2011年3月に起きた、もう一つの大震災。
東日本大震災が発災したのが3月11日午後2時46分。それから約13時間後の3月12日の午前3時59分。
長野県下水内郡栄村と新潟県中魚沼郡津南町との県境付近で発生したマグニチュード(M)6.7の直下型大地震。震度6強の強い揺れが長野県北部の栄村を襲い、本震に続いてM5以上の2回の余震が2時間内に相次いで発生しました。
しかし、発生時は真夜中であり、さらに当日は東日本大震災の翌日であったため、未曾有の被害となった津波や福島第一原子力発電所の事故被害などが優先され、人口2300人の栄村の報道は少なく、村内全域の804世帯2042人に避難指示が出たにもかかわらず、「忘れられた被災地」となりました。
今でも、長野県内のニュースでは報道されますが、全国的なニュースではほとんど報道されることはありませが、発災後には、神戸市消防局・兵庫県・奈良県より緊急消防援助隊計361名、自衛隊航空隊と大阪市消防局・京都市消防局より消防ヘリコプター派遣が派遣されたり、多くの義援金が贈られたり支援されました。
ちなみに、この長野県北部地震の被害を村では、「栄村大震災」と呼んでいます。
人的被害は、亡くなった方3人、軽傷10人。建物の被害は、全壊33棟、半壊169棟、一部損壊は486棟に上っています。全世帯の97%に何らかの被害が出ており、道路や橋は175箇所で損壊、田畑や農道、水路などの被害は1000箇所以上に及び、住宅を除く被害総額は約55億円で、村の予算規模約20億円の2倍以上となりました。
5月5日に、当時の仙谷由人官房副長官が現地視察したときに、「雪が地震とともに複合的に災害の原因となる怖さを改めて実感した」と記者団に述べていますが、栄村は日本有数の豪雪地帯に位置しています。
2012年7月には天皇・皇后両陛下が栄村の仮設住宅を訪問。同年中に「震災復興住宅」31戸が建設されました。同年10月に震災復興計画が策定され、復旧から復興への本格的な取り組みが始まっています。
2020年は新型コロナウイルス感染拡大を受け、村内のJR飯山線JR森宮野原駅前で毎年3月12日夜に開く「復興灯明祭」は、村歌の合唱、飲食の振る舞いなどを中止され、ろうそくを並べて「3・12栄村」の文字を作ってともす復興祈願や黙とうのみが行われました。
村の人口は震災前から400人以上減り、1800人を割りました。人口に占める高齢化率(65歳以上の割合)は53%(2019年10月時点)と、長野県内2番目の高さになりました。「平成の大合併」の動きの中で、村は合併せずに自立の道を選んできましたが、復興とともに、村の再生といった課題に向けた取り組みを進めています。
JR森宮野原駅近くには、震災を語り継ぐため、「栄村震災復興祈念館」が2016年4月に開館しています。震災から10年になる直前の2021年3月7日に、初めて栄村を訪問してきました。
ここでは、震災を経験した村民の方々の映像、復興に向けた取り組みや思いを見ることができます。
震災当時も雪深かったそうですが、2020年-2021年の冬も雪が多かったとのことです。
どうか、栄村のことも記憶に残しておいてほしいと思います。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。