男であること 夫であること

そして僕らしく生きること since December 2004

無題

2007年07月19日 | 
先日、ブログのリンク友達(?)である、あいぞうさんからコメントを頂いたのですが、そのなかに僕がずっと心に持っていて言葉にできない思いを表してくれた部分がありました。

僕自身、うまく言い表せない気持ちを何とか書きとめようと、何度も新規投稿画面を開いたのですが結局ひとことも書けないままでした。

配偶者の不貞から1年が過ぎたあいぞうさんも、僕と同じ気持ちでいることを知りました。

大きな悲しみや苦しみを乗り越えた後、じわじわと知らないうちにこみ上げてくる気持ち。


あいぞうさんの言葉です。

>なんとなく、日々は過ぎていっています。
>こうして、やり過ごして行く日々の中に、
>何か、想いは残るのでしょうか・・・

「あぁ、これだ。 僕が何となく持っていた気持はこれなんだ。」と読んで思いました。

日々の生活に追われて過去が流れていく。

時間と共に過去は薄れていく。

これでいいのかどうか。 
それを考えるエネルギーさえ湧いてこなくなり、そして何も考えなくなる。 


なぜなら。

今がとりあえず幸せだから。 今を生きるのに精一杯だから。

そして、残るのはたぶん、つかみどころのない虚しさだけ 


かな?・・・。


あいぞうさんは1年後にこの思いにたどり着いたのですが、僕はその当時はまだまだ目先のことに振り回され荒れまくっていました。(苦笑)


うまく言えないのですが・・・。


妻の浮気が発覚したとき、そのときに僕は妻と一度「死別」したのではないかと今は思います。 そのときに持った悲しみや苦しみは自分の妻と「死別」してしまったからではないかと。


自分が勝手に思い描いていた「自分の妻」との決別です。

妻は僕の中から一度死んだのです。


妻は僕の妻でありながら、以前の妻ではない。 別人の妻です。 おそらく。


今はその妻を受けれようと努力しつつ、現実の生活に追われながら、妻との新しい生活を生きているというところでしょうか。


あ~、やっぱりうまく言えない。 でも、7-8割がたは言えたかも。


昔の妻はいない、今は新しい妻と新しい生活をスタートしたところ。


これが今日の結論かな。
まぁ、先は長いということでしょうね。(苦笑)


久しぶりの記事なのにまとまらなくてすみません。