第101回全国高等学校野球選手権の大会第9日目は二回戦最後の3試合が行われました。
■第1試合
仙台育英高は1回表に小濃選手のソロホームランと猪股選手のタイムリーヒットなどで一挙4点を奪い先制。7-5と追い上げられた7回表には、大栄選手のタイムリーヒットでリードを広げた。敗れた鳴門高は、4回裏に5点を挙げ、一時は1点差まで追い上げるも及ばず、3年ぶりの三回戦進出とはなりませんでした。
仙台育英400201100|8
鳴門 000500000|5
■第2試合
鶴岡東高は2回表、山路選手がタイムリーヒットを放つなど、打者一巡の猛攻で5点を先制。その後、8回表に丸山選手のソロホームランと河野選手の2点タイムリーヒットで3点を加え、続く9回表には丸山選手の2打席連続ソロホームランが飛び出し追加点を挙げ、三回戦進出をきめました。敗れた習志野高は、一時は2点差まで追い上げるも及びませんでした。
鶴岡東050000031|9
習志野000200120|5
■第3試合
関東一高は1-1の同点で迎えた5回裏、野口選手のタイムリーヒットなどで4点を挙げ、勝ち越し。1点差とされた直後の7回表には、渋谷選手の犠牲フライでリードを広げ、このまま逃げ切り、関東一高が4年ぶりの三回戦に進出しました。敗れた熊本工業高は、終盤に追い上げを見せるも、守備の乱れによる失点が響いてしまいました。
熊本工000100301|5
関東一00104010x|6
鳴門海峡に渦巻く激しい潮流。世界三大潮流の一つとして知られる「鳴門の渦潮」。最大で直径30mもの渦が発生するという鳴門海峡。
その鳴門の渦潮になぞらえた、「うずしお打線」と呼ばれる打撃力で知られるのが、徳島県立鳴門高等学校硬式野球部です。甲子園初出場は前身の撫養中時代の1938年(昭和13年)。以降、1950年(昭和25年)夏に準優勝、翌春に優勝、さらにその翌春には準優勝を遂げるなど春8回、夏13回、合わせて21回の甲子園出場を果たしています。
そのうち10回、甲子園へと導いたのが森脇稔監督です。鳴門高から法政大へと進学。1985年から1995年まで母校で社会科教諭、野球部監督となります。その後、特別支援学校、徳島工高(現;徳島科技高)を経て、2007年に鳴門高監督に復帰しています。
鳴門高は昭和の黄金時代、チェンジの際に選手たちが全力で走ったことから、「全力疾走の鳴門」とも呼ばれていました。当時、甲子園という大舞台に緊張した選手たちが、無意識に全力で走っていたということらしいですが、その清々しい精神は現在も受け継がれています。
部員にとっては最もハードな練習が、冬場に行われる名物の坂道ダッシュです。トレーニングの場所はグラウンドの裏にある霊園の坂道。管理者の方の許可を得て、約200mの坂道や石段を全力で10往復するそうです。「冬にしっかりと走り込みをすることで、基礎体力や持久力を身につけ、身体づくりを行っています」と森脇監督。部員たちにとってはハードな練習ではあるものの、仲間とともに苦しさを乗り越えることが、精神面の鍛錬にも繋がっているそうです。
また、2度目の監督就任以降は古豪を再び甲子園常連校に導くため、就任以来新しい取り組みも積極的に行い、元プロ野球選手を含む同校OB4名の外部コーチを招聘しました。打撃、守備・走塁、バッテリーなど個々に担当を持って指導してもらい、選手のスキルアップを行っています。
ただ、厳しいだけではないようです。鳴門高は2012年にベスト8入りしたとき、初戦に勝った翌日は神戸市立須磨海浜水族園に遊びに行ったそうです。そのため、ゲン担ぎの意味も込め、後年、甲子園出場を決めたあと森脇監督自ら「勝って、みんなで須磨の水族館行くぞ!」と鼓舞した年もあるそうです。
これは、大阪、兵庫以外の代表校は毎日、甲子園周辺のグラウンドを練習場所として割り当てられていますが、練習時間は2時間しか確保されていません。つまり、それ以外の時間は案外、「暇」だからなのだそうです。
近畿圏の水族館と言えば神戸海遊館が有名ですが、通称「スマスイ」を選ぶ理由として森脇監督は、「USJなんか行くと、外歩いてるだけで疲れるでしょう。でも、水族館ならクーラーも効いてるし、気持ちも癒されるからいいんですよ」なのだそうです。
ちなみに、駒大苫小牧高が強かった頃、当時の監督を務めていた香田誉士史さん(現・西部ガスコーチ)は初戦に勝つと決まって選手たちをUSJで遊ばせていたそうです。また、木内幸男さんが指揮していた時代の常総学院高は、2003年に全国制覇したときには、一回戦に勝ったら翌日にUSJへ行き、その後は2連休。三回戦に勝ってからは5時半まで自由行動。選手はシャワーを浴びて、私服に着替えて、ゲーセン行ったり、ラーメン屋へ行ったりしていたそうです。
そんな森脇監督名は「継続は力なり」が指導のモットーとなっています。校歌の一節にある「岩をも砕く不断の力」のように、こつこつと同じ練習をやり続けることが大きな力になると信じています。「うちは軟式野球出身者もおり、圧倒的な力を持つスタープレーヤーはいません。代わりに基本練習を繰り返す中で、個々のレベルアップを図り、当たり前のことを当たり前にできるチームを目指してきました」「続ける中で日々の変化を感じ取れるようになってくれれば」と願っています。
締めるところはとことん締め、遊ぶときはとことん遊ばせる。その手綱の強弱が強さのもう一つの秘密でもあるのでしょう。