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Amadeus

クラシック音楽を中心にした音楽評論
カメラ時評ほか

エディクソン・ルイス コントラバス・リサイタル

2015-07-24 05:38:41 | clasic
クラシック倶楽部 2015年7月23日



  エディクソン・ルイス コントラバス・リサイタル


コントラバス協奏曲    ディッタースドルフ作曲

ソロ・コントラバス曲集から第1、第5楽章  ケルターボルン作曲

コントラバス協奏曲    シュベルガー作曲

      コントラバス:エディクソン・ルイス
      ピアノ:小菅優

 [収録:2013年10月11日/白寿ホール]

  エディクソン・ルイス


  1985年、ベネズエラのカラカス生まれ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に所属。11歳でコントラバスを始め、ホセ・アントニオ・アブレウ博士によって創設されたベネズエラの画期的な音楽教育システム「エル・システマ」のオーケストラに所属。「エル・システマ」のフェリックス・プテに学んだ。
 15歳の時、米インディアナポリスで開催された国際ベース奏者協会コンクールで優勝。その後ジャンヌ・サクサラに師事し、ベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミーの最年少スカラシップ生となる。アカデミーではクラウス・シュトールに師事し、この学生時代にベルリン・フィルのオーディションに合格、団員となった。2002年にはベネズエラ政府より、オーデン・ホセ・フェリックス・リバス賞を授与されている。
 既に世界で最も著名なコントラバス・ソリストの1人であり、五大陸すべてにおいて、演奏会を成功させている。これまで、ザルツブルク、ルツェルン、エディンバラ、リスボンのグルベンキアン音楽祭などの主要な国際音楽祭をはじめ、ニューヨークのリンカーン・センター、ベルリン、東京、マドリード、オデッサ、チューリヒ、ヨハネスブルクなどで、著名なオーケストラと共演している。
 彼のために作曲され、初演を任された作品の作曲家には、ハインツ・ホリガー、ポール・デセン、エフレイン・オッシャー、アルトゥーロ・パンタレオン、マティアス・オッカート、ルイス・アントゥネス・ペナ、藤倉大、ローランド・モーザーらの名が挙げられる。  室内楽にも熱心で、これまでアンナー・ビルスマ、ジョルジ・クルターク、ハインツ・ホリガー、エリオット・カーター、ブールジュ、クラウス・トゥーネマン、トーマス・ツェートマイアー、イェルク・ヴィトマンらと共演している。
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アンドリュー・フォン・オーエン ピアノ・リサイタル

2015-07-23 03:33:29 | clasic
クラシック倶楽部 2015年7月22日


 アンドリュー・フォン・オーエン ピアノ・リサイタル


ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調作品53”ワルトシュタイン”  ベートーベン作曲

亡き王女のためのパヴァーヌ  ラヴェル作曲

ラ・ヴァルス  ラヴェル作曲

 ピアノ:アンドリュー・フォん・オーエン

  [収録:2012年9月28日/東京・紀尾井ホール]

  アンドリュー・フォん・オーエン



 
Andrew von Oeyen, pianist
アンドリュー・フォン・オーエン(ピアニスト)

オーエンは、同世代のピアニストの中で、最も魅力的なアーティストのひとりとして広くその名を知られている。17歳でエサ=ペッカ・サロネン指揮のロサンゼルス・フィルと協演し、ピアニストとしてデビュー以来、リサイタルやオーケストラのソリストとして世界中で喝采をもって迎えられている。

カリフォルニアに生まれ、5歳よりピアノを始め10歳でオーケストラと協演。ジュリアード音楽院では、ハーバート・ステッシン、ジェローム・ローヴェンタールに師事し、アルフレッド・ブレンデルやレオン・フライシャーの教えも受けている。

1999年に権威あるギルモア・ヤングアーティスト賞を受賞し、その後スポレート音楽祭に指揮とピアノで参加して絶賛を博し、デトロイト交響楽団の定期演奏会シリーズに招かれた。その後フィラデルフィア交響楽団、アトランタ交響楽団、グランパーク音楽祭にデビュー。2001年には第1回ルニ・フェ財団ナショナルピアノコンクールで優勝する。

また、ロサンゼルス・フィル、セントルイス交響楽団、シアトル交響楽団とシンガポール交響楽団と協演し、ラヴィニア音楽祭やフランスのヴァロアピアノ音楽祭でリサイタルを行う。

2006~2007年のシーズンでは、サンフランシスコ交響楽団、ニューメキシコ交響楽団、フィラデルフィア交響楽団、ロチェスター・フィル、ユタ交響楽団、ハートフォード交響楽団、ヴァージニア交響楽団、スタンフォード交響楽団、ブラティスラヴァ交響楽団と錚々たるオーケストラと競演。リサイタルでは、ケネディセンター、デトロイト、フレスノに登場する。
現在はニューヨークとパリに居を構える。
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グザヴィエ・ド・メストレ ハープ・リサイタル

2015-07-22 05:21:44 | clasic
  BSプレミアム クラシック倶楽部 2015年7月21日      
 
 
 
  

  グザヴィエ・ド・メストレ ハープ・リサイタル
 
 
 

 ハープ協奏曲 変ロ長調作品4第6         ヘンデル作曲
                      グランジャニー編曲
 

 ソナタ ハ短調               ペシェッティ作曲

                         メストレ編曲
 
 ”無言歌 第2番”から”ベネチアの舟歌” 作品30第6
                     メンデルスゾーン作曲
                         メストレ編曲
 

 マンドリン            パリシェ・アルヴァーズ作曲
 

 ベネチアの謝肉祭 作品184          ゴドフロア作曲
 

 アランブラ宮殿の思い出              タレガ作曲
                         メストレ編曲
 

 [収録:2012年5月28日/王子ホール]
 
  
  グザヴィエ・ド・メストレ

写真: グザヴィエ・ド・メストレさ...
 1973年フランスのトゥーロン生まれ。9歳からコンセルバトワールでハープを学ぶ。その後パリでジャクリーヌ・ボローとカテリーヌ・ミッシェルに師事。16歳の時、パリハープ・コンクールで優勝。主要な国際コンクールでも数々の受賞をする。
 1998年 USA国際ハープ・コンクールで優勝、20歳でロリン・マゼールのバイエルン放送交響楽団のソロ・ハーピストとなる。その3年後には、ウイン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・ハーピストに就任。
 2002年5月にはアンドレ・プレビンのウイン・フィルと初めてハープ協奏曲を演奏したハーピストとなる。
 どんな演奏になるか心まちにしていると、若者らしく颯爽とステージに入ってくるとなんの飾り気もなく一礼をして着席しました。しばし心を落ち着かせてからおもむろに演奏が始まりました。
 最初のヘンデルの曲はおなじみの曲で、とても耳慣れた心地よいものでした。いかにもハープによるクラシック音楽の演奏というものでした。
 次のバルトークの曲は演奏者自身で編曲されたもで、民族舞曲らしい素朴な感じのするもので、がらりと変わった雰囲気のもので彼の編曲の技が感じられました。
 3曲目からはだんだんと高度なテクニックがみられる曲で盛り上がった雰囲気になってきて、このハープにしか出せない音の奏で方がとても楽しく聴けました。
 3.4.5.6.番のそれそれ個性的な作品ばかりでいかにもハープの特性を生かしたものばかりで、その編曲者の想いが随所に表れているものでした。
 7番目のドビュッシーはこれまたおなじみですが、最後の曲などは祭りのムード満点のものでハープのスケール協奏曲といった感じの高揚感のある演奏でした。           
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上海クァルテット 演奏会

2015-07-21 06:43:10 | clasic

 クラシック倶楽部 2015年7月20日

 
 
 



  上海クァルテット 演奏会
 
 


 弦楽四重奏曲 第6番 ト長調作品101から第1楽章、第3楽章、第4楽章  ショスタコーヴィッチ作曲
 

              弦楽四重奏:上海クァルテット
 

 ピアノ五重奏曲 変ホ長調作品44             シューマン作曲
 

              弦楽四重奏:上海クァルテット
              ピアノ:田部京子
 
 

  [収録:2012年10月31日/東京・石橋メモリアルホール]
 
 

  上海クァルテットのメンバー
 
上海クァルテット
    ウェイガン・リ  バイオリン  
 1964年上海生まれ。5歳でバイオリンを始め14歳で上海音楽院に入学。1981年サンフランシスコ音楽院に留学。アイザック・スターンが中国を訪れた時の模様を綴ったドキメンタリー映画「毛沢東からモーツアルトへ」にも出演している。ビオラのホンガンとは2歳違いの弟。
 

  イーウェン・ジャン  バイオリン  
 1963年北京生まれ。6歳でバイオリンを始める。1981年中央音学院に入学。1985年セント・ルイス音楽院に留学。室内楽をジェイミー・ラレード、マイケル・トゥリーに学び、1990年にはラトガー大学でアーノルド・スタインハートに師事。アレクサンダー・シュナイダー、リン・ハレル等の演奏家と救援し、その実力を高く評価されている。
 

  ホンガン・リ  ヴィオラ  
 1962年上海生まれ。弟のウェイがンと共に両親のもとでバイオリンを学ぶ。1977年文化大革命後、再会された北京音楽院に入学。その後、上海音楽院で学ぶ。上海音楽院オーケストラ、上海交響楽団とソリストとして共演。上海クァルテット結成当時はバイオリンを担当していたが、1994年のイーウェン・ジャンの加入とともにビオラへ転向。
 

  ニコラス・ツァヴァラス  チェロ  
 1975年ハワイ生まれ。イーストハーレムにあるオーバス118ミュージック・センターの創立者である母ロベルタ・ガスパーリ(映画「ミュージック・オブ・ハート(メルリ・ストリーブ主演)」の主人公)にチェロの手ほどきを受ける。ニューインググランド音楽院で音楽学士号、NY州立大学ストーニーブルック校で音楽修士号を習得。2000年より上海クァルテットのメンバーとなる。

 田部京子

photo
田部 京子 (ピアノ) Kyoko TABE, pianist

 田部京子は国内はもとより海外のオーケストラとの共演を重ねるなど、すでに国際的ピアニストへの道を着実に歩んでいる。常に新鮮で清冽な余韻を残す鮮烈な演奏は数多くのファンを魅了し、コンサートばかりでなくCDでも根強い支持を集めている。
北海道室蘭市生まれ。4歳よりピアノを始め、故田中希代子氏に認められ指導を受ける。
 東京芸術大学附属音楽高校入学後、田村宏氏に師事。高校在学中、第53回日本音楽コンクールに最年少で第1位に輝き注目を集めた。東京芸術大学に進学後、文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルリン芸術大学に留学、クラウス・ヘルビッヒ氏に師事。エピナール国際ピアノコンクール第1位、シュナーベルコンクール第1位、ミュンヘン国際音楽コンクール(ARD)第3位、ショパン国際ピアノコンクール最優秀演奏賞など、輝かしい成績を収めている。
 これまでに、バイエルン放送響、モスクワフィル、ワルシャワフィル、バルセロナ市立管、ポーランド放送響、バンベルグ響、サンノゼ響、リンツ・ブルックナー管、ローザンヌ室内管、ヴュルテンベルグ室内管、マンチェスターカメラータ室内管、フランツ・リスト室内管、ウイーン木管アンサンブル、カルミナ四重奏団ほか多数共演。また、アルバン・ベルク四重奏団などから共演者として指名されるなど、世界のトップアーティストからも厚い信頼をよせられている。
 1997年にはカーネギーホール主催によりワイル・リサイタルホールでニューヨークデビューを飾っている。
 国内でのリサイタルや主要オーケストラとの共演も多数、常に高い評価を受けている。レコーディング活動も活発で、DENON、CHANDOS(英)より合わせて20枚以上がリリースされている。シューベルトのソナタ集の録音は、いずれも各方面から絶賛されており、日本を代表するシューベルト弾きとしても注目を集めている。その他メンデルスゾーン「無言歌集」、吉松隆「プレイアデス舞曲集」、同ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」、シベリウス、ドビュッシー、グリーグの各作品集なども多くの話題を集めており、アメリカのステレオレビュー、イギリスのBBCミュージックマガジン、グラムフォン、ドイツのフォノフォルム各誌でも絶賛されている。これまでに、村松賞(音楽部門大賞)、第4回新日鉄音楽賞などを受賞。
 現在、日本を代表するピアニストの一人として幅広く活躍している。

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N響コンサート 第1810回定期公演

2015-07-20 05:21:47 | clasic
クラシック音楽館 2015年7月19日


 N響コンサート 第1810回定期公演


1.「マンフレッド」序曲 作品116  シューマン作曲

2.バイオリン協奏曲 ホ短調作品64  メンデルスゾーン作曲

3.交響曲 第2番二長調 作品73  ブラームス作曲

  管弦楽:NHK交響楽団
  バイオリン:ギル・シャハム
  指揮:エド・デ・ワールト

 [2015年5月20日/サントリーホール]

 ギル・シャハム

 1971年、イスラエル人の両親がアメリカ滞在中にイリノイ州で生まれる。父親は天文物理学者、母親は遺伝学者という非常に学研的な家庭であった。1973年にイスラエルに渡りそこで育ったのである。
 イスラエルのバイオリン奏者であるが、あくまで作曲者の意図に忠実ながら、高いテクニックと非常に流麗な演奏が魅力で、若い世代を代表するバイオリニストの一人である。
 エルサレムのルーピン音楽アカデミーのサムエル・バーンスタインのもとで7歳からバイオリンを学ぶ。1980年、9歳の時に参加したアメリカコロラド州の夏期音楽アカデミーで名教師ドロシー・ディレイに見いだされる。1981年、10歳でアレクサンダー・シュナイダー指揮エルサレム交響楽団との共演を果たす。翌年にはズービン・メータ指揮イスラエル・フィルとの共演を果たし、神童と評価されるようになる。その年にジュリアード一音楽院の特別奨学生としてディレイのもとで学ぶ。1989年からはコロンビア大学でも学び音楽以外の分野にも教養を深めたのである。
 ドイツ・グラマフォン社との契約では多くの録音を残し、アバド指揮ベルリン・フィルとの共演によるブラームスの協奏曲では新鮮なブラームスを聴かせるほか、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団と共演したコルンゴルドの協奏曲ではユダヤ人としての共感ある演奏を残している。コンコルドはアメリカ在住のユダヤ人作曲家である。
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ニコライ・ホジャイノフ ピアノ・リサイタル

2015-07-19 04:53:43 | clasic
BSプレミアム クラシック倶楽部 2015年4月16日
 
 
 



  ニコライ・ホジャイノフ ピアノ・リサイタル
 


 ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調作品83     プロコフィエフ作曲
 

 バラード 第2番 へ長調作品38            ショパン作曲
 

 幻想曲 ハ長調「さすらい人」D.760        シューベルト作曲
 
 

            ピアノ:ニコライ・ホジャイノフ 
 

  [収録:2012年4月19日/武蔵野市民文化会館小ホール]
 
 

  ニコライ・ホジャイノフ

 
 4月に1回だけ東京でコンサートを開催するという天才ホジャイノフ。
 彼は2010年のショパン国際コンクールに最年少で参加。第1次予選から、一際光る演奏を披露したことで話題となり惜しくも優勝は逃したものの、ファイナリストに残ったのである。それが却って話題となったという逸材である。
 ボーイッシュでスタイリッシュなルックス。ロシアのピアノ・スクールの伝統に則りながらも、独自性を見せる解釈。そして時折ユーモラスなタッチを交えた明朗な音色。彼の将来には輝かしい未来が待ち受けている事でしょう。
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フォーレ四重奏団 リサイタル

2015-07-18 06:23:05 | clasic

クラシック倶楽部 2015年7月15日


 フォーレ四重奏団 リサイタル


ピアノ四重奏曲 ト短調 作品25  ブラームス作曲

フォーレタンゴ  エドゥアルド・フーベルト

ピアノ四重奏曲 変ホ長調 作品47から第3楽章

   ピアノ四重奏:フォーレ四重奏団

 [収録:2014年12月12日/トッパンホール]

 フォーレ四重奏団

 
 

フォーレ四重奏団(ピアノ四重奏団)
[ エリカ・ゲルトゼッツァー(ヴァイオリン) / サーシャ・フレンブリング(ヴィオラ) / コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ) /ディルク・モメルツ(ピアノ) ]
 

 フォーレ四重奏団の名は、「室内楽こそが音楽の唯一の真の形式であり、個性のもっとも真正な表現なのです」と語った作曲家ガブリエル・フォーレに因んでいる。1995年、ドイツ・カールスルーエ音楽大学卒の4人-エリカ・ゲルトゼッツァー(ヴァイオリン)、サーシャ・フレンブリング(ヴィオラ)、コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ)、ディルク・モメルツ(ピアノ)-で結成された。アルバン・ベルク四重奏団に4年間師事したことが、彼らの音楽的な発展に刺激となり、支えとなっている。活動を始めて間もなくドイツ・シャルプラッテン賞やエコー・クラシック賞、イギリスのパークハウス賞などを次々と受賞し、前途有望なアンサンブルから、急速に一流のピアノ四重奏団へ成長した。ドイツ・グラモフォンはその実力を認め2006年、生誕記念年のモーツァルトの2つのピアノ四重奏曲の新録音の演奏者に、フォーレ四重奏団を選んだ。

 多くの国際的なコンサート会場に定期的に登場しており、ロンドンのウィグモア・ホール、ベルリンのフィルハーモニーザール、フランクフルトのアルテオーパー、ハンブルクのムジークハレ、シュトゥットガルトのリーダーハレ、アムステルダムのコンセルトヘボウなどで演奏している。また、マルタ・アルゲリッチ、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ラインガウ、シュヴェツィンゲン、ルートヴィヒスブルク、メクレンブルク=フォアポンメルン、キッシンゲンの夏、オランジェリー・ドゥ・ソー音楽祭といった著名な音楽祭にも登場している。また定期的にフランス、イタリア、スイス、ベルギー、オランダ、スペイン、フィンランド、イギリスなどで演奏、南米やメキシコも何度も訪問している。

 世界各地でマスタークラスを開催しており、ベルリン芸術大学やエッセン音楽大学などでも後進の指導にあたっている。また、「リューゲン春の音楽祭」の芸術監督、カールスルーエ音楽大学の「カルテット・イン・レジデンス」を務めている。

 幅広いジャンルへのアプローチにも積極的で、NDRビッグバンド、シンガーソングライターのルーファス・ウェインライト、スヴェン・ヘルヴィッヒ等と共演している。ベルリンのベルクハイン、フランクフルトのコクーン・クラブ、ニューヨークのポワソン・ルージュなどのクラブやライブハウスに登場する一方で、ドイツのテレビ番組「KIKA」や、教育プロジェクト「ラプソディ・イン・スクール」で、子どもへの教育活動にも熱心に取り組んでいる。

 CD録音では、ドイツ・グラモフォンより「モーツァルト:ピアノ四重奏曲」「ブラームス:ピアノ四重奏曲」「ポップ・ソングス」、「メンデルスゾーン:ピアノ四重奏曲」、クリスチャン・ヤルヴィ指揮/MDR交響楽団との共演で「スヴェン・ヘルヴィッヒ:ポケット・シンフォニーズ」をリリース。2度のエコー・クラシック賞をはじめ、数多くの賞を受賞している。2014年にはソニー・クラシカルより、ソプラノのジモーネ・ケルメスとの共演で「R.シュトラウス、マーラー:ピアノ四重奏曲と歌曲集」をリリースし、好評を博す。



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ロータス・カルテットによるブラームス

2015-07-17 04:38:17 | clasic
 BSプレミアム クラシック倶楽部 2015年7月17日
 
 
 
 
  

   ロータス・カルテットによるブラームス
 
 
 

弦楽四重奏曲 イ短調作品51第2           ブラームス作曲
 

弦楽四重奏曲 ハ短調作品51第1から第3、第4楽章   ブラームス作曲
 
 

            弦楽四重奏:ロータス・カルテット
 
            バイオリン;小林幸子
            バイオリン:マティアス・ノインドルフ
            ビオラ:山碕智子
            チェロ:斎藤千尋
 

  [収録:2012年11月30日/JTアートホール]
 

  ロータス・カルテット
 1992年に結成。1993年、大阪国際室内楽コンクール弦楽四重奏部門で第3位1995年弦楽四重奏の本場ドイツに渡り、シュトゥットガルト音楽芸術大学に入学。戦後ドイツを代表する弦楽四重奏団として、世界にその名声を轟かせたメロス弦楽四重奏団に師事。 すでに日本国内での活躍が約束されていた若い音楽家たちが、そのキャリアを断ち切って、弦楽四重奏という深遠、厳格な世界を極めるべく、そろってドイツに留学してしまったことは過去に例がなく、大きな注目を浴びた。メロスは勿論のこと、アマデウス弦楽四重奏団やラ・サール弦楽四重奏団など、二十世紀を代表する名カルテットの厚い薫陶と信頼を一身に受けたロータス・カルテットは次第に本場ヨーロッパで頭角を現した。 1997年4月、難関のロンドン国際弦楽四重奏コンクールでメニューイン特別賞を、パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールで第3位特別賞を受賞。さらにドイツBDI音楽コンクール弦楽四重奏部門で第1位に輝く。このコンクールにおける弦楽四重奏部門での第1位受賞は、ロータス・カルテットの師である、メロス弦楽四重奏団以来の快挙であった。これを機に、ワーナー・テルデックと録音契約を結び、CDを世界にリリースするなど、以後今日までシュトゥットガルトを拠点に極めて充実した演奏活動を展開している。 すでに引退して久しいアマデウス弦楽四重奏団に続いて、メロス弦楽四重奏団も第1ヴァイオリン奏者のウィルヘルム・メルヒャーが2005年に逝去したことにより、その輝かしき業績に遂に終止符が打たれた。 ロータス・カルテットはメロス弦楽四重奏団のために予定されていた多数の公演を代役として、あるいはメロスの残されたメンバーとの合同演奏により救援するなど一層多忙を極めることになるとともに、アマデウスやメロスの伝統を全く正統に継承して活動を続ける貴重な弦楽四重奏団として、本場ドイツにおいて安定した評価を得る成熟した弦楽四重奏団に成長した。 また2005年からはロータスと同じく、メロスやアマデウス、ラ・サールに学んだシュトゥットガルト弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を長年務めたマティアス・ノインドルフがロータス・カルテットの第2ヴァイオリン奏者として加入することになり、更なる注目と期待を集めている。2006年には久々に“来日”し、シューマン没後150周年を記して、東京と関西で『シューマン:弦楽四重奏曲全曲演奏会』を開催。今や欧州各国においても世界的水準と評されるその高い演奏力が絶賛を博すのみならず、同時期にリリースされた『シューマン:弦楽四重奏曲全集』CDが平成18年度 文化庁芸術祭 優秀賞を受賞した。 2008年にはベートーヴェン:ラズモフスキー・セット全曲演奏会を含む、10公演に及ぶ日本縦断ツアーを行い、各地で絶賛を博した。 ロータス・カルテットは、東京クヮルテット以後、日本が生んだ国際的な常設弦楽四重奏団として唯一の存在であり、ドイツにおける弦楽四重奏の伝統的精神を受け継ぐ稀有な存在である。
 
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ミクローシュ・ペレーニ チェロ・リサイタル

2015-07-16 06:14:13 | clasic
クラシック倶楽部 2015年7月16日


無伴奏チェロ組曲 第3番 作品87  ブリテン作曲

チェロ・ソナタ 第2番へ長調 作品99  ブラームス作曲

  チェロ:ミクローシュ・ペレーニ
  ピアノ:ベンジャミン・ペレーニ

 [収録:2014年3月7日/浜離宮朝日ホール]

 ミクローシュ・ペレーニ

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ミクローシュ・ペレーニ(Miklos Perenyi, 1948年 - )は、ハンガリーチェロ奏者。ハンガリー語表記はペレーニ・ミクローシュ(Perényi Miklós)。

地元ハンガリーのHUNGAROTONレーベルに、バッハ無伴奏チェロ組曲ドヴォルザークチェロ協奏曲などが録音されているが、日本では入手困難なものも多い。新しい録音に、コダーイのチェロ作品集がある。近年は、同じハンガリーのピアニストアンドラーシュ・シフとの共演が目立ち、TELDECレーベルにシューベルトアルペジョーネソナタ、ECMレーベルにベートーヴェンのチェロとピアノのための作品集(いずれもアンドラーシュ・シフのピアノ)などがある。

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堀米ゆず子 円熟の響き~バッハとブラームスを弾く~

2015-07-15 07:10:19 | clasic
 BSプレミアム クラシック倶楽部 2015年7月14日
 
 
 



  堀米ゆず子 円熟の響き~バッハとッブラームスを弾く~
 
 


 バイオリンソナタ 第3番二短調作品108        ブラームス作曲
 
          バイオリン:堀米ゆず子
          ピアノ:リュック・ドゥヴォス
 

 無伴奏バイオリン・パルティータ第2番BWV1004       バッハ作曲
 

 無伴奏バイオリン・ソナタ第3番から ラルゴBWV1005   バッハ作曲
 
          バイオリン:堀米ゆず子
 
 

  [収録:2012年8月1日、6日/東京・上野学園メモリアルホール]
 

    堀米ゆず子堀米ゆず子2013③+軽+(c)T.+Okura
プランナー、ヴァイオリン:堀米ゆず子             
 1957年、東京生まれのバイオリニスト。5歳よりバイオリンを始める。久保田良作、江藤俊哉に師事。子供のための音楽教室、桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部卒業。
 1980年日本人として初めてエリザベート王妃国際コンクールで優勝。以後ベルギーを本拠として国際的な活動を行っている。現在、ブリュッセル王立音楽院客員教授。
 日本の弦楽器奏者では現代作品に理解がある事で知られている。武満徹の未完に終わった「バイオリン協奏曲ソングライン」は彼女を想定して作曲が続けられていたこともあったが、完成を見ずに武満徹は他界している。
 また、ジェイムズ・ディロンのバイオリン協奏曲は堀米ゆず子により日本初演されている。
 2曲目のプロコフィエフのバイオリン・ソナタ第2番は番号こそ第2番になっているが、実際には出版時の都合によるもので作曲そのもは第1番より先に作曲されている。
 1942年、プロコフィエフはこの曲を当初はフルート・ソナタとして作曲したものである。
フルート・ソナタの方は1943年の夏に疎開地のウラル地方で完成され、同年12月にモスクワにおいてN.ハリコフスキーのフルート、S.リヒテルのピアノにより初演。
 この時会場にいたD.オイストラフは、プロコフィエフにこれをバイオリンのために編曲する事を提案し、プロコフィエフもそれに応じたという事である。プロコフフィエフはオイストラフのアドバイスを受けて原曲をバイオリン用に直し、1944年に完成。
 バイオリン・ソナタとしての初演は1944年6月17日のことで、モスクワにおいてオイストラフのバイオリンとオボーリンのピアノにより行われている。
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