クラシック音楽館 2014年6月8日
N響コンサート 第1779回定期公演
1.「ペールギュント」組曲 第1番作品46 グリーグ作曲
2.交響曲 第2番変ロ長調作品15 スヴェンセン作曲
3.交響曲 第2番二長調作品43 シベリウス作曲
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ネーメ・ヤルヴィ
[収録:2014年4月18日/NHKホール]
ネーメ・ヤルヴィ
ネーメ・ヤルヴィは1937年生まれ、エストニア出身の指揮者。
旧ソ連時代のタリン出身。タリン音楽院で打楽器と合唱指揮を学んだ後、レニングラード音楽院に進んでエフゲニー・ムラヴィンスキーに師事。タリン音楽院に在学中にはエストニア放送交響楽団(現在のエストニア国立交響楽団)で打楽器奏者として活躍した。その後指揮者に転じ、エストニア放送交響楽団、エストニア国立歌劇場の音楽監督を歴任。1971年に聖チェチーリア国立音楽院国際指揮者コンクール首位受賞。
1980年にアメリア合衆国に出国。1982年より2004年までイェーテボリ交響楽団首席指揮者。また、1990年より2005年までデトロイト交響楽団音楽監督。1995年9月より日本フィルハーモニー交響楽団客員主席指揮者。現在、2005年よりニュージャージー交響楽団音楽監督とハーグ・レジデンティ管弦楽団主席指揮者。
ヤルヴィは、カラヤン以後の世代で最も録音数の多い指揮者として記憶と記録に残されている。厖大なレパートリーの中でも、ロマン派音楽と20世紀音楽の解釈が知られ、フランツ・シュミットの交響曲全曲録音は、この作曲家の名声の復活と、国際的な普及に貢献した。エストニア音楽の庇護者でもあり、エドアルド・トゥビンやアルヴォ・ペルトの録音も有名で、ペルトの「クレド」は1968年にヤルヴィの指揮で初演された。
客演先は膨大で手広く指揮している。その中でもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは親密な関係を築いており、ほぼ毎年のように客演しており、レコーディングも行っている。単身で来日し、日本フィルハーモニー交響楽団も指揮したことがある。
N響コンサート 第1779回定期公演
1.「ペールギュント」組曲 第1番作品46 グリーグ作曲
2.交響曲 第2番変ロ長調作品15 スヴェンセン作曲
3.交響曲 第2番二長調作品43 シベリウス作曲
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ネーメ・ヤルヴィ
[収録:2014年4月18日/NHKホール]
ネーメ・ヤルヴィ
ネーメ・ヤルヴィは1937年生まれ、エストニア出身の指揮者。
旧ソ連時代のタリン出身。タリン音楽院で打楽器と合唱指揮を学んだ後、レニングラード音楽院に進んでエフゲニー・ムラヴィンスキーに師事。タリン音楽院に在学中にはエストニア放送交響楽団(現在のエストニア国立交響楽団)で打楽器奏者として活躍した。その後指揮者に転じ、エストニア放送交響楽団、エストニア国立歌劇場の音楽監督を歴任。1971年に聖チェチーリア国立音楽院国際指揮者コンクール首位受賞。
1980年にアメリア合衆国に出国。1982年より2004年までイェーテボリ交響楽団首席指揮者。また、1990年より2005年までデトロイト交響楽団音楽監督。1995年9月より日本フィルハーモニー交響楽団客員主席指揮者。現在、2005年よりニュージャージー交響楽団音楽監督とハーグ・レジデンティ管弦楽団主席指揮者。
ヤルヴィは、カラヤン以後の世代で最も録音数の多い指揮者として記憶と記録に残されている。厖大なレパートリーの中でも、ロマン派音楽と20世紀音楽の解釈が知られ、フランツ・シュミットの交響曲全曲録音は、この作曲家の名声の復活と、国際的な普及に貢献した。エストニア音楽の庇護者でもあり、エドアルド・トゥビンやアルヴォ・ペルトの録音も有名で、ペルトの「クレド」は1968年にヤルヴィの指揮で初演された。
客演先は膨大で手広く指揮している。その中でもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは親密な関係を築いており、ほぼ毎年のように客演しており、レコーディングも行っている。単身で来日し、日本フィルハーモニー交響楽団も指揮したことがある。