野球小僧

東北高等学校 硬式野球部

東日本大震災で被災されました方々へ心からお見舞い申し上げます。また、犠牲になられました方々へ心からご冥福をお祈り致しますと共に一日も早い復興をお祈りいたします。

青森県光星学院高が東北地方を代表して、被災者へ贈る選抜大会「東北勢1勝」を挙げたのに続いて、震災から17日目の28日に宮城県の東北高が春夏合わせての40回目の甲子園に登場しました。
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東北高ナインは帽子のつばの裏に「2011・3・11東日本大震災」と記して望んだこの大会。
結果的には岐阜・大垣日大高に0-7で敗退してしまいました。

しかし、3回には2アウト一塁から、3番の小川選手がライトへ大飛球を放ち、打球は右翼手の頭上を越えて、フェンスに当たってグラウンドへ。一塁塁審がホームランと判定したのですが、審判が協議した結果、エンタイトル2ベースとなり、このチャンスに後が続かず、結局無得点に終わるという幻のホームランというドラマも出ました。

3月11日までは甲子園での晴れ舞台で試合をすることに夢見て練習をしていたと思いますが、あの時間以降は練習もほとんどできなかったものだと思います。

選手たちは避難所でのボランティア活動で給水活動などを手伝い、水を入れたポリタンクを持って周辺の住宅も回ったりしていたそうです。
避難所に避難している方々からは「負けるなよ」、「勝って宮城を明るくして」などの激励を逆に受けたそうです。
野球どころではないはずなのに逆に励まされ・・・

東北地方では過去にも災害に遭っています。
それを乗り越えてきた歴史の中で暮らしてきた人たちの強さ、暖かさがこれだけでも感じられます。

一人ひとりの選手が負った心の傷なども計り知れないものがあります。
ある選手の中学の同級生の女子は母親を亡くしました。別の女子は意識不明のまま病院に運ばれ、一命をとりとめたそうです。
別の選手は中学の同級生2人を失い、まだメールの返信がない仲間も数人います。
野球部部長も津波で野球部同期の仲間を失っています。

 

先日の新聞に掲載されていた記事によると、この震災で多くの小中高の児童と生徒が被害に遭われ、まだその何倍もの行方不明の児童と生徒がいるとのことです。
この中には野球だけではなく、当然将来への希望や夢を持っていたものだと思います。

そんなことを思えば、今こうして生きている私たちは「どんな逆境も負けない」と思わなければいけません。
東北高の選手の帽子に書かれた「宮城県孝行 全力疾走」ならぬ、「親孝行 全力疾走」です。

避難所では、「表情に出さずに立ち向かっていく姿に勇気をもらうね。応援している時は避難生活を忘れられる。久しぶりに、こんな大きな声を出して笑ったよ」と、TVの前で声援を送っていたり、ある小学5年生の子は床上浸水した自宅から大切にしていたグラブを見つけ、そのグラブを手に試合を見つめました。

「早く野球をやりたい。甲子園は憧れの場所。いっぱい練習して甲子園に行きたい」

明日になるのか、明後日になるのかは判りませんが、東北高は地元宮城県に帰ります。
下を向くことなく、胸を張って帰って行って欲しいと思います。

東北高硬式野球部の選抜大会は終わりました。
試合には負けましたが、震災に向かう姿勢に対しては勝ったと思います。

きっと、これからも勝ち続けて行ってくれると願っています。


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