ということで、上野恩賜公園(台東区)に私が訪問したときの「お花見」はまだまだの状況でした。
それでも平日の午前中だというのに、どこから人がやってくるのか・・・。私がすれ違うと思われる2~3ヶ月分の人と1日ですれ違ったような気がします。
そうは言ってもでは、「上野でおはなみ」をしなければならないので、いつ行っても必ず「おはなみ」ができるところでのベストショットが、これ(↓)です。
まぎれもなく「おはなみ」です。しかも、超至近距離で・・・。
これはに初建された上野の大仏様、通称「上野大仏(うえのだいぶつ)」。創建当時は像高約6mの釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)でした。
しかし・・・、
1647年:正保相模の地震により倒壊
1649年:慶安川越地震により、頭部が落下
1658年~1661年:金銅像として再興
1649年:慶安川越地震により、頭部が落下
1658年~1661年:金銅像として再興
1841年:火災により大仏、仏殿が損傷
1843年:大仏を新鋳再建、仏殿を修復
1855年:安政江戸地震により、頭部が破損。再び修復
1875年:上野恩賜公園の整備に際し仏殿撤去。露座に戻る
1923年:関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄
1940年:軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され消滅
1843年:大仏を新鋳再建、仏殿を修復
1855年:安政江戸地震により、頭部が破損。再び修復
1875年:上野恩賜公園の整備に際し仏殿撤去。露座に戻る
1923年:関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄
1940年:軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され消滅
と、地震で3回、火事で1回と計4回も首が落ちています。その都度再建されますが、関東大震災によって崩壊したのち、戦争による軍の供出令(きょうしゅつれい)により胴体を徴用されてしまいます。
それでも、1972年に寛永寺に保管されていた顔面部のみをレリーフとして大仏殿の跡地の大仏山という丘の上に安置されています。
なお、胴体を失い顔面部のみが残っているため、「これ以上落ちない」という意味で「合格大仏」とも呼ばれ、受験生などが祈願する方が多いそうです。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。