
1976年と1989年、2度にわたる天安門広場の悲劇は、
どちらも偉大な指導者の死をきっかけにして起こりました。

周恩来 (しゅう おんらい 1898年ー1976年 )
政務院総理 ・ 国務院総理

胡耀邦 (こ ようほう 1915年ー1989年 )
初代中国共産党中央委員会総書記
ふたりに共通しているのは、共産党の独裁を諌めた
勇気ある政治家だったということです。

1976年、周恩来の死 (1月8日 ) に触発された
民主化運動は徐々に勢いを増し、
4月5日、天安門広場での大規模なデモに発展。
政府は、武力によりこれを掃討しました。

1989年、胡耀邦の死去 (4月15日 ) を機に、
学生を中心とした民衆の民主化を求めるデモもまた、
日を追って拡大していきました。

6月3日、
天安門広場を埋め尽くしたデモ参加者の数は、
10万人以上に膨れあがったと伝えられています。

明けて6月4日未明、
文化大革命以降2度目となる天安門広場での事件は、
人民解放軍と人民武装警察の
無差別暴力による鎮圧という最悪の結末を迎えました。
(1976年、1989年、共 「天安門事件 」 と呼ばれる )

2度目の天安門事件の犠牲者は、
2000人に上るともいわれています。

しかし、今日に至るまで、
中国政府からは、犠牲者の数はもとより、
事件に関する弁明は全くありません。

北京で撮影中、
若者に天安門事件について何度か質問してみましたが、
『よくわからない 』 という答えしか返ってきませんでした。

天安門事件は、中国の空白の歴史です。

有名な一枚の写真があります。
この後、この青年は戦車に乗り込み、
兵士の愚行をただそうとしました。

ところが ・・・
上記すべての写真は
インターネット上から借用しています。
当事国中国のインターネットでは、
これらの写真は一切閲覧できません。
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