録画していた『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を観る。
封切り時に観に行き、さらにビデオでも何回か観たくらい好きな映画であった。
が、今回久方ぶりに観て、「あら?」となった。
その原因はタランティーノが演じたリッチー・ゲッコーにある。
自分の知り人の西洋人に、(リッチーのように性犯罪や強盗は行わないが)彼の見え方や聞こえ方、それらから来る思考が一般的ではない、と思わせることが多々あり、自分は距離を取るようにしている。
彼のことを知るまでは、単にタランティーノが演じる狂気じみた奴、くらいに思うていたのだが、雰囲気や思考が酷似しているように見えてしょうがなく、今回久々にこの映画を観てゾッとしたのだ。
この他にも、人形アニメ『ひつじのショーン』も好きだったのだが、これに登場する牧場主がこれまた知り人の西洋人に酷似しているのだった。
顔や体型は違うのだけど、偉そうなくせにトンチキで鈍臭いところと服装ががソックリで、これまたショーンを観ても笑えなくなった。
笑えないどころか、ムカつくので観なくなってしまった。
他にも西洋人を数人知っているが、日本人なら洟も引っ掛けない硬い牛肉を美味い美味いと喜んで食ったり(苦笑)、人の意見に対して必ずあーいやこーいうたり、言語の通じない相手に対してだけ(!)やたら紳士的だったり、一番多いのが他国の気候や文化にまったく興味がなく自分の考えや経験だけをゴリ押ししてきたりなど、もうロクなもんではない。
確かに西洋人は上記のように、表面上は紳士的であったり、ちょっとしたジョークを飛ばしたりするので、自分の見た感じでは、婦女子はそういうのに明らかに弱い。
しかしそんなのは日本人が、箸を器用に使う、玄関で靴を脱ぐと同じレベルのことであって、人間性とは何の関わりもないのである。

自分も傍目には、蜂須賀のいう嫌な奴に見えているのかもしれないけど、同胞がやたらと西洋人になびくのを見て苦々しい心持ちなることは、今でも度々ある。
あとこれは、自分の知る環境に於いてのことだけかも知れないと前置きするが、英語を話せる同胞は話せない同胞を下に見ているのは、強く感じる。
そういうのを見るにつけ、日本の戦後はDNAレベルで植え付けられ、まだ続いているのかと思う。