日本中を元気にしてくれたドイツ戦の興奮が冷めやらぬ中、東京五輪の入札談合容疑で電通本社強制捜査のニュースが飛び込んで来ました。
何でも組織委員会までもが談合に係わっていた疑いもあるとの事、、、
スポーツの感動、スポーツマンシップの素晴らしさを踏みにじる不正行為に、折角の明るい気分も台無しです。😩
この際、検察には徹底した掃除洗濯をお願いしたいところです。
(さりげなく英字新聞を読んでいます)
勢力を増した陸海軍からの巨額の予算増額要求に対し、自身6度目の蔵相の任にあった高橋は、
「予算は国民所得に応じたものをつくらなければならぬ。財政上の信用維持が最大の急務である。ただ国防のみに遷延して悪性インフレを引き起こし、その信用を破壊するが如きことがあっては国防も決して牢固となりえない。(中略)
これ以上は到底出せぬ。」
と言って軍事予算の膨張を阻止します。
軍部の恨みを買った高橋是清は、1936年(昭和11)二月二六日早暁、ここ赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発銃撃され、暗殺されました。 享年83。
静かに黙祷を捧げ、
現代の政治の中心地に向かいました。
赤坂見附で外堀通りを横断。
永田町方面に向かいます。
歩道橋からの赤坂見附方面。
衆院議長公邸
隣には参院議長公邸もあります。
平河町交差点
青山通りの東側一帯が所謂永田町で、自民党、立憲民主党の党本部などが集まっています。
三宅坂交差点
皇居の内堀に面しています。
国会議事堂前の銀杏並木
国会前庭(南庭)の紅葉
そして国会議事堂
永田町に高橋是清の爪の垢は売ってませんかね。。。
偶々立ち寄った公園のトイレから、激動期の日本を支えた傑物を偲ぶことができました。。。
これもトコトコ散歩の効用ですね。
(付録)
高橋是清邸
赤坂にあった邸宅は、現在、小金井の江戸東京たてもの園に移築・保存されています。
戦前に多磨霊園に移されていたために戦災を免れたのだそうです。
高橋是清の肖像が描かれた五十円紙幣
1951年(昭和26)発行
本日もご訪問頂きまして有難うございました。
明日はブログの週休日とさせて頂きます。
皆様、健やかな週末をお過ごし下さい!