■ 権現社(熊野神社)/八尾市黒谷4丁目
権現社の沿革
神社明細書には「慶長年間(一五九六~一六一四)に、熊野権現を勧請した」と書かれている。
寛政二年(一七九〇)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀した。
鎮座地
当初は、黒谷一〇二一番地 山頂に近い常川(伝承)。
その後、黒谷一一四二番地…現在地の南東 約100メートルに遷座。
昭和三年(一九二八)十月三日 現在地に遷座。
昭和十五年(一九四〇)境内を東部に大拡張(約五倍に)して神殿 拝殿 玉垣などを建設、神社の様式を整えた。
昭和六二年(一九八七)神殿を改修、境内を東部に拡張した。
境内にある古い灯籠
南部にある一基は元禄十三年(一七〇〇)
拝殿前の二基は宝暦二年(一七五ニ)
昭和六十二年十月吉日
<境内の石板より>
1)権現社:黒谷地区の氏神で、熊野神社とも言う。熊野権現を祀る。明治5年に教興寺村の天照大神高座神社に合祀されたが、今はもどる。信貴山へ登る古道(信貴道)が神社の南側を通って山道となる。今は、この古道はほとんど消えている。丁石は寛政13年(1801)のものが、寺池そばの三丁石から始まって四、六、七丁石と残っている。
【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】
2)信貴道道標と丁石:旧高野街道の教興寺四つ辻は、高安信貴山道の起点であり道標が2本建っている。南西角の寺川家前の道標は、宝永5年(1708)のもので、市内の建設年次を記した道標としては一番古いものである。南東角の浅田家前の道標は、元治1年(1864)のもので、いずれも信貴山案内のものである。参詣道には一丁毎に丁石が建てられ、今も十数本の丁石が残っていて昔をしのばせる。
【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】
<八尾市観光データベースより>
2015年3月18日撮影
LUMIX DMC-LX100/7shot JPEG(±3)/Photomatix/Elements
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