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心地良い暮らしを探して・・・

居心地、着心地、など「心地」と言う言葉に惹かれます。
心地良い暮らし方をご一緒に捜しに行きませんか?

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2008-09-25 10:39:02 | 安らぎ

WHAT A WONDERFUL WORLD!

 

2004年10月5日午後三時広島県廿日市市上平良で女子高生が殺害されました

大切な友人のブログです。ひとりでも多くの方に広めてください

 SA・TO・MI~娘への想い~

2004/10/5 広島県廿日市で娘、聡美が何者かに殺害されました。

未だに犯人が解りません。手がかりを求めています。

 

 

オランウータンの森づくり

◆5,000円でこんなに役に立てます!◆

~メランティや果実の樹など1本とチーク1本をセットで植林~

<オランウータンの森づくり>なぜ、いまメランティ等を植えるのか?

熱帯雨林を再生するために苗木を地元自治体やコミュニティー、

 BOS(ブルネオ オランウータン サバイバル ファンデーション)など

NGO/NPO団体に、メランティや果実のなる在来種の苗木を寄付植林します。

この木は伐採されることなく、「地球の肺」熱帯雨林を再生していきます。

「いのちの森づくりプロジェクト」サイトはこちら 

 

 ニューオーリンズ被災状況&支援サイトはこちら(by:マッカチン)

 

 

足元の平和はもろく危ういことに気付かなくちゃ

  「九条の会」へはこちら 

 上のバナーをクリックしてね 

 


心地良い繋がり・・・(感謝)

2007-10-05 16:40:30 | 安らぎ
何もしてあげる事のできない私を
大切な友だちと呼んでくれるヒトがいます。
私も何も出来ないけど大切な友だちだと想っています。

同い年の彼にはとても悲しい過去(彼には現在)があります。
今日はその悲しい出来事のあった日です。
(詳しくはこのブログのトップを見てね)
http://blog.goo.ne.jp/gaia-sky0925/

彼は事件解決のために必死でブログを書いてます。
失礼な言い方ですけど物静かなフツウのオッサンです。

今日は彼にとって耐えられないほどの永い一日になります。

皆さんにお願いします。
彼のブログに行って、ひと言コメントを入れてください。
「!」だけでも良いんです。
まともに受け止めると何もコメントできなくなっちゃいますけど、
「忘れてないよ!」の足跡が彼の支えになります。

私自身、気が向いたときに一緒に酒飲んでバカやってるだけです。
でも、彼は事件が風化することが一番の心配です。
どうか彼のブログを覗いてください。
http://blog.goo.ne.jp/npo-friends

昨夜ミクシィ日記に投稿したら
とっても沢山の方々が北口さんのブログを訪れてくれました。
優しい親友にいっぱい囲まれて彼も私も幸せです。
みなさんの暖かさに心から感謝します。

ありがとう


花 心地良い なりわい

2007-04-18 10:47:50 | 安らぎ
15歳も年下の大切な友だち
広島にある生花店「辰花Tatubana」オーナーの誕生日

TATUYA-花HANA87

いつも尊敬しているのだけど
彼は若いくせに「ブレない」のだ。

心に秘めてる情熱を途切らせることなく
ジリジリと目標に向って歩みを進めていく。

「花屋」と言う穏やかそうで実はハードな生業(なりわい)を
自己表現自己実現 へ昇華させようともがいている。

そんな彼が急遽今夜 
広島FMで17:00から放送されるVibe ON ! MUSICという番組に出演するらしい
本人の出番は19:00辺りとか?

目的は今度開く コラボイベントの告知らしい。

沙琴 vs 辰花 Wedding展

日時:2007年 5月3日(祝)4日(祝)5日(祝)
 
OPEN: 11:00 ~ 20:00  入場無料

会場: Tanemaki 2階ギャラリー

広島市中区大手町2丁目6-31 ふじ井ビル   
http://tanemaki.cc/


お誕生祝いにこの唄を贈るよ

「花」すべての人の心に花を・・・喜納昌吉


彼のDMを無断転載しちゃってます



以前ホテルのOPENの時彼に頼んだアレンジ

心地良いつながり

2007-04-12 15:38:58 | 安らぎ
子どもを取り巻く犯罪の危険から彼らを守るため
さまざまな活動が市民の手づくりの協力の中で行われています。

その活動の多くはボランティアさん達の自己犠牲と
経費の自己負担によって続けられています。

その活動資金の一部でも負担を軽減できないか?

そんな発想から今回の企業とのコラボレーションが生まれました。

日常の消費活動としてどこにでもありうる
ジュースの自動販売機
この売上の一部を地域ボランティアに還元する試みが始まっています。


テレビ宣言(HTV)での報道 ビデオ


RCCでの報道


活動に興味をもたれた方は 下記 NPOフレンズにお問合せください。


特定非営利活動法人 N P Oフ レ ン ズ
      
〒730-0013 広島市中区八丁堀1-23-905
TEL 082-502-2946 FAX 082-502-2947
   http://www.friends.genkidesuyo.net
NPOフレンズ
    


あしあと

2007-03-25 20:43:27 | 安らぎ

奥さんの実家から野芹(せり)が届きました。母が摘んでくれたものです。



土を落として根っこを摘んで、カラッと天麩羅に・・・

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」


マーガレット・F・パワーズ
translation copyright(C)1996 by Pacific Broadcasting Association


菜の花もダンボールに一杯届きました。




春の香りいっぱいの食卓に満たされました。

心地良い旅立ち

2007-02-10 15:59:54 | 安らぎ


2月3日の前夜式(通夜)
2月4日の告別式 
どちらも思いがけないほど多くの方々が駆けつけてくださいました。
賑やかに明るく見送って欲しいとの
母の望みに叶う旅立ちを仕立てる事ができました。

多くの方々に支えられて生かされていることを
改めて痛感いたしました。

みなさまのご厚情に深くお礼申しあげます。


また、お電話やメールなどを通して
心強い励ましの言葉をたくさんかけて戴きました。

周知の通り幾つになっても母を安心させてやる事のできない
まさしく「心配の種」でしかない愚息でしたが、
すばらしい友人やお仕事仲間に囲まれている幸福な私を見て
きっと安心して旅立ってくれた事だろうと感じています。



花の好きな母でした。
病院から教会へ遺体を移した後、雑務に追われ母から離れておりました。
そんな折、花屋さんの友人usagiちゃんが、母が寂しくないようにと
お花のアレンジを枕元に届けてくださいました。

バタバタと式の準備や関係先への連絡などに忙殺されながら
妻と母に着せる洋服を選んだりもしておりました。
母のもう一つの持病「捨てられない症候群」を目の当たりにし、
「和服を着せてあげなさい」との家族でお世話になっている長老の言葉が
地獄の試練のように思えてきました。
洞窟探検のように彼女の部屋を捜索すれども和服が見当たらない。
と言うより奥へ入っていけない・・・
追われる時間に逆らえず遂には諦めました。
それでも妻のセンスでかわいい洋服を着せてあげました。

そのとき母の周りが寂しい感じがしたので、
急遽お悔やみのお花を注文していた別のお花屋さん辰花さん
「母の周りに真紅の薔薇を飾りたいから持ってきて!」
とこれまた無理なお願いをしてしまいました。

式まであと数時間と言うころ彼は市場まで薔薇を調達に
走ってくれたのです。

式の直前にやっと届いた綺麗な薔薇を息子たちと母の周りに飾りました。



こうした優しい人たちの見えない努力による奇跡の連続で
母を送る舞台は艶やかにそして心地良く進んでいったのでした。




逝く母の想い出

2007-02-03 10:35:35 | 安らぎ
召される母を想うとき
以前投稿したこの出来事が思い出されます。
「境を越えて愛する事」
その辛さと素晴らしさを体現した母でした。

みなさまの多くのお悔やみと励ましを感謝します。



小さな目では見届けられない
小さな耳では聴き届けられない
小さな鼻では嗅ぎ分けられない
小さな手では差し伸べきれない
小さな口では慰めきれない

小さな心では想い図れない

毎日自分をかすめて行く様々な苦痛や呻き

出来たことより
遣り残したコトのほうが毎日殖えていく

自分はなんて弱いのだろう・・・

無力以上に卑怯な自分が嫌になる

そんな時
母の話してくれた想い出が私を強くする・・・

-----60年前 8月6日-----

ヒロシマに得体の知れない巨大な爆弾が落ちた。
爆風で家は半壊になりながらも
軽傷で済んだ母(当時20歳)は
学徒動員で市内中心部に出ている弟を探す為、
身一つで爆心地へ向った。

被爆直後の惨状は知る方の多い事と想う。

中心地から避難して来る大勢の群集の中、
黒こげで顔も判らない一人の男が母に声をかけた

パクさん:「スエミさん、どこに行きようるんじゃ?
      市内なんか行ったらいけん。あそこは地獄じゃけぇ」
スエミさん:「どなたか知りませんが?弟が居るんですよ!
      助けに行かんにゃぁいけんのです」
パクさん:「わしです。長屋の近所のパクです。
      学徒動員は全滅じゃ。諦めんさい」
スエミさん:「いいや弟は活きとる。うちは行く」
パクさん:「スエミさん?朝鮮のわしがアンタのようなお嬢さんと
      こがぁに話しをしよっちゃいけんのじゃが、
      頼むけぇワシの言う事を聞いてくれぇ!」
スエミさん:「何ねぇ?早ようしてぇや!」
パクさん:「爆弾にやられて生き残った人等は狂うたようになっとる。
      アンタみたいな娘さんは危ないんじゃ・・・」
スエミさん:「この非常時に何をバカなことを!
      日本人をバカにしんさんなよ!」
パクさん:「わしも、もう長いこたぁ持たん。
      死んでいくもんの最後の頼みじゃぁ想うて聴いてくれ」
スエミさん:「何をするんですか?触らんで!やめて!」

パクさんは嫌がる母を押さえつけ
自分が身に付けていた皮のベルトや水筒の肩紐、
ゲートルまで脱いで、母のモンペの腰周り、
足首などをがんじがらめに縛り付けたのだそうです。

パクさん:「これでも安心はできんのじゃが・・・
      ご無事で弟さんが見つかりますように・・・」

スエミさん:「パクさん?パクさん?・・・」

時間を無駄にしたことを後悔しながら
母は遂に爆心地付近、学徒動員の作業場近くまで辿り着いた。

立ち込める煙や煤塵、瓦礫の中からの呻き声に
弟の名を呼びながら辺りの様子を伺うが、助け出す事などできない。

地下壕のような所に避難している怪我人たちの中を
洞窟探検のように進んでいく・・・

そこはパクさんの言ったとおりの地獄

「最期の頼みじゃ」
「後生ですけぇ」
と手を摺り合わせて拝みながら
幾人ものドロドロに溶けた男たちが次々に
母にのしかかってくる・・・・

「やめてください! 助けてぇ~」

必死に抵抗する力も尽き果て
涙も枯れ声も出なくなる。

襲い掛かるオトコ達が哀れにも想えてきた・・・

遠ざかる意識の中、手を合わせているのが精一杯だった。

ふと意識が戻り辺りを見渡すと自分の周りに尽き果てた骸の山。

ハッと我が身を確かめてみる。

パクさんの最期の力で結ばれた革紐は
ほどける事無く母を守ってくれていた。

スエミさん(母となって):
「地獄はこの世にあるんじゃ言うことを知った。
 じゃけど助ける神もこの世に居るんよ。
 小さい、弱い人が神さまになるんよ」

改めて願い祈る
「愛よ 目覚めておくれ」


---ご説明---
文中に不適切な表現、語彙が含まれておりますが
あえて聞き取った状態を重視して
そのままの表現を用いました。
差別的な翻意は毛頭ございません。
不愉快に想われた方がいらっしゃれば
ご理解をお願いすると共に
心からお詫び申しあげます。

追記 サンタの贈り物

2006-12-27 23:04:12 | 安らぎ
前回の内容を読み直してみると、
田中医師の凄さを表現できるもう一つの奇跡を
書きそびれている事に気付いた。

そして、わたしの快復に関する重要な報告も・・・



前述
Dr.「しかし、困ったことにココには性腺が隣接しているので、
   恐らく私は性腺も徹底的に引っ掻き回しています」
  「つまり、元気になってもあっちの方は元気にならないと・・・」

・・・田中医師が「転移無し!」という最高のプレゼントをくれたあと、
私の方も彼にGood Newsのお返しをしたのだ。




「実は先生、あっちの方も昨夜から元気になってま~す!

・・・アゴのハズれたドラえもんを産まれてはじめて見た。

広代付属病院@田中医師の起こしてくださったこの奇跡が
世の中のために良かったのか?悪かったのか?

この場での評価は相応しく無いであろう
ただ、獣を再び街に放ったことは否めない・・・




サンタの贈り物

2006-12-26 18:13:10 | 安らぎ

昨夜街に出るといつも最後にぶら下がる店(JACARA)で
広大付属病院の外科医さんと知り合った。
8年半前に大腸ガンの手術をしてもらった田中外科医のことを想い出し
訪ねてみると良くご存知とのコト。

当時の事が次々に想い出されついつい長話となった。

執刀医として自己紹介されたとき、看護士さんに
「この先生『ドラえもん』っていうニックネームなんですよ」
「手を見てみたら判りますよ」
言われるまま彼の手を見て正直ゾッとした。
照れながら自分の前に差し出された彼の手のひらは、
パーをして開いているのにグーをしてるくらい指が短い。
そのバランスの良くない(ごめんなさい)短くてぶっとい手を見て
正直執刀医を変えてもらいたいと思ったくらいだった。

しかし、その眼光は美しく澄んでいてキラキラしている。
「大変な手術になります。一緒に頑張りましょうね!」
一語一句を丁寧に噛み締めながらもその声は穏やかだった。
「よろしくお願いします」
自然に自分の口がそう言っていた。

大腸の最終コーナー「S状結腸」という所が10数センチドロドロに、
グアム島の海に一杯居る「ナマコ」を背割りして内側にひっくり返した様な
チョーグロテスクな状態に癌化した部位は素人の自分でも
「ヤバイ」ことは充分に理解できていた。

しかし、長い手術の後に田中医師から出た言葉は、
「やれることは全部やりましたし、それ以上にやりたいことも全部やりました」
「あとはあなたが抗がん剤治療に耐えて治そうと頑張る番です」
「しかし、患部に動脈も静脈も通っていましたので転移は避けられないでしょう」
「先のことはまた先で考えれば良い。また私がきれいにしますから」
そう言いながら私のベッドをグイグイ起こして、下から手を入れてきて
「ウワァァ」と言う私の不意のうめき声と共に
採尿ドレーンをズルズルっと引き抜いてしまった。
「もう歩いていいですから。どんどん歩いてください」
・・・・・・・
さっき手術したばっかりだゾ!
「アホかこの医者?」と一瞬思ったが、
次の瞬間「受けて立ってやる」と心が燃えてきた。

以来、二日目から普通食を出せと抗議し、
抗がん剤も副作用など一切出ず、4クールをこなして
2クール目辺りからは点滴を引きずって廊下を走っていた。

そのころ、こちらの機嫌の良い所を見計らって
田中医師が言った。
「最善を尽くすためにソケイリンパ節を徹底的に引っ掻き出しました」
「転移の可能性が激減するはずです」
「しかし、困ったことにココには性腺が隣接しているので、
恐らく私は性腺も徹底的に引っ掻き回しています」
「つまり、元気になってもあっちの方は元気にならないと・・・」
私が思わず「ぬわにぃ~??<`ヘ´>」
と点滴のポールを振りかざした瞬間、
脱兎の如くDr.ドラえもんは消えていた・・・

しかしその直後に奇跡が起きた。

数分後、小躍りしながら田中医師が再度現れ
「絶対僕の誤診じゃないですから!ホントにレベル4だったんですから!」
「レベル5は無いんですから!あなたは立派なレベル4で幹部もぐちゃぐちゃで」

なのになのにですよ?

「病理検査の結果転移が見られないんです

それから8年半の今日まで一切の兆候が無い。
退院当時は
「せっかく戴いた命なのだ。これからは世のためヒトの為、無心に生きよう」
などと誓っていたのに・・・

かくして実情は?
昨夜の如く大酒を飲んで快復はオノレの武勇伝のように語っている。

そのいきさつを呆れ気味に聴いてくれていた件の同僚の医師は・・・

「お伺いするところマサに奇跡的な生還ですね!」
「確率的に言うと生きているのは 2%くらいですね!」

改めてゾッとした。
俺はそんな小さな確立で生かされていたのか?

私は疑いを晴らしたいかのように
「じゃあ田中医師ってやはりスゴイ方なんですか?」

すると同僚の医師は、
「最高レベルの外科医です!本来ならもっと出世してて良いのに
 彼は自己アピールしないから冷遇されています」

「あなたのような患者さんが彼の評価をドンドン語ってあげるべきです」

なるほどありありと当時の若き田中医師の
使命を帯びたかの様な面影が浮かんでくる。

折角戴いた命にも拘らず自分は、
健康(取り立てて何も無い)と言う事に安住し
与えて戴いている「命」を粗末に浪費している。

クリスマスの夜
思わぬところで素晴らしい贈り物をサンタさんが届けてくれた。

大切な「気付き」をプレゼントされた夜だった。



父と娘の命の記録

2006-07-13 12:01:49 | 安らぎ



momotaroというブログがあります。

高齢者の介護を生業(なりわい)とする娘さん
(この職業選択自身、父上を想っての事らしい)が、
癌の末期宣告をされた父上に精一杯寄り添っている記録です。

病との日々の壮絶な闘い、
混乱する精神
絶望との葛藤・・・などなど
目を覆いたくなる、逃げてしまいそうになる辛い事々が
お父さんを思いやる素直で優しい筆致で書き綴られていきます。

なんどもこのブログに訪れていますが、
コメントを残すことさえ出来ずにいます。

ただ、彼女のお父さんとの魂の交感を
少しでも多くの人が見守ってあげても良いのではないかと感じました。

きっと彼女は「そっとして置いて欲しい」と仰るでしょう。
この文章についても、彼女に無断で書いています。

それは、彼女に知れる事無く、
それでも彼女のありのままの献身を見守る人が増えて欲しい、
そしてお父さんの闘いを応援する人が増えて欲しいと、
わたしが勝手に願っているからです。

お互いが見えない誰かの応援や祈りに支えられる事が
決して無意味じゃない。

そう想うからです。

momotaro