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学園・先生・スポーツ根性ドラマ

「ドラマの視点」です!

女王の教室 最終回解釈 (↓第1話は一番下にあります)

2006-01-08 | 女王の教室

女王の教室は、第11話「真矢のいない卒業式」を持って終了となりましたが、ラストシーンは、公立小学校を卒業し私立中学へ進んだ和美が、登校する途中、阿久津真矢先生に出会い、あいさつを交わすという場面でした。

この「幻想的なラスト」から想像できることは、阿久津先生は、この時点ですでにこの世に存在しないということで、以下、当ブログでは、「阿久津先生は不治の病、もしくは、期限を宣告された病気で亡くなった」という立場で最終回をもう一度振り返ってみようと思います。

もちろんドラマの解釈はいろいろあると思います。
「阿久津先生は、再教育センターに送られ、それでも頑張りまたいつか教壇に立とうとする」という結論で将来を期待するという見方もあります。それで充分といえるかもしれません。

しかし最終回の阿久津先生は、どこか寂しげでセンチメンタルな陰りを見せ、これまでとは違う匂いが……。

病院を抜け出した阿久津先生がどうして部屋まで引っ越す必要があったのでしょうか? その先生がどうして「クラスの子供たちの呼び出し作戦」の現場にやってきたのでしょうか? そして何故学校に戻ってきたのでしょうか?

当ブログでは、その理由を「阿久津先生は病死したから」という結論でくくります。ではいつ亡くなったのでしょうか?

それは「10話の最後、教室で阿久津先生が倒れた時」と考えます。10話の最後、阿久津先生はモノクロームのかかった教室、その教壇に立ったまま、倒れてしまいます。これが、阿久津先生が生きていた最後の姿になったではないでしょうか。

第11話(最終話)の冒頭は、病院のベッドで眠る阿久津先生と、それを見守る並木先生のシーンが写しだされますが、すでにこの最初のシーンから「阿久津先生・旅立ちの夢」が始まります。

そしてその後ドラマは、「ドラマの中での現実シーン」(和美の家族が会話する場面やクラスメイト同士の会話の場面など)と「これからまさに別界へ旅立とうとする阿久津先生の幽霊が見つめる場面」とが交錯しながら進み、ラスト、和美が登校する場面は、「現実」と「夢」が重なりあった一瞬としてとらえることが出来ます。

「現実」と「夢」の区分けは次のとうりです。

①「病院で眠る阿久津先生とそれを見守る並木先生」――阿久津先生の夢
②和美の家族の朝――現実
③校長先生の授業――現実
④阿久津先生を説得する並木先生――阿久津先生の夢
⑤阿久津先生の自宅(アパート)を尋ねる並木先生――現実(阿久津先生が亡くなったので、阿久津に変わって遺留品を処分しようとした? 推測?)
⑥その後ベッドで再び阿久津と並木――阿久津先生の夢(並木先生が自分のことに気がついてくれたと阿久津先生は喜んだはず)

⑦学校での場面、病院へ押しかける天童先生と子供達――現実
⑧阿久津先生の自宅に押しかける天童と子供達――現実(部屋の中に生活品がないということはすなわち、すでに阿久津先生がこの世にいないことを示している)

⑨阿久津先生・呼び出し作戦――現実だが、幽霊となってそこに現れた。

⑩そして、阿久津先生は学校へ戻りますがそのシーンは、すべて――現実だが、幽霊となってそこに現れた。

⑪和美の家族団欒――現実
⑫卒業式の練習――現実
⑬和美の家族――現実
⑭卒業式証書授与式――現実

⑮職員室で子供達の名前を消していく阿久津先生――現実だが幽霊となってそこに現れた。
⑯阿久津先生と教頭先生の会話――現実だが、幽霊となって現れた。
⑰教室であおげば尊しを聞く阿久津先生――現実だが、幽霊となってそこに現れた。子供達が一人立ちした姿を見て満足。心残りはなくなった。
  (*⑮~⑰は、すべて阿久津先生の夢と考えることもできる)

⑱由介と和美――現実
⑲中学校に登校する和美――現実だが、幽霊となった阿久津がそこに出現した。(終)

現実と夢の区分は、微妙ですが、現実といいながらも、カメラは「阿久津先生の目線」で動いているので、その部分も広い意味で阿久津先生の夢であるという言い方も出来ると思いますが。

この場合、「夢」と言ってもすでに阿久津先生は亡くなっているので、別界への旅立ちの途中、これまでの自分の理念がどこまで受け入れられたのか? それをいまいちど確かめたくて現実におりてきた「阿久津先生の意識の中」という言い方が当てはまるのかも。

またこれは偶然かそれとも演出的なものか。10話のラスト、阿久津先生が教室で倒れるシーンと、11話冒頭から61分(CM含む)過ぎたあたりで、阿久津先生がモノクロームの教室にたたずむシーンは、ほぼ同じ効果で作られていますが、これは、亡くなった阿久津先生が再びその場所に帰ってきたと見ることもできそう。

そして「あおげば尊し」は、阿久津先生を、別界へと送り出す、ほんとうの意味でのサヨナラではなかったのかと。

(果たして?)

これはあくまでも当ブログだけの「妄想」であることを最後にお伝えしておきます。続編の映画化も予定されるということですが、テレビ放送分の続編ならば、阿久津先生は生きていることになり、そうではなく新しい女王が登場するという内容ならば(例えば、阿久津先生の意志を継いだ天童先生が「女王に生まれ変わる」などという話)阿久津先生の安否は謎のままで通せることになります。

最終回を見る限り、映画も手ごたえがありそうだ。(ドラマの視点)




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女王の教室 最終予測

2006-01-08 | 女王の教室

アクツ先生(阿久津真矢/天海祐希)のスパルタ方式に翻弄されていた六年三組がとうとう一つになりました。テストの成績で掃除当番を決めるというやり方には我慢できないという。これからはクラスのことは自分たちで決めるといきなりの宣戦布告。それでも鬼教師はひるむようすはなく、勉学意欲がない人間にテストをしても無駄だとせせら笑う。

女王の教室・第10話
「真矢・最後の授業」

子供たちの反撃を受けて、アクツ先生の指導が一段と激しくなってきました。そのスパルタぶりが教育委員会に知れることになり、教育委員会の担当者は戸別訪問で聞き取り調査を行います。校長や教員仲間は指導方針の変更をうながしますが、アクツ先生はあくまでも自分の方針を貫く構え。

なんでそこまでするのかと学年主任の並木先生が聞くと、「教師が揺らいでどうするんです」子供になめられるだけと返します。自分の信念を押し通してきたアクツ先生らしいお言葉。力強い一言で視聴者をテレビの中に引き込んでいきます。

自分流にこだわり続けるアクツ先生にしびれをきらした教育委員会は、ついにアクツ先生の授業の検閲(「視察」)を開始。それはアクツ先生を追放するための手始めでもありました。

それを知った子供たちは、「それなら大人が困るような質問をぶつけてアクツ先生を試してみよう」と口裏を合わせます。視察授業が始まると子供たちが次々と立ち上がり、アクツに質問を浴びせかけます。

子供たちからの難問にもひるまず、アクツは毅然として答えを返し、質問を浴びせる子供たちもどんな返答がくるのかと真剣なまなざし。部屋のうしろでそのやり取りにじっと耳を傾ける教育委員会の女性の黒い視線。このドラマ、最大の山場であるこのシーンは、またもアクツの独壇場となりました。

「どうして勉強するのですか?」という質問に関しては、「勉強は強制されるものではなく、自発的にしたいと思うようになるが普通の人間。美しいモノ、楽しいモノに出会ったとき、もっと知りたい、もっと近づきたいと思うのが自然な感性。勉強はそのような好奇心を持続させるための手段であり、立派な大人になるための必要である」と答えます。

また「先生なのに、なんでいじめのようなことをするのか?」という問いに関しては、「現実においては、私がやったこと以上のことが行われている。将来、そんないじめにあっても耐える力や解決力を身につけるため、あえて鬼となった」と答えます。

そして「先生は頭がいいのに何で再教育センターにいたのか?」という問いに関しては、「前の学校で受け持っていた生徒とのトラブルの責任を取らされてそうなった。その生徒は、いじめや暴力が日常的で、反省もなく、何で人を殺してはいけない、などと言ったので、制裁を加えた。それで再教育センターに送られた」と。

質問の最後。これまでさんざんいじめを受けた和美が立ち上がりました。「先生はほんとうはいい先生ではないのか」と。しかしアクツ先生は、その質問にははっきとした答えをしめしませんでした。そして最後に一言。「これまで自分が間違っていると思ったことは一度もない」と。

この理念が視聴者にどれほど認められたかはわからないところですが、これらは、これまでのアクツ方式を裏付けたものであり、アクツ先生個人の覚悟を現したものとすれば、極めてよくできた台詞であり、テレビドラマ史上初めて「教育理論」に切り込んだシーンとしてそのチャレンジ精神は大いに評価されるべきだと考えます。

これがもしニュース番組であったらどうでしょう? 生放送において、著名な教育家が同じようなことを述べたとしたら局の電話は鳴りっぱなしとなるでしょう。しかしそれが虚構の世界なら(ドラマの中なら)、視聴者の共感を得られる限り、それは有効な訴えとなって視聴者の気持ちを揺さぶることになるはず。

闇夜を走り続けてきたドラマに光明が差し込んできました。いよいよ最終回を迎えますが、アクツ先生が教室で倒れてしまうという意外な展開になってストーリーはなおも波乱含み。

前回、このブログでは、この物語は「和美の夢であった」という可能性や、あるいは「他の出演者やアクツ先生の記憶であった」という勝手な想定をさせてもらいましたが、今週は別の想定を更に加えたいと思います。

アクツ先生が謎の病気で眠ってしまったままドラマは終了する、

という状況はどうでしょう。まさか? でもあるかも? そんないろいろを考えるのもドラマ最終回の楽しみでも。来週は騙されるつもりでみたほうが。(ドラマの視点)




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女王の教室 第9話 の視点

2006-01-08 | 女王の教室

一貫して「競争社会を生き抜くための方法論」を説き続けてきた、アクツ先生の勢いは今週やや後退し、そのぶん子供たちの自立心が動き始めました。修練された子供たちは、自分の力で考え行動する、という成長を見せ始め、アクツ先生の指導力が子供たちの本能を揺さぶっています。

女王の教室・第9話「鬼教師への刺客」
「女王の教室」公式ページ

競争社会の矛盾を突きつけることによって、競争社会が見落としてしまうものを習得させようという、「鬼教師の教育方式」 がようやく実りの秋を迎えてきました。

アクツ理論は、「子供を訓練する」だけでなく、「親も訓練させる」という究極の実践であったことがここへきてようやく明らかになり、和美の心に変化が起きています。アクツ先生は「本当はいい先生ではないのか」と。

あれだけいじめを受け、アクツ先生にも反発していた和美がここまで逆転の心境になるまでの過程が納得のいくものであったかどうかは議論が分かれるところでしょうが、ドラマの流れはそうなっています。

アクツ先生の後押しがあって子供たちと保護者が話し合う機会が増えました(「三者面談」)。もっと自分のことを知ってほしい。自分にあった中学に進みたい。などと子供たちは望みますが、ほとんどの親はただ勉強しろと繰り返すだけ、両者の溝はなかなか埋まりません。

親が私立に入れたいと言う理由は、私立なら勉強に専念でき、いい大学いい会社と将来も期待できるという理由から。とうぜん子供たちは納得できるはずもなく両者はぶつかります。しかしいつまでも突っ張ってもしょうがないと立ち上がったのは「和美」。

これまでしっかりと向きあうこともなかった母親に秘密を打ち明け、本当の自分を見てもらおうとしました。なんと授業参観の席上で。いきなり母親に向かって自分の気持ちを伝える和美。そして和美に続いてクラスの仲間が次々と発言しました。自分がやりたいこと。自分の将来。自分の本当の気持ちなど。いまの自分がいらだっていることを正々堂々と親にぶつけるという勇ましさ。

やけに回りくどかったアクツ方式は、「子供たちの自立」と言うひとまずの結果をもたらしました。

物語は、9/10日放送分(「第10話」)と、9/17日放送分(「最終話」)を残すとことなりました。アクツ先生が、子供たちの過去をどうして知りえたのか、いつも何故そこにアクツ先生が立っていたのかという疑問もこれから解き明かされるはずですが、

この物語は「和美の夢であった」という可能性や、あるいは「他の出演者やアクツ先生の記憶であった」という想定もまだまだ捨てがたいところかも。

また、当「ドラマの視点」8月15日付け公開分において
「終盤の見所はただひとつ、アクツ先生の強さは一貫したものか。それとも折れ曲がってしまうのか?」という質問を投げかけましたが、これに対して、番組担当プロデューサーのお答えが出ていました。

「阿久津は常に鬼教師。何があろうとそれは不変です。最後の最後に一瞬だけ、今まで見せなかった表情が写るかもしれませんが、最後だからといって、笑わないし、子供たちに優しい言葉をかけることもない!」(「ザ・テレビジョン」No.36 9月3日~10日)

ドラマは意外な結末を迎える可能性も。どうやら新しい敵は学校の外からやってきて、「アクツ理論」vs「一般社会」という本丸決戦が始まる気配。果たして6年3組は、担任を含めた25名全員がそろって卒業式を迎えることができるのか? (ドラマの視点)




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女王の教室 第8話 の視点

2006-01-08 | 女王の教室

先週の予告で、ピンクのワイシャツを着たアクツ先生が写っていたので、何か劇的な好転を期待した人も多かったでしょうが、それは「和美が見た夢での出来事」だというオチがいきなり冒頭にきて、なるほど、新聞欄に載せる「番組のタイトル」が本編の内容からはかなりずれ「見世物小屋の呼び込み」になっているこのドラマの姿勢からすれば、予告編で視聴者を驚かすぐらい簡単なことかも。視聴者はどう判断したのか?

女王の教室「第8話」
「卒業行事はやりません!悪魔か天使か?生徒が知る鬼教師の悲しい過去」
「女王の教室」公式ページ

十月になり子供たちの動きが慌しくなっていました。「私立を目指すお友達」は三ヵ月後に控えたお受験に目の色を変える日々。「公立へ進むお友達」との距離が自然に出来上がってしまいます。

これまでアクツ先生から問題児扱いされていた「和美や由介・ひかる」らはもうこれ以上、言いなりになるのはやめて授業をボイコットしようといいます。ストライキ宣言! 

「公立に進むお友達」はそれに同調しますが、「私立を目指すお友達」は、勉強のことしか頭にないようす。両者に深い溝ができていきます。アクツ先生は、卒業制作やアルバム作りも無駄だからやめるといいますが、和美らは反発を見せ、更に、授業に出席しない児童は転校させるという強硬な訴えにでます。さすがの教頭もこれには待ったとかける始末。

「私立進学組」と「公立持ち上がり組」。それまでそんなに意識していなかった卒業後の分かれ道が現実として突きつけられ、子供たちは、いましか出来ないことは何か、と悩みます。

授業をボイコットした生徒たちへの報復として、アクツ先生は「二枚舌作戦」というこれまでとは違う陰湿な行動をとります。アクツ先生は「あの子たちはこう言っていた……」「実はね……」などと「公立持ち上がり組」「私立進学組」それぞれに対して、敵対的な悪口をでっちあげ、両者の関係を引き裂こうという作戦に。

たとえば、「私立進学組」に対しては「私立に行かない子供たちは、あなたたちを、オタク、ごまスリ、ブス……」などと言っていたと言い、 

「公立持ち上がり組」に対しては「進学する人たちは、あたたたちと一緒にいると馬鹿がうつると言っていた」などと。

これまで、高度な教育理論を振り回し、お茶の間でも一定の支持があったアクツ先生がこのような「幼稚ないじわる女」を突如演じる必要があったのかどうかよくわかりませんが、

その、アクツ先生の「いじわる攻撃」があったことで殴り合い事件が起こり、その後両者の仲直りが見られ(急転)、クラスは前より強い絆で結ばれ、その勢いで卒業制作とアルバム作りが完成しました。

だからといって引き下がるアクツ先生ではありません。今度は、児童の親を味方につけて子供たちを縛り付けようとします。(次週への展開)

めまぐるしい展開でしたが、子供たちの団結がより強くなり、
アクツ先生との対立が色濃く出始めました。

今週は「再教育センターの過去」に関してはあまり触れられていませんが、謎の二年間は「謎ではなく現実の研修」であったということが、持ちこたえていた「ドラマの神秘性」をいくぶん喪失させた感じもあり。

エンディングテーマのバックで、アクツ先生と一緒に踊っている「大人たち」は総勢24名近く。6年3組を巣立った子供たちが大人になってあらためてアクツ先生に感謝しいまも変わらぬ関係を続けている……という未来関係が予想されますが、そこまでには長く険しい道のりがありそう。すでにかなり視聴者が離れ、スポンサーからも注文がつくドラマとなってしまいましたが、ラストへの凄みは期待できるかも。(ドラマの視点)




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速報! スポンサーはNO 女王の教室

2006-01-08 | 女王の教室

成績の悪い児童を奴隷扱いし、スパイ活動を強要するという、鬼のような担任教師と純粋無垢な子供たちとの一年間の確執を描いた問題作「女王の教室」に、番組スポンサーが「NO」を突きつけていたことがわかりました。

「女王の教室」の番組スポンサー五社は、第5話放送分より、番組の最初と最後に流れる「提供名の紹介」を行わないことを決めました。CMは予定通りに流されるということですが、「ごくせん」や「瑠璃の島」といった良質の番組を期待したスポンサーにとっても思わぬダメージで番組の監査体制があらためて見直される必要性が生じてきました。

一方、回が進むごとにその過激さがエスカレートし、日本テレビに寄せられた苦情が過去最高件数に及んだ「女王の教室」は、この春にわかに成長してきたブログの世界にも影響を及ぼしています。番組の余波で、これまでまじめに教育問題を取り上げていた「教育関係者のブログ」へのアクセス件数が軒並みアップし、中には放送以前、「一日200アクセス」だったブログが、「一日一万」中には「2万近いアクセス」を記録するブログも現れました。これらの大部分は、いじめの描かれ方や、並はずれたアクツ先生の独走ぶりを非難するもので埋められていますが、教師としての心構えなど、大人の教師としてのアクツ先生の奮戦ぶりに一定の支持があることも確か。

いまや番組の反響はブログで知る時代になり、ブログの風向きが、スポンサーの判断を決める材料となっています。ブログがスポンサーを動かし、スポンサーが番組を動かす。眠っていた「世論」がブログという「風」に乗って番組を動かすという、前例のないシュミレーションが行われたという可能性もあります。

ドラマはどこまでも「フィクション」(作り事)で語らますが、それが現実ではどう捉えられるのか? 作るものと見る側。そのギャップがはっきりと現れた今回のドラマ。終盤の見所は、ただひとつ。アクツ先生の強さは一貫したものか。それとも折れ曲がってしまうのか。衝撃作への非難は、視聴者の理解を得られなければ終わりそうもない雲行きに。(ドラマの視点) 




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女王の教室 第7話 の視点

2006-01-08 | 女王の教室

児童を戒律と服従で縛りつけ、過酷な状況の中での修練(授業)によっていつしか芽生える「友情」や「思いやり」。
アクツ先生の、そんな愛のムチが今週も音を立てます。

女王の教室「第7話/学校が燃える夜、鬼教師が流した血の涙 先生お願い友達を助けて」
は、財布泥棒であることがばれてしまったエリカが、級友から冷たい視線を浴び、学校にこなくなり、しまいには自暴自棄となって、焼身自殺を試みるものの、またもアクツ先生の機転によって納まり、事件後、クラスの結束が一段と強まるさまが描かれています。

ドラマは、夏休みが終わって二学期に突入。クラスメイトの財布を盗んだにもかかわらず、他人に(和美に)疑惑が向けられたことで、罪は逃れたかと思われたエリカでしたが、すべてを知るアクツ先生は、エリカを恐喝し、自分のスパイになれといいます。仕方なくそれに従うエリカですが、アクツ先生とエリカの「会話」がクラスのみんなに知れることになり、エリカはクラスの冷たい視線に晒されることに。
学校にこなくなったエリカは、教室にガソリン(?)をばらまき、それに火を放とうとします。駆けつける和美。クラスメイト。そしてアクツ先生。ライターの火は消えたものの、カッターナイフを振りかざすエリカ。アクツ先生はそれを素手で掴み、エリカの動きを封じ込めてしまいます。
その後、和美や級友たちは、傷心のエリカを暖かく迎えるという流れ。焼身事件のあと、和美とエリカは仲良しの関係に戻り、クラスメイトもエリカを暖かく迎える……という、運び。

エリカと和美の和解は、かなり性急な展開に。泥棒にしたてあげられた一方(和美)が、泥棒をなすりつけた一方(エリカ)をどう許すのか? それがこの回の、ヤマ場であったはずですが、その部分がそっくり抜け落ちています。いじめの手口や、謎めかした演出を強調するあまり、肝心のものを見失いがちな、このドラマを象徴するかのような荒っぽさを感じたり。

アクツ先生の「2年のブランク」の謎(この学校に赴任する前の、2年間、何をしていたのかわからなかった)が語られました。「再教育センター」で実習を受けていたと。アクツ先生自身が、そこで相当な「いじめ」を受けていた? という過去が、アクツ理論を生む土台となったのか? それとも……。アクツ先生の「胸の傷跡」が何かを物語っているようでも。(ドラマの視点)






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女王の教室 第6話 の視点

2006-01-08 | 女王の教室

1話から5話までは「完璧な教師が無垢な生徒をいじめ抜く」
という一方的で好戦的な展開でしたが、
ここ中盤に掛かるところで、
「6年3組」がアクツ先生に歯向かう場面が見られ、
「先生と生徒の因縁対決」という
このドラマのキャッチフレーズに近い運びになってきました。

女王の教室
「第6話/夏休みはありません! 
追いつめられた子供が引き起こした悲劇と奇跡」

高度な教育理論を振りかざし、
生徒をかんじがらめに縛り付ける「アクツ方式」は、
今週もさらに厳しさを増しています。
一学期が終わり、本来ならば「最後の夏休み」へと
子供たちの心は弾んで行くはずが……。
「私のクラスには夏休みはない」
と夏休み返上宣言。
「これは無料の塾のようなもの」
「子供は子供同士のあいだで成長する……」
と私立を受験する子供を持つ親には勉学の達成を約束し、
受験しない子供を持つ親には子供の成長を約束する
という懐柔策をとり、補習の必要性を正当化します。

財布泥棒の身代わりとなったにもかかわらず、
いじめの対象となる「和美」は、
学校にいくことはみんなと仲良くなる機会が増えることだと、
夏休み返上を前向きに考えます。
そんな和美を気遣うクラスメイトの由すけは
受験組ではありませんでしたが、
和美とともに補習を受けることを決めます。
アクツ方式は「成果主義」。
児童は、成績表のようなものをいつも首からぶら下げ、
いいことをすれば「シール」が与えられるというもの。
一日が終わると、シールの数が棒グラフによって記され、
成績が悪い児童は罰っせられるというシステム。

夏恒例の「ラジオ体操」のスタンプ押しを
皮肉ったものと思われますがが、
いざとなれば点取りゲームへと動き出す子供たちの
俊敏な行動と対応力はいまの時代の写し鏡のようでも。
また同じ六年生でも、
「私立をめざす子供」と「受験しない子供」とでは、
夏休みの過ごし方がまったく異質のものになり、
すでに「義務教育としての夏休み」が
失われているという現状にも切り込んでいます。

いじめの対象だった和美は、
クラスメイトに手紙を書き、
自分の気持ちを伝えようとしますが、
一度いじめの側に立った子供は、
なかなかそこから外れようとはしません。
しかし喧嘩を止めようとした和美が突き飛ばされ、
怪我を負ったにもかかわらず、
容赦なく和美をしかり飛ばずアクツ先生を見て、
クラスメイトにも「疑心」が生まれました。
「アクツ先生はどこまで信用できる?」
6年3組は夏休みの授業をボイコットする
気配となって6話は終了。
次週はアクツ先生の過去が焙り出されるという可能性?

子供たちが、アクツ方式に反発を見せるという行為は、第6話ではっきり現れてきましたが、このような反発心がこれまで、和美や由介にしか現れないという展開が、あまりにも劇画的でもあり、また夏休みを舞台にしているにもかかわらずドラマの中からはいききとした子供たちの声がまったく聞けないというのは残念ですが、大人に向けて放たれる教育論は、一定の理解を得られているのも確か。

かなりの小学生がこのドラマの洗礼を浴びているということですが、とりわけ「いじめのシーン」には敏感な反応を示しています。テレビの前に座った子供たちが、この夏学び取るのは「単なる処世術か」それとも「手をつなぐことの心地よさか」。
このドラマの完成度が子供たちの未来を決する?こんな言い方はおおげさかもしれませんが、たくさんの問題を抱え込んだまま走り続ける「ドラマ」は、予期せぬ罵声を浴びながら後半への期待を繋ぎます。(ドラマの視点)






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女王の教室 第5話 の視点

2006-01-08 | 女王の教室

「いじめにとって大事なのは、子供たちがいじめに立ち向かう精神力を持つことです。
いじめに対処する知恵を持つことです。いじめられても戦おうという気力がないからいつまでたってもいじめられるのです」(今週の阿久津先生)

アクツ先生と「24名の生徒」との対立で始まったドラマは、中盤にきて「成績がかんばしくなく万事要領が悪い、和美」がクラスの仲間からいじめられるという、「いじめられっこ和美vsいじめっこのクラス」という形に変化してきました。

女王の教室
「第5話/友達も消えた……もう学校なんて行かない!先生どうして私をいじめるの」

和美へのいじめが激しくなってきました。
教科書には悪口を書いた落書きがびっしり書きこまれ、プールの時間では足を引っ張られ溺れそうになり、カバンにはごみが詰め込まれて、机は廊下に捨てられる……。
和美を財布泥棒だと思い込んでいる(実はほかの子がやったそれをかぶっている)級友たちは、クールに和美をいじめ続けて……。

ここまで(第1話から第5話)、いじめられる子供と完璧な教師・アクツとの、戦争のような会話や裏切り行為などを細かく描写していますが、理論の展開や盗聴まがいの行動が「学園ドラマ(娯楽性)」の枠におさまっているのか、それを逸脱しているのか?
その判断は視聴者にゆだねられる気配になってきました。「わざわざ重い空気を吸うこともない…」と明るいほうへチャンネルを向ける視聴者も増えているような……。

すでに結論は「ハッピーエンド」が約束されていますが、途中はおどおどしくてもつじつまは間に合っているという、まるで「火曜サスペンス」のような展開を持ち出すことで、いまの教育現場が抱える諸問題を描いていこうという試みはどこまで浸透するのか?

かって日本テレビでは、デビュー前の「タレントの卵」をテレビに出してあげるから……といって裸で登場させたり、無一文で寒い大地に立たせたりして、いじめ抜き、関係者や出演者は冷暖房が利いた部屋でそれを見ているという、いわゆる「ドキュメンタリーバラエティ」という番組を乱立させ、視聴者を困惑させましたが、

今回のドラマも同様に、「いじめがなくなって、最後の最後に春がくる……」という結末が用意されているということですが、視聴者はどこまでついていけるのか?これにも注目です。(ドラマの視点)




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演技派へ「原沙知絵」女王の教室

2006-01-08 | 女王の教室

 完璧な教師が無垢な子供をいじめ抜くという問題作「女王の教室」。児童を規則で縛り付け職員室ではまるで女王のごとき振る舞う鬼教師・阿久津真矢(天海祐希)の言動がなにかと話題になっていますが、アクツ先生に真っ向から議論を挑む、新任教師「天童しおり」を演じる原沙知絵さんに注目が集まっています。

 親を味方につけ、校長や教頭の意見にも耳を貸さず、職員室では浮いた存在となるアクツ先生を、同僚教師は「触らぬ神に祟りなし」見て見ぬ振りをしますが、新米の天童先生はどうしても許すことができず、「生徒に体罰を与えるのは反対」と真っ向からアクツ先生に挑んでいきます。

「教師はサービス業じゃない。やめる子がでてもいい」きっぱりアクツが言い返すと、天童はしどろもどろ。また財布泥棒が現れたときは、「犯人探しはするべきではない。その子が傷つく……」天童が言えば、「生徒には恐怖感を与えることが必要。うわべの優しさは必要ない」とこれまたアクツがぴしゃり。

理論はかみ合わないものの、新米らしく生徒を信じ切ろうとするその演技は、お茶の間が描く「理想の先生」に近く、サスペンス展開を続けるこのドラマの中にあって、唯一熱いものを感じさせてくれる体温を保っています。

原さんといえばモデル出身。はっきりとした顔立ちとプロポーションでいまやドラマでは欠かせない存在ですが、ここへきてドラマや映画の公開が目白押し。なんと今年になって五本もの映画が公開されるという売れっ子です。「メールで届いた物語」「いらっしゃいませ、患者さま。」「HINOKIO」「蝉しぐれ」「まだまだあぶない刑事」まったくの偶然だそうですが、これによって、撮影に打ち込む集中力が身に付き、演技に幅が出てきたことは間違いありません。

「一昨年から昨年にかけてずっと映画でした。映画はひとつひとつのシーンに時間をかけますし、常にぐっと作品に入り込もうとしている自分がいました。撮影はどれも本当に楽しくて、貴重な体験だったと思います」(読売新聞、夕刊、7/14付け)

そして今回映画出演で培ったものをすべてこのドラマにぶつける覚悟だと言うことです。

ドラマでは、ストレスを解消しようと、ひとりでカラオケボックスで歌い続けるというシーンがあり、そこで歌われる「懐メロナンバー」が意外に子供に受けているという珍現象も生み出しています。

演技派に生まれ変わった原沙知絵が演じるお姉さん先生が、どこまで「女王」に迫れるか。決戦はこれからです。(ドラマの視点)






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速報! 脚本変更はない!と脚本家 女王の教室

2006-01-08 | 女王の教室

 規則と成績で児童を徹底的に縛り付ける鬼教師・阿久津真矢(天海祐希)の言動が波紋を広げていますが、日本テレビの公式ホームページの掲示板に寄せられたメッセージが放送開始後一ヶ月で「3万5千件」を突破したことがわかりました。

第1話終了後は批判的な内容一色でしたが、2話以降は、「趣旨を理解した……」などと言うメッセージも多く、反響は「家なき子」の放送時を上回る勢いだということ。

前代未聞の鬼教師を産み落とした、脚本家の遊川和彦さんは、読売新聞の単独インタビューで最終話まで書きる決意を語りました。

「長いあいだドラマを書いているが、放送するな、とまで言われたのは初めて。真矢はいろいろあった末に自分の生き方を決めた人。最近、自分も出会えない尊敬できる大人が描きたかった。反響によって話を変えることは一切考えていない。それをしてしまうと真矢から怒られそうな気がする」(読売新聞、夕刊、7/28付け)

厳しくあたるのは真矢の愛情表現。子供の可能性を信じるからこそできるのだと強調します。鬼教師が拍手で向かえられる日は案外近いのかも?(ドラマの視点)





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