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野球小僧

はるかなる甲子園 / 栗山英樹

以前の事。帰り道の本屋で(コンビニに寄るだけではないのだ!!)面白そうな本「はるかなる甲子園」を購入しました。

はるかなる甲子園 はるかなる甲子園
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2010-10-28

読み始めると面白い。やっぱり、甲子園・高校野球はいいものだとつくづく思います。
数日後、PCへメールが1通。確認してみると「「はるかなる甲子園」入荷しました。発送します」と・・・

(゜Д゜) はあ??

ポン!! (⌒▽⌒)ノ ≡圀 圀圀

思い出しました。
結構昔にネットで取り寄せていたのでした。ということで、我が家にはこの本が2冊あります。

もう、何処ででも言い尽くされてご存知の全国高校野球大会で史上6校目となる春夏連覇を達成した沖縄・興南高校野球部・我喜屋監督。

「野球だけではだめ。礼儀作法や勉強が大切。野球のゲームは2~3時間で終わるが人生はずっと続いていく。人生での勝利を目指さなければならない」

という。そして、春の甲子園を制して沖縄へ帰り、満開だった桜の花を前に

「桜の花は枝が支え、その枝を幹が支える。その幹を支えているのは目に見えない部分の根っこだ。この目に見えない部分が最も大切になる。甲子園に出られない部員がたくさんいる。部室の掃除をはじめボールの後片付け、グラウンドの草刈りなど高校3年間でたとえ甲子園に行けなくても目に見えない部分で与えられた役目を懸命にこなしている部員がいることを絶対に忘れてはならない。私はそのことを甲子園に出場した18人に言い続けてきた」

と話し、同じように努力している人に対する配慮を欠かしていません。

さて、第2部から「それぞれの夏 其の六 背負えなかったエースナンバー-横浜・松井光介」のお話をちょっと。

松井光介選手は、現東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手です。
170cm程度の小さな身体ですが、最速147km/hのキレのある速球と多彩な変化球が武器。気迫あるピッチングスタイルです。

1994年に横浜高校に入学。松坂大輔選手の二学年上になります。
二年の夏の神奈川予選敗退後、新チームが結成されます。エースで4番として同期に、シニア時代にエースとして史上初の全国3連覇を達成していた丹波慎也さんがいました。
そのため、シニア時代は投手でしたが、外野手としてプレーし、投手としては2番手であり、背番号1は丹波さん、松井選手は背番号8でした。

翌年の甲子園を目指しての練習が始まったのです。
しかし、この練習が始まった直後の1995年8月17日の朝、その丹波さんが心臓発作を起こして急逝してしまいます。
この悲劇がきっかけになり、急遽横浜高校のエースの座を引き継ぎ、チームを引っ張っていきます。

この一週間後には秋季大会が始まります。
この大会は背番号1は欠番となり、背番号8の松井選手がマウンドへ。

そして、1996年第68回選抜高等学校野球大会に出場しますが一回戦で敗退。
夏の第78回全国高等学校野球選手権大会では初戦の北嵯峨高(京都)に8回表まで0-1とリードされましたが逆転勝ち。
二回戦では福井商業高に8回裏までに4-2とリードされていましたが、9回表に自らの悪送球をきっかけに、逆転で負けをしてしまいました。
なお、この日は前年亡くなった丹波慎也さんの命日でもありました。

高校卒業後は亜細亜大学へ進学。日米大学野球の代表選手にもなりました。
その後、社会人のJR東日本へ入社。2005年の大学生・社会人ドラフト3巡目で東京ヤクルトスワローズへと入団。このとき27歳。

なお、この東京ヤクルトスワローズは丹波慎也さんの兄・丹波幹雄さんが所属した球団でもあります。

松坂大輔選手は目標とする選手は「松井光介」といって憚りません。

横浜高校の背番号1にはこんな話があったのです。
そして、今、背負っている背番号にはそれぞれの先輩たちの想いがあるのです。

これだけではありません。小学・中学・高校球児におすすめです。そして、こんなことも感じ取ってもらいたいですね。

「野球は9回で終わるが人生は長く続く。だから野球だけではだめ。勉強をしないと後が大変なことになる」


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