せっかく上野に来たことですし、ちょうどお昼の時間にもなりそうなことで、少し早い(11時)のですが混雑する前に済ませてしまおうと。
せっかく「おはなみ」に来たのですから、上野大仏の近くにある洋食で有名な「精養軒」にしようかとも考えたのですが洋食という気分ではなく、結論的にそのとなりの日本家屋造りの「韻松亭(いんしょうてい)」にしました。
日本家屋造りであり、入り口付近に案内されているお昼のメニューを見るとちょっと私的には敷居が高そう。そして、お値段はやはり、そこそこ高い。ただ、お店の方と目が会っちゃいましたし、たまにはちょっといいものを食べておきませんと。
ということで、翌日からは質素に生きていく予定としてお昼のメニューのなかでもぜいたくな「花籠本膳」をいただきました(会席はさすがに手が出ません)。
お昼ご飯を紹介する前に、案内された部屋が立派なこと。まるで高級料亭にでも来たかのような眺(なが)めです。新緑の季節などでしたら窓の向こうが緑一色なのでしょうね。
一の膳:よせ豆富、お造り、茶碗蒸し、湯波刺し
二の膳:花籠、出汁巻玉子、鰊甘露煮、茄子、隠元、松風、丸十、酢取り蓮根、蟹真丈、南瓜など
三の膳:揚げ物、豆ご飯、香の物、止め椀
最後に水菓子(ワインゼリーとお麩のおまんじゅう)
韻松亭は1875年に創業。
1868年1月3日に始まる鳥羽・伏見戦争(鳥羽・伏見の戦)から上野戦争、そして北越(北陸)戦争・東北戦争、さらに1869年5月に終る箱館戦争まで行われた戊辰戦争が終わり、明治政府によって近代化を進め始めた日本。
戊辰戦争で敗れた江戸幕府の徳川家の菩提寺・寛永寺の境内地を没収します。そして1872年に兵部省(現;防衛省)は寛永寺の敷地を陸軍病院、陸軍墓地にすることを決定します。しかし、オランダ人軍医・ボードワン博士が豊かな上野の山をみて、「学校や病院を建てるのは間違いだ」と反対し、明治政府に「近代的な公園にすべき」と提言し、明治政府は欧米諸国にならって都市公園建設を計画し直します。
せっかく「おはなみ」に来たのですから、上野大仏の近くにある洋食で有名な「精養軒」にしようかとも考えたのですが洋食という気分ではなく、結論的にそのとなりの日本家屋造りの「韻松亭(いんしょうてい)」にしました。
日本家屋造りであり、入り口付近に案内されているお昼のメニューを見るとちょっと私的には敷居が高そう。そして、お値段はやはり、そこそこ高い。ただ、お店の方と目が会っちゃいましたし、たまにはちょっといいものを食べておきませんと。
ということで、翌日からは質素に生きていく予定としてお昼のメニューのなかでもぜいたくな「花籠本膳」をいただきました(会席はさすがに手が出ません)。
お昼ご飯を紹介する前に、案内された部屋が立派なこと。まるで高級料亭にでも来たかのような眺(なが)めです。新緑の季節などでしたら窓の向こうが緑一色なのでしょうね。
一の膳:よせ豆富、お造り、茶碗蒸し、湯波刺し
二の膳:花籠、出汁巻玉子、鰊甘露煮、茄子、隠元、松風、丸十、酢取り蓮根、蟹真丈、南瓜など
三の膳:揚げ物、豆ご飯、香の物、止め椀
最後に水菓子(ワインゼリーとお麩のおまんじゅう)
韻松亭は1875年に創業。
1868年1月3日に始まる鳥羽・伏見戦争(鳥羽・伏見の戦)から上野戦争、そして北越(北陸)戦争・東北戦争、さらに1869年5月に終る箱館戦争まで行われた戊辰戦争が終わり、明治政府によって近代化を進め始めた日本。
戊辰戦争で敗れた江戸幕府の徳川家の菩提寺・寛永寺の境内地を没収します。そして1872年に兵部省(現;防衛省)は寛永寺の敷地を陸軍病院、陸軍墓地にすることを決定します。しかし、オランダ人軍医・ボードワン博士が豊かな上野の山をみて、「学校や病院を建てるのは間違いだ」と反対し、明治政府に「近代的な公園にすべき」と提言し、明治政府は欧米諸国にならって都市公園建設を計画し直します。
と、これが日本初の公園であり、現在まで続く上野恩賜公園ができた経緯です。
ただ、それまで上野全山に広がる大寺院だった寛永寺は公園化によって縮小されてしまいました。
また、明治政府は公園を訪れる市民のために飲食施設も必要と考え、いくつかの食事処を造らせました。そのひとつが韻松亭になるそうです。
そんな韻松亭の豆腐は滋賀のみずくぐりという100%国産の大豆を使用し、毎朝自家工房にて職人がその日の分だけを手作りしているそうです。そのほか生麩・こんにゃくもすべて手作りでございます。いちばんの売りでもあるようで、美味しかったです。美味しんぼの「ワインと豆腐は旅をさせてはいけない」というのが判るような気がします。
居心地のいい、特別なひととき。日常のなかの非日常の時間を料理とともに楽しく過ごすことができました。
ただ、それまで上野全山に広がる大寺院だった寛永寺は公園化によって縮小されてしまいました。
また、明治政府は公園を訪れる市民のために飲食施設も必要と考え、いくつかの食事処を造らせました。そのひとつが韻松亭になるそうです。
そんな韻松亭の豆腐は滋賀のみずくぐりという100%国産の大豆を使用し、毎朝自家工房にて職人がその日の分だけを手作りしているそうです。そのほか生麩・こんにゃくもすべて手作りでございます。いちばんの売りでもあるようで、美味しかったです。美味しんぼの「ワインと豆腐は旅をさせてはいけない」というのが判るような気がします。
居心地のいい、特別なひととき。日常のなかの非日常の時間を料理とともに楽しく過ごすことができました。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。