脱デフレは、「企業部門から家計部門への所得の移転」である

2013年01月19日 09時59分32秒 | 日記
金融緩和、財政政策、成長戦略の「3本の矢」で脱デフレを目指す「アベノミクス」が始動した。日本経済がデフレに陥ってから15年になる。長期に経済が収縮しているにはそれだけの原因があることはいうまでもない。その一つは、労働者の賃金と消費ではないか。
1998年から2011年まで物価は3.9%下落している。これに対して労働者の平均賃金は10.8%下落しており、消費支出は12.7%も低下している。国税庁の民間給与実態調査によれば、民間企業が支払った賃金総額は98年に比べ27兆円も減少している。
 一方、資本金10億円以上の大企業では、純資産が1980年度の37兆円から11年度には308兆円(財務省「法人企業統計調査」)へ、8.3倍に膨れ上がっている。不況の中で大企業は「金余り」になっている。
 安部総理は「日本銀行の輪転機を回し、無制限に通貨を刷る」ことによるインフレ政策、防災目的の公共事業の増加などによる脱デフレを目指している。
 こうした政策がデフレの悪循環を断ち切ることができるかどうかである。
 デフレは国内需要の伸び悩みと社会的な価値配分の歪みではないか。
内閣府によれば、12年7月から9月までの国内総生産は、実質値で前期比0.9%減、年率換算で3.5%となった。ヨーロッパの経済危機が中国の輸出が減少。それによる日本の輸出の減少が大きな要因になっている。加えて尖閣問題も懸念される。
 輸出がGDPに占める割合は、90年代の12%前後から2011年には15%に伸びている。が、GDPの6割弱は家計消費になっている。
 安部総理の「アベノミクス」は、物価だけは上がったけれど、賃金は据え置きという結果になりはしないか、という危険性が孕んでいる。
脱デフレは、お金をジャブジャブ刷ることではなく、「企業部門から家計部門への所得の移転」である。「安定して雇用の拡大と賃金の引き上げ」である。それが日本経済を再生することになる。

除染して帰村は短絡的

2013年01月13日 13時03分35秒 | 日記
東京新聞[こちら特報部]1月11日、飯館村民は、国の除染目標達成でも7割弱は帰還せず、とあった。
糸長浩司日本大教授 が、アンケートをした結果である。調査で、明確になったのは「除染して帰村」という施策しか示さない行政と、「除染は難しく、帰郷の見通しが立たない」と認識して、多様な選択肢に沿った支援を求める住民との落差とある。
今回の調査で印象的だった点として、帰村(避難解除)を決めるための手続きで「村民投票」を望むという回答が最多だったことをあげている。村民の声は「村に戻るという考えが先行し、村民の意見や考えが無視されている」 「勝手に帰村させるようなことを決めても、村民は納得しない」「村は国の言いなりになっている」に代表される。アンケート調査の結果は、国、県、村への不信感を表している。糸長教授は「住民は放射性物質の拡散情報を知らされず、避難が遅れた。自分たちの意向を反映するには村長や村議会を通す形ではなく、直接民主主義しかないと感じたのではないか」と分析している。
国や県、町村は除染を徹底して、帰村、帰町を一日でも早くと考えているが、住民の大半はあきらめている。これが現実ではないか。行政は村、町の再生を考えているとしても、現実的には無理だ。双葉町の線量マップを見れば歴然である。赤と黄色がほとんどで無理としかいいようがない。中間貯蔵施設との共存はありえず、原発の収束は100年単位と考えるべきである。若い人はほとんどが帰村、帰町を望んではいない。  
住民の「声なき声」は徐々に「廃村」「廃町」支持になってきている。
飯館村のアンケートで村行政に期待すること(複数回答)のトップは、除染を上回り「補償・賠償交渉」(73.8%)になっている。これはその裏返しだ。
双葉郡の中・北部は、戻れないことを前提にした復興が現実的になってきているのでは。

総括原価方式の見直しは不可避 

2013年01月09日 07時59分19秒 | 日記
今朝の朝日新聞1面は、日本原電発電せず最高益とある(設立以来28年間無配だった)。原発専業会社の日本原子力発電は電力業界が出資して設立された。原発は、東海第二原発と敦賀原発1号、2号の3基がある。東海第二は地元が反対しており、敦賀には原発の下に活断層が走っている。どちらも再稼動は見込めず廃炉の公算が大といわれている。
 2012年の半期報告書によれば、上半期の発電量はゼロにもかかわらず、売上高は762億円になっている。収入は東京、関西、東北、中部、北陸の5電力からの収入というもの。一方、原発は動かしていないので経費はかからず、儲けが大きくなっている。電気を送らなくとも電力会社から「基本料」が支払われ、「基本料」は原発の維持・管理経費に充ている。
 この費用(「基本料」)は電気を送るためにかかる「原価」として家庭向け電気料金に含めている。東電も関電も昨年値上げした原価に含めている。
 この電気料金算定が「総括原価方式」と呼ばれ、世界一高いといわれている電気料金(家庭用)の根拠になっている。総括原価方式は、昭和6年の電気事業法改正により認可制となり、昭和8年からは採用されてきた。
 電気料金制度における大きな転機は、平成12 年に導入された「値下げ届出制」の導入である。
 「値下げ届出改定では、行政は原価査定を行わないことから、値下げ幅について、事業者による効率化によるものか、過去の届出原価の見積もりが過大であったこと等によるものなのかが明らかになっていない。『東京電力に関する経営・財務調査委員会』報告書においても、「原価の適正性が確保されていないのではないか」、また、『原価の中に電気の安定供給に真に必要なもの以外の費用が含まれているのではないか』といった指摘がなされている。」(電気料金制度・運用の見直しに係る有識者会議)
 原発は、この総括原価方式が有利に働くために優先的に稼動してきた。投下した資本に比例して、法的に「事業報酬」として利益を確実に上乗せして電力価格を決められるからである。設備費、核燃料に(不変資本)に比べれば通常では人件費、献金、寄付(可変資本9が小さく原価の中に忍び込ませることが容易である。原発がやめられない理由はここにある。
 脱原発を進めるには総括原価方式の見直しが不可避である。安部政権は見直しに着手すべきである。

確かな脱原発への道 原野人著

2013年01月07日 07時58分14秒 | 日記
 私の「反原発」の師匠である原野人とさんが「確かな脱原発の道」を時潮社出版した。原さんは日本社会党の原子力政策を一人で担ってきた方である。私は、原発のメカニズム、沸騰水型原発の弱点、総括原価方式の問題など教えられた。
 日本社会党は1972年まで原子力の平和利用は容認していた。原さんは1971年に日本社会党政策審議会の職員になり、党内議論を経て、1972年の党大会において社会党の原子力政策を変更させた一人である。数年前に体調を崩したようだと聞いて心配していたが、この度これまでの日本社会党のエネルギー政策の最前線で活躍した経験を生かして一冊の本にまとめ、私たちに羅針盤を与えてくれた。70年代、80年代と日本社会党がまとめたエネルギー政策は今でも色あせていないことを再確認した。
 非人間的な被曝労働に頼らない限り稼動できない原発は一日も早くなくすべきである。
 脱原発が一日も早く実現できるように、歩みを進めていきたい。
 
 
 

嘘をついてはいけない

2013年01月06日 20時15分32秒 | 日記
世界2月号片山善博の「日本を診る」民主党の退廃とその教訓を読んだ。嘘をついてはいけないとして民主党の公約違反への鈍感さを指摘している。民主党の能天気さと傲慢さだ。次いで復興予算のスピード感のなさぬついての指摘。復興予算の編成は急務であったにもかかわらず、当時の野田財務大臣は手持ちの金で補正予算を組むのは良いとして、それを上回るのは新たな財源が伴わなければダメで、「増税なくして復興なし」ということだったと。国債の発行で補正予算編成をすべきところを、増税を余生予算編成の条件にしてしまったと嘆いている。また片山大臣は力不足だったと反省している。これが菅内閣の実態だったというものだ。この点でも民主党政権は大きな過ちを犯したと指摘。これば民主党政権が残した貴重な教訓ということだ。さらに、復興とはまるで関係のないところに使いまわされたことにも言及。このルーズな使い方については政府の退廃はここに極まったと。野田政権は国民・納税者と被災者を愚弄していたと。片山氏は言っている。
こうした結果が衆議院選の大敗となった。松下政経塾の限界という人もいるが、新自由主義を批判して政権を獲得したはずが新自由主義の政権になったことは皮肉である。これは資本主義の賞味期限が近づいていることの証か。