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クラシック音楽を中心にした音楽評論
カメラ時評ほか

池辺晋一郎 音の地平(フィールド)

2015-09-30 05:31:00 | clasic
クラシック倶楽部 2015年9月29日


 池辺晋一郎 音の地平(フィールド)


悲しみの森ーオーケストラのために   池辺晋一郎作曲

       管弦楽:東京交響楽団
       指揮:下野竜也

バイヴァランスIXー2人のトランペット奏者のために 池辺晋一郎作曲

       トランペット:高橋敦、
       トランペット:中山隆崇

軌道エレベーター一声とサクソフォンのために 池辺晋一郎作曲

       カウンターテナー:猫殿
       サクソフォン:須川展也

木に同じくーチェロとオーケストラのための協奏曲 池辺晋一郎作曲

       チェロ:向山佳絵子
       管弦楽:東京交響楽団
       指揮:下野竜也

 [収録:2013年9月15日/東京オペラシティコンサートホール]

画像
  池辺晋一郎

池辺 晋一郎(いけべ しんいちろう、戸籍上は「池邉」が正しい、1943年9月15日 - )は、日本作曲家

茨城県水戸市出身。1963年東京都立新宿高等学校卒業。1967年、東京芸術大学卒業。1971年、同大学院修了。中学・高校時代には、クラリネットを吹いていた経験もある。高校で合唱をしていた際、そこで宇野功芳(音楽評論家)が講師をしていた。東京藝術大学で池内友次郎三善晃矢代秋雄に師事。大学で1年先輩の三枝成彰と親交があり、共に当時の若手作曲家のホープとみなされていた。在学中に書いた室内楽曲「クレパ七章」で注目され、武満徹の目に留まり一時期彼のアシスタントを務めた。8曲の交響曲をはじめとする演奏会用作品の他、黒澤明今村昌平の監督作品をはじめとする映画音楽校歌NHK大河ドラマ[注 2]やアニメ『未来少年コナン』などのテレビ番組の音楽も多く手がけている。

また、アマチュア音楽界、特に合唱とは深い関係を持っている。全日本合唱連盟の役員を長年務める一方で、1984年に混声合唱組曲「悪魔の飽食」を神戸市役所センター合唱団の委嘱で作曲したことがきっかけとなって、うたごえ運動とも交流がある。全日本吹奏楽コンクールの課題曲もたびたび委嘱されて作曲している。2007年より、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督を務め、イベントの際には舞台上で短いトークを披露する。

N響アワー』(NHK教育テレビ)に2009年3月までの13年間司会者として出演した。日本作曲家協議会元会長。日本音楽作家団体協議会元会長。東京音楽大学教授。2007年4月1日より横浜みなとみらいホール館長。ダジャレ好きで有名。広島カープファン。女優の香川京子は父の従妹である。

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オーケストラの夜明け~山田耕筰管弦楽曲選~

2015-09-29 06:47:53 | clasic
クラシック倶楽部 2015年9月28日


オーケストラの夜明け~山田耕筰管弦楽曲選~

 2015年没後50年を迎えた山田耕筰。

序曲二長調   山田耕筰作曲

交響詩「曼荼羅の華」  山田耕筰作曲

交響曲へ長調「かちどきと平和」  山田耕筰作曲

   指揮:広上淳一
   管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 [収録:2015年2月28日/NHKスタジオ]

  山田耕筰

山田 耕筰(やまだ こうさく、Kósçak Yamada、1886年明治19年)6月9日 - 1965年昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家指揮者山田 耕作としても知られる。

日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団レニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。軍歌の作曲も多く手がけている。

東京府東京市本郷(現在の東京都文京区)の医師キリスト教伝道者の父の下に生まれる。1896年、10歳の時に実父を亡くす。実父の遺言で、巣鴨宮下(現在の南大塚)にあった自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、13歳まで施設で苦学する。1899年、13歳のとき、姉のガントレット恒を頼り岡山養忠学校に入学[1]。姉の夫のエドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきをうける。14歳のとき、関西学院中学部に転校。同本科中退を経て1904年、東京音楽学校予科入学、1908年、東京音楽学校(後の東京藝術大学)声楽科を卒業。

1910年(明治43年)から3年間、三菱財閥の総帥岩崎小弥太の援助を受けてドイツ・ベルリン音楽学校(現在のベルリン芸術大学)作曲科に留学し、マックス・ブルッフなどに学ぶ。ベルリン時代の1912年大正元年)には日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲した。

帰国後の1914年(大正3年)に、岩崎が1910年に組織した東京フィルハーモニー会の管弦楽部首席指揮者を任されるが、自身の恋愛問題により岩崎が激怒し、資金源を断たれて翌年解散する羽目となる。1917年には渡米し、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開く。1920年(大正9年)12月には帝国劇場においてリヒャルト・ワーグナーの「タンホイザー」の一部などを日本初演。

1924年(大正13年)には近衛秀麿と共にハルビンのオーケストラ楽員と日本人楽員を交えたオーケストラの演奏会「日露交歓交響管弦楽演奏会」を主宰、これを母体に近衛と日本交響楽協会を設立。これは現在のNHK交響楽団の前身であるが、不明朗経理を理由に内紛が勃発。黒柳徹子の父・黒柳守綱ら4名を残し大部分の楽員は近衛と行動をともにしたため、山田派は崩壊した。弟子には内田元らがいる。

1921年文化学院音楽科主任となる。1926年、40歳の頃、湘南の茅ヶ崎町に居を構える。オーケストラ楽団の失敗により多額の借金を抱えていたが、同地で再起。「赤とんぼ」などの童謡名曲が数々生まれる[2]

1930年(昭和5年)、耕作から耕筰へと改名(後述)。1936年(昭和11年)にはレジオンドヌール勲章受章。1937年(昭和12年)には相愛女子専門学校(現・相愛大学)教授に就任。戦時体制が色濃くなった1940年(昭和15年)には演奏家協会を発足させ、自ら会長に就任する。同年11月にオペラ「黒船」(当初の題名は「夜明け」)を初演。また皇紀2600年奉祝演奏会ではジャック・イベールの新作「祝典序曲」を指揮する。1941年(昭和16年)、情報局管轄下の「日本音楽文化協会」発足、副会長に就任、また音楽挺身隊を結成してしばしば占領地での音楽指導にも携わる。将官待遇となりしばしば軍服姿で行動したため、後の「戦犯論争」の槍玉に挙げられることとなる。1942年(昭和17年)に帝国芸術院会員に選出。1944年(昭和19年)には日本音楽文化協会会長。

終戦後、自身の戦時中の行動に関して、東京新聞音楽評論家山根銀二との間に戦犯論争が勃発[3]。論争が収まった頃の1948年(昭和23年)に脳溢血で倒れ、以後体が不自由となる。1950年(昭和25年)、日本指揮者協会会長に就任し、また放送文化賞を受賞。1956年(昭和31年)、文化勲章を受章。離婚・再婚を機に戸籍上の名前も「耕筰」と改める。なお、サインには“Kósçak Yamada”という綴りを使っていた。

 
1956年

1965年(昭和40年)11月初旬、耕筰は聖路加国際病院に入院していたが、家族が東京都世田谷区成城5丁目に広壮な洋館風の邸宅を借りる。同年12月4日、耕筰は成城の自宅に退院してくる。12月29日、自宅2階の南向き10畳間で耕筰は心筋梗塞により死去。79歳没。

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ピエール・ロラン・エマール ピアノ・リサイタルほか

2015-09-28 04:11:24 | clasic
クラシック倶楽部 2015年6月29日


 ピエール・ロラン・エマール ピアノ・リサイタルほか


前奏曲集 第2巻  ドビュッシー作曲

弦楽四重奏曲ハ短調 断章D.703  シューベルト作曲

   ピアノ:ピエール・ロラン・エマール

   バイオリン:吉岡麻貴子
   バイオリン:横山若加子
   ビオラ:小林明子
   チェロ:長谷部一郎
 
 [収録:2012年10月20日/島根県川本町悠邑ふるさと会館]

  ピエール・ロラン・エマール

 1957年フランスのリヨン生まれ。パリ音楽院でイヴォンヌ・ロリオに、ロンドンでマリア・クルチョに師事。1973年メシアン国際コンクールに優勝し、弱冠19歳でピエール・ブーレーズからアンサンブル・アンテルコンタンポランのソロ・ピアニストに指名された。1980年代半ばから、親しかったジョルジ・リゲティの全作品の録音に加わるとともに、練習曲数曲を献呈された。
 ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、ロンドン響、ニューヨーク・フィルなどの一流オーケストラや、サイモン・ラトル、ニコラス・アーノンクール、エサ=ペッカ・サロネンら時代をリードする指揮者と共演を重ねている。
 近年ではカルト・ブランシュ(演奏家に自由なプログラミングを託すコンサート)や音楽祭のプロデュースを任されることも多く、2008年にはサウスバンク・センターのメシアン生誕100年祭を企画し注目を集めた。翌年には、オールドバラ音楽祭の芸術監督に就任し、魅力あふれるダイナミックなプログラミングにより、聴衆や音楽評論家から大喝采を浴びた。ケルン音楽大学とパリ音楽院で後進の指導にも励んでおり、2009年には由緒あるパリのコレージュ・ド・フランスで講座やセミナーを受け持つなど、多彩な活動を展開している。

 日本では、「ル・プロジェ・エマール」をトッパンホールで展開。オリジナリティあふれるリサイタルのほか、充実したワークショップなどが大きく注目されている。
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神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会

2015-09-27 05:09:42 | clasic
クラシック音楽館 2015年3月29日


 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会


1.ウェーバーの主題による交響的変容  ヒンデミット作曲

2.クラリネット協奏曲第1番へ短調作品73  ウェーバー作曲

3.交響曲第2番ハ短調作品17  チャイコフスキー作曲

  管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
  クラリネット:アンドレアス・オッテンザマー
  指揮川瀬賢太郎

 [収録:2015年2月20日/横浜みなとにらいホール]

  川瀬賢太郎

川瀬賢太郎(常任指揮者)

1984年東京生まれ。
私立八王子高等学校芸術コースを経て、2007年東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻(指揮)を卒業。これまでに、ピアノ及びスコアリーディングを島田玲子、指揮を広上淳一、汐澤安彦、チョン・ミョンフン、アーリル・レンメライトの各氏に師事。2005年レインボウ21デビューコンサート2005(サントリーホール)に出演。
2006年10月に行われた東京国際音楽コンクール<指揮>において1位なしの2位(最高位)に入賞し、2007年3月には入賞者デビューコンサートで神奈川フィルハーモニー管弦楽団および大阪センチュリー交響楽団を指揮。
その後、東京交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、札幌交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団を始め、各地のオーケストラから次々に招きを受ける。また、2009年6月群馬交響楽団定期公演定期公演に、2010年東京フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期公演にそれぞれデビューを果たす。
2012年1月には、細川俊夫作曲 平田オリザ演出、オペラ「班女」広島公演にてオペラ デビューをし、好評を博す。
海外においても2008年に引き続き2011年2月にもイル・ド・フランス国立オーケストラと共演、また、2012年10月にはユナイテッド・インストゥルメンツ・オヴ・ルシリンと細川俊夫作曲モノドラマ「大鴉」オランダ初演の大役を果たす。
2007年~2009年パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)アシスタント・コンダクター。
2011年4月より名古屋フィルハーモニー交響楽団 指揮者に就任。八王子ユース弦楽アンサンブル音楽監督。2014年4月神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者に就任。三重県いなべ市親善大使。
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ウェールズ弦楽四重奏団演奏会~群馬県明和町公開収録~

2015-09-26 05:10:41 | clasic
クラシック倶楽部 2015年9月25日


 ウェールズ弦楽四重奏団演奏会~群馬県明和町公開収録~


ミュンヘンARD国際音楽コンクールにて38年ぶりの日本人入賞となった気鋭の若手カルテットの登場です。

ディヴェルティメント K.138   モーツアルト作曲

六つのパガテル  ウェーベルン作曲

弦楽四重奏曲「不協和音」K.465   モーツアルト作曲

  バイオリン:崎谷直人
  バイオリン:三原久遠
  ビオラ:横溝耕一
  チェロ:富岡廉太郎

 [収録:2015年7月12日/明和町ふるさと産業文化館]

  ウェールズ弦楽四重奏団

ウェールズ弦楽四重奏団

img_20130109-131858.jpg

ウェールズ弦楽四重奏団

Verus  String  Quartet

 

凬谷直人  ヴァイオリン

Naoto Sakiya, violin 

三原久遠  ヴァイオリン

Hisao Mihara, violin 

横溝耕一  ヴィオラ

Koichi Yokomizo, viola 

富岡廉太郎  チェロ

Rentaro Tomioka, cello

 

桐朋学園の学生により2006年に結成。軽井沢八月祭、宮崎国際音楽祭、プロジェクトQ、JTが育てるアンサンブルシリーズ他、国内の多数の演奏会、音楽祭に参加。2008年ミュンヘンARD国際音楽コンクールにて第3位、日本人の団体として東京クヮルテット以来38年ぶりの入賞を果たす。2009年日本音楽財団の協力で王子ホールにて正式なデビュー公演を行う。原田幸一郎、東京クヮルテットのメンバー等から指導を受ける。

 

2010年春より拠点をスイス・バーゼルに移し、バーゼル音楽院にてライナー・シュミット(ハーゲン四重奏団)のもとで研鑽を積む。南仏ボニユー音楽祭、ドイツ・ヴェストヴェーク現代音楽シリーズ、ドイツ・ボイゲン城でのコンサートへの出演など、ヨーロッパでも活動の場を広げている。2010年ボザール・トリオの創設者メナヘム・プレスラーと共演、京都青山音楽賞受賞。2011年バーゼル・オーケストラ協会(BOG)コンクールにて"エクゼコー"賞受賞、第7回大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門第3位。2008、2010、2011年度、松尾学術振興財団より助成を受ける。

 

2012年6月バーゼル音楽院を終了し、2013年2月より拠点を日本に活動。3月東京・春・音楽祭に出演。4月にはHakuju Hallにて行われた藤倉大の個展にて弦楽四重奏曲第2番「フレア」(2010)を演奏し好評を博す。さらに10月には紀尾井ホール主催公演にて本格的なリサイタルを予定している。2014年2月には、2008年同じくミュンヘンARD国際音楽コンクールで第3位入賞のクラリネットの金子平との共演も予定されている。2014年春からはHakuju Hallにて新シリーズを計画中。

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米元響子 バイオリン・リサイタル~長野県茅野市 公開収録 

2015-09-25 04:58:03 | clasic
クラシック倶楽部 2015年9月24日


 米元響子 バイオリン・リサイタル~長野県茅野市公開収録


バイオリン・ソナタ変ホ長調作品18  リヒヤルト・シュトラウス作曲

  バイオリン:米元響子、ピアノ:佐藤卓史

レチタティーボとスケルツォ  クライスラー作曲

  バイオリン:米元響子

ワルツ・スケルツォ 作品34  チャイコフスキー作曲

  バイオリン:米元響子、ピアノ:佐藤卓史

サン・サーンスの「ワルツ形式の練習曲」による奇想曲  イサイ作曲

  バイオリン:米元響子、ピアノ:佐藤卓史

  [収録:2014年10月31日/茅野市マルチホール]

  米元響子

米元 響子(ヴァイオリン) 
Kyoko Yonemoto, violin



米元 響子(ヴァイオリン)

 桐朋学園「子供のための音楽教室」で鈴木亜久里氏に師事。のちに海野義雄氏に師事した。
1997年パガニーニ・コンクール(イタリア)において、史上最年少13歳で入賞。その後、日本音楽コンクール、モスクワ・パガニーニ・コンクールで優勝を飾る。ほかに、ロン=ティボー、エリザベート、フリッツ・クライスラー・コンクールでも上位入賞。2003年パリに移り、ジェラール・プーレに師事。マーストリヒト音楽院(オランダ)でボリス・ベルキンに師事し、修士課程修了。2008年には、最も将来性のある若手音楽家に与えられる「出光音楽賞」を受賞した。

 2008年、トスカーナ(イタリア)で、ヴィオラのユーリ・バシュメットとモーツァルト:協奏交響曲で共演。2009年には、モスクワ音学院大ホールにて、モスクワ国立交響楽団とパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番を演奏。2010年、再びモスクワのクレムリンで、ピンカス・ズッカーマンとヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番で共演。いずれも好評を博している。近年は、シエナ・アカデミア・キジアーナ(イタリア)にも参加しており、2012年のウィンター・シリーズに招かれ、ブラームスのソナタ全曲を演奏した。

 これまで、国内外のオーケストラと多数共演しており、これまでに、チョン・ミュンフン、ユーリ・バシュメット、エリアフ・インバル、ロベルト・ベンツィ、ハンス=マルティン・シュナイト、セルゲイ・シュタドラー、小林研一郎、広上淳一、パスカル・ヴェロら著名指揮者らと共演を果たしている。リサイタルや室内楽の公演でも、ヨーロッパ・日本を中心に活躍している。

 2012年からマーストリヒト音楽院(オランダ)にて教授として後進の指導にあたっている。ベルギー在住。



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大阪府羽曳野市 公開収録~川田知子 中野振一郎 デュオ・リサイタル

2015-09-24 03:59:51 | clasic
クラシック倶楽部 2015年9月23日


  大阪府羽曳野市 公開収録


バイオリンと通奏低音のためのソナタ イ長調作品5第9     コレルリ作曲

バイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1021     バッハ作曲

バイオリンの伴奏つきチェンバロ・ソナタ ト長調K.27    モーツアルト作曲

バイオリンと通奏低音のためのソナタ 二長調作品5第8     ルクレール作曲

バイオリンとチェンバロのためのソナタBWV1014から第3楽章   バッハ作曲


          バイオリン:川田知子
          チェンバロ:中野振一郎
 
[収録:2013年9月22日/羽曳野市立生活情報センターLICはびきの]
  
  川田知子
川田知子の画像
 川田知子かわだ ともこ1968年6月29日 - )は、東京生まれのヴァイオリニストである。

4歳からヴァイオリンを始めた。1983年、練馬区立三原中学校3年生の時、第37回全日本学生音楽コンクール東京大会で奨励賞を受賞。1985年、東京芸術大学付属高校に進み、田中千香士に師事、1988年、東京芸術大学に入学。1989年、第36回パガニーニ国際コンクールに5位入賞。在学中、アスペン音楽祭(1989年)、東京室内ソロイスツのメンバーとしてアンカレッジ音楽祭(1990年)、キジアーナ音楽院室内楽サマーコースに参加した。1991年、東京芸術大学を首席で卒業。それまでコンクールでの優勝歴はなかったが、同年の第5回ルードヴィヒ・シュポア国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した。大学在学中から、原田幸一郎堀正文に師事する。
 1992年1月、NHK交響楽団「若い芽のコンサート」で同楽団と共演してデビューし、5月にはバルセロナ市立管弦楽団日本公演で共演する。また、同年、サントリーホール(小ホール)でリサイタルデビューも果たす。1993年にデビューCDをリリースした。1994年、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団と共演し、1999年、同楽団の定期演奏会に招かれて演奏した。2006年から2009年まで、神戸国際芸術祭に4年連続出演。国内では、Kitaraホールカルテットイシハラ・リリック・アンサンブルジャパン・チェンバー・オーケストラ鎌倉芸術館ゾリステンのメンバーとして活動する。

 



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伊東恵 戸田弥生 伊東裕演奏会~熊本県 荒尾市~

2015-09-23 05:07:06 | clasic
  BSプレミアム クラシック倶楽部 2015年9月22日
 
 
 



  伊藤恵 戸田弥生 伊東裕演奏会~熊本県 荒尾市~ 
 
 

ピアノ三重奏曲 変ロ長調 作品97 ”大公”    ベートーベン作曲
 

ピアノ三重奏曲 第1番から 第2楽章     メンデルスゾーン作曲
 
 

             ピアノ:伊藤恵
             バイオリン:戸田弥生
             チェロ:伊東裕
 

  [収録:2012年9月30日/荒尾総合文化センター]
 
 

  伊藤恵

 1959年生まれ。日本のピアノ奏者。東京芸術大学音楽学部器学科・准教授。愛知県名古屋市出身。
 桐朋女子高等学校、ザルツブルク・モーツアルテウム音楽大学、ハノーファー国立音楽大学で学ぶ。有賀和子、ハンス・ライグラフに師事。
 1983年ミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝し、バイエルン国立管弦楽団と共演(指揮・ヴォルフガング・サヴァリッシュ)注目を集める。
 以来現在に至るまで、リサイタル・室内楽・伴奏など、多くの演奏会を重ねる。協奏曲演奏においても、国内外の多くのオーケストラと共演しており、そのいくつかはライブ録音として残されている。
 シューマンを非常に愛好しており、しばしばそれを公言している。かってNHK番組のインタビューで「シューマンは恋人」と語ったこともあった。
 フォンテック・ラーベルに多くのCD録音を残している。その中には「シューマ二アーナ」と題された、シューマンの全ピアノ作品録音も残されている。
 ジャン・フルネの指揮活動引退コンサートにソリストを務め、東京都交響楽団とモーツアルトのピアノ協奏曲第24番を演奏した。
 

  戸田弥生
 1968年福井市生まれのバイオリニストである。
 4歳からバイオリンを習い始める。地元福井市の六条小学校に通いながら、1979年、小学校6年生の時、第33回全日本学生音楽コンクール全国大会小学校の部で第1位を受賞した。中学校も福井市の足羽第一中学校に通ったが、1983年、単身で上京して堀米ゆず子宅に下宿しながら、桐朋女子高等学校音楽科に入学し、江藤俊哉に師事した。1985年、高校3年生の時、第54回日本音楽コンクールで第1位を受賞した。1986年、桐朋学園大学に進み、日本国際音楽コンックールで第3位を受賞した。1988年、第1回淡路島国際室内楽コンクールのプロ部門で第1位、モントリオール国際コンクールで第6位を受賞した。
 1992年、アムステルダムのスウェーリンク音楽院に留学し、ヘルマン・クレッバースに師事した。1993年、エリザベート王立国際コンクールで第1位を受賞した。1994年、第4回出光音楽賞を受賞。1995年、オランダの作曲家トリスタン・コイリスからバイオリン協奏曲第2番を献呈され、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と初演を行った。1996年、ジュリアード音楽院から、「ディレイ・スカラーシップ」を得て、1年間同音楽院に留学し、ドロシー・ディレイに師事した。1997年、ニューヨークでリサイタルを開き、ニューヨークデビューを果たした。
 2003年3月に長男を出産。2005年、エリザベート王妃国際コンクールと日本音楽コンクールにおいて、バイオリン部門の審査員を務めた。同年、ストラスヴァリウスの貸与期間が満了を迎え、その後、上野製薬から1740年製ピエトロ・グァルネリの貸与を受けた。2005年12月に長女を出産し、2人の子に恵まれた。2006年から同志社女子大学音楽学部非常勤講師に就任する。
 

  伊東裕
 6歳よりチェロを始める。奈良県立奈良高等学校を経て、現在東京芸術大学1年在学中。
 2002年第4回日本演奏家コンクール小学生部門1位、及びグランプリ受賞。
 2004年第4回泉の森ジュニアチェロコンクール小学生部門金賞。
 2005年同コンクール中学生部門金賞。相愛音楽教室オーケストラ入室。
 2006年より毎年、京都フランス音楽アカデミーにて P・ミュレールのマスタークラスを受講。同アカデミー推薦にて京都リレーコンサートに出演。
 第7回大阪国際音楽コンクールチェロ部門1位、及びジャーナリスト賞、大阪知事賞受賞。
 2008年第77回日本音楽コンクールチェロ部門1位、及び徳永賞受賞。
 2010年サイトウキネン「若い人のための室内楽勉強会」第1回生駒国際音楽祭マスタークラス、コンサートに参加。
 大阪センチュリー交響楽団、長岡京室内アンサンブル、関西フィルハーモニー等と共演。
 2011年度(財)ヤマハ音楽振興会音楽支援奨学生。
 これまでに、斎藤建寛、向山佳絵子、山崎伸子らに師事。
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青森県弘前市 滝千尋 金子三勇士 デュオ・リサイタル

2015-09-22 04:24:34 | clasic
BSプレミアム クラシック倶楽部 2015年9月21日
 
 
 



  青森県弘前市 滝千春 金子三勇士 デュオ・リサイタル
 
 


 ハンガリー舞曲 第5番             ブラームス作曲
                          ヨアヒム編曲
 

         バイオリン:滝千春
         ピアノ:金子三勇士
 

 ピアノ・ソナタ                 バルトーク作曲
 
         ピアノ:金子三勇士
 

 バイオリン・ソナタ第2番二長調作品94a    プロコフィエフ作曲
 

         バイオリン:滝千春
         ピアノ:金子三勇士
 

 ルーマニア民俗舞曲               バルトーク作曲
 

         バイオリン:滝千春
         ピアノ:金子三勇士
 

  [収録:2013年6月9日/弘前市文化会館]
 
 

  滝 千春
滝 千春(ヴァイオリン)
 1978年生まれ。2001年、ノヴォシビルスク国際バイオリンコンクール(ジュニア部門)で第1位。2002年4月、フランスで開催の「若い音楽家のためのメニューイン国際バイオリンコンクール」(ジュニア部門)で第1位。9月には桐朋学園音楽部門創立50周年記念演奏会にて小澤征爾指揮、桐朋OBオーケストラと共演。2003年9月には、「京都の秋、音楽祭」で大友直人/京都市交響楽団と共演およびソロ・リサイタルを行い好評を博す。
 2004年、ゲルト・アレブレヒト/読売日本響、神奈川フィル、渡辺一正/新日本フィル、渡辺一正/東京フィル、大友直人/東京響、円光寺雅彦/大阪フィルとの共演、また飯森泰次郎/関西フィル定期演奏会に出演し絶賛を博した。
 2005年6月には、ユーベル・スダーン/東京響、8月には、円光寺雅彦/読売日本響、そして、2006年5月には飯森範親/東京交響楽団と共演。
 2007年1月には小林研一郎/日本フィル、3月にはバイロン・フィデチス/山形交響楽団、8月にはシズオ・クワハラ/名古屋フィル、飯森範親/大阪フィル、そして円光寺雅彦/東京交響楽団と共演。2008年5月にはギリシャにおいて、レオシュ・スヴァロフスキー指揮アテネ国立交響楽団との共演。
 2008年8月には東京の紀尾井ホールで清水和音との共演でデビュー・リサイタルを行い、高い技術と音楽性で実力を発揮した。10月にはドイツのパッサウでニーダーバイエルン交響楽団とブラームスを共演し好評を博す。
 これまでに上西玲子、辰巳明子各氏に師事。2005年3月、桐朋女子高等学校音楽部卒業。
 現在はチューリヒ音楽大学でザハール・ブロンに師事している。将来最も期待されている新星バイオリニストの一人である。
 
 
  

【 金子 三勇士 】


金子三勇士

1989年、日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれる。
6歳よりハンガリーのピアノ教育第一人者チェ・ナジュ・タマーシュネーに師事、単身ハンガリーに留学し祖父母の家よりバルトーク音楽小学校に通う。1997年と2000年に全国連弾コンクールで優勝し、2001年には全国ピアノコンクール9~11歳の部で優勝。
2001年(11歳)飛び級で国立リスト音楽院大学ピアノ科に入学、エックハルト・ガーボル、 ケヴェハージ・ジュンジ 、ワグナー・リタの各氏に師事。
2006年(16歳)、ピアノ科全課程修了とともに日本に帰国。東京音楽大学付属高等学校2年に編入し、清水和音、迫昭嘉、三浦捷子の各氏に師事。
2009年シャネル ピグマリオン・デイズ アーティストに選ばれ、銀座シャネル・ネクサス・ホールにて定期的にリサイタルを行う。
2010年10月にリリースされたデビューアルバム「プレイズ・リスト」はレコード芸術誌の特選盤に選ばれた。
2011年第12回ホテルオークラ音楽賞を受賞。2012年第22回出光音楽賞を受賞、また優れた若手芸術家を支援するために設立されたアーカイム日露友好協会の奨学生となる。
これまでに小林研一郎指揮/読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団(現日本センチュリー交響楽団)、下野竜也指揮/京都市交響楽団などと共演、また広上淳一指揮/東京音楽大学シンフォニーオーケストラのヨーロッパ公演のソリストに選ばれ、ミュンヘン、ウィーンにてリストのピアノ協奏曲第2番を演奏し好評を博した。
その他、今までにハンガリー、アメリカ、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、ギリシャ、ルーマニア、チェコ、ポーランド、ロシア、中国などで演奏活動を行なう。
東京音楽大学ピアノ演奏家コースを首席で卒業し、現在東京音楽大学大学院器楽専攻鍵盤楽器研究領域に在席中。
23歳の新星ピアニストとして今後の活躍が期待されている。
スタインウェイ・アーティスト。

2005年 7月 バラッシャジャルマット国際コンクール グランプリ優勝
2005年10月 コンツェルテウム・ギリシャ国際コンクール優勝
2006年 1月 シンメルUSASU 国際ピアノコンクール優勝(米国)

2008年 3月 バルトーク国際ピアノコンクール優勝        
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N響コンサート 第1814回定期公演

2015-09-21 04:03:41 | clasic
クラシック音楽館 2015年9月20日


 N響コンサート 第1814回定期公演


 京都市交響楽団の常任指揮者で、日本を代表するマエストロの一人、広上淳一の登場です。
ラフマニノフの名曲「ピアノ協奏曲第3番」でソリストを務めるのは、ロシアン・ピアニズムの継承者と呼ばれる名手、ニコライ・ルガンスキー。広上さんとはこれまでにも共演を重ねており、厚い信頼関係を築いています。

 1.ピアノ協奏曲 第3番 二短調作品30  ラフマニノフ作曲

 2.交響曲 第8番 ト長調作品88  ドボルザーク作曲

  管弦楽:NHK交響楽団
  ピアノ:ニコライ・ルガンスキー
  指揮:広上淳一

 [収録:2015年9月11日/NHKホール]

  ニコライ・ルガンスキー


 ニコライ・ルガンスキーNikolai Lvovich Lugansky,Луганский, Николай Львович 1972年4月26日 モスクワ - )はロシアピアニスト。タチアナ・ケストナー、タチアナ・ニコラーエワ、セルゲイ・ドレンスキーらに師事。正確無比な演奏技巧、安定した演奏技巧と豊かな情緒が特徴的で、とりわけラフマニノフ作品の解釈で知られており、世界各地でオーケストラと共演を続けるほか、1994年チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門における(1位なしの)2位を頂点に、数々の世界的な音楽コンクールでも優れた業績を残してきた。1992年ザルツブルクモーツァルテウムより最優秀ピアニストとして表彰された。現在はモスクワ音楽院で教鞭を執る。
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