学校に言論の自由を求めて!

東京都教育委員会の「職員会議で挙手・採決禁止」通知に、たった一人異議申し立てした元三鷹高校校長の土肥信雄先生を支援します

9.27「学校に言論の自由を求めて!」集会第1部土肥校長の話

2008-10-12 23:02:35 | Weblog

6:50 今までの経過と都教委の実態 ― 

土肥校長

<公開討論を要求>
東京都の教育現場において、言論の自由がなくなっているということを私自身が実感したので、これはどうしてもその原点である挙手採決の禁止の撤回を要求しなければいけないという思いで禁止の撤回を要求した。何回も東京都教育委員会と話し合いを持ってきたが、納得できる回答がなかったので、7月、公開討論を要求した。都教委も私もお互いに生徒のため東京のため、日本のためにやっているので、お互い意見をきちんと言い合って、それで判断してもらいたいと次の三点を要求した。

1.      公開討論をしたい。それでもし駄目なら、

2.      公開討論を要求する記者会見を行ないたい。
(これが八月四日の記者会見)

それでも駄目なら

3.私の方から私の考え方を表明する。それが今日の集会だ。本当は今日は都教委の代表に来てもらって討論し、それを皆さんに判断していただくというのが一番よかったが。

いわゆる挙手採決の禁止通知以前の平成10年(1998年)にすでに職員会議が補助機関化した。その段階で責任と権限含めて最終的には校長が判断するわけだから、ある程度やむをえないことと感じられた。それにも拘らず、急に挙手採決禁止が出て来て、ますます言論の自由がなくなっていくのではと非常に危惧を持った。民主主義を教える学校で、民主主義的に運営されないということは必ず最後に生徒に影響があるだろう。その時は意見を言える状況ではなかった。その後次のようなことが起った。

<私に対する内部告発>

私が今回表に出た一番大きなきっかけだ。それは二つあった。一つは日の丸君が代問題で、18年9月21日の難波判決。当時勤務していた神津高校で原告勝訴の報を聞いて「あれはやりすぎだから、都教委にとっては頭を冷やすいい機会ではないか」と言った。それを内部告発され、都教委批判とされて指導をうけた。

二つ目は米長教育委員(当事)。米長さんについて、ちょっとした批判をした。そうしたら、都教委に呼ばれて、校長が都教委に反対意見を言うとは何事かと言われた。そして「米長氏が三鷹高校に視察に来ると言う。私は教育活動については自信を持っていたので是非来てほしかった。そして米長氏と本当に討論したかったが、結果的に彼は来なかった。これらは私に対する言論弾圧だと思う。

 

<学校現場への言論弾圧>

3年前の校長会で、教育庁から「ある学校の文化祭で、生徒の掲示物を見た一都民から、これは偏った考え方に基づいた掲示物であると指摘があった。校長はこのようなものは注意してほしい」と発言があった。私は即座に手をあげて「それは検閲に当たる恐れがあり、もし裁判になったら勝てるのか?」と質問したところ、回答はあいまいなものだった。私は確かに事実と違うことや差別用語については絶対に認めないが、その内容についてさまざまな見解がある場合は、生徒の意見といえども尊重すべきだ。教育庁の回答を聞いたほとんどの校長はそういうことはできないだろうと判断したと思う。しかしそういう発言を校長会という正式な場で行ったということについては、やはり生徒の言論の自由を奪っていくことになるのではないか。

2年前、私が定時制通信制教育研究会の会長をやっていたときのこと。その研究会で先生方による指導体験発表会があり、発表原稿が提出された。ところが一人の教員の原稿が他の教員の原稿に差し替えられた。その原稿は全く問題のない教科指導についての内容だったのに、都教委からストップがかかった。経緯を聞いたら、その教員が他の雑誌にリベラルな論文を出していたからだという。これは明らかに教員に対する言論統制ではないか。こんなことが実際、挙手採決の禁止後、出てきた。その時に私はすごく恐怖を感じた。このままでは誰かが言わなければ、東京都の教育における言論の自由はどんどんなくなっていく。世界史的に見れば、言論の自由がない国は必ず崩壊している。そうならないように、言論の自由だけは守りたい。その思いで今回立ち上がった。


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