山はこれから!

爺様の追っかけで。

相馬山南麓への興味③(物見塚~ガラメキ温泉『前編』)

2023-02-24 00:27:51 | 山歩き
群馬県の榛名山中にある「ガラメキ温泉」はその名称のせいもあってか、多くの人の興味を引き付け、探訪に訪れる人が多くいます。
元々宿屋がある温泉場だったのですが、昭和21年に進駐軍(アメリカ占領軍)に相馬山南麓一帯が演習地として接収され、温泉宿の住民が立ち退きを余儀なくされて以降、返還後も復活することなく現在に至っています。

ワタシ自身、大いに興味関心を抱き、数回訪れていたのですが、近々、ガラメキ温泉に生まれ育った方のお話を伺えることになりました。今となっては唯一生存されている方でしょうから、貴重な機会なので、事前にガラメキ温泉に関することを予習ながらに再確認してみました。

温泉宿立ち退きの経緯。
(榛東村誌より)
敗戦・終戦後、米進駐軍が帝国陸軍の予備士官学校があった相馬が原に進駐(キャンプ・ウエア)し、図の広大な地域を演習地として接収しました。
最近のブログなどで「自衛隊の演習地となり、立ち退かされた!」という記する人が見受けられますが、米軍撤収の後に駐屯した「自衛隊の相馬が原演習地」は米軍が接収した図の下の部分だけの狭い範囲だけです。自衛隊の名誉のためにも誤解のないように申し述べておきます。
現在は演習地ではないから、ガラメキ周辺に堂々と立ち入れるわけですしね。

米軍の接収にあたって、県知事宛に出された立ち退き命令は、通告文の日付けから1週間後までに、とのこと。
英文でしょうから県庁で翻訳して、町村役場へ通知文とともに送付。そして住民が知った時は80時間前(3日と8時間)だったそうです。

終戦後、米軍(進駐軍)が相馬が原に駐屯していたこと(昭21~33)、地元でも知らない人が多い昨今です。
(「アメリカさん(進駐軍)」に関する事件やエピソードはいろいろありますが、それは別記)

前置きが長くなりましたが、この春、雪解け後の最初の山行は、足慣らしも兼ねてガラメキ温泉と決めました。

現在多くの人が入る黒岩・鷹ノ巣林道ルートではなく、昭和20年まで、高崎からガラメキ温泉を経てスルス峠を越えて榛名湖畔へ上る往時の主要道(スルス古道)に沿って。
この古道は、相馬が原を通り抜けてたのですが、現在、原っぱの部分は演習地となっているので、そこは辿れません。
しかし古道・廃道マニアのワタシとしては、単にガラメキ温泉に行ければよいというのでなく、なるべく歴史的に古人が歩いた通りの道を辿ることで、古人の気持ちを共有しながら歩きたいというワタシのこだわり。

車での取りつき口としては、松之沢峠へ向かう県道のR2(カーブ)で右に逸れて、採石場へ入っていく道を行くと、広い川原へ出ます。ここは「白川河原」という所。対岸が「古道が通っていた所です。普通自動車は、ここに車を停めて(その先、モトクロスバイクがたくさん入り込んでいるしスパルタン系四駆で入り込む人もいますけど)、古道マニアとしては
「さあ歩こう!」
川を渡った先の四叉路。
左(黄色)が「ガラメキ温泉」方向。
右(青色)は「物見塚」(かつての下り・高崎方向)。
折角来たのだから、古道ルートの中間点である物見塚に立ち寄る。
道はすぐに途切れます。
演習地立入禁止。(正式には、いつも✕ですけど)、特に赤旗が立っている時は「絶対的禁止!」です。「危険な日」です。

物見塚は演習地の外にあります。
かつては、ここから山に入るという位置にある小ピークで、眺望がよく様々な目印ポイントだった丘ですが、ここより下の道が演習場によって寸断されたので、「物見塚」というかつての意義は失われています。今では塚の下は産業廃棄物処理場になっていて、ビジュアル的にも嬉しくない場所です。
ここへ来るのは今日で2回目で、何も見所ないことも知ってるけど、でも登ります。
山腹から、低位部をみる。
頂上は・・・・
かつての「物見塚」という名からは、実に残念。杉の枝で南方角(関東平野方向)のロケが全くない。
今回山頂で見つけた物は😲😱
樹木の皮を剥いたのは誰?
「熊・猪・カモシカ」この辺りに居ることは知っているけど、・・・💦
そして、動物の糞。n?これは誰?ともかく、単独山歩きは危険が大きい!カモシカ以外は出会いたくないですねえ。
と、早急に下丘。戻ります。
先ほどの黄色ルートを進むと、すぐに沢を渡ります。
この沢は「栗の木沢」
先ほどの四叉路を直進する無印の道と並行しています。
この沢はすぐ下流で、本流に合流。
(右側から合流する小さな流れが「栗の木沢」)
左上から流れてくるのは榛名白川の源流ですが、「白川」と呼ばれるのは、正しくはこの「栗の木沢」と合流してから下流のことだそうです。

栗の木沢を渡った先は、九十九折で台地へ登り上げる、通称「七曲り」(実数は6曲がり)ほぼ古道のルートですが、治山工事用にブルで開設され、コンクリート舗装がされた新しい道。2つ目のカーブにある「大山祇命」の石碑。このカーブ地点は間違いなく古道。
この先ガラメキ温泉方面に向かって、工事用に開削された道が続きます。

(この先「スルス峠への古道(ガラメキ古道)」と「ガラメキ温泉」跡については、『後編』に続きます。)











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6 コメント

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演習場 (榛名古道)
2023-04-24 13:45:43
>演習地立入禁止。(正式には、いつも✕ですけど)、特に赤旗が立っている時は「絶対的禁止!」です。「危険な日」です。

「桃泉貯水池の近くからガラメキ温泉に行くことができる」という情報を見たことがありますが、どうみても演習場の中を通っているので、「地元の方はどうやって演習がない日を知るのだろう?」と疑問に思っていましたが、そういうことだったのですね。なお、その道も古道とは違いますが、(縣道28号経由と違って)黒髪神社から榛東村の中だけを通ってガラメキ温泉に行ける利点はあります。
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Unknown (garamekion1000)
2023-04-26 00:57:28
榛東村では毎月、回覧板にて「演習地の使用予定日」が知らされているんですよ😅
射撃場、演習地、それぞれの使用日と、特に火砲使用日、とか。
ともあれ、地元との関係で、悪意のない立ち入りは黙認。赤旗を上がった日は無用なトラブル回避のために絶対に立ち入らない!といううような、暗黙の約束がなされています。(ワラビ等の山菜が豊富な所なので、立ち入る人も少なくないのですが、危険な日以外は黙認されるケースが多いようです)
もともと榛東村民と自衛隊演習地との関係は、文字には出来ないそういう牧歌的な面があるんです。時代とともに、だいぶ薄まってきてはいますけどね。

ともかく、桃泉貯水地から演習地上位部を抜ける道筋は、演習地のはずれでもあるので、危険度はまずなし。農家の軽トラック程度なら通行可能な道筋です。一応出入口には鉄の門があり、立入禁止と表示されてはいますけど、鍵が掛かっていなかったりして・・・(笑)
実際に必要があってこの道を利用する人は、この地域の上野原森林組合の人くらいです。貯水地は集落からはかなり上部のですし、演習地を抜けた場所は、「花水沢」という「栗木沢」の東の支流の上流部で、この辺りは森林組合の植林地です。地形図を見れば分かりますが、ここからガラメキ下の道に出るには、大きな沢を二つ(「入新田(ニュウジッタと読みます)」と「栗木沢」本流)を越えねばなりません。現在の地形図には、東側、栗木沢の先まで記されていますが、途中で途切れています。(古地図では繋がっていました。)この道を西側から辿ってみたことがありますけど、スルス古道から栗木沢への道は、地中が山中の植林地内越えです。その東側は道はしっかり残っています。
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Unknown (garamekion1000)
2023-04-26 01:19:15
ちなみに、昭和40年頃には、桃泉地区の子どもたちは、榛名湖までスケート遊びに行っていたそうです。
(子供達だけで)
しっかりした確認の取材してはいませんが、おそらく桃泉から、演習地内の旧大平開拓地区を通り抜けて物見塚に至り、その後はガラメキ直下を通る旧スルス道を上って行ったものと思われます。直接ではなく又聞きですが、ワタシの同級生の話で「帰り道が真っ暗で、年少の子どもが泣くので嫌だった(宥めるのが面倒だった) !」と。
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Unknown (榛名古道)
2023-05-09 13:49:00
昔の子供たちの行動範囲はスケールがでかい!真っ暗でも身体記憶と勘で帰って来れたのでしょうな。

図を見ていると「七曲り」から「・884」にかけての尾根が通りやすそうに見えるのですが、この尾根上に道が作られなかったのにも理由がありそうです。ちなみに「・884」から登っていくと作業道がありますがこの道沿いに建屋がある地図を見たことがあります。さらに上は岩崖記号沿いに「く」の字になっていますが、この部分には素人には通過できない岩稜があることは行ってみて経験済みです。
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Unknown (garamekion1000(山はこれから))
2023-05-26 19:30:19
返信遅くなりました。
・884ポイントの北側の工事道、栗の木沢上流部の堰堤工事のため開かれた道ですね。工事用の小屋があってであろうと推測される地形になっていますね。
その北側の「く」の字形の崖は、栗の木沢源流点で「白崖」と呼ばれていたようです。・884北の道路から見ても、とてつもない高い崖ですね。
あそこまで踏み入っている貴兄は、素晴らしいです。 ワタシも栗の木沢に沿って遡上して、上流部で右に曲がる流水のある沢(白崖下へ通じる)を見たのですが、正面に見える崖が異様に赤いので、そちらに興味を引かれて直進。(個人的に「赤崖」と名付けています。(笑))
赤崖の東を頑張って登りかけましたが、傾斜もキツイので途中で断念して、下って小堰堤で右岸へ渡り、工事道路へ出て、ガラメキへ。
他の場所でもそうですが、ワタシは「もう一歩」の所で断念することが多々あります。単独行動、脚の疲れ具合、そして危険度を推測する気持ちが起こってしまうんです。
この栗の木沢では、「白崖」まで踏みいること!という課題を残しています。また東の「入新田(ニュウジッタ)」の沢を「上の平」まで辿るのも課題の一つです。
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Unknown (garamekion1000(山はこれから))
2023-05-27 00:22:23
「ここの尾根筋を道にしなかった理由」
(完全に私見ですが・・・)
短距離でピークを目指す登山道なら尾根筋ルートが基本でしょうが、尾根筋は、
・風当たりが強い。
・露岩が多く、時に急登となる。
・左or右に(小さくても)崖がある、馬の背みたいな所は転落の危険。
などがあります。
それでも現在の県道28号線のように山腹が急で下は谷底というならまた違ってくるかもしれません。(松之沢からはそこに一応は旧道筋があったようですけど)
しかしスルス古道が通るこの地区は、日当たりの良い南面で谷との間が幅広く、左右の傾斜が緩やかな地形が続いていて、地図で見る限り尾根筋を登るのとさほど道のりの違いもなく、荷駄を積んだ馬を引いて歩くには良い条件だと思います。馬だって馬の瀬みたいな危険箇所がない道を歩く方が安心でしょう。
風が弱く、日当たりの良い緩やかな坂道を、馬の機嫌も損ねずにのんびり上っていけるルートが七曲りからガラメキへの旧道筋だったと思います。
地形図でみる限り、この周辺の何処よりも安全な快適なルートだったと思います。
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