まだまだ実験

2018年より短歌を載せることにしてみました。
装丁はダリアのままです。

楽しい歌も時にはあるかも。

Julian Schulung Hundegeschichte

2015年05月21日 14時42分31秒 | 
お前のいない生活。
今頃たぶん、、、  この天気だと二人で、、、、 というのも今やお前はそんなにも遠い犬なのに私の考えに近くいる、詩にあるような遠い恋人に似て。
だから、お前が逃げ出したことがあって、レストランで見つかったのだった、ああ、私の犬、と私たちは言う、
わかってるのならいい、たくさんの子供から手が離れる方法とかを、でもそもそも近づけなきゃよかったんだーー
どこだ、やさしく毛をほどく布は
ビロードか絹のような額をここへ!
狐の花束、なぜお前は私の前でぴょんと跳ねない?
彼はかわいいけど、お前はその耳がまったく異なる、蝶々に似た耳よ!
私のことを時には考えるかい
私のように寂しいかい?
そして彼女の大好きなところはその、、

こんなことが頭をめぐり心を巡るのはめったにないことだ、
しかし愛の眼差しは決して私を放っておかない、他の犬によって突然彼女の不在の警告がだされても、どの犬であれ彼女のなにかを発見しようとする眼差し
美しい犬、醜い犬、年寄りの可哀想な、若くて頑固なやつ、そのすべてが彼女を思い出させる、
彼女を思い出せないようなものでも、
その結果彼らにもこの優しさのいくばくかが流れ込んでいくほどに
そして常に発見は新しい
最も可愛くて客観的にお前より気に入りそうなものでも何者にも代えがたいお前の代わりになり得ないと

繰り返し会いたい思いはとりわけ心臓が縮むようだ、待つのにくたびれて彼女が私から彼女の愛情を取り上げるのではないかと考えるとき、まもなく有用な替わりがみつかったりすると
あるいは彼女に似た犬をみると浮かぶ推測、人間への愛と動物への愛の違いとは慣れが人間への愛からのみ何かをとりさるという違いでもある
人間に向けられた愛のまなざしは外的内的な欠点を覆うに違いないとはしても、一匹の動物において嘘偽りなく喜びを与えうるし現に喜ばせてくれる、なぜならどんな欠点も平凡さも唯一そのものであるものへと作り変えるからだ、これがこうであってほしい、とそれで十分だとの違いだ。


忠誠はお前の徳性ではないので、私とフランチスカの価値が異なるともほとんど同じに好いてくれるのはお前には造作もないことだ
つまりたまたまお前が共にいる人物を少し多めに好きだと(そしてお前がフランチスカと居て実際はしばしば悲しそうにしているとするのは
私と居てウィーンの森レストランへといっかな連れて行ってもらえない場合とほとんど違わない)。
短い散歩のためにお前を迎えに行くと、お前はあまり喜びをあらわさない、これは賢い魂の節約法だ、そしてそのかわりにマリアンネのところのおやつまでの散歩に変えようとする。

一日中預かりに行くと、まずお前は私の家へどうしても行きたがり、意気揚々と先に急いで小高い野原をこえ、住まいを我がものとして、すべて変わりがないかあるいはすぐに元のようにもどるかを確かめたあと少し休んでからもちろんたっぷりの散歩と食べ物屋だ、たいていは私とふたりきりだ、何故なら私がお前をこの一日中誰とも分かち合いたくないから(しかしときには誰かがお前がいることに驚いたりする、マリアンネだけは電話でお前が聞こえる)
夜に帰るのはどちらも嫌いなのだが、さまざまな寄り道をお前は教えてくれる。
しかし望むよりより多く、お泊まりさせてほしい、あるいはしてもいいことがある、あの以前の楽しかった時のようにお前がまた夜空の下、小さな池で水を飲むのを見たり聞いたりする、そして遅くとも床に就くときには、ふたたび我々の時、まるで全然分離がなかったかのような。昼間かなり歩いてから最後にはもどり、ふたりとも、一日という日を我々のたくさんの日々にすることができたことに疲れて。

そしてより当然のこととしてフランチスカが一週間あるいはもっと長く旅行する場合、お前は完全にまた私のものだーー部屋全部がお前のベッド、すべてのそこらのものがお前を受け入れるために広げられている、サバの女王だ、友人たちに会い食べ物屋へいく愉快な生活がふたたびゆったりと進む、お前がここにいる時間を使わなきゃと思う必要もなく、仕事の時間を過ごす手伝いもしてくれ、これが永遠には続かないことをふたりとも忘れている。

いつもこう簡単にいくわけではないーー
時にお前は興奮して私の周りを跳びまわる、まるで用を足してお前を楽にするのにちょうどいい時に来たかのように
時に帰路の半分以上がすぎるまでお前は息を切らして歩く、そして長い間私と一緒に居なかったかのように魂の迷子になっている、やっとそうだ、我々の時なのだとはっと気づくまで。(確実にお前がわかるのは我々がフランチスカを駅までつれていったときだ。彼女がスーツケースを詰めるのを見ると興奮し、私の空いたままのスーツケースは悲しげにお前を眠らせる)
しかし本当の憂鬱が訪れるのは、フランチスカが居るときにわれを忘れるほどふたりの時間に没頭していて、彼女がお前を自分の犬だと文句を言うときーー
もちろんこれは君の犬さ、と私は言う、私の犬だったんだけど。ときどき忘れちゃうんだ、いつもそのことを思い出すのはとても辛いんだ、どうぞ私を君の出張のときの犬シッターとみなしていいよ!
そう言ってから私はお前をもう見たりしない、すぐに私の心から本当にお前は消えたかのように、ただもっとひどいのは、お前の愛着のようなものに出会うときだ(もっとも私が去るとき、我々はやっぱり真実を語る一瞥をかわすのだが)


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