斯く語りき

思ったこと、感じたことを書いています。

多少の違いはあれど、今の状態は二・二六事件と似ている

2020-02-26 23:45:00 | 政治関連
1936年2月26日に起きた、若手(青年)将校たちによる反乱(クーデター)が俗に言う『二・二六事件』です。然し乍ら、結果的には短期間で終結してしまい実質的には未遂に終わりました。勿論、失敗しただけに首謀者たちは相次いで極刑になりました。

この事件の背景の中には、主に地方から出てきた青年将校たちによる、故郷の貧しさがあったとあります。まぁ、当時の日本は戦前ではあったものの、東京市と地方では様々な面で雲泥の差があったのは間違いないでしょう。

そうした格差を嘆き、その原因は政府にあると悟ったことが引き金になったとすれば、これはもう現代の構図と大差ないのではないでしょうか。

勿論、現代は当時と比べたら恵まれていますが、明日が見えない社会や貧富の格差が日に日に激しさを増してきています。

況してや政府は真艫な議会運営をせずに与党だけの判断で自衛隊の海外派遣を決めてしまいました。当時は戦争をすることも厭わない大日本帝国憲法の時代でしたが、現代は戦争をしないという日本国憲法の下に置かれた彼らなのですから、それに対する不満も当然あると思います。

こうした状況下に於いて、彼らが反乱を起こさないという可能性はゼロではないでしょう。否、これだけ何もかもが杜撰でフシダラな日本になってしまったのであれば、何らかの大きな動きがなければ打開できないと思われても仕方がないでしょう。

思えば、日本は他国との戦争(War)をしないことを誓う憲法を手に入れたとはいえ、戦うこと(Fight)までをも放棄してしまった感があります。これが結果的に現代の有様に繋がってしまったと言えます。

勿論、この戦うという中には選挙で政治家を選ぶというものの含まれていますが、場合によっては流血も辞さないという覚悟も含みます。

ただ、流血に関しては必ずやるというのではなく、それくらいの緊張感を政治家も国民も本来なら持たなければならないのです。

例えばアメリカでは多種多様な考え方があっても、もし政府が国民に対して不遜なことをするのなら断固として戦うという姿勢があります。ちょっとした言葉のアヤでさえ問題だと思えば容赦なく政治家に文句を言う訳です。我々国民が選んだ人間なのだから、我々に対して不利益になる様なことをしたら容赦しないという態度がデモなどから伺えます。

やはり適度な緊張感がなければ国は保たない訳です。選挙は有権者の過半数が棄権するのが当たり前、政治よりも自分のことがメインな国民のいる国が真艫な訳がないんです。適度な緊張感がなかったから、今日の姿になってしまったんです。

そんな状態から真艫な国に戻すのは容易ではありませんし、ハッキリ言って時間がありません。かなり大きな動きをして半強制的に切り替えないと戻せません。それがクーデターになるのか国連の管理下になるのか判りませんが、何らかの大きな動きが差し迫っている気配を感じます😔