( `ハ´) やあ

ようこそ、チャイナハウスへ。
この投石(トラックバック)はサービスだから、まず喰らって怪我をしてほしい。

フジモリの改革(ペルー元大統領)

2005年11月14日 | 人権擁護と言論統制と利権
 フジモリ大統領が次に退治したのが官僚だった。もともとこの国には公務員試験と名のつくものはなかった。実力者、有りていにいえばスペイン系白人の名門ベラウンデ家とか、あのデクエヤル家とかの威光で縁故採用されてきた。

 例えば小中学校が八千三百校も不足しているというのに、文部省には三千五百人もの縁故官僚がいて、ほぼ全員が役付きというでたらめぶりだった。フジモリ氏は三千五百人のうち三千人をクビにして、その代わり、毎週一校ずつ学校を建設していった。

 国会にもメスを入れた。上下院あわせて二百四十二議席のほとんどが名門につながる白人で占められ、国民所得がたった百ドルなのに議員年金は一人五千ドルといった議案をどんどん通してきた。

 それを一院制百二十議席と半減し、ついでに年金も廃止した。九二年のいわゆる「大統領のクーデター」による改革である。

 ほとんどGHQみたいな大改革だが、おかげで毎年一〇〇〇%以上というインフレを一けたに押さえ込み、マイナス続きの経済成長率もプラスに転換させた。

 しかし、このフジモリ大統領に対して欧米、とくに中南米はわが家の裏庭と思っている米国は一貫していじめに回ってきた。

 その代表格が中南米問題の権威とされるM・シフター・ジョージタウン大教授で、彼はペルー国会の機能を停止させた例の大統領のクーデターを根拠に「ペルーにやっと根づいた民主主義を覆す危険な準軍事政権」と批判し「フジモリを倒してこそペルーの民主化がある」と言い切る。

 ここでいう「民主主義がやっと根づいた政権」とはその前のガルシア政権を指すが、この時代にペルーは未曾有の七六〇〇%のインフレと経済成長率マイナス一二%を生み、左翼ゲリラと夜盗をはびこらせ、独り白人特権階級だけが肥え太った。要するに、どんなに腐敗しようと、「親米的な白人政権なら民主主義政権」というのが米国の見方だった。


高山正之の異見自在
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/120401.html


さすが米帝。
親米ならどんな軍事独裁政権でも援助し、反対に反米民主主義政権ならクーデターも辞さない。最近はもっとスマートに選挙介入だけどね。バラ革命とかオレンジ革命とか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿