セドナとポノ

ときどきめいそう

何もかも!

2013年08月01日 | 夢・希望

私のことをずっと考えていて、ふっと気づきました。

「私は本当に何もかも、手に入れたい」と思っているということに。一部をあきらめて、とかじゃなく、何もかも、全部。

ある方の例です。その方は営業職で、売り上げを上げるために会社が高額商品をお得意さんに勧めろ、と言うので辛くなって、考えた末、転職した、とありました。

私はばりばりの営業職を経験したことはないので、この方の判断は正しいと思います。

ただ「私はすべてを手に入れたい」と浮かびました。「売上」「会社の期待」「お得意さまの信頼」「自分の満足」・・・

セドナメソッドのれスターさんの生い立ちにある「あらゆる取引が関わる人すべての望みどおりになる」ことを望んでいました。

仕事を頑張るからプライベートを諦める、とか、子供がいるから趣味を諦める、とか、趣味でやれれば十分だからお金儲けなんてできない、とか。。。

何かがあって何かを諦める、という図式がどうもしっくりこないのです。もちろん、私が言ってることは理想論と言われるだろうから、誰かに話すことはないと思います。私は分別がついた大人なので(笑)

スピリチュアルな力を持ちながら、現実社会でうまく対応できていない人を見るともったいない、と思うし、逆に現実主義で不思議な力をばっさり無視している人を見ると、ああ何か違う、と思います。

中庸。

すべてを手に入れることは中庸を意味するのかもしれません。