。
親類の集まりで笑いのネタにされるし、彼は黒歴史というけど、そのぶん他人の痛みも判るはずで、時としてかかる頭の中の霧を対処しつつ、優しさを知る大人になれよな、と思う。