女王の教室は、第11話「真矢のいない卒業式」を持って終了となりましたが、ラストシーンは、公立小学校を卒業し私立中学へ進んだ和美が、登校する途中、阿久津真矢先生に出会い、あいさつを交わすという場面でした。
この「幻想的なラスト」から想像できることは、阿久津先生は、この時点ですでにこの世に存在しないということで、以下、当ブログでは、「阿久津先生は不治の病、もしくは、期限を宣告された病気で亡くなった」という立場で最終回をもう一度振り返ってみようと思います。
もちろんドラマの解釈はいろいろあると思います。
「阿久津先生は、再教育センターに送られ、それでも頑張りまたいつか教壇に立とうとする」という結論で将来を期待するという見方もあります。それで充分といえるかもしれません。
しかし最終回の阿久津先生は、どこか寂しげでセンチメンタルな陰りを見せ、これまでとは違う匂いが……。
病院を抜け出した阿久津先生がどうして部屋まで引っ越す必要があったのでしょうか? その先生がどうして「クラスの子供たちの呼び出し作戦」の現場にやってきたのでしょうか? そして何故学校に戻ってきたのでしょうか?
当ブログでは、その理由を「阿久津先生は病死したから」という結論でくくります。ではいつ亡くなったのでしょうか?
それは「10話の最後、教室で阿久津先生が倒れた時」と考えます。10話の最後、阿久津先生はモノクロームのかかった教室、その教壇に立ったまま、倒れてしまいます。これが、阿久津先生が生きていた最後の姿になったではないでしょうか。
第11話(最終話)の冒頭は、病院のベッドで眠る阿久津先生と、それを見守る並木先生のシーンが写しだされますが、すでにこの最初のシーンから「阿久津先生・旅立ちの夢」が始まります。
そしてその後ドラマは、「ドラマの中での現実シーン」(和美の家族が会話する場面やクラスメイト同士の会話の場面など)と「これからまさに別界へ旅立とうとする阿久津先生の幽霊が見つめる場面」とが交錯しながら進み、ラスト、和美が登校する場面は、「現実」と「夢」が重なりあった一瞬としてとらえることが出来ます。
「現実」と「夢」の区分けは次のとうりです。
①「病院で眠る阿久津先生とそれを見守る並木先生」――阿久津先生の夢
②和美の家族の朝――現実
③校長先生の授業――現実
④阿久津先生を説得する並木先生――阿久津先生の夢
⑤阿久津先生の自宅(アパート)を尋ねる並木先生――現実(阿久津先生が亡くなったので、阿久津に変わって遺留品を処分しようとした? 推測?)
⑥その後ベッドで再び阿久津と並木――阿久津先生の夢(並木先生が自分のことに気がついてくれたと阿久津先生は喜んだはず)
⑦学校での場面、病院へ押しかける天童先生と子供達――現実
⑧阿久津先生の自宅に押しかける天童と子供達――現実(部屋の中に生活品がないということはすなわち、すでに阿久津先生がこの世にいないことを示している)
⑨阿久津先生・呼び出し作戦――現実だが、幽霊となってそこに現れた。
⑩そして、阿久津先生は学校へ戻りますがそのシーンは、すべて――現実だが、幽霊となってそこに現れた。
⑪和美の家族団欒――現実
⑫卒業式の練習――現実
⑬和美の家族――現実
⑭卒業式証書授与式――現実
⑮職員室で子供達の名前を消していく阿久津先生――現実だが幽霊となってそこに現れた。
⑯阿久津先生と教頭先生の会話――現実だが、幽霊となって現れた。
⑰教室であおげば尊しを聞く阿久津先生――現実だが、幽霊となってそこに現れた。子供達が一人立ちした姿を見て満足。心残りはなくなった。
(*⑮~⑰は、すべて阿久津先生の夢と考えることもできる)
⑱由介と和美――現実
⑲中学校に登校する和美――現実だが、幽霊となった阿久津がそこに出現した。(終)
現実と夢の区分は、微妙ですが、現実といいながらも、カメラは「阿久津先生の目線」で動いているので、その部分も広い意味で阿久津先生の夢であるという言い方も出来ると思いますが。
この場合、「夢」と言ってもすでに阿久津先生は亡くなっているので、別界への旅立ちの途中、これまでの自分の理念がどこまで受け入れられたのか? それをいまいちど確かめたくて現実におりてきた「阿久津先生の意識の中」という言い方が当てはまるのかも。
またこれは偶然かそれとも演出的なものか。10話のラスト、阿久津先生が教室で倒れるシーンと、11話冒頭から61分(CM含む)過ぎたあたりで、阿久津先生がモノクロームの教室にたたずむシーンは、ほぼ同じ効果で作られていますが、これは、亡くなった阿久津先生が再びその場所に帰ってきたと見ることもできそう。
そして「あおげば尊し」は、阿久津先生を、別界へと送り出す、ほんとうの意味でのサヨナラではなかったのかと。
(果たして?)
これはあくまでも当ブログだけの「妄想」であることを最後にお伝えしておきます。続編の映画化も予定されるということですが、テレビ放送分の続編ならば、阿久津先生は生きていることになり、そうではなく新しい女王が登場するという内容ならば(例えば、阿久津先生の意志を継いだ天童先生が「女王に生まれ変わる」などという話)阿久津先生の安否は謎のままで通せることになります。
最終回を見る限り、映画も手ごたえがありそうだ。(ドラマの視点)
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