外へ出ろっ!?

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奇跡の人       真保裕一

2005年10月01日 01時12分04秒 | お勧め紹介(小説、漫画、音楽etc)
真保裕一はご存知だろうか?この作品は彼の二作目にあたるようだが、彼を知らない大人はいないかもしれない。映画「ホワイトアウト」の原作者である。
映画は日本映画において素晴らしいアクション映画となったが、ホワイトアウトの実力は小説にあると思っている。同じ失敗例としては、「アナザへブン」ではないだろうか。映画では届けられない部分、それが著者の力なのかもしれないが。役者にそこを求めて私達もそれを感じるにはあまりに難しすぎる。それは心の変化や考えている心、所謂登場人物自体だと言える。

90年代からの小説しか殆ど読んでいないであろう私が解説者の言うミステリー小説が80年代から普通小説(人間ドラマ主体)へシフトしているかどうかの実感はない。ただ、ミステリーを登場人物とかけ離れた出来事と考えると、多くが人間ドラマが取り込まれているのは頷けた。
私たち多くの若者には完全なミステリーというのは推理小説に近いかもしれない。簡単で掴みやすい登場人物と背景が囲むなかで膨大な謎が埋めいているというのは、友人に推理小説と説明してしまうかもしれない。

ホワイトアウトは有名だが小説として奇跡の人は新しい真保裕一を見せてくれる。
映画になったようにホワイトアウトはミステリーというには程遠いが、この作品にはない。大体長編作品になれば得意分野が出てくるのに彼の場合は全く違う顔を見せられた。
著者の莫大な情報と研究の賜物だと思う。

ここで裏表紙に書いてある、あらすじを読みたいと思う。
31歳の克巳は交通事故で脳死判定をされかかりながら命を取りとめ、他の患者から「奇跡の人」と呼ばれている。だが彼には事故以前の記憶が全く失っていた。
8年の入院後、亡き母の家に1人帰った克巳は消えた過去を探す旅へとでる。そこに待っていたのは残酷な事実だったのだが・・・。静かな勘当を生む「自分探し」ミステリー。

「自分探し」とはミステリーでありながら登場人物を殺さないもっとも最良な材料なのかもしれない。真実を探す事がミステリーでありミステリーこそが自分探しなのだから、当然だと気がついて頷けるが真実に彼が物凄い人間だという結末はないと言ってしまおう。それでも読者を放さないのは精密な展開と巧妙な登場人物、そして彼がどうなるかという焦りによるものだろう。誠実な12歳の主人公が中盤から複雑な31歳と失った22歳の克巳に生まれ変わっていく感覚は違和感であり読み応え部分でもある。
ラストに意外性があるのは一種小説にとって当たり前だが、今までハッキリしなかった小説の罠がそこまで読み終えて初めから此処へ向かうための計算されたものなのだと知る事になる。がそれが心地よく、それでいて結末が心にわだかまりを生む。

もはや「奇跡の人」は自分探しミステリーではなく、感動ミステリー巨編に近いかもしれない。


なお、この記事は文芸小論家北上次郎さんの解説を読んだうえで書いております。考え方と視点を教えていただいた事を謝辞します。