年とっても心さわやかに・・・前に進む

日々の出会い、今まで出会った多くの人たちとの会話を大事に、これからも「苦は人生の種」として、小さな夢を求めて進みたい。

いとこ・船井幸雄死亡

2014-01-20 20:49:36 | 日記

船井総合研究所会長・船井幸雄が亡くなる。

昨夜1/19 22.01分肺炎のため病院でなくなる。

密葬・家族葬1/21・22に行う

社葬は(公表1/22)船井総研

2月14日午後1時より

東京・芝増上寺大殿にて

喪主・次男勝仁

 

正月は、家で少しのお祝いの酒飲む。

1月10日は、幸雄さんの満81歳の誕生日。

いつも、自分は恵比須さんに生まれたから、

福を生かすと言っていた。

 先祖の墓地が大阪の松原市にあるので

東京へ行ってからも、毎年盆・正月の墓参りには

必ず帰ってくる。

その時必ず私の家に寄って私の母に会う。

昔懐かしく・・・話題に花咲く。

彼の母は、生前度々私宅へ泊りに来られ(姉妹)、

息子(幸雄)の話を喜んでされてたのを思い出す。

実は、

彼の父と私の父は兄弟、彼の母と私の母も姉妹

ダブル兄弟・姉妹で育った。

家は本家・分家で隣どうし。

小さいときから、小・中・高と隣り屋敷で、

203番地と204番地の住み処。

風呂も一緒で、

将棋・囲碁して良く遊んだ3歳上の従兄。

小さいときから本が好きで、私の家でいつも

読書していた。私の親父に本をせがんで・・・。

先祖は地元、熱田神社に関係深く、叔父が神主で

小さいころ、祖父母と共に、ほとんど神社におった。

 

私は、教員生活1本で進む。

オヤジの姉兄妹弟7人のいとこ24人いる中で

故郷にずっと住んでいるのは、私一人。

お寺、神社、町会のお世話もさせてもらいながら

故郷一筋そして船井家を守り抜いている人生になった。

 彼、幸雄さんは京大卒後、

ず~と経営コンサルタントを目指していた!

1970年、ニホンマーケチングセンター(船井総研)設立。

1988年株式(大証・東証)1部上場・・・。

大阪のどぶ池をさまよい、30歳からテレビに出演して

出版も400~500冊・・・最初の頃、1冊づつ出版するごとに

私の家に本を持って私の母親(96歳死亡)に、

いろいろ話していた。10年前、私の母の法事には

もの凄く元気でイトコ同志、賑やかにしゃべって

いたのが昨日のように思う。

昔の本、何十冊家に並んでいる。>

思い出、尽きない果てしない・・・

本家の幸雄・幸子・勲の3兄妹弟と

分家の艶子・進・節子の3姉弟妹は、

両親とも兄弟・姉妹で

特に血が濃く、6人兄弟姉妹として育った。

 

幸雄81歳、艶子80歳、幸子79歳、進78歳

勲76歳、節子75歳・・・小さいとき共に育った

6人の長兄・幸雄さんが亡くなったことは寂しい。

船井総研でない、小・中・高校時代がなつかしい。

 

80歳台になったイトコも次々亡くなって行く年齢になった。

自分は

みんなが生まれ育った先祖を守り、少しでも長く

生きて、船井家を守れたらと願っている。

やっと、私もゆとりが出来、幸雄さんとゆっくりと

昔を語り、今を語り明かしたいと

思っていた矢先のご逝去、誠に残念です。

ご冥福お祈り申し上げます。

 

船井幸雄ブログ・ネットより

船井幸雄さんが昨夜お亡くなりになりました。

ご冥福お祈り申し上げます。

1つご紹介。

競争心で、がんばる効力よりは、分かち合い

助け合う方が、その効力は何十倍にもなります。

分かち合うと、

嬉しさは倍になり、悲しさは半分になります。

助け合うと何倍もの「幸せ」が生み出されます。

                 船井 幸雄

1/17には、日経新聞の朝刊にも・・・

船井勝仁(幸雄の息子)により

船井幸雄の新刊についてお知らせ。

船井幸雄の新著「未来へ言霊」

<息子・勝仁・・・船井総研社長>

 

 

 


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