野球小僧

伝説のサッカー選手

2018 FIFAワールドカップロシア大会の最終予選が行われており、日本は1勝1敗の勝ち点3で、なんとか踏みとどまっています。

参加する国と地域は国連加盟国(193)よりも多い205であり、地球上のスポーツの中でも競技人口が多く世界中で人気があります。そして、ヨーロッパのトップクラブチームに移籍することが出来れば、莫大な給料を稼げることが出来ます。ちなみに米国経済誌「フォーブス」が、2016年サッカー選手の年収ランキングを発表しており、レアル・マドリーに所属するポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド選手が1位の年俸5330万ドル(約57億8000万円)となっています。また、2位はバルセロナのリオネル・メッシ選手で、年俸は5050万ドル(約54億8000万円)です。ちなみに、メッシ選手はスポンサーから2600万ドル(約28億2000万円)を受けとっているようです。なお、3位はパリ・サンジェルマン(PSG)に所属するズラタン・イブラヒモビッチ選手で、年俸3010万ドル(約32億6000万円)を貰っています。

ですから、貧困にあえぐ子どもたちがプロサッカー選手を目指すこともあるほどです。

ブラジル人のカルロス・カイザーさんも貧困から脱出すべくプロサッカー選手を目指した一人でした。

本名 ; カルロス・エンリケ・ラポゾ(Carlos Henrique Raposo)
生年月日 ; 1963年4月2日
出身地; リオ・パルド, ブラジル

カイザーさんは10歳のころにブラジルのボタフォゴFR(タッサ・ブラジル優勝1回、ブラジル全国選手権優勝1回、リオデジャネイロ州選手権優勝20回などの実績を残した古豪)というチームのユースチームでサッカーを始めました。その後、16歳までCRフラメンゴ(元サッカー日本代表監督のジーコさんが在籍し活躍していたブラジル全国でも最も人気のあるサッカークラブ)のユースチームでプレー。このユースリーグでフィジカルの潜在能力がスカウトの目にとまり、1979年にメキシコのプエブラFC(国内リーグ優勝2回、カップ優勝4回、CONCACAFチャンピオンズリーグ優勝1回)に入団し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせます。しかし、1試合も出場することなく数カ月後に退団してしまいます。

その後、CRフラメンゴ、フルミネンセFC(リオデジャネイロ州選手権ではフラメンゴに次いで31回優勝。ブラジル全国選手権優勝4回)やCRヴァスコ・ダ・ガマ(リオデジャネイロ州選手権優勝24回、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA優勝4回、コパ・ド・ブラジル優勝1回、リオ=サンパウロ・カップ優勝3回、南米クラブ選手権優勝1回、コパ・リベルタドーレス優勝1回、コパ・メルコスール優勝1回)といった名門チームでプレーを続けました。さらにはフランス二部リーグに所属しているGFCアジャクシオ(フランスアマチュア選手権優勝4回)へ移籍するなど、1990年代初頭までプロサッカー選手としてプレーしました。

しかし、カイザーさんが在籍した多くのチームと結んでいたのは3~6カ月の短期契約で、ほぼすべてのクラブで契約を延長することなく退団し、他のチームに移籍しています。カイザーさんは2011年のインタビューで「他のサッカー選手と同じように、僕は貧乏な家の出身です。でも、成功してお金を稼ぎたかった。そうすれば家族を養えるから。大金を得るのに最も適しているのはサッカー選手になることです。僕はサッカーをすることなくサッカー選手になりたかったんです」と語っており、サッカーをプレーする気がなかったことを正直に告白しています。

それもそのはず、FWであるカイザーさんがプロ選手生活を通して挙げたゴール数はわずかに「1」でした。

1979年にメキシコのプエブラFCを退団した後、カイザーさんはブラジルに戻り再びサッカー選手としての働き口を探します。そのときに大きな力となったのが、ブラジルを代表するロマーリオさん、ロベルト・カルロスさん、レナート・ガウチョさんといった有名選手でした。

カイザーさんはこういった有名選手と交友を深めることで、選手たちがチームのコーチに推薦してくれるように仕向けたというのです。現在では過去のプレー映像も参考にして契約するかどうかを決めることがあることですが、当時は映像を見て決めることはなく、チームは有名選手のアドバイスを真に受けて契約をしたということです。それでも、練習をすればプレー技術がすぐに判ってしまうはずですが、「体調が万全ではないため、入団後の数週間は調整目的の練習を行うこと」を契約内容に盛り込み、能力の低さをばれないようにしました。その後、チームの練習に参加するのですが、これも練習中のケガを理由に回避していたそうです。こうして、プロチームを相手にケガをしたと訴えた状態で数カ月を過ごし、契約期間を終了させるというのがパターンだったそうです。

唯一ピンチだったのはフランスの二部リーグGFCアジャクシオに入団したとき。契約を結んだ時には「フランスの二部リーグのチームにブラジルの名選手が来た」と大きく盛り上がり、チームは公開練習を実施し期待するファンにプレーを披露することになりました。大勢の前でサッカーをプレーすることになったカイザーさんは、ファンサービスと称してグラウンドにあるすべてのボールを観客席に蹴り込み、最後にユニフォームのエンブレムにキスをしてチームへの忠誠をアピールするというパフォーマンスを見せました。

このパフォーマンスにファンは大興奮。一方でボールが練習場からなくなったため、チームはボールを使った練習から体力トレーニングに予定を変更し、カイザーさんの実力は秘められたまま公開練習は終わったそうです。そして、その後、カイザーさんは1回もゴールすることなく数カ月後に契約満了でGFCアジャクシオを退団しました。

また、カイザーさんは自分がサッカー選手として優れているかを世間に知らしめ、自身の就職に役立てるためにジャーナリストを利用していました。カイザーさんはクラブのユニフォームや記念品を手渡す代わりに、自分に焦点を当てた記事を書いてもらうということをしてもらっていました。ジャーナリストの中には「メキシコ政府が気に入り、メキシコ代表になってもらうために市民権を申請した」というでっち上げの記事を書いた人もいたそうです。

さらには自分が世界的に有名で能力が高いことをアピールすべく、当時は持っているだけでステータスだった携帯電話を購入し、「英語まがいの言語を使って海外のクラブチームからの移籍に対する電話に対応する」という小技をチームメイトやスタッフの前で披露していました。英語を話せないスタッフは「ものすごく人気がある選手だな」と感じたそうですが、英語の判るスタッフは「彼はいつもみんなの前で電話をしていましたね。英語を話すフリをしていたけど、話していたのは間違った英語でした。彼が携帯電話で話しているフリをしていて、誰にも電話をかけていないことに気づいたこともありましたね」と語っています。

カイザーさんは、こうやって複数のチームを渡り歩き、1990年代初頭に20年近くのプロサッカー選手を引退しました。

伝説的なプレーヤーと言っても良いでしょう。時代も時代ですから、すべてを上手く騙せていたとも思えません。ある程度の人は知っていて、助けたり、見て見ぬふりをしたりしていたと思います。ただ、これだけ成功していたのは、カイザーさんが他人を惹きつける何かを持っていたのでしょう。ただ、それはサッカーの才能でなく、詐欺師的な才能だったと思いますが。そういう意味では努力家であったといってもいいでしょう。

なお、自分が行ってきたことについて「後悔なんて全くしていませんよ。クラブチームはたくさんの選手たちを騙しています。誰かが仕返ししなければいけなかったんです」と話しています。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
そんな時代もあったのですよね。並大抵の努力ではないでしょう。
こんなにも長期間,演じ続けたのですからね。

詐欺師と言えば詐欺師でしょうけど、なんて言っていいのでしょうね。

東の詐欺師・市川と西の詐欺師・達川にしようと思ったのですが、こちらのほうが内容があったので、こちらを選んでみました。

eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

年齢から言ってプラティニやマラドーナ・ジーコが活躍していた世代でしょうね。(それくらいしか知らないけど^^;)
そんな選手もいるんですね。
サッカーをしないサッカー選手って・・・
やっぱある意味”詐欺師”?


こんな実話を聞くと達川さんのDBなんて可愛いもんですよね(笑)
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