この間フジのFNS歌謡祭に橘いずみが出てた
前回の記事で自分がすっごく落ち込んでた時良く聞いていた歌
FNSで歌ってた失格も聞いてた、ハッキリしたものの言いようが聞いると自分の溜めている色々な感情を少し小さくしてくれるような、悩み事持ってる人は世の中にたくさんいて、自分の悩みなんてちっぽけなもんだって自分に言い聞かせるような
自分の悩みは友人の事だった20歳の時、親友と思っていた人と意見が合わなくなって
自分から離れた、その選択は自分でしたのに1年以上(正確には今も)引きずってた
今思えば、価値観の違いが大きかったと思う
友達は思ってることは全部吐き出せって考えで、私は吐き出せない性格
そこでイライラさせてしまったのだろうし、全部伝えて欲しいって言われた時にうまく自分の考え方、性格、すべてを伝える事が自分には出来ないんだっていう事を言えれば良かった・・
言ったところでどうなったかはわからないけど、伝えられなかったことは後悔している
分かり合えなかったにしろ、自分の考え方、価値観と言うのをわかってもらうべきだった
話してそれでも分かり合えないのなら、互いに納得して離れることが出来たかもしれない
会社の仲間にはそういう事話せてたかな、今となってはどんなふうに話していたかすら覚えてないんだけど、この辛い気持ちがあったからこそみんなと仲良くなれたと思ってる
毎週のようにカラオケ行ったり、ボーリングしたり、映画もよく借りて見たりした
焼肉屋さんにも良く行ったね、今考えると贅沢してたんだな~
みんながいたから、少しずつ立ち直ることが出来て、みんながそこにいる事受け入れてくれたから自分は自分のままでいいんだって思えた。みんながいなかったら友人と離れた自分に価値がないと籠ってしまったんじゃないかと思う。
橘いずみ 太陽
この歌いきなり死なないでとか、歌詞がびっくりするかもしれませんが大切な人の存在に向けての歌として聞いてもらえたら誰にでも共感できるのではないかと思います。
私はみんながいたから、みんなの中にいることを受け入れてもらえたから立ち上がることが出来た
(周りから見たら)ただ騒いで遊んでるだけに見えてたのかもしれないけど、私にはリハビリ期間だったのだと思う。辛い時期でもあったけど、みんなと遊べて一緒にいられたことに感謝してる
もう1人誕生日におめでとうと電話をかけてきてくれた人にも感謝したい
中学のころから文通してた人(もう20年とか前)学生の頃のように手紙を年中かわすことはなくなっていた20歳、それでも自分の気持ちを1番表現できるのは手紙だった
1人になって気持がグルグルしてしまうと出すところが無くなっちゃうんだよね・・
だから、当時の私は一方的に状況や気持ちグルグルしてる思いを手紙に書いて送ってた
書くだけで感情が整理されて落ち着いてくる。私に手紙と言う救いを与えてくれたのはこの人だった。20歳の誕生日おめでとうって電話をくれた、凹んだ手紙ばっかり書いてたから勇気必要だったと思うよ、それでもおめでとうって何度も言ってくれて、凹むことが当たり前だったからおめでとうなんてプラスの言葉なかなか聞かなかったんだよね・・
おめでとうって聞いて、あっ今日はめでたい日なんだって
たいした話はしなかったけど、そこからエンジンかかって元気になって行った感じかな
今冷静にあの頃を振り返れるのは、一緒に遊んでくれた会社の仲間と文通相手の存在
結婚して、退職して今は外の世界とつながりをあまり持てないけど、ネットでのつながりも意外といいものだなって思ってる。同じ状況の人、価値観の人、つながり関連から人へとつながり友達になれる。住んでいる場所や本当の名前を知らなくても信じられる人が少しずつ増えていて
未来は意外と明るい♪
前回の記事で自分がすっごく落ち込んでた時良く聞いていた歌
FNSで歌ってた失格も聞いてた、ハッキリしたものの言いようが聞いると自分の溜めている色々な感情を少し小さくしてくれるような、悩み事持ってる人は世の中にたくさんいて、自分の悩みなんてちっぽけなもんだって自分に言い聞かせるような
自分の悩みは友人の事だった20歳の時、親友と思っていた人と意見が合わなくなって
自分から離れた、その選択は自分でしたのに1年以上(正確には今も)引きずってた
今思えば、価値観の違いが大きかったと思う
友達は思ってることは全部吐き出せって考えで、私は吐き出せない性格
そこでイライラさせてしまったのだろうし、全部伝えて欲しいって言われた時にうまく自分の考え方、性格、すべてを伝える事が自分には出来ないんだっていう事を言えれば良かった・・
言ったところでどうなったかはわからないけど、伝えられなかったことは後悔している
分かり合えなかったにしろ、自分の考え方、価値観と言うのをわかってもらうべきだった
話してそれでも分かり合えないのなら、互いに納得して離れることが出来たかもしれない
会社の仲間にはそういう事話せてたかな、今となってはどんなふうに話していたかすら覚えてないんだけど、この辛い気持ちがあったからこそみんなと仲良くなれたと思ってる
毎週のようにカラオケ行ったり、ボーリングしたり、映画もよく借りて見たりした
焼肉屋さんにも良く行ったね、今考えると贅沢してたんだな~
みんながいたから、少しずつ立ち直ることが出来て、みんながそこにいる事受け入れてくれたから自分は自分のままでいいんだって思えた。みんながいなかったら友人と離れた自分に価値がないと籠ってしまったんじゃないかと思う。
橘いずみ 太陽
この歌いきなり死なないでとか、歌詞がびっくりするかもしれませんが大切な人の存在に向けての歌として聞いてもらえたら誰にでも共感できるのではないかと思います。
私はみんながいたから、みんなの中にいることを受け入れてもらえたから立ち上がることが出来た
(周りから見たら)ただ騒いで遊んでるだけに見えてたのかもしれないけど、私にはリハビリ期間だったのだと思う。辛い時期でもあったけど、みんなと遊べて一緒にいられたことに感謝してる
もう1人誕生日におめでとうと電話をかけてきてくれた人にも感謝したい
中学のころから文通してた人(もう20年とか前)学生の頃のように手紙を年中かわすことはなくなっていた20歳、それでも自分の気持ちを1番表現できるのは手紙だった
1人になって気持がグルグルしてしまうと出すところが無くなっちゃうんだよね・・
だから、当時の私は一方的に状況や気持ちグルグルしてる思いを手紙に書いて送ってた
書くだけで感情が整理されて落ち着いてくる。私に手紙と言う救いを与えてくれたのはこの人だった。20歳の誕生日おめでとうって電話をくれた、凹んだ手紙ばっかり書いてたから勇気必要だったと思うよ、それでもおめでとうって何度も言ってくれて、凹むことが当たり前だったからおめでとうなんてプラスの言葉なかなか聞かなかったんだよね・・
おめでとうって聞いて、あっ今日はめでたい日なんだって
たいした話はしなかったけど、そこからエンジンかかって元気になって行った感じかな
今冷静にあの頃を振り返れるのは、一緒に遊んでくれた会社の仲間と文通相手の存在
結婚して、退職して今は外の世界とつながりをあまり持てないけど、ネットでのつながりも意外といいものだなって思ってる。同じ状況の人、価値観の人、つながり関連から人へとつながり友達になれる。住んでいる場所や本当の名前を知らなくても信じられる人が少しずつ増えていて
未来は意外と明るい♪
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