記忘庵日誌2019・7・19荻野源吾
ポル・ポト政権とは何だったのか?!―人間の弱さを思う(人間理性の覚書)
ポル・ポトの本名はサロト・サルと言われる。しかしこれは定かでないとする説もある。それほど彼は表舞台に立たず秘密主義を貫いた。
「民主カンボジア」(クメール・ルージュ―赤いクメール=ポル・ポト派のこと。この政権はわずか4年―1976〜1979)はその政権前後数年間で150万人余の虐殺をしたと言われている。山岳でのゲリラ戦後首都プノンペン制圧、その後ヘン・サムリン政権(カンボジア人民共和国)に追われて再び森のゲリラへ。ついに政権は倒れるも、そして多くの仲間の粛清や国民の虐殺にも関わらず、アジアのヒットラーとも形容された彼自身は1998年まで生き延びた。なんとも理解し難い数奇な運命。
その虐殺はどうして起きたのか。まことに考え得ない有り様である。
ポル・ポト派を構成する主要な閣僚はカンボジアの名門の出。フランス留学組も多く、当時シアヌーク国王とのつながりもあるエリート層である。
抗仏独立運動、共産主義運動が1930年ごろから始まり集団指導による革命を目指した。組織第一で知識層を排除し、都市から農村への国民大移動での農本主義の原始共産主義を徹底する中、王政から当初は純粋な祖国解放を目指し、「2000年の歴史で初めて人民が国家権力を手にした」と豪語した。しかしそこには悲惨な人民裁判、相互監視社会による制裁が待ち受けていた。首都南部にあった虐殺センター・ツールスレイン(S21と呼ばれた)の獄吏は多くは子どもであったという。哀れ。なお現在の政体は「カンボジア王国」で制憲議会がある。
古代からの戦争史は別にしても、このポル・ポト時代の悲劇、ソ連のヨシフ・スターリンの130万を超す人民大粛清、アドルフ・ヒットラーのホロコースト(大虐殺関連の犠牲者は900万人とも)、そして中国の毛沢東の大躍進や文化大革命で2000万人近い人命が失われたことは歴史的事実として近代四大残虐事件の悲劇と言えよう。
骸骨の地図―ツールスレイン(現在撤去)
これらの事実は人間かくも崇高にも残忍にも変わりうることを証明している。そして人間は考える葦であると同時にきわめて動物的でもある。思想や叡知は今のところすべからく人間理性でコントロールされていない。{信仰}の範囲に。
人間は極めて弱いといわねばならない。そしてまだ歴史に学んでいない。悲しい存在でもある。しかしその克服の可能性を探っている。(参考―山田寛「ポル・ポト<革命>史 選書メチエ) 完
ポル・ポト政権とは何だったのか?!―人間の弱さを思う(人間理性の覚書)
ポル・ポトの本名はサロト・サルと言われる。しかしこれは定かでないとする説もある。それほど彼は表舞台に立たず秘密主義を貫いた。
「民主カンボジア」(クメール・ルージュ―赤いクメール=ポル・ポト派のこと。この政権はわずか4年―1976〜1979)はその政権前後数年間で150万人余の虐殺をしたと言われている。山岳でのゲリラ戦後首都プノンペン制圧、その後ヘン・サムリン政権(カンボジア人民共和国)に追われて再び森のゲリラへ。ついに政権は倒れるも、そして多くの仲間の粛清や国民の虐殺にも関わらず、アジアのヒットラーとも形容された彼自身は1998年まで生き延びた。なんとも理解し難い数奇な運命。
その虐殺はどうして起きたのか。まことに考え得ない有り様である。
ポル・ポト派を構成する主要な閣僚はカンボジアの名門の出。フランス留学組も多く、当時シアヌーク国王とのつながりもあるエリート層である。
抗仏独立運動、共産主義運動が1930年ごろから始まり集団指導による革命を目指した。組織第一で知識層を排除し、都市から農村への国民大移動での農本主義の原始共産主義を徹底する中、王政から当初は純粋な祖国解放を目指し、「2000年の歴史で初めて人民が国家権力を手にした」と豪語した。しかしそこには悲惨な人民裁判、相互監視社会による制裁が待ち受けていた。首都南部にあった虐殺センター・ツールスレイン(S21と呼ばれた)の獄吏は多くは子どもであったという。哀れ。なお現在の政体は「カンボジア王国」で制憲議会がある。
古代からの戦争史は別にしても、このポル・ポト時代の悲劇、ソ連のヨシフ・スターリンの130万を超す人民大粛清、アドルフ・ヒットラーのホロコースト(大虐殺関連の犠牲者は900万人とも)、そして中国の毛沢東の大躍進や文化大革命で2000万人近い人命が失われたことは歴史的事実として近代四大残虐事件の悲劇と言えよう。
骸骨の地図―ツールスレイン(現在撤去)
これらの事実は人間かくも崇高にも残忍にも変わりうることを証明している。そして人間は考える葦であると同時にきわめて動物的でもある。思想や叡知は今のところすべからく人間理性でコントロールされていない。{信仰}の範囲に。
人間は極めて弱いといわねばならない。そしてまだ歴史に学んでいない。悲しい存在でもある。しかしその克服の可能性を探っている。(参考―山田寛「ポル・ポト<革命>史 選書メチエ) 完