斯く語りき

思ったこと、感じたことを書いています。

二度と同じ轍は踏まないという意識に絞るしかありません ※閲覧注意

2020-04-17 05:00:00 | 世界関連
この動画はイタリアの指導者且つ独裁者だったベニート・ムッソリーニや側近たちが死んだ後に市民に公開された時のものです。彼らの死後で有名なのは吊し上げですが、これは其の直前の様子であることが伺えます。※閲覧に際しては年齢制限及び承認事項があります。


そのイタリアと同盟国だったドイツ市民も、収容所が解放された後に其処での壮絶なユダヤ人に対する虐殺の現実を見せつけられました。その背景には余りにも指導者の行いを精査せずに一途に信じ込んでいたことに対する罰でもあり、そこから何を思い考えるのかへの“生々しい教材”だったと思うのです。

実際、その後のドイツは変わりました。ただ、東西ベルリンが統一されるまでに更に時間を要したので本格的な変化としての歴史は浅いと思いますが、それでも彼らは二度と同じ轍は踏まないという決意を持って国を継続しています。

他方、イタリアとドイツと三国同盟を結んでいた日本の戦後を振り返ってみると、その道程はイタリアやドイツとは大きく違っています。

確かに戦争犯罪人は東京裁判によって裁かれA級戦犯は刑場の露と消えましたが、実際に彼らが処刑された画像も映像も存在しませんから、あくまでも当時の国民は報道で知ったことになります。

然し乍ら、果たして言葉だけで戦争に狂喜乱舞した責任を国民が痛感できたのでしょうか。勿論、なんでも見せれば良いというものではありませんが、やはり如何なる背景があれ戦争へと突き進むことに異議を唱えなかった一途さに対しては厳しい現実を見せて後世に渡るまで伝えなければならないと思うのです。

いま をよく見て下さい。

いま は戦争に狂喜乱舞する半歩手前の状態ではありませんか?

あれだけ多くの犠牲を払い、辛うじて許してもらってから75年程度という舌の根も乾かぬうちに、我々のトップ及び一部の国民は狂喜乱舞しようとしているんです。如何に言葉だけで戦争がいけないことだと伝えるのが難しいか判るではありませんか。

ヨーロッパ各地では第一次の時も第二次大戦の時も各国各地で戦争が展開して多くの犠牲を払いました。生き延びた人たちでさえ、同胞が情け容赦なく虐殺される光景を見た訳です。まさしく脳髄にまで染み込む現実に、絶対に同じ轍は踏まない・後世にも踏ませないという意識が徹底するのは当然のことでしょう。

ところが日本では同じ轍は踏まないという意識が植え付けられているのは激戦地だった沖縄くらいで、確かに大編隊による絨毯爆撃はされたものの兵士が本土に直接乗り込んできたことはありませんから(爆撃による恐怖は当然ありますが)虐殺される光景は見ていないのですから意識に違いが出てしまっていると思うのです。

そこに政治への関心度の薄さが加わって、沖縄と本土では認識に更に大きな違いが出てしまい、それが先述した狂喜乱舞する半歩手前に至らせてしまっていると思うのです。

これから先、誰かが救いの手を差し伸べてきてくれた時、我々は相当な代償を差し出さなければならないでしょう。半歩手前であっても戦争さえしなければ国民に生きる権利への慈悲は叶うでしょうが、そこに至らせた指導者たちへの鉄槌は覚悟せざるを得ません。

ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領は共に国民を愚弄し暴利を貪ってきた妻と一緒に簡単な裁判の後に銃殺されました。その映像や画像は辛うじて残っています。

もし仮に同じ状況になったとしたら、私は映像であれ画像であれ自分の目で見て脳裏に焼き付けたいと思っています😔