「福島が好き」編集部

あの日からの希望を紡ぎだすために

原発被害者のなげきと私達家族の不安とさけび

2013-07-25 17:38:57 | 福島の声
※編集部に送っていただいた文章です(改行等はこちらさせていただきました) 
 

◆原発被害者のなげきと私達家族の不安とさけび

私は先人から聞いたことがある、戦争前は今の東電地区がある夫沢の土地の一部が先祖が持っていた戦争時飛行訓練場として国に土地を提供したと聞きましたが、終戦後現在の西武(堤氏)が塩田をつくるため国から買い上げたと聞きました。それが福島のチベットということで第一原発用地として西武が東電に高価で売却したと聞いております。それが原発を建設するきっかけの一部になったのでしょうか。

第一原発第一号機(GE製)は建設当時はGE村といって黒人が多く来ていました。黒人は放射能に影響されない強い人だと聞いていました。双葉郡の人達も外人と一緒になった人も知っています。最後はどうなったか知らない。その後二号機から六号機と第二原発と国産原発建設され、原子力立地交付金などと言う「金」にだまされて福島県は潤い、色々な箱物ができましたが建設しすぎてメンテナンスでたいへんな金額がかかり過ぎるようになりました。安全と安心を忘れたのです。

私は電気及び空調設備会社に勤務し六十歳で定年し、それから七十歳まで仕事をすることが決まっていました。仕事は水力、火力、原子力、鉄道他関係の電気技術者でしたが三月十一日の災害で六十七歳をもってリタイアし、残念でしたですが、第一原発免震重要棟建築当時は放射線防護機器の設置やエアコンの設置工事まで完了し、建築物を新築引き渡して何日も経ってなかったと思います。
その建物が爆発の際東電ならびに協力業者の重要な指揮棟になっているじゃないですか、あれがなかったらどうしていたでしょう。ぞっ・・・・・・とする。

事故後は逃避行がはじまった家族八人、福島、宮城、新潟、石川、、十カ所も避難し、貯えも少なくなり精神的にも疲労困憊し、借り上げ住宅に住むも家族バラバラ居住し病院へ行くようにもなった。賠償もおぼつかない。友と連絡がとれ賠償請求の話をする。仕方ないからOKしたなどという話が聞こえてくる。
一所懸命貯えたすべての財産(家族、友人、土地、建物、花、木、などなど)を東電に個別請求しても(前は個別請求してもらえた物が今はだめ)信用できない。
東電で仕事をしていた頃、東電本社へ特命で見積もりを提出したことがある。その頃見積もり提出時金額を訂正し、この金額でお願いします、出来なければ別の業者がいます、と言われサインしたことを思い出した。
今の賠償請求なども全て上から目線の東電のやりかたに腹が立つ。

最近避難先で、市民税も払わずにいつまで居座るつもりだ、迷惑な被災者は元の町へ帰れ、中傷の言葉がならぶ週刊誌等、くやしい。
根本的な原因は何だ。
週末には健康管理のため元の町ではたまにゴルフを楽しんでいたのに賠償金を浪費している人がいるとすれば、心無い人の言動をもって全体を批判するのは筋違いだ。そもそも原発事故さえなければ避難生活を送ることもなかったし、受け入れ先で反感を買うこともなかった。
原発が出来て福島県は原子力立地交付金を色々なところへ使用しているではないか、避難生活者だけ何故中傷されなければならないのだ。それもわからず、根本的な問題は忘れたのか。
仮の町移住希望者が少数とあきらかになったと話しているが、一時的に住む住宅でなく、すべての人が高齢になっても住める(高齢者住宅、介護、銀行、医院、商店、交通手段等)すべを教えてほしい。


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