まだまだ実験

2018年より短歌を載せることにしてみました。
装丁はダリアのままです。

楽しい歌も時にはあるかも。

季節移りて 落ち穂拾い ではない短歌 2018年

2019年02月23日 13時46分15秒 | 短歌
短歌の結社を、放逐されたかのように出奔し、ますますわがままに作ってきた短歌ですが、いやはや惨憺たるものです。

落ち穂拾いといえば、通常、立派に収穫した後の残り物の中から何とかまあまあと言うのものを拾い上げる行為ですが、ここではさにあらず。

所詮ガラクタの中から何とかすれすれに短歌と呼べそうなものを拾いました。いやはや。


*2018年5月6月 「自然はほほえむ」

終焉の地と思ひたる千葉の地の裏側にもあり天の思惑

かくも美(は)し かくも溢るる惠み得て かしこみおそるるみどりの不思議

望みなしと森に座す身を岩山ゆ たれか見下ろす苦境も愉しめ

放り出され軛ぎりぎりただ一人 神よと叫ぶその手の中で

鳥歌も葉緑素すら神秘にて我に微笑の与えられたり



*2018年7月  「この世を去る準備」

日本に満月見るはあと二回ならむと思ひ負けまじと凝る

残生に何をか紡ぐ 大切と残し置きたる古本括る

断捨離に徹する夏の真っ盛り 菜園のトマト珊瑚の光

涙出づ 生きとし生けるを愛しみて あなたがどこの誰であらうと

豪雨あと熱気は去らず終焉の放電しきり 名付く語もなし

文明も人も途絶せん 愛深く青き惑星賜りたるを

もらひたる水の分だけ花一つ職分を咲く 猛暑の半球



*2018年8月  「外界は致死」

この空の外は致死なり 僅かなる可能性なりし青きカプセル

降りそそぐ致死光線遮れる大気の力にいのちは応ず 

ニュートリノ俳句にせよと議論あり わが使命とす今宵満月

俳諧と物理学との袖触れて光は光るや この眼なくとも



*2018年9月 「to doリスト」

ピンク色のブーゲンビリア暑熱うけ我が意得たりとすつくり徒長す

遂にあとひと月ばかり渡独まで 襖に貼りたるリスト胃を刺す

迷はされ時に猪突猛進す 小泉さんの三つの「ず」唱ふ



*2018年10月 「墓穴を掘る」

ジタバタの涯に命運ホームレスと ふさはしきかも地上に家なし

お互ひに菩薩の修行 頭を垂れて拝み合へぬか舟を揺らすな

事ここに至れるまでを手を引かれ智慧と人との網の目模様

窓はまだ黒濃き七時 目を開けて明るむを待つ「未来ありゃせぬ」



「黄葉のドイツ」

銀杏にはあらねど黄色に見ゆる樹よ 視神経へと信号放つ

巫女の振る鈴の音かくも見ゆるかと 白樺大樹万葉震わす

あらうことか小夜啼き鳥は旅立ちてワラヒカワセミ代はりに嘲ふ

鳥と木の図鑑買ひたし根本がわからぬゴミの分別法



「プラスマイナスの波」

良し悪しの波の寄せては返す その意外さ望外有りうべからず

絶望の淵に二重の啓示あり 佇む我に御顔振り向く

未来なき終焉のみ見し時なほも奥義たまはる ほとんど真理



*2018年11月 「歓喜の歌」

霜月の太洋いかに わが船荷いづこを往くやAD二千年

美しき楽しき日の欲し山河ここに この身愛しみ歌ひ描きて

心身のすべて嬉しと愛しめば隠れておはす息吹温しも

霜月に鈴の音するも 渡り鳥か 縮れし枯葉めきて散りゆく

岩山の不変の形浮かび来る 仮の死 枯葉が散りゆくにつれ



*2018年12月 「川沿いの道」

川沿ひのバスの窓辺にけふ気づく 枯れ木を透きて青きせせらぎ

山峡を見舞ひ帰りのタクシーは ただにお黒き闇夜かき分け

わが視力失はれしかと思ふまで漆黒の窓 森と山のみ

灯がひとつ見えて人の世戻りたり キリスト生誕祝ふ市立つ

地球掛け短歌のお題「醤油味」そろそろ恋しドイツに三月



「年の瀬」

サイボーグへ夫を変えたる故国かや 命と力好きに振へと

望外のことかくもまた出来(しゅったい)す カワセミ笑ふ冬至の瀬音

八時間先ゆく東京へメールにて 思はざりしに決意を記せり

さもあらむ わが悪行の末路とて吸ひ込まれゆくゴミだめの中

楽ならむ 死ねばこの苦を放り出し智慧の泉に光りて浮かぶ


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