Slaxの日本語版は、大きく分けて二つの供給減がある。
ひとつは、ライブCDの部屋。ここで日本語化されたものはVer.5.1.8のみ。
以後、Slaxそのものの日本語化は、手がけていない。
ただし、Slax派生のディストリビューションの日本語化をいくつか行ってくれているので、必ずしも無関係だったとは言えないだろう。
もう一つは、Slax-jaという、Slax専門のページ。
Slaxに初めてであったのが『ライブCDの部屋』であったことと、Ver.6.xになってから、かなり雰囲気が変わりハードの認識能力が劣ったように感じたので、個人的には『部屋版Slax』の方が好きだった。一口に日本語化といっても、仮名漢字変換をどうするか、どんなフォントを採用するか、フォントサイズは? 日本語化に併せて、追加すべきものはあるか、不要となったものを削るか、等々、かなり個人差、チーム差が出る。
今回、Slax-jaに日本語版Ver6.0.9が登場したので、ダウンロードして試してみることにした。
6.x世代になって、Slaxは大きく変わった点がある。その一つが、ログインの方法。Ver5.x世代には、CUI画面からコマンドを撃ち込むことでX-Windowに切り替えていたものが、最初からX-Windowにログインするようになった。
これは、CUIだけで仕事を済ませる事が多い人にとっては、余計なお世話の変更だった。時代の趨勢だから、仕方がないといえばそれまでだが。
それと、もうひとつ。採用している仮名漢字変換の手法。『部屋版』は、SCIM-Anthyを採用している。本家では、UMI-Anthyを採用している。
先に、親指シフトで文字入力する話を話題にしたが、UMIでは、その手法は使用できない。
そして、これは本家の問題にほかならないのだが、KDEの色が丸出しで、Debian系列のディストリビューションかと思うぐらい、個性が打ち消されてしまっていること。同じKDEを採用したBerryLinux0.95が、その点を上手に消化吸収して自分の地肉としているのとは対象的に、KDEに支配されている様で、自分は「コテコテのKDE」したディストリビューションはあまり好きではない。
しかし、Slaxはそれに目をつぶってでも使用したくなる利点もある。
コンパクトで、軽快。拡張しようと思えば、CDにはまだ途方もない空きがある。
それでいながら、ほとんどのことはこなせてしまう。欲を言えば、マシンの容量は最低でも256MBは欲しい。しかし、192MBでもそれなりに動く。簡単な作業なら、それでも行える。
日本語化されていないものなら、当然、もっと条件は緩くなる。
個人的には、xubuntuと同程度の条件があれば良いと思っている。
KDEを採用してこの重さなら、合格点なのだろうか?
それとも、軽さを売りとするSlaxがKDEを採用し、中途半端にまとまってしまっていることを責めるべきか?
いま、焼きあがったVer.6.0,9を起動させた。vga=791と指定したにもかかわらず、表示された画面は、SVGA、それまでつながっていたインターネットへの接続も、不能になっていた。
こんなに悲しいことはない。
過去の資産として切り捨てるのは、まだ速かろう。
それをするのは、CDの容量が不足するようになってからで良いはずだ。
同じSlacwar系のZenliveやPuppyと比較した場合、どうしても一段劣って見えるようになってしまった事が悲しい。
たかがテキストエディターの表示で、画像が大幅に乱れてしまうような、荒い作りになってしまったことが悲しい。
ひとつは、ライブCDの部屋。ここで日本語化されたものはVer.5.1.8のみ。
以後、Slaxそのものの日本語化は、手がけていない。
ただし、Slax派生のディストリビューションの日本語化をいくつか行ってくれているので、必ずしも無関係だったとは言えないだろう。
もう一つは、Slax-jaという、Slax専門のページ。
Slaxに初めてであったのが『ライブCDの部屋』であったことと、Ver.6.xになってから、かなり雰囲気が変わりハードの認識能力が劣ったように感じたので、個人的には『部屋版Slax』の方が好きだった。一口に日本語化といっても、仮名漢字変換をどうするか、どんなフォントを採用するか、フォントサイズは? 日本語化に併せて、追加すべきものはあるか、不要となったものを削るか、等々、かなり個人差、チーム差が出る。
今回、Slax-jaに日本語版Ver6.0.9が登場したので、ダウンロードして試してみることにした。
6.x世代になって、Slaxは大きく変わった点がある。その一つが、ログインの方法。Ver5.x世代には、CUI画面からコマンドを撃ち込むことでX-Windowに切り替えていたものが、最初からX-Windowにログインするようになった。
これは、CUIだけで仕事を済ませる事が多い人にとっては、余計なお世話の変更だった。時代の趨勢だから、仕方がないといえばそれまでだが。
それと、もうひとつ。採用している仮名漢字変換の手法。『部屋版』は、SCIM-Anthyを採用している。本家では、UMI-Anthyを採用している。
先に、親指シフトで文字入力する話を話題にしたが、UMIでは、その手法は使用できない。
そして、これは本家の問題にほかならないのだが、KDEの色が丸出しで、Debian系列のディストリビューションかと思うぐらい、個性が打ち消されてしまっていること。同じKDEを採用したBerryLinux0.95が、その点を上手に消化吸収して自分の地肉としているのとは対象的に、KDEに支配されている様で、自分は「コテコテのKDE」したディストリビューションはあまり好きではない。
しかし、Slaxはそれに目をつぶってでも使用したくなる利点もある。
コンパクトで、軽快。拡張しようと思えば、CDにはまだ途方もない空きがある。
それでいながら、ほとんどのことはこなせてしまう。欲を言えば、マシンの容量は最低でも256MBは欲しい。しかし、192MBでもそれなりに動く。簡単な作業なら、それでも行える。
日本語化されていないものなら、当然、もっと条件は緩くなる。
個人的には、xubuntuと同程度の条件があれば良いと思っている。
KDEを採用してこの重さなら、合格点なのだろうか?
それとも、軽さを売りとするSlaxがKDEを採用し、中途半端にまとまってしまっていることを責めるべきか?
いま、焼きあがったVer.6.0,9を起動させた。vga=791と指定したにもかかわらず、表示された画面は、SVGA、それまでつながっていたインターネットへの接続も、不能になっていた。
こんなに悲しいことはない。
過去の資産として切り捨てるのは、まだ速かろう。
それをするのは、CDの容量が不足するようになってからで良いはずだ。
同じSlacwar系のZenliveやPuppyと比較した場合、どうしても一段劣って見えるようになってしまった事が悲しい。
たかがテキストエディターの表示で、画像が大幅に乱れてしまうような、荒い作りになってしまったことが悲しい。
最近お見かけしなくなって寂しくなって遊びにきてみましたぁ♪(∩.∩)
また時々遊びに来て下さいね。
これからは、心を入れ換えてマメに訪問いたします。