古川佳治のブログ

DJフルフルのラジオパーソナリティーよもやま話、鉄道ネタ、その他感じたことなど徒然なるままに。

DJフルフルの「天までとどけ」に人生を想う。

2017-05-23 11:29:41 | 日記
爽やかな季節・・・でも、
 今年の5月はぐずついた雨の日が続いたり、
  真夏を思わせつ暑さになったりと、
   不安定な天気が続きます。
 ラジオをお聴きの皆様も、当ブログをご覧の皆様も、
  暑さに慣れないなか、
   どうかご自愛くださいませ。
 
さて、先日「あの人は今」的なテレビ番組を
 拝見していたら、私にとっても
  大好きなドラマ「天までとどけ」の
   出演者たちが集まった内容に感動しました。
 
かつてTBS系で放送された「昼ドラ」で、
 大家族をテーマにしたもの。
  1991年から99年まで、
   ほぼ毎年3月から5月ごろに
    放送していたのを記憶しています。
昼ドラでは驚異的な高視聴率だったそうで、
 ドラマをご覧になっていた方も多いと思います。

 大人数のきょうだいそれぞれの成長や
  交友関係などを題材にし、
   毎回楽しく、心温まり、
    時には涙し、自身と重ねて
 自身の人生など、
  いろいろ考えさせられるものでした。
 
放送当初の私は、高校2年から3年へと
 進学する頃で、いわゆる「思春期」
  受験や勉強、交友関係など
   充実していた一方、いろんな悩みも
    抱えていたと記憶しています。
 学校が始まった4月以降は
  録画して見ていました。

その後、何回かの続編の放送も、
 やはり春休み前後の時期で、
  私も大学に進学し、一人暮らしをしながら、
 2月から3月の「長い春休み」中には、
  昼ごろに起きて食事をとりながら
   午後1時から30分間視聴し、
 昼寝して・・・夕方からバイトに出て、
  夜遅く帰ってくる・・・。
なんて、何とも「のほほん」な生活を
 していたような気がします。
 
学生時代は友人もあまりいなく、
 ましてや恋人もない頃の私でしたけどね・・・。

そして、フリーターなどを経験し、
 「完結編」の放送となる1999年春。
 地元テレビ局の開局に伴い、やっと私も
  所属事務所が決まり、そこからアナウンサー
   として派遣される!?と信じていた私・・・。
 蓋を開けてみると、学生時代に少しかじっていた
  程度のもの・・・。社会人経験も乏しい私は、
   アナウンサーとして華々しくデビュー・・・
 するわけもなく、
  専門外というか畑違いというか、
   今とは異なる「関連」の仕事でした。
でも今考えると「修行」期間だったのに、
 元気なく、毎日ふて腐れていたような
  生活が続いたのは、今でも悔みます。
 まぁ、そういう経験が、今の私の仕事に
  生かされているような気もしますが・・・。
元気を失っていたなか、録画してまで
 視ていたこのドラマは、
  やはり心癒され「頑張ろう」という気にも
   させてくれました。

きょうだい役の一人で俳優だった方が、
 2008年に不慮の事故で亡くなられた時も、
  その新聞報道を自身の担当番組で伝え、
   ショックだったのを記憶しています。

久々にテレビに出てきたきょうだいの
 成長した姿を拝見し、
  私自身の10代後半から20代半ばを
   重ねつつ、
このドラマには
 「ありがとう!
   お陰で元気が出たよ!」と、
 当ブログを使って恐縮ですが、
  心よりお伝えしたいと思い、
   長文を綴ってみました。
 
  ≪ おまけ ≫
 
新緑まぶしい宇都宮市中心市街地
 「シンボルロード」のトチノキ並木。
   街中で清々しく森林浴気分です!




DJフルフルの東武特急リバティに会う!

2017-05-08 21:15:31 | 日記
あっという間にゴールデンウィークも
 終わってしまいましたが、
  当ブログをご覧の皆さんは、
   どんなふうに
    過ごされたのでしょうか?
今回は私にとって曜日の配列が
 何とも言えないカンジで、
  赤い表示の日は、
   すべて仕事に費やしました・・・。
 でも、元気に仕事できるよろこびを
  味わうことができました。
 
ただ、4月30日(日)は
 宇都宮のAMラジオ局での
  4連チャン勤務後、東京へ。
 友人で舞台役者であり
  舞台をプロデュースする
   竹林林重郎さんのお芝居を観に
    神田へ行き、
 その夜は演者さん、観覧された皆さん
  みんなで「打ち上げ」に私も参加。
   有意義なひとときでした。
 
その翌5月1日(月)
 宿泊先の神田から日本橋を散歩。
  三越前駅から地下鉄銀座線に乗り、
   浅草へ行きました。
 目指すは「リバティ」です。
 
そう、4月21日に華々しく
 デビューした東武鉄道の特急車両です。
  代表的な運用として、
 浅草から3両を2編成繋げて走り、
  途中の下今市駅で分割。
東武日光行きの「リバティけごん」と、
 会津田島行きの「リバティ会津」として
  運用されるというものです。
 
では、前置きはこの辺で、
 浅草の隅田川沿いから撮った画像を
  ご覧にいれましょう。




 
 昼前後に空には灰色の雲がかかり、
  どんよりとした空に・・・。
   もう少し高いアングルで
    撮ればよかったかな・・・。
 まぁいろいろ反省点はありますが、
  またの機会にリベンジしましょう。
 
ホームに入ったリバティを
 今度は浅草駅で撮りました。

 
 前面の貫通扉が大きな特徴の車両。
  東武特急の分割併合運用の実績は
   昭和30年代の1700系
    以前まで遡りますが、
 その後は「快速」「区間快速」の
  6000系→現在の6050系で
   その伝統を受け継いでいました。
 
1720系「デラックスロマンスカー」や
 100系「スペーシア」では不可能だった
  臨機応変な運用が、
 500系「リバティ」でまさに
  特急での「復活!」となりました。
 
これと引き換え、6050系での
 快速・区間快速が廃止になり、
  南栗橋以北の急行・区間急行として
   地域限定運用が開始され、
 浅草口への定期乗り入れが
  消滅してしまったのは
   残念でなりません。
でも、東武鉄道は今年8月、
 鬼怒川線に「SL大樹」がデビューし、
  今、アツい鉄道会社です!
 
さて、リバティに会えたことだし・・・。
 でもあえて乗ることはせず、
  ホームで見送った後、
 浅草、北千住と乗り継ぎ、今度は
  新越谷駅で写真撮りのため下車。
ホームからの撮影ですが、
 少しご覧にいれましょう。
  引退が近い車両たちが・・・。
 ここはしっかり目に焼き付けておこう!

 ↑直通する東京メトロ日比谷線03系。
   18メートル3つドア8両も
    運用残りわずかです。


 ↑こちらは東武20000系。
   やはり日比谷線直通の
    18メートル3つドア8両。
この両者は、メトロ13000系や
 東武70000系の
  どちらも20メートル4つドア
   7両編成に替わります。
 日比谷線の車両規格を東武に
  合わせた格好になり、これで
   各駅でのホームドア設置が進みます。


 ↑こちらは東急8500系。
   東京メトロ半蔵門線を介して
    東武線に直通しています。
   これは東武標準の20メートル
    4つドア規格の車両です。
  これも「いぶし銀」ですね。
 
そんなノスタルジックな通勤車両を
 眺めていると・・・


 ↑3両編成のリバティ通過!
   あっという間の出来事でした。
 
かくして、束の間のゴールデンウィークは
 都内や周辺でのプチ列車旅を
  楽しむことができました。