記忘庵日誌2019・12・11荻野源吾
ワハハで行こう
人間なかなかバカにはなり切れない。世間の常識に妨げられたㇼ、教養が邪魔する。
この歳になってデモに縁があるとは思わなかった。70年代安保の盛り上がった時は
丁度学生時代であったが安保反対のデモを遠巻きに見ていた。政治に関心がなかったわけではないが、軽薄に思って動けなかった。一度だけ友達に誘われ義理で参加したことはあった。その時同じ郷里出身の警察官をしていた友達とばったり出会った。彼は高卒後警察官になり真面目に勤めていたがいつの間にかすーっと姿を消すように若死にしてしまった。
デモでお互いの顔を見合わせ「おーっ」とか言いつつ互いに微笑んだ。びっくりした。
その時の彼の人懐っこい笑顔は忘れられない。同じ郷里の友が異郷の地でデモ行進で逢うとは奇遇。こんな思い出が私のデモ体験。
先日河内長野のある公園から歩いて駅前までデモをした。反原発と言うか原発を失くそうという市民活動で、集会の後デモ。32回目とか。約1時間ほどの行進であった。80名ほどが参加していた。ここでまた初めて挨拶兼ねスピーチをした。大学の最終講義以来の聴衆へのアピール体験。わずか数分ではあったがなんで私が今デモ参加者へ向けて語っているのかその臨場感は不思議に思えた。ずーっとデモなんかは私の範疇に無かったのだが。道行く人の反応はどこでも一緒。奇異な目あり、無関心あり、「ああまたか」か、demoしている奴の心情が解らぬ、今更こんなデモして何になる、そしてごく一部なんとなく「やってるね」といった表情の人などと逆に観察しながらのんびり歩いた。
富田林・杉山邸の庭(本文とは関係ありません)
「電力足りてる・原発要らない」「賄賂はアカン、廃炉・廃炉」のシュプレヒコール。
これは上手い。そうだ「ワ(・)イロはアカン。ハ(・)イロだ・ハ(・)イロだ」―当然これは関電への皮肉。
これからの人生ワハハで行こう。80翁は今更捨てるものがない。一旦こうと決めたらテコ・デモ動かない意志もある。これが人生のご褒美。有為転変を生きてきたからこそ人生の価値あることに身を賭していける勇気も与えられた。そして市民の政治参加は最大のボランテイアであると思った。いつまでも政治家や運動家だけに委ねていてはいけない。
人生「ワハハ・・・」と笑っていこうではないか。了
ワハハで行こう
人間なかなかバカにはなり切れない。世間の常識に妨げられたㇼ、教養が邪魔する。
この歳になってデモに縁があるとは思わなかった。70年代安保の盛り上がった時は
丁度学生時代であったが安保反対のデモを遠巻きに見ていた。政治に関心がなかったわけではないが、軽薄に思って動けなかった。一度だけ友達に誘われ義理で参加したことはあった。その時同じ郷里出身の警察官をしていた友達とばったり出会った。彼は高卒後警察官になり真面目に勤めていたがいつの間にかすーっと姿を消すように若死にしてしまった。
デモでお互いの顔を見合わせ「おーっ」とか言いつつ互いに微笑んだ。びっくりした。
その時の彼の人懐っこい笑顔は忘れられない。同じ郷里の友が異郷の地でデモ行進で逢うとは奇遇。こんな思い出が私のデモ体験。
先日河内長野のある公園から歩いて駅前までデモをした。反原発と言うか原発を失くそうという市民活動で、集会の後デモ。32回目とか。約1時間ほどの行進であった。80名ほどが参加していた。ここでまた初めて挨拶兼ねスピーチをした。大学の最終講義以来の聴衆へのアピール体験。わずか数分ではあったがなんで私が今デモ参加者へ向けて語っているのかその臨場感は不思議に思えた。ずーっとデモなんかは私の範疇に無かったのだが。道行く人の反応はどこでも一緒。奇異な目あり、無関心あり、「ああまたか」か、demoしている奴の心情が解らぬ、今更こんなデモして何になる、そしてごく一部なんとなく「やってるね」といった表情の人などと逆に観察しながらのんびり歩いた。
富田林・杉山邸の庭(本文とは関係ありません)
「電力足りてる・原発要らない」「賄賂はアカン、廃炉・廃炉」のシュプレヒコール。
これは上手い。そうだ「ワ(・)イロはアカン。ハ(・)イロだ・ハ(・)イロだ」―当然これは関電への皮肉。
これからの人生ワハハで行こう。80翁は今更捨てるものがない。一旦こうと決めたらテコ・デモ動かない意志もある。これが人生のご褒美。有為転変を生きてきたからこそ人生の価値あることに身を賭していける勇気も与えられた。そして市民の政治参加は最大のボランテイアであると思った。いつまでも政治家や運動家だけに委ねていてはいけない。
人生「ワハハ・・・」と笑っていこうではないか。了