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難しい地名

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ワハハで行こう

2019-12-24 07:49:13 | 日記
記忘庵日誌2019・12・11荻野源吾
ワハハで行こう
 人間なかなかバカにはなり切れない。世間の常識に妨げられたㇼ、教養が邪魔する。
 この歳になってデモに縁があるとは思わなかった。70年代安保の盛り上がった時は
丁度学生時代であったが安保反対のデモを遠巻きに見ていた。政治に関心がなかったわけではないが、軽薄に思って動けなかった。一度だけ友達に誘われ義理で参加したことはあった。その時同じ郷里出身の警察官をしていた友達とばったり出会った。彼は高卒後警察官になり真面目に勤めていたがいつの間にかすーっと姿を消すように若死にしてしまった。
 デモでお互いの顔を見合わせ「おーっ」とか言いつつ互いに微笑んだ。びっくりした。
 その時の彼の人懐っこい笑顔は忘れられない。同じ郷里の友が異郷の地でデモ行進で逢うとは奇遇。こんな思い出が私のデモ体験。

 先日河内長野のある公園から歩いて駅前までデモをした。反原発と言うか原発を失くそうという市民活動で、集会の後デモ。32回目とか。約1時間ほどの行進であった。80名ほどが参加していた。ここでまた初めて挨拶兼ねスピーチをした。大学の最終講義以来の聴衆へのアピール体験。わずか数分ではあったがなんで私が今デモ参加者へ向けて語っているのかその臨場感は不思議に思えた。ずーっとデモなんかは私の範疇に無かったのだが。道行く人の反応はどこでも一緒。奇異な目あり、無関心あり、「ああまたか」か、demoしている奴の心情が解らぬ、今更こんなデモして何になる、そしてごく一部なんとなく「やってるね」といった表情の人などと逆に観察しながらのんびり歩いた。       
 
富田林・杉山邸の庭(本文とは関係ありません)  
 「電力足りてる・原発要らない」「賄賂はアカン、廃炉・廃炉」のシュプレヒコール。
 これは上手い。そうだ「ワ(・)イロはアカン。ハ(・)イロだ・ハ(・)イロだ」―当然これは関電への皮肉。
 これからの人生ワハハで行こう。80翁は今更捨てるものがない。一旦こうと決めたらテコ・デモ動かない意志もある。これが人生のご褒美。有為転変を生きてきたからこそ人生の価値あることに身を賭していける勇気も与えられた。そして市民の政治参加は最大のボランテイアであると思った。いつまでも政治家や運動家だけに委ねていてはいけない。
 人生「ワハハ・・・」と笑っていこうではないか。了

ワハハで行こう

2019-12-17 19:14:32 | 日記
ワハハで行こう
 人間なかなかバカにはなり切れない。世間の常識に妨げられたㇼ、教養が邪魔する。
 この歳になってデモに縁があるとは思わなかった。70年代安保の盛り上がった時は
丁度学生時代であったが安保反対のデモを遠巻きに見ていた。政治に関心がなかったわけではないが、軽薄に思って動けなかった。一度だけ友達に誘われ義理で参加したことはあった。その時同じ郷里出身の警察官をしていた友達とばったり出会った。彼は高卒後警察官になり真面目に勤めていたがいつの間にかすーっと姿を消すように若死にしてしまった。
 デモでお互いの顔を見合わせ「おーっ」とか言いつつ互いに微笑んだ。びっくりした。
 その時の彼の人懐っこい笑顔は忘れられない。同じ郷里の友が異郷の地でデモ行進で逢うとは奇遇。こんな思い出が私のデモ体験。

 先日河内長野のある公園から歩いて駅前までデモをした。反原発と言うか原発を失くそうという市民活動で、集会の後デモ。32回目とか。約1時間ほどの行進であった。80名ほどが参加していた。ここでまた初めて挨拶兼ねスピーチをした。大学の最終講義以来の聴衆へのアピール体験。わずか数分ではあったがなんで私が今デモ参加者へ向けて語っているのかその臨場感は不思議に思えた。ずーっとデモなんかは私の範疇に無かったのだが。道行く人の反応はどこでも一緒。奇異な目あり、無関心あり、「ああまたか」か、demoしている奴の心情が解らぬ、今更こんなデモして何になる、そしてごく一部なんとなく「やってるね」といった表情の人などと逆に観察しながらのんびり歩いた。       
 
富田林・杉山邸の庭(本文とは関係ありません)  
 「電力足りてる・原発要らない」「賄賂はアカン、廃炉・廃炉」のシュプレヒコール。
 これは上手い。そうだ「ワ(・)イロはアカン。ハ(・)イロだ・ハ(・)イロだ」―当然これは関電への皮肉。
 これからの人生ワハハで行こう。80翁は今更捨てるものがない。一旦こうと決めたらテコ・デモ動かない意志もある。これが人生のご褒美。有為転変を生きてきたからこそ人生の価値あることに身を賭していける勇気も与えられた。そして市民の政治参加は最大のボランテイアであると思った。いつまでも政治家や運動家だけに委ねていてはいけない。
 人生「ワハハ・・・」と笑っていこうではないか。了

私のお題目

2019-12-02 12:32:59 | 日記
記忘庵日誌2019・11・30荻野源吾

私のお題目―日々好日のための
 私は取りたてての信仰者ではない。でも毎日お題目を唱えている。
 そのお題目のテーマはその日の気分で変わる。
お気に入りは例えばPL教団のカレンダーに記されている文言であったり、朝日新聞に連載される「折々のことば」(鷲田清一)であったりといろいろ。

今日は11月30日、「自分の思いは鏡となって現れる」(面倒だと思えば面倒な事、やろうと思って取り掛かれば案外スムーズにことは運ぶ)とある。「よっしゃ、これが今日の題目だ」として一日を過ごす。すると不思議に快適な一日となる。
例えば27日という日のPL暦のテーマは「成功にたまたまはない」(うまくいった、という結果は偶然ではありません.それ相応の積み重ねがあってのことです。感謝し次につなげましょう)とある。なるほど。
21日、「今のすべてがありがたい」(一切が積み重なっての「今」であり、一切が進歩発展する中での「今」です。すべてに感謝しよう。) とある。
これは禅の真髄「即今当処自己」(今ここに生きる)そのものではないか。
まさにその通り。うがった言葉。さすが「人生は藝術である」を標榜する教団。なかなかおおらかで味のあることばを紡いでいきます。
PL教団の姉妹教団「自然社」のカレンダーも味がある。この自然社は高野山の麓、森林の奥深い広大な敷地にひっそりと鎮座している。いつ誰が訪れるともなく。そこに社を守る人がひっそり。信仰の力を見せつけられる。
            
            自然社の奥津城―山頂にあり
さてそれらの宗教談義はさておき、人間は弱い生き物。絶えず何かに頼りたくなる。そんなとき日々の祈りの言葉、あるいは生き方の参考になるテーマや言葉の端々をうまく使うと良い。ことわざ・格言でも良い。人間にはお題目が大事。こうして毎日の生活にリズムをつけ、日々好日でありたい。   了

これって認知症検査

2019-08-31 01:01:05 | 日記
記忘庵日誌2019・8・15荻野源吾
これって認知症検査?オレオレ詐欺の最新版
この半年余りでオレオレ詐欺まがいの体験が二回もあった。
一回目は突然携帯のinfoにドコモ関連の会社からとして注意警告が入った。「あるポータルサイトの年間契約が解除されないままになっているのでこのままでは違約金が課せられるので至急下記へTELせよ」というものであった。
そんなサイトを利用した覚えがなかったがあわてて電話した。一年間の遅滞料と違約金で約23万余となるとのこと。その時点でこれはおかしいと気づいた。「私は利用していない」と電話を切った。何でもK.K.アプラスとか名のった。TELは06-6319-9920 すかさずメモして「警察に通報しますよ」と言ったら急に声を荒げた。すぐ切った。その後電話が何回か鳴ったが無視した。これはまさに情報機器に疎い歳より相手の狡猾な誘いである。何とかのポータルサイトとか言われればひょっとしてそんなこともあったのかと錯覚しかねない。

 二つ目は大阪府警の特殊詐欺担当を名のる女性のすっきりした声での電話であった。とても優し気なしっとりした物言い。
「最近いろんな詐欺事件が増えておりご注意下さい」「ところで何かそんな事件に遭遇されたことはありませんか」というものであった。そこで先回の経緯を説明した。「良かったですね、気づかれて」とねぎらわれた。
この時は親切な警告といった塩梅。しかしよく考えてみるとさて府警の担当者がわざわざ個人宅にこんな注意電話を直接よこすであろうかという疑問が生じた。そこで地元の警察に念のためたずねてみたがそんなことはあり得ないという。さもありなん。
ここでやっとこれも新手の詐欺商法かと自覚した。相手の受け答えの様子を見ながらこれならだましだまし引っ掛けられると試験しているのかも知れない。まるでこれは高齢者運転の認知症検査のごときか。
我々もいつの間にか後期高齢者の一群として詐欺グループの標的になってきたかとの実感。高齢者夫婦の二人暮らし所帯を割り出すのは容易。今までオレオレ詐欺の事は良く耳にしてきたが、まさか我々に身近に迫っているとは思っていなかった。他人事として捉えていたしまさか自分引っかかるとは思ってもみなかった。しかし現実は・・・・。
実害はなかったが危ない。
この自分だけはという意識が危ない。
「自分だけは被害に遭わない・・・災害に逢わない・・・自分だけは・・・」この意識が一番危ないと改めて悟った次第。

やっとわかった。MMTって何。

2019-07-30 16:33:55 | 日記
記忘庵日誌 2019・7・24 荻野源吾
やっと解った―新しい経済論・MMT理論の説く意味
 今回の参議院選挙で大衆の心をつかんだのは山本太郎である。選挙3ケ月前の短期間で、しかもネット情報中心で全国比例230万票まで伸ばした。山本太郎の「れいわ」の政治力が期待される。今までも少し型破りで荒っぽく見える彼の国会闘争であったが、何よりも独りで権力に立ち向かう姿勢は他の議員の100倍の起爆力。孤軍奮闘の彼の国会での闘いに「本音を言う政治家」、「あるべき政治家とは何か」を庶民は考え始めているのではないか。
 彼は例えば今回の選挙戦では「なぜ消費税反対なのか」で一貫して闘った。「凍結」でなく「消費税廃止」の主張である。「消費税上げないで社会保障費は賄えるのか」という今までの疑問、考え方を覆しそれに挑戦した。難しい経済理論でなく分かり易く。
 彼の考え方はMMT(Modern Monetary Theory 現代貨幣理論)とほぼ共通している。
MMT ?これは一体何なのか? 分かり易く解説してみよう。
 今日までの経済学の常識では「お金を増刷すれば金余りになり物価が上がる。いずれハイパーインフレ(超インフレ)になる。つまり「デフレ脱却の手段としての金利引き下げと財政出動では危険。これ以上国家の財政赤字を増やし、国債発行しても大丈夫かとの懸念。借金まみれは困る」と。しかし不思議なことにいつまでたっても緩やかな景気回復基調というばかりでましてやインフレ(金余り)にはならない。どのスーパーに行っても物であふれており、「品不足でいくらお金を積んでも物が買えない」という状況ではない。むしろモノ余り。不思議。こんなにたらふく世にお金が日銀から出回っているにもかかわらず。これは明らかに今までの経済理論は間違っていたことになる。
 新しい経済論MMTでは、従来経済論としての「貨幣は商品」ではなく「負債」であり、物を交換する際の金と紙幣の役割は、「商品貨幣論」から「国家が貨幣を租税の支払い手段として認めるという負債」であるというもの。それゆえに国家のみがこの「負債」を解消できるというもの。よって国民の消費を豊かになるにはまずこの負債としての「税の負担」を取り除く必要がある。つまり「課税」とは望ましくないものを抑制するための手段で、消費税は当然消費を抑制するし、国民を苦しめることになる。またこれによって国家財政の赤字を心配する必要がない。政府は財政支出よりも前に税を徴収したり、国債を発効したりは出来ない。何故なら「お金」は交換の商品ではなく、「負債」であり借金の信用保証なのだから。よってインフレを心配するより国の「借金」の補償としての財政出動が優先されるべきと説く。インフレ圧力が強まるときのみ税負担を上げればよいことになる。
MMTの新しい経済理論は、今までの主流派経済学と比べまさに天動説に対する地動説のようにコペルニクス的転回なのである。なるほどこれで日本でもザクザク国がお金を刷っても一向に金余りにならず、巷には物があふれ、一方市民は税負担でアプアプ、消費が伸びず、かえって景気を悪くするという悪循環。消費税は無用論とはこのことを意味している。それは従来の経済論が古びたことを意味する。参考―米国発「消費増税無用論」の真贋 中野剛志 文藝春秋2019・7月号