2年連続全国出場となった山口・下関国際高。その野球部を率いるのが坂原秀尚監督です。就任当初、荒れていた野球部を立て直し、甲子園に導いた一連のエピソードは昨年盛んに報じられていましたので、記憶に残っていると思います。
坂原監督は、現役時代はピッチャーとして社会人野球までプレーを続けました。広島国際学院大在籍時には教員免許を取得していなかったため、引退後、免許取得のため東亜大に編入。下関市にある同大学に通ううちに下関国際高を知りました。
「不祥事の影響で指導者がいない、校長先生がひとりで指導している、という話が聞こえてきました。二年時編入で東亜大に通学していて、3年間は下関にいるので『僕でよければお手伝いさせてください』と手紙を送ったんです」
後任を探していた同校にとって坂原監督からの手紙は渡りに船となり、2005年の8月に監督就任。同年秋の大会が監督としての公式戦初采配となりました。
「不祥事明けということもあって、スタンドのお客さんからのヤジも聞こえたり。選手たちは完全に委縮していましたが、私もまだ若かったこともあって『お前ら、気にするんじゃねえ!』と言いながら試合前のノックを打ったりしましたね」
公式戦初采配となったこの試合は毎回失点を喫しての5回コールド負けでした。その後も中々勝てない時期が続きますが、2008年に転機が訪れました。
当時、夏の大会前最後の公式戦にあたる会長旗争奪大会で初戦を突破し、自身の就任後、初めてとなる公式戦での勝利を挙げました。さらに同年夏はコールドでの夏初勝利も達成。翌2009年夏はベスト8、2011年夏は現在部長としてともに指導にあたる、エース・大槻陽平さんを軸にベスト4に食い込んだのです。
2015年春には初めて県の頂点に駆け上がり、夏も準優勝を果たします。そして2017年夏、就任12年目で悲願の甲子園初出場を掴み取りました。近年は安定して県大会の上位に顔を出すようになった下関国際高ですが、平坦な野球人生を歩んできた選手は多くはありません。
「ウチに来る選手は、基本的に大きな実績を残せていない選手です。地元の強豪から声がかからなかった県外出身の選手もいます。みんな自信がないところからのスタートなんです」
野球、勉強両方での成功体験が乏しく、自信を持てないまま、下関国際高に入学。目一杯野球に打ち込むことで、そうした選手たちにひとつでも誇れるものを持ってほしいという思いがあります。坂原監督には指導者として揺るがないひとつの信念があり、「ひとつの物事に集中して取り組む」ことができなければ、大きな目標は達成できないということです。
「何かひとつの分野を極めようと思ったとき、”片手間”でやっても成功することはできないと思っています。脇目を振らずにひとつのことに打ち込むことは、決して否定されるものではないとも思うんです」
もちろん、学生であるので、勉学も大事です。
「僕自身、一教員であり、生徒たちは野球選手である前に一学生です。授業中に居眠りをしたり、課題を提出しないといった姿勢は論外ですし、そういった行動をとった部員は練習に参加させません。でも、学校で授業をきちんと受けるのは学生にとって『当たり前』のことですよね。『甲子園に行く』と覚悟を決めて、野球を追求する。学校内での授業は他の生徒の模範となるように全力で受ける。ひとつひとつ目の前のやるべきことに取り組むこと。そうやって『ひとつの流れで物事に取り組むことが大切なんだよ』と選手たちによく話しています」
目標を掲げ、そこに向かって物事に取り組む際に”挫折”は付き物だ。坂原曰く、そういった状況に出くわすことこそが”本当のスタート”だという。
「野球に限ったことではありませんが、何かを極めようと思って取り組むとき、たとえそれが自分の好きなものであっても、葛藤や苦しみは必ず生じるものです。もしかすると好きで仕方がなかったものが嫌いになってしまうかもしれない。でも、選手の心が折れそうなとき、挫折を味わったときこそ、指導者の存在が必要になってくる。今まで受け入れなかったアドバイスに耳を傾けるようになったり、大きく力を伸ばすチャンスでもありますし、そこが本当の意味でのスタート。あと一歩踏ん張れば殻を破れる、目標に到達できるかもしれないという状況で、我々指導者がどうアプローチしていくか。そこが一番重要だと思っています」
「3年間、下関にいるのでお手伝いさせてください」
監督に就任するきっかけとなった手紙に記したように、元々は将来的に地元・広島で指揮を執ることを思い描きながらの指導者生活のスタートでした。しかし、現在は下関国際高を離れるつもりはまったくないそうです。
「選手たちの人生を預かっているので、自分から途中でチームを去るつもりはまったくないです。嬉しいことに、今では『下関国際で野球がしたい』と入ってきてくれる選手がほとんど。その思いを裏切ることはできません」
そう力強く語る姿には、信念を持って指導に取り組み続けた下関国際野球部への愛着と誇りがあります。
(画像は画面キャプチャ)
第3試合
下関国際 0 1 0 0 0 1 0 0 0|2
日大三 0 0 0 0 0 0 0 3 x|3
西東京・日大三高が山口・下関国際高を逆転で破り、優勝した2011年以来7年ぶりのベスト4入りを決めました。下関国際高のエース鶴田選手は、7回2アウトまでノーヒットに抑えていましたが、8回に崩れてしまい、初のベスト4進出は果たせませんでした。
(画像は画面キャプチャ)
第1試合
大阪桐蔭 0 1 1 0 1 6 0 1 1|11
浦和学院 0 0 0 0 2 0 0 0 0|2
史上初2度目の春夏連覇を狙う北大阪・大阪桐蔭高が南埼玉・浦和学院高に圧勝し、優勝した2014年以来のベスト4入りを決めました。なお、春夏71ホームランは新記録となりました。
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第2試合
済美 1 0 0 0 1 0 0 0 1|3
報徳学園 0 1 0 0 0 0 0 0 1|2
愛媛・済美高が東兵庫・報徳学園高を破り、準優勝した2004年以来14年ぶりのベスト4入りを決めました。
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第4試合
近江 0 0 0 1 0 1 0 0 0 |2
金足農 0 0 0 0 1 0 0 0 2x|3
秋田・金足農高は滋賀・近江高に2ランスクイズでサヨナラ勝ちし、1984年以来34年ぶり2度目のベスト4入りを決めました。
(画像は画面キャプチャ)