斯く語りき

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これまでの日本国民の在り方のツケが出てしまったといえます・②

2019-10-17 21:30:00 | 社会部

これまでの日本国民の在り方のツケが出てしまったといえます・①からの続きです。

今回の台風では甲信地方や東北地方にも大きな被害が出ました。崖が崩れて一時的にでも取り残されたり、川が大規模に氾濫して逃げ遅れた人たちが帰らぬ人となりました。

特に高齢者がいる世帯では、側に若い世代が同居していれば早め早めの行動ができたでしょうが、その若い世代は殆どが地元を離れて暮らしています。勿論、地元に残っている人たちもいますが、圧倒的に高齢者の割合が多い中では彼らだけの力では対応しきれない現実があります。

では、地元を離れている側に戻れといっても素直には受け入れられません。戻ってきても糧を得る手段がなければ戻ることが逆に世帯を圧迫させてしまいます。

然し乍ら、そうさせない様にする手段はあった筈です。自然災害を完全に防ぐことはできませんが、いざ災害が起きる・起きそうになる前に打てる手段はあった筈なんです。

このブログでは何度も触れていますが、やはり政治を真正面から見つめることが国民生活には絶対に欠かせないことなんです。誰がやっても同じだから投票しないといっても、そこから導かれた結果には従うのが民主主義の大前提です。誰も信用できない、結果にも従わないで、いったい誰が助けてくれるんでしょうか。

勿論、そんな状態でも助けに来てくれる人はいますが、それが着実に先細っていることを理解するべきでしょう。まだ現代に生きている人たちは可能性が残されていても、すぐ先の未来には可能性がゼロになることが待ち構えているんです。

今回を含め、様々な事柄の後始末を次世代以降が担います。その負担を少しでも軽くさせるのが時代時代を生きる国民の役割な筈です。ところが現代の日本では完全に後回しにしてツケを後世に丸抱えさせようとしています。これでは次世代が生きる気力を失うのも当然でしょう。

今回の被害による被災者に対して国は僅か数億円の予算しか出しません。そんな焼け石に水にもならない政府の人間性を疑うのは当然ですが、そうした政府にしてしまったのは有権者です。如何なる手法であれ、如何なる過程であれ、導かれた結果がコレなんですから、有権者の責任も相当に重いのです。

報道では来年に迫った東京オリンピックのマラソンを札幌で行うとか、自転車競技のコースに予定されていた場所が台風の被害を受け、その復旧が開催までに間に合わないというものまで出てきています。どんどんと日を追う毎に日本がボロボロになっていっています。

ツケを払わないことへのツケが出てきているともいえるでしょう😫