マーティン・ルーサー・キング・ジュニアさん。市民やメディアからキング牧師と呼ばれた、米国のプロテスタントバプテスト派の牧師です。
キング牧師はお祖父さんとお父さんがともに牧師だった影響もあり、幼いころから平等と同胞愛を信条として育ちました。その後、お父さんと一緒にアトランタの教会で牧師を務め、人種隔離政策と法律上の不平等の撤廃を訴え続けました。
第16代大統領エイブラハム・リンカーンさんが1863年に「奴隷解放宣言」を出し、やがて奴隷制度は廃止されますが、その後も米国では、特に多くの南部の州ではアフリカ系米国人が人種主義や不公正な法律などによって差別を受けている状況でした。
1955年にキング牧師が注目される事件がアラバマ州で起きました。当時、バスに乗車した際には前部に白人、後部に黒人の座席が区別され、白人に座席をあけるよう命じられた黒人女性が席を譲らず、逮捕されたのです(ローザ・パークス事件)。このころの米国には飲食店や宿泊施設なども同じような差別がありました。
当時、キング牧師は26歳。「憎悪は憎悪を生み、暴力は暴力を生む」として非暴力を唱え、黒人たちはバスに乗ることをボイコットしました。バスに乗らずに歩いた高齢の黒人女性は、「自分のためではなく、子や孫のために歩いている」と語ったそうです。事件から1年後、連邦最高裁判所は白人と黒人の座席の分離は違憲と歴史的な判断をします。
1959年のインド訪問中の演説では、「今日、もはや我々には暴力か非暴力かの選択肢はない。あるのは非暴力か滅亡かである」と語りました。キング牧師の理念は英国によるインド支配を終わらせようとした、インド独立の父と呼ばれたマハトラ・ガンジーさんの非暴力活動の影響を受けています。自身が表舞台に立つようになると、非暴力的な手段で社会を変革するよう人々に呼びかけています。
1960年代に非暴力の抗議活動に参加したことで逮捕され、1963年に逮捕されているときに、「バーミンガム刑務所からの手紙(the Letter from Birmingham City Jail)」を書き、公民権運動の倫理的な基礎をつくりました。そして、釈放された8月に、ワシントンD.Cで集まった20万人以上の人たちを前に、人種平等と差別の終焉を呼びかけた、「私には夢がある(I have a dream)」の名演説を行いました。
「私には夢がある。それはいつの日か私の4人の子どもたちが肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ」
キング牧師を先頭に行われたこれらの運動の結果、米国内の世論も盛り上がりを見せ、1964年に第36代大統領リンドン・ジョンソンさんは「雇用」「公共施設」「生活」のさまざまな面での差別を禁じる「公民権法」に署名し、キング牧師はこの署名に立ち会いました。その後もキング牧師は、読み書き能力テストなど差別的な手段で黒人が投票権を拒否されることがないよう、法による保証を求め続け、1965年に投票権法が成立しました。
これら公民権運動に対する多大な貢献が評価され、「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動」を理由に、キング牧師は1964年にノーベル平和賞を受賞しました。
しかし、1968年4月4日にテネシー州のホテルに滞在中、バルコニーで凶弾に倒れました。
なお、のちに公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスさん(1955年の事件の発端)は「正しいことをしているのなら、決して恐れてはいけません」と話していたそうです。
何に対しても、最初の一歩を踏み出すには勇気が必要です。しかし、一歩踏み出してしまえば、もう半分達成したようなものだとも思えます。
その最初の一歩がなければ何も始まりません。
踏み出したからこそ、見えてくるものがあり、最初の一歩を踏み出さなければ壁にぶつかることすらできないのですから。
「疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべてが見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです」
本日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。