阿佐ヶ谷の古本屋「元我堂」ナンダ店長日記

下町とモダンが混在する町、阿佐ヶ谷。そこに妙に佇む一軒の古本屋「元我堂」を水曜店主ナンダが見たままに。そのままに。

星新一さんと旅行したい。月へ。

2007-10-16 01:31:06 | 本や文章、本屋について
この秋唯一の出向ける古本イベントかな。
ただいま古書会館で開催中の「アンダーグラウンドブックカフェ」へ。

混雑するであろう和田誠さんとトムズボックスの土井さんのトークショー(参加したかったが…涙)まで時間もあったので、比較的ゆったりと見て回ることができた。よかったー。
今回の目玉は「和田誠ミュージアム」でしょうか。
量もすごいけど、何十年も変わらない画風もすごい。
あのレタリング、描けそうって思うよね?でも描いてみると、、、ちがうのねー。完全なる和田文字。
「科学万博つくばエキスポ'85」の公式ガイドブックのデザインも和田さんだったんだ! 大好きだったなー。夢見てるみたいだったもん。まだ憶えてる。6回ぐらい行ったなあ。ガイドブック買っとけばよかったー!今だと幾らになってたんだろう?って幼稚園児だよ。まだおこづかいも無いよ。
ハガキとか記念コインとかベタなのはオカンがいっぱい買ってたような気がするけど。ああん!オカン!

和田さんは星新一さんの本もいくつかイラスト・装丁を手掛けている。
星新一さんのショートショートは、文章のテンポも小気味で後味もさらっとしていて、なんというかちょっとしたときにパラパラーっと読むのにちょうどいい。
登場人物に名前が無いのがいい。繊細な情景描写が無いのがいい。訴えかけてくるものが無いのがいい。

星新一さんの本を読みたくなるのはこんなとき。
眠くない。けどがっつりした小説やノンフィクションってほど集中できなそう。けどエッセイって気分じゃないな。けど雑誌めくるよりも物語に浸りたい気分。かといって人物に気持ち重ねてしまいそうな文芸もちがう。ネットは長引きそうだし。ビールは無いし。あ、そうだそうだ。星新一さんのが何冊かあったっけ。

という感じ。23時ぐらい。思わず一人の時間が出来たとき。

ところでここでしょっちゅうビールビール言ってますが、実際そんなに飲んでませんよ。
ついつい書いちゃうだけなのよ。書くと飲んだ気になれるから。

うそ。うそうそ。なりません。
ロボットじゃないんだから。

仮暮らしから本暮らしへ、なのかな

2007-10-07 03:27:03 | 本や文章、本屋について
『暮らしの手帖』30号は表紙と”ドーナツとマドレーヌ”特集に惹かれて買う。
やはり表紙が惜しい。月の中に文字を乗っけちゃうのは…。むーー。
マドレーヌ!大好き!でも作ろうって気にはならないのです。美味しいものは美味しいものを作れる人から買うのが結局は良いんです。
そしてふきんの特集。ふきんを馬鹿にしてはいけません。こういうのは、そんなの知ってるって!ということでも、改めて誌面でこうですよ、って言われることで得られる”気付き”があるものですから。

ナンダ唯一の持病、片頭痛の健康コラムがあったので、フムフムと読んだりしたけど
イラストルポライターの内澤旬子さんのエッセイ、『「仮暮らし」をやめて』がよかった。

そうそう、”仮暮らし”的な生活は、特に必要に駆られない限り、すごく楽チンなものなのだ。ということをわたしもその昔知った。

暮らし、になんてちっとも重きを置いていなかった頃。夕ご飯はお酒とつまみでなんとなくごまかし、着替えるためと寝るためにだけ家に帰っていたころ。
思いつきでぱっと旅に出てもそんなに気にせず、気にする人もなく、完全に感覚は””仮暮らし”だった。それが気に入ってもいた。
料理なんて呼べるものはほとんどせず、小麦粉と塩と水を混ぜてバターをひいたフライパンで焼いてみたらすごく美味しくて驚いて、遊びに来てくれたお兄ちゃん夫婦に「これすごい美味しいんだよ!」とそれだけを出した頃。あの時の兄嫁さんの微妙な表情の意味が今は判る。

”仮暮らし”的な生活はものすごく魅力的だ。自分が浮かんでいられるうちは。
内澤さんも、仕事と趣味を”やりたいようにやるだけの日々”のうちは、”そういう生活に疑問も不満も全く抱かなかった”という。
このエッセイには、内澤さんが”仮暮らし”をやめるきっかけが書かれているのだけど、それは読んでください。

今の自分は”仮暮らし”ではないと思う。
そう思えるのは、自分が「おかえり。」と迎える立場になり、料理を振る舞う、というか自分以外の誰かの身体に入っていくものを自分が作るのだ、という逃げられないまっとうな責任感とやらのお陰かもしれない。
こういうきっかけはわりと普通だよね。

「暮らし」をおろそかにしてはいけない。
ふきんだろうが醤油だろうが、”まあ別にどうでもいいと言えばいいんだけど、ちゃんと考えた方が明らかに楽しい”、という物事には、時間と手間をかける価値がある。と今は思う。
オカン世代の雑誌、と思っていた『暮らしの手帖』も、なんだ、結構おもしろいじゃない。

そして、家という物質的なものへの執着は無いけど、住まいという空間は憧れる。
どうせなら自分で家を建てたい。これなら家という所有物もいいな。

笑わない文章

2007-09-24 09:57:32 | 本や文章、本屋について
斧ですかー。。

斧はドワーフがかつぐものです。オーク鬼をやっつけるものです。重たいし危ないし、やめようよね。


『かてきょ』(新風舎)小川 康弘
文章だけで人を笑わせることができるのは、純粋にすごいなあと思う。
変!ヘン!へん!なんだけど、真面目にあほらしくて面白かった!うらやましいセンスだ。
本多勝一さんは『日本語の作文技術』の中で、”文章自体が笑っていると面白くない”というようなことを書いていたが、
この文章は笑っていない。だから面白いのね。

笑われるのではなく、笑わせる人、それが芸人?

熟成する感覚 『彫刻家の娘』

2007-09-12 14:31:57 | 本や文章、本屋について
『彫刻家の娘』(講談社)トーベ・ヤンソン/作 富原眞弓/訳

久々にこんなに強い本を読んだ。

とにかく離れたくないと思った。手放したくない、というのとは少し違う感じがした。
図書館で借りてるわけだけど、とっくに読み終わったのに延長し、返却に行ったのにまたそのまま借りてくる、ということをもう3回も続けている。めいわくなひと!
いい加減買えばいいじゃない。そうだよねごめんなさい。予約が入ってないみたいだから、つい。っていうか何で予約が入ってないんだろう。

ムーミンシリーズのトーベ・ヤンソンさんの自伝的小説とある。
小説といっても、文学的表現うんぬんなんてなんぼのもんじゃいという感じ。

幼い自分が感じたこと、それは当時の自分にしかない感覚でもあるけれど、当時の自分では言葉にし尽くせなかった。
歳月と経験を重ね、多くの言葉を知った今の自分だからこそ、記憶を引っ張り出すという術を知り、感覚が言葉に置き換えられること知った。
昔の自分と今の自分、二人でひとつ。二人で作り出したもの。

ー”ほんとうに大切なものがあれば、ほかのすべてを無視していい。
  そうすればうまくいく。
  自分の世界に入りこみ、目をとじて、おおげさな言葉を休まずつぶやきつづける。
  そのうち確信がもてるようになる。” ー(「石」)

ー”わたしはベッドに横になり、かけぶとんを頭からかぶって、あたたまってくるのを待つ。
  足先まですこしずつ、あたたかさがおりてくる。
 「わたしはいくじなしだ。たった五センチのことで決心がつかなかった」
  いくじなし、このことをおなかにずしりと感じた。
  強烈な感情というものは、どんなものでも、まずおなかで感じるような気がする。
  すくなくともわたしの場合はそうだ。” ー(「流氷」)

感情をむき出しにすることは、悪いことだと思わないけど、ちょいちょいするもんじゃないと思う。ここぞという時にすればいいと思う。
思ったからそうしてるのか、自然とそうなるものなのか、今のわたしは割とへろっとしている。
だからこそ、この本を読むと、良いバランスが保てるのかもしれない。
慰めてくれるわけでも、幸せになれるわけでも、感動するわけでもないこの本は、なんて言うか、一部なんだと思う。
子どもの眼は置いてはきても忘れはしたくない。

ああ、どうしてわたしはヤンソンさんじゃないんだろう?と一瞬思い、その次の一瞬にはやっぱりヤンソンさんじゃなくてよかった。と思う。きっと疲れちゃうだろうから。考えることが多過ぎて疲れちゃうだろうから。
ただ、ヤンソンさんのように、島暮らしはしてみたい。

ー”ヤンソンさんが一年の四ヵ月ほどを過ごす孤島「ぐるっと一周するのに八分もかからない」小さな島には、水道も電気も電話もありません。飲み水のあるなしは生死の問題です。凪の日にはボートで数キロはなれた島に行って、飲み水をもらいます。” ー(「あとがき」富原眞弓)

素敵。今度『島暮らしの記録』も読んでみよう。

知り合いの女の子で、少女版岡本太郎だと思っている子がいるんだけど、そうだ、ヤンソンさんだ。
ヤンソンさんのリアリズムと葛藤の方が近い。あの子は軒先の焼き鳥が焼けるのをつま先立ちで食い入るように眺めながら本当は何を思っていたんだろう?
数十年後に聞いてみたい。

ムーンパワー

2007-08-28 11:36:11 | 本や文章、本屋について
”休みも終わりに近づいた8月28日の宵、東の地平線から欠けた「満月」が昇ってきます。これは月が地球の影にかくされる「月食」。やがて月は完全に隠されて「皆既月食」となります。前回日本で皆既月食が見られたのは2004年5月5日でしたが、全国で見られるのは2001年1月10日以来、実に6年半ぶりのことです。”(AstroArtsより)
>>>http://www.astroarts.co.jp/special/20070828lunar_eclipse/index-j.shtml

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昨日、月を見上げていて「満月は明日だなー」と思っていたのだけど、皆既月食なのね。ドキドキ。

大きくて強い太陽よりも、鏡の前で髪をとく女性のように自らの静かな輝きを放つ月が好き。
それは、月を見上げるということにいくつか大切な想い出があるからなのか、
または月の力でそういう演出がなされるのかは判らない。
いづれにしても、月というものは物語性、創造性で満ち溢れているように思う。
月を見上げているときの人間の表情も、とても美しい。



写真は『つきへいったら』(福音館書店)という絵本。
文はアメリカ人のクロウディア・ルイス。幻想的な構成と抑えた色づかいが素敵な絵は、『たいせつなこと』や『きこえるきこえる』のレナード・ワイズガード。
飾っておきたいぐらい、美しい本です。以下、本文より引用。

---”けれども ぼくが ねむっている あいだも
  つきは まわっていて
  ちきゅうの うみを ひっぱっている。
  ちきゅうの はまべでは
  きょうも しおのみちひきが おこっていることだろう。”

おまけにもひとつ。月の詩を。

---”月光の中を泳ぎいで
  むらがるくらげを捉えんとす
  手はからだをはなれてのびゆき
  しきりに遠きにさしのべらる
  もぐさにまつはり
  月光の水にひたりて
  わが身は瑠璃のたぐひとなりはてしか
  つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに
  たましひは凍えんとし
  ふかみにしづみ
  溺るるごとくなりて祈りあぐ。

  かしこにここにむらがり
  さ青にふるへつつ
  くらげは月光のなかを泳ぎいづ。”   月光と海月『萩原朔太郎詩集 青猫』

”月光と海月”。この世の中でこれ以上のつがいはない、と思う。

うみだ、うみだ~!

2007-08-17 01:59:56 | 本や文章、本屋について
相も変わらず暑いなあ。
日中外へ出ると、なんだか怒られてるみたいな、怒られながら焼き網に乗せられているみたいな、そんな暑さ。
岐阜と埼玉では40度を超したって。。40度。しかし熊谷、恐るべしですよ。

あんまり暑くてぼけーっとしていたら、絶対買おう!と思っていた本を買い逃してしまった。がーん。
福音館書店の<こどものとも>年少版『うみだ、うみだ~!』(テリー・ジョンスン/作・画)。
何にやられたって、ずばりタイトルでしょう。

海を目の前にして、はじめに出てくる言葉といえばやっぱり「うみだ、うみだ~!」だもの。いくつになったってこれだと思うんだ。

そんな気持ちでいっぱいになりながらも、でも今年は海は無理だな…
と思っていたら、友だちが連れていってくれることになった!
やったったったーっ♪
再来週が待ち遠しい!海月に刺されたって別にいいや。泳ぐぞ~。

その頃までにはバックナンバーで手に入れておかねば。
表紙も愉快だよ、これ。飛んでるんだもん。

・。・。・。元我堂はただいま夏期休業中でございます・。・。・。

誰かの世界遺産

2007-07-30 13:03:00 | 本や文章、本屋について
数年前からずっと行きたいな、と思っていて、未だ訪れたことのない場所、白川郷。
霧立ちこめる中にひっそりと建つ合掌作りを、一人で眺めたいと思っているんだけど。

でも最近行ったという周りの人たちからの話を聞くと、ううう~ん?
なんか私の中の、桃源郷のようなイメージとずいぶん違うなあ?

ちょうど、最近読んだ高橋秀実さんのルポ、『からくり民主主義』(草思社)にも白川郷について書いた章があって。
(「忘れがたきふるさと」ー世界遺産観光)
なんとひどい。なんと可哀想…。読んだらすごく切なくなった。。。ふぬ~

世界遺産というのは登録された瞬間から、その本来の魅力、手つかずの自然の美というか、勢いというか、偶然の産物でも何でもいいんだけど、そういういっとう大切なところが少しづつ欠け落ちていってしまうものなのでしょうか。
だとしたら、世界遺産なんて迷惑な話でしょう。でもこれで喜ぶ人ももちろんいる訳だし。むつかしい。

誰のせいでもないんだろうけど。しいて言えば人間のせい?
一定基準を設けるから、安心できるから、そこに群がるんだよね。
自分なりの世界遺産級の風景や場所を持っていればそれでいいじゃんと思うけど。

屋久島もそのうちすごいことになったりするのかな。
元気なお猿さんや鹿たちが住みにくい場所になりませんように。

この本の巻末の解説が、村上春樹さんでちょっと意外だった。
私たちはほんとうに困った世界に生きているのだろうか?

『森と牧場のものがたり』

2007-07-29 11:44:55 | 本や文章、本屋について
普段、お家ではゆっくり本も読めないので、今日は早朝からサンマルクカフェですこしの読書タイム。

『森と牧場のものがたり』(佑学社・1980年)※おはなし画集シリーズ 2
絵 / ヨゼフ・ラダ 文 / ヴィエラ・プロヴァズニコヴァー 訳 / さくまゆみこ

今は無き佑学社が、チェコスロバキアの版元と共同で出版した「おはなし画集シリーズ」。
印刷、製本はチェコスロバキアということで、この中身のざらっとしたした紙質がなんとも素敵。はあ~、となでなでしたくなります。ついでに匂いを嗅いでみたり。。変態ではありません。
端っこが茶色く焼けているのも味わいと思える製本にロマンを感じます。

「はずかしがりやのユリク」という純愛のおはなしにホロリとし、よしうちに帰ってちらし寿司でも作ろう、と前向きな気持ちになれたのでした。今日はうい坊の誕生日。

わっしょい昼市

2007-06-19 14:03:27 | 本や文章、本屋について
梅雨入り宣言も空しく、”真夏日にもなるでしょう”という予想通り、めちゃめちゃ快晴のにちようび。

あつい、あつい。あまりの暑さで大寝坊し出遅れるも、先に行っていた石ころさんと黒船レディさんがすでに出店準備をしてくれていた。ごめんなさい…。
うちらの場所はなんとベリーダンスのステージ(というかただの店先だけど)のとなり。
しかも真正面にはインド料理屋さん。うは~、屋台のいい匂い♪いい匂いだけどちょっと煙過ぎ。本がーー。
開始から30分。すでにかなりの人がビールを手にしている。おわわ。ナンダもまず一杯。
うううう、うまいー。
そのうち熱いバンドのライブも始まり、さらに気温が上がる。
太陽さんも絶好調らしく、ひゃっほー!とガンガン照りつけてくる。
昼市エリアはほとんど日陰がないので、結構辛かった。。
こんな日ですから、みんな帽子は必須という感じ。
実に色んな種類の帽子を見かけたけど、黒船レディさんの麦わら帽子が一番すごかった。
もうほとんど傘みたいで、無敵だった。いいなあ。

しかしほんとに暑いのよー。午後にもなるとお客さんも増えてごったがえし。
売り手はというと、へばってきたけどビールでなんとかエネルギー補給する人や、妙にテンション上がって変な方向いっちゃってる人や、ハンサム食堂の裏を授乳室にしてる人や(←これはワタシ)、その辺で胴上げまで始まり、どんどん先進国日本から離れていくような雰囲気。
運良くテーブルとイスにありつけた誰かさんはしばしうたたね。でもベリーダンスショーが始まるとしっかり起きてセクシーなおねーさんにくぎづけ。…むっ。

古道具屋さんからスプーンを3本とコップ、それと文庫本2冊とチャペックの本を買い、マッコリとビールを2杯飲み、チャパティとビーフ網焼きを食べたら、売上金が消えるどころか完璧に赤よ。
しょーがない。楽しかったからよし。

今回はずいぶん赤ちゃん連れが多かったな。
多いときは4人のママさんが授乳室(←命名)でおっぱいあげてた。
全体としては飲食と古本が入り乱れていたので、ゆっくり本を見る、という感じではなかったけど、あえてそういう雰囲気にしたそうなので、これもまたありなのかもしれない。

まあとにかく太陽ってやっぱりすごいのだった。