「個人の力ではなくチームの力を集結して取り組む」
でも、チームで対応することで本当に解決するんでしょうか。この言葉での本質を間違えてはいけないと考えます。
1964年のある日の夜。ニューヨークで事件がありました。
被害者は最初に犯人に襲われたときに大きな声を出したため、犯人はその場から逃げましたが、その時に誰も出てこなかったため、再び被害者の元へ戻ったのです。
このようなことが30分ほど繰り返されたと言われています。
この事件の主因は犯人ではなく周囲に住んでいた人々だと言われています。
周囲では38名もの人が被害者の声を聞いていたといいますが、誰も警察に通報することをしなかったのです。
この事件に対して、社会モラルの低下だと一言で済ましてしまうことは簡単なことですが、ある学者は多くの人が声を聞いていたからこそ誰も助けなかったのだと考え、実験によってこれを証明したのです。
これが「責任分散」という考え方になります。
「責任分散」とは、そこに自分一人しかいない場合、責任は自分一人が背負うことになるので助けに行くが、多くの人がいる場合には自分が助けなくても責任が分散し、自分一人の責任ではなくなるという集団心理の一つです。
つまり、より多くの人が関わっていればいるほど、また自分よりも能力があると思われる人がいればいるほど、見られる集団行動です。
「自分が助けなくても、誰かが助けるだろう」これが「責任分散」なのです。
会社の会議でも出席者が多いほうが少人数の会議よりも意見が出なかった。
大勢いるときよりも、少人数の方が元気よく声が出ている・・・ことはよく見かける光景です。
これはこの心理が働いているのでしょう。
その他大勢の方が楽なのは確かに判ります。責任がありませんから。
自分に自信がないと、集団の中でリーダーシップを取るのは嫌だと考えます。確かに嫌です。
責任もありますし、面倒なことですしね。
グループのなかで、誰もリーダーになりたがらないということ。
「一人が どんどん話を進めていく」
こんなことは、よほどのことがない限りありません。
皆で決めていくことです。みんなで責任を持つことです。でも、そのときに注意しないといけないこともあります。
いろいろな価値観があるのですから。
一見、民主的な運営かもしれませんけど。
単に自分ひとりで責任を負いたくないからなのでしょうね。
気をつけないといけません。
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まっくろくろすけ

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