河豚公国(かわぶたこうこく)

神聖・河豚公国(しんせい・かわぶたこうこく) 始めました。
河豚公国は少しお休みです。

『人類の「失われし輪」の連鎖の眠るちへ』r-1.01

2009年10月25日 14時45分00秒 | 物語・創作
『人類の「失われし輪」の連鎖の眠るちへ』

 副題:『古人記(ふるひとふみ)仮説』

AC.25-Oct-2009/MTC.25-Kamituki-0079

作:Kawabuta.Dukedom./河豚公国(かわぶたこうこく)


 神が知恵の果実を禁忌とし人の手から遠ざけたのは、新しい知識を生み出すという行為が余りに甘美な麻薬であり、我を忘れて心臓すら止まりかねないからである。しかも、時代を支配する神々の後ろ姿を垣間見ることさえ可能とする、究極を生み出すからである。


 我、これより以下に物語を記す。




 火山が噴火していた。
 辺りは火山灰を大量に含んだ泥沼でほぼ覆われていた。
 植物の多くが死に絶えた。天は火山灰を大量に含み、地に降り注いでいた。日中は陽が霞の向こうの月のように弱々しく感じられる程度に暗く、夜の下界は完全な闇だった。それは無言のうちに人の心に闇対する根元的な恐怖を深々と刻みつけた。

 その場所は、アフリカ大陸と近いマグマの満ちた地球のプレートであり、島か辛うじてアフリカ大陸と繋がっていた場所で、しかも最低でも人が定住可能な場所にはアフリカ大陸の存在する事が知り得ない距離は離れていた。
 最も可能性の高い場所はアフリカ大陸を取り囲むように存在する海領であり、次に可能性が地中海からカスピ海の南端を経て東南アジア諸島へと続き日本列島走りシベリアを続き北極へ抜ける海溝上にあった。海領とは大地が生まれる出る場所であり、海溝とは大地が帰る場所である。
 およそ100万年前から5~万年前間にかけて、人類は何度かに分けて島々を移転した可能性さえ捨てることは出来ない。だが、人類の足跡が仮に海領から海溝へ移っり渡りとしても、それは最後の進化の足がかりとしての期間の数十万年前であろう。
 99%以上の確率で有望と思われる母なる地球が作り上げたもっとも特異な生物である人類の「失われし輪」の連鎖の眠る地は、アフリカ大陸周辺の海領であり、激しくプレートが活動して噴火と巨大地震が絶えることのなかった、この世の地獄ともいうべき暗黒に閉ざされた世界である。

 時に、鼻まで届くほどの泥の沼地の中を渡らなければならないこともあった。否応なく背筋を伸ばして歩くことを強要された。驚異的な早さで進んだ気候変動によりアフリカ大陸に帰る術を失った人々は、まず最初に木々の枝を掴むための手を、他の目的に転用した。世界で枝を掴む技術など不要であった。人は泥の中を掻き分け泳ぐ様に泥濘みの中を歩いた。手足はまずこれらの目的を全うするために変化した。沼地を歩くと体毛と尾に泥がこびりつき重く精神に抵抗するため、人の肉体はこれと早急に決別の決断を下した。眉と髪、そして、おそらく集落によっては髭を残しまたある集落によっては集落においては髪そのものも抜け落ちた。下界はほぼ一日中火山灰によって霞かかっていた。わずかに残る枯れ果てた木々は時折その中に混じる炎石により炎おあげて燃え上がって更に更に枯渇していった。人は寒さから逃れるためにその火に近づき貴重な木々の残痕と共に自分達が暮らす住処に持ち帰った。掌と足を広げて炎にかざすと効率よく暖を取ることができた。人々はこの灯りを称えた。笑った。ある者は興奮した。放火衝動の起源だ。ある者がそれをいさめた。ある者は頬を叩いた。殴り合いになると、仲間が双方をせいした。一連の複雑な人間関係の過程で人類最古の言葉が生まれ広まった。その恐ろしくも有り難い火という存在が無ければ、人類は早々に死に絶えていたであろう。唯一無二の幸運である炎という存在がまず人の最初の神となった。真水もまた貴重であった。人は洞窟の中の結露を舐めて渇きを凌いだ。水は身体にこびりついた泥を拭い落とすなどあり得ないほどに得難く貴重な形のない宝石であった。故に乾いた火山灰を大量に含む泥の付いた体毛は即、火傷の原因となった。涙があふれた。これ等により、人にとって害でしかないと見なされた尾と体毛は短期間で完全に抜け落ちた消滅した。

 木の実は無い。草花も無い。周辺の海も汚れきっていて魚はほとんどより付かない。獣こそが人類を貴重な肉として常に付け狙っていた。そんな世界に生きる人類にとって、もっとも身近な食材は火を通した貝類となった。そして、人間が最初に手にした道具が貝殻のナイフである。脆い反面、柔らかい物の切断には向いていた。当然、最古の通貨は身の付いた食べる事の出来る焼いたのち乾かした貝である。それが儀礼化されたものが貝の貨幣でこれは人類が金属を手にするまでの間、標準的に使われ続けた。
 しかし、その物理的な証拠の限りなく99%を越え辛うじて0%と言い切れないだけしかこの星の中に残されてはいない。しかし、もしかしたら、まだ有るかもしれないという僅かな可能性が残っている。海中に没したからだ。
 しかも、石灰を多く含む泥はこの時代の人の骨も貝の殻も瞬く間に同化してしまい、その殆どが消えたのだ。辛うじて、住処であった洞窟の跡にたどり着ければ幸いであろうが、今日に至るまでその住処は発見されていない。海底の泥の下に埋もれているからだ。しかも、地殻変動によってその洞窟が跡形もなく破壊されてしまっていないという保証はない。しかし、人の住処のどれかは今も、主の子孫の帰りを待ちわびているのかもしれない。


 これはSFの物語である。
 史実ではあるという保証はない。
 しかし、いくつかの推測が人の失われた輪と重ならないという可能性はゼロではない。また、現実に適合するよう、諸説に耳を傾け注意深く再構築した。故に、まだ物理的な根拠がないという以外、トロイ遺跡の発掘のそれと基本的には同じ行為であるはずである。


 手足は、泥の中で天を見上げ鼻のみで呼吸して貝を探すために都合良く、特に手はバランスを取るために当時の人の進化の過程で望みうる最も優先され研ぎ澄まされた機関であった。人は、地上の何物よりも手先が器用になった。知能は加速度的に上がった。

 最も高級な肉は、20世紀末から21世紀初頭にかけて沿岸部で何度も何度も彷徨い、力つきて浜辺に打ち上げられる姿を目の当たりにしている、海豚であった。
 最高の獲物は、滅多には手に入らないが一度に多数の最高級のナイフを与えてくれる鮫であった。

 海豚はウサギと姿が重なる。
 或いは釈迦の教えは、己の身を進んで炎で焼いた逸話は、その古代の記憶の名残りであるのかもしれないが教典そのものの成立の由来が明らかなことからこの類似は恐らく単なる偶然であろう。

 しかし、一部の宗教や民族の伝統の中には、多数の検討に値する逸話が余りにも多く残りすぎている。

 まず、この文章を読んでいただいた奇特なる人々が記憶を重ねたであろう筆頭は旧約聖書であり、次ぐものは古事記であろう。

 その具体的な光景は下に記すが、イザナギとイザナミ、アダムとイブは同一人物ではない。多数の男女の姿が重なり合ったと考えるのがもっとも自然である。幾つもの若い男女が古代の男女の原風景であることに疑いを挟む余地はないであろう。

 家を継げない男女――特に、隔たりの大きすぎる集落間での恋は、和を乱す元凶とされ追放された。

 食べるものに乏しい当時の人類は、追われる身となり、海豚や鮫が豊富にいる、しかし、決して人の住み得ない海に放たれ、手を取り合い絶望の中に新天地に夢と無限の可能性を求めたのである。
 それ以外は許されない世界であった。
 二人だけで逃げても獣に狩られるか、あるいは他の集落の者の縄張りを犯した時点で殺された。余所者に情けをかける理由も奴隷として生かし喰わせる余裕も、そこには無かった。故に、何者かに喰われる運命にあった。鬼や悪魔を恐れる深層心理の根源である。

 いくつかの集落では愛を誓った男女に対して、「地に満ちよ!!」との別れの言葉を送り、幾つかの集落は、海に並んだ鮫の上を手を取り一つとなった道の上を駆けて行く様を理想化し、若いその夫婦が新しい大地へたどり着くこと至上の夢とした願い詩を送った。「稲葉の白兎の物語」の原型である。また、いくつかの集落において、夫婦の門出を祝う儀式は、二人の男女が島を出るという宣言に始まり次に「あないおとこや」とつづく儀式であった。まさに、イザナギとイザナミの結ばれるまでの物語そのものである。

 海豚や鮫の歯は貴重な宝石であり、武具であり、神具であった。
 しかし、なにものにもまして大切とされたものは、ちょうど良い大きさの、のど元や頭頂部を含む、丁寧に丁寧に剥がされたその表皮であった。この皮を剥ぐという行為もまた、「稲葉の白兎の物語」の伝承に色濃くその名残を刻んでいる。
 ごくごく一握りの集落の指導者のみが、剥ぎ取った皮のその口の位置から頭を、目からは手を、そして切断した部位から着込み足を出し、祭事のための最初の装束となった。これらの形状は、我々の知る「ローブ」というものに酷似している。残りの皮は文字通り身につけるための衣服の起源のそれである。

 別れには誰もが涙を流した。今生の別れであるからだ。

 見果てぬ地を求めて旅立った一組の男女が、海流や、風や天候に恵まれ幸運にも人の生きてたどり着くことのできる唯一の可能性のある大地――その場所はアフリカ大陸にありえない――までたどり着いた例は極々僅か。幾つもの幸運と偶然と困難を支え合うことができた奇跡的な一握りだけである。

 だが新しいこの新天地にたどり着いたものたちが、紛れもなくアダムでありイブであり、イザナギとイザナミ達の原型である。それを脈々と語り継いだのは残った家族たち、集落の人々であるり、それは死地へと追い詰めた我が子、孫、達の生を祈る願望である。

 やがて、この地獄の世界にも完全に海へ沈むに至った時が訪れた。それを予感した人々は、持てるもの全てを集めて最後に、皆が共に最後の旅へと挑んだ。ノアの箱船の物語の原型である。
 4~5万年前、最後にアフリカにたどり着くことの出来た者達がホモ・サピエンスの一群である。
 当然のように、それ以前にたどり着いたイザナギとイザナミ、アダムとイブ達の末裔がネアンデルターレンシスの直系の母集団である。
 そして、その記憶のほとんどは両者が等しく共有している。ネアンデルターレンシスはホモ・サピエンスの到来を知っていた。ホモ・サピエンスもネアンデルターレンシスの存在を知っていた。故にお互いはほとんどの場合、自然の恵み豊かなアフリカ上陸にして後、争いあう必然などもたなかた。離ればなれになった二つの家族は長い長い時を経て再び一つに紡がれていった。

 しかし、人類の生まれた場所が如何にこの世の地獄であろうと、人間をより高度な次元に達することを要求し見事に変貌せしめた「高天原」であり「エデン」だのである。今は完全に海中に没したその一帯が、人類の尾の――「失われし輪」――在処である。


 これにて、失われし輪を再構築した物語を終了し、以下にいくつかの補則を述べよう。

 なぜ、ほとんどの民族がこれらの記憶をなくしたか。
 それは、皮肉にも文明が発達したために支配者の都合により記憶の改竄がなされ、価値観が大きく変異したからである。それは、先住者の存在する土地を支配した者達が行うあまりにも普遍的で愚かな行為の証である。
 また、なぜ文明の起こり得なかった場所にこの記憶が残されなかったかという問いについては、「恐怖無き豊かな恵のある楽園で人は生きるための努力を積極的に惜しむ」からであり、あるいは「イースター島」の悲劇が繰り返された故に、と返答する。


 重ね重ね申し上げる。これは純粋に物語である。

 しかし、同時に我はここまで純粋に、ただ知恵の果実の結実だけを記した。
 SFSとSNFSの垣根はそこに加味された『願望』という事実の改竄の余地が薄れるにしたがい、純度が高まれば高まるほど近づいて行くと信じ、究極的には最統合されると考える。


 故に愚かな我は、真なる判断を、純粋に科学的好奇心に満ちあふれた未来の子供達に託す。
 または、参考とすべき一思考として此を手渡す。


 明日の子供達よ!! 人として何よりも大切なことは常識に囚われず己の頭脳でまず考えることである!! 無謀であれ!! 愚者であることを恐れぬのなら我の後に続け!! そして可能性の中に無限の翼を広げ、我の屍を踏み越えて人類の「失われし輪」の連鎖の眠る知恵を自在に操り、バベルの塔の頂より遙か時空を越えて宇宙の芯から果てに至るまでの間に存在する、あらゆる謎を解き明かせ!!


 純粋に知的好奇心を満たすこと、見果てぬ謎に挑むことこそ、この世の至上の快楽であると知れ!!! 我が人類の失われし輪の謎に挑み、拙くとも、この思考の礎となった独自の理論を築き上げたのはまだ十代の刻である!!!
 例えこれが否定されても、熟慮を重ね再考して我は次の物語を提出するだろう。

 また、ホモ・サピエンスとネアンデルターレンシスの再融合と現代に至る経緯については無謀にも、一部加筆と修正の余地は残すものの学会の場に提出した。残るは石器時代への移行の課程等の場面を残すについて簡単に、石器も木も、単に優れた材料が身近にあるから使ったのだ、とだけ今は簡単ではあるが補足してこれをもって人類の誕生から今日に至る道程の全行程の我が物語の現時点における完結とする。

 そして、我は人類の失われた輪の発掘に関する一連の物語の全行程を語り終えたと信じるに足るが故に、ひとまずはここに筆を置く。




 ガリレオは、単なる数列の美しさというだけの現代人の目には極めて如何わしいエセ科学的行為の中に、木星に従う衛星の数を予言し、これを的中させている。

 天上天下唯我独尊。

初 :AC.21-Oct-2009/MTC.-21-Kami-0079
作 :Kawabuta.Dukedom./河豚公国(かわぶたこうこく)

『それでもソレを修復する者(第零話――『犯罪者(上&下)』――)」

2009年09月24日 07時15分00秒 | 物語・創作
え~と。
『それでもソレを修復する者(第零話――『犯罪者(上)』――)」
http://blog.goo.ne.jp/fugu2ch/e/33360e9c9300acba4e517dcbb63c99df

及び
『それでもソレを修復する者(第零話――『犯罪者(下)』――)」
http://blog.goo.ne.jp/fugu2ch/e/83726f8c5c35a6e99a234b35a0ad7fdb

の二つをうぷしました。
ジャンルはSFです、二次創作ではなく完全なオリジナルです。

上下の二つに別けた理由は、単純に文章の総量がgooで記事として一度に張れる上限を越えたためです。
本文だけなら推敲して削ることで何とか一つにできたのでしょうが、能書きもタラタラ書いているので、いずれにせよ二つにわけなきゃならんのは必至。

ということで、諦めて本文を分割しました。

本文を原罪の時間に設定して載せないのは、小説である以上全文を一ヶ所に、上から下へ読んでいける形で発表する方が読み手に違和感を感じさせないと考えたためです。

時間の設定を調整してプロローグの後に続くように配置しているため、この場では告知及びリンクを張るだけにさせていただきます。

なお、この文章はこの物語の続きを発表した段階で削除して、新しい誘導記事だけを残すつもりでおります。

プロローグから読んでいただける方はこちらへどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/fugu2ch/e/b7f05d0bfcf2797fe18051e9d7b54f26

この記事は削除が前提なので、感想やご意見ご不満な点がある方は、本文の方へ書き込んでください。

【河豚公国はこれでも】 『それでもソレを修復する者(プロローグ)」 【小説書きなんだぜ!!】

2009年09月23日 15時00分00秒 | 物語・創作
『それでもソレを修復する者』

(この物語は、『マリオネットカンパニー』の開発に携わった皆様、(株)マイクロキャビン様、並びに全てのマリオネット愛好家の皆様に捧げます)

 プロローグ

「マスター? 今晩……な  たべ……で  かぁ?」

 午前零時。「マリナ」が久しぶりに音を発した。
「言葉」ではなく、「音」。
 過去、その物体が「マリナ」として生きていた当時とは似てもに付かぬ濁りきった空気の振動。ただその程度のものを再構築すること。それが、世間から『創造の女神』とまで呼ばれた女の偽らざる限界だった。
 人間と寸分違わぬ、人に尽くす為だけに造られたはずの機械と主の永遠の別れは、ある日、唐突に訪れた。
 主の身を庇おうとして、事故に巻き込まれ。
 その結果として残されたのは、一人の人間の死と、一人の修復不能な次元にまで破壊された機械の従事者。
 女は、ただ兄の遺言に忠実に従っているだけに過ぎなかった。
「マリナを治してやってくれ……」
 それだけを言い残し、マリナの主はこの世を去った。妹である女に対する想いはなにひとつ残すことなく……

 時折、女は考に耽る。
 自分の存在とは、いったい何であったのか、と。

 生まれつき身体の弱かった兄に尽くした15年間。そして、唐突に現れた「マリナ」という名の機械人形。あの瞬間、女は15年間兄のために尽くした自分の存在価値の全てを横取りしていった様に感じた。
 確かに、女には特別な才能があった。機械人形に関して、他の何者をも凌駕する、圧倒的な才能が。
 その才能を個人ではなく社会全体に貢献させるため、兄の介護のために裂かれる女の時間を僅かでも惜しみ、実用化されたばかりの高額な機械人形を惜しげもなく寄付してくれたのは、企業のエゴでもあり、また、産声を発したばかりの業界の欲した人間の社会に機械人形を受け入れさせるための恰好の「美談」であったことに疑う余地はない。
 事実、世界中に「マリナ」を知らぬ者はほんのひとにぎりに過ぎないだろう。そして、身体に大きな制約をもって生まれたその主の存在と、その妹にして、機械人形の分野において革新的技術を次々に生み出して行く一人の天才の存在も、全世界の人々の常識であった。

 だが。
 そのきっかけも、なにもかも、全ては「兄のような人を救いたい」という思いが女の原動力になっていたのは紛れもない事実だ。女の生涯の全てが、「兄」という特別な身体を持って産まれてきた一人の人間に支配されたものだった。ただ。皮肉なことに、女にも「特別」な才能があり、運命がその才能を開花させる場所へと女を導いてしまったというだけに過ぎない。
 もともとは、単なる介護を学ぶだけのために選んだ道のはずだった。そこに、介護用機械人形のプロトタイプと、その開発スタッフが派遣されていた。単なるデータ集積が目的だった。数週間滞在して、派遣元の企業に集めたデータを持ち帰り、次の改良型の為にそれをそそぎ込む。当初の企業の目論見は、純粋にそれだけだった。それ以外に、そしてそれ以上の収穫があるなどとは、誰も予期してなど居なかったからだ。

 そして介護を学ぶために進学した女が、それまで関わったことのない新技術に興味を持ったことは、至極当然の話しであり、その出会いが世界をも変えてしまうなどとは、当人さえもその時は全く夢想することさえ有り得ない、遠い国のお伽噺のようなものであった。

 しかし、その出会いが結果として、一企業の企業機密を全てその女に公開し、研究開発に協力を恁うという英断をさせるまでに至った。

 結果として、実用化までにまだ20年は掛かると見積もられていたその機械人形の開発は、それから僅か3年で目標を遂げた。





 っつーことで、ブチギレした怒りの矛先を執筆に向けてみました。3行ぐらい書いて放置してあったちょうどいいところ(文書を守ることイージスの盾の如きの一太郎様の放置したまま削除も保存して終了もしていない状態の文章)に小説があったので、勢いだけで書きました。つか、戯れで一太郎様にさわる気が起きたのも、くそブラウザが河豚公国の記事を消し去ってくれたおかげです。ありがとうよ。だからシんでね。みたいな。まだ怒りが収まりませんが、ご飯食べたので人心地付いたかな。

 これは、この後、第一章『犯罪者』へと続くんじゃないかなぁ……
 あるいは、第一章は『少年』かもしれないけど。
 続きを書かないでこのまま投げ出すという可能性が一番高いのはここだけの秘密で、河豚公国は「プロット書くような軟弱者は小説書くなぁ!! 主義者」なので、この話しがどういう展開になるのかは全く判らん。全部成り行き任せだ。


 タイトル自体、今決めたし。さっきまでは『もう決して治らない人形と、それでもそれを修復する者』だったし。それすら、このプロローグを書いてる最中に決まったことだし、今朝ブチギレする以前は、これは単に主人公の男(死んだ兄貴にされてしまった)が、絶対に直らないロボットをそれでも意地で直そうと狂気に染まっていくだけの短編小説のはずだったし。なんで、プロローグなんだか、ワケワカラン。だから、「女」の名前も歳もまだ未定。はははははははははははははははははははははは~。

 でも、至極まじめな小説だぞ。

 ちなみに、『やどか瑠璃花ちゃん』の世界とは、一切関係のない別世界。ある意味貴重。河豚公国のお話は、今のところ全部『やどか瑠璃花ちゃん』とつながるように樹形図が伸びてる。っつうよりも、世界感に矛盾を来さないための瑠璃花様だしなぁ。

 もうひとりの瑠璃花は、なんていうか。いろいろあって、ブログ投げて逃亡中なんだけど、若いんだし、まぁ突っ走りたきゃ好きにしたらって感じで外国でも宇宙でも好きなところへ飛んでいくのが人生だから、悔いの残らないように生きろ。命短し恋いせよ乙女。すずめ100まで鷲99までだ!!


『マリオネットカンパニー』っていうのは、河豚公国が遊んだことのある数少ないギャル(?)ゲーで、あとは有名な『プリンセスメーカー(もちろんMSX板。制作と販売元はガイナックスではなくてマイクロキャビン)』をしっかりとマニュアル付きで購入直後にバックアップとって、遊ぶのはそのバックアップ。だから、新品に近い状態で絶賛永久保存中なワケなのだが、もう10年以上昔のことになるし、フロッピーだし、もうダメダメになっちゃっていて遊べない状態になってしまったと思う。

 マイクロキャビンに送れば、新品のフローピー……って、もう当時のフロッピーとは出所が違うだろうし、単価も違うし、シールも無いだろうし。なにより実費でむちゃくちゃな値段をふっかけられそうだから、諦めるというか、あの当時のままじゃないと永久保存の意味がないんだよなぁ……
 まぁ、そういう話しの流れからも判って貰えると思いますが、『マリオネットカンパニー』という作品の世界観にかなり影響を受けているというか、オマージュというか、俺がシナリオ書く用意出来てるので、マイクロキャビンはゲーム業界に戻ってきなさい!!

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『それでもソレを修復する者(第零話――『犯罪者(上)』――)」

2009年09月23日 14時59分00秒 | 物語・創作
『それでもソレを修復する者』

(この物語は、『マリオネットカンパニー』の開発に携わった皆様、(株)マイクロキャビン様、並びに全てのマリオネット愛好家の皆様に捧げます)

 第零話
『犯罪者』


「マリナ」。
 それが、ルーウィル・石田の初恋の相手だった。
 彼女は人間ではなく、『ホミー』という商標を得た、人の手で作り出された人間そっくりなロボットであった。唯一の違いは、人間とは違うようにあえて頭部にそれと判る人工的な相違点を意図的に付加されているという点だけだった。そして、以後『ホミー』という言葉は、競合他社の製品を含め、全ての人型のロボットの代名詞となり、それ以前に制作された『ロボット』と明確に差別化され、全く違う者として認識されるようになっった。猿と人間の扱いが違うのと同じように、ホミーは新しい人間のパートナーとして特に支障無く社会に受け入れられた。その役割を果たしたのがマリナという開発期から試験用に用いられていたハンドメイドの、そして幾度も改良を重ね続けその後のホミー達のベースとなったマリナであった。
「マリナ」と人間の外観的な相違は、耳の代わりに鹿の角を連想させるマイクの機能を含む多機能センサーが取り付けられていたこという程度。そして、このタイプの人とホミーとを見分ける為の識別用器具――フォログラフを使用した識別用器具が一時期流行して以降、このパーツは一様に『クラウン(王冠)』と呼ばれるようになった――のものは、後にも先にも製造されていない。マリナの為だけに用意された、特別な唯一の形状だった。
 それは「マリナ」がプロトタイプであり唯一無二の存在であることの証でもあり、それ以上に人々に「ホミー」という製品がこの世界に存在することを知らしめるための広告塔であった以上、外観を変更することに対してメーカー側から制約をかけられていたという理由にもよる。
 そして開発時にそのような特殊な形状のセンサーを採用したことに理由は、「マリナ」の保有者として登録されていた人物が言葉も満足に話すことの出来ない程、身体に重度の障害を持つ人物であったという点であろう。主とコミニュケーションを成立させるためには、少しでも感度の良いセンサーを採用させる必要があったのだ。
 ルーウィルがマリナに魅了され理由に、彼女の主の存在も大きく影響を与えたことは疑う余地もない。なぜならば、彼も言語に障害を持っているからだ。
 言葉の不自由な自分と、心を通わせる事の出来る異性の存在を知ったとき、その存在に心を奪われない道理はあるまい。まして、マリナは人の手によって創られた、考え得る限りの美を追求したフラグシップモデルである。
 ルーウィルは一目でマリナに魅了され、そしてその存在意義を知った瞬間、完全なる彼女の虜となった。
 その後の彼の半生は永遠に手の届くことのない存在に恋いこがれる、不毛だが、しかし、平穏で悩みとは無縁な至福の中にあった。
 あの悪夢の日が訪れるまでは――

 なお、余談ではあるが現在はマリナと同じ目的で感度を最大限に引き上げた障害者用のクラウンは全て黄色い扇形の物が使用されている。それは、所有者に身体的な障害があるので周囲で極端な行動をとならいで下さいという目印として国境を越えて認識されており、今後も変わることはないだろう。それが、マリナと同じタイプのクラウンが生産されないもう一つの理由なのだ。
 そして、一般用のホミーには盗聴などに繋がるプライバシーの侵害に発展するケースを考慮して、過剰な過剰な性能は与えられていない。これは、各国の首脳同士の通訳の場などにもホミーが使用されているからである。機械ではあるものの、ホミーには死の概念が存在する。それは、守秘義務――国家機密はもちろん、企業や個人のデータを死守するという人間が使用する機械として絶対に背いてはならない大前提があるためである。だから、必要とあらばホミーは自害さえためらわずに実行するし、データのバックアップすら原理的に不可能な構造となっている。稼働中のホミーからデータを抜き出す為には『ピナルティマム(究極=アルティミットの一つ前の次元の意)』と名付けられた複合9次元パスワードとホミー自身、並びにその主人、そして更にメーカー(国によっては国家がその役割を代行)の承諾が必要であり、事実上非合法な使用には使えない仕組みとなっている(もちろん、その行為が「悪用」され何者かに危害を与える可能性があると情報を保有管理する立場のホミー自身が判断した瞬間、情報を道連れに自害してしまうからである)。実際、過去にこの手法が用いられたケースは科学的な実験データを人間では進入不可能な極限状態の現場(マグマの内部等)に人間に代わって進入し、収拾してきた情報を開示するようなケース以外に存在していない。

 さて。
 脇に逸れた話の焦点をこの章の主人公であるルーウィルに戻そう。

 あの日の悪夢は、春の、実に穏やかな日和の中に、花に誘われるアゲハ蝶の様に、ごく自然に、近付いてきた。
 言葉が不自由なルーウィルは、一人、山奥に籠もって生活を送っていた。幸いにして、生活の保護を受けることは出来たし、派手なことを好む様な性格でもなく、言葉が不自由な変わりに神が授け賜うたのか、身体は丈夫に出来ていた。ただ、やはり言葉を司る脳の言語野と共に視力にも障害があり、左の目の視力はどうにか光を認識できる程度のものでしかなかった。ただし、そのことが逆に、ルーウィルを射撃の名手へと導くきっかけともなった。というのも、ルーウィルの右目の視力は、左目の力も吸い尽くしたとしか形容しようがないほどに、人間離れしたレベルにまで発達してしまっていたのだ。晴天であれば真昼でも星がはっきりと識別できるほど、ルーウィルの右目の視力は常に研ぎすまされた抜き身の真剣のように鋭かった。人の中での暮らしを捨て、一人で生きる事を選んだ背景には、言葉の問題以外にも、自由に狩が出来る空間をルーウィル自身が欲したという事情も考慮されていた。
 山頂近くに敢えて家を建てたのは、下界の生物達の動きを鷹のようなその右の瞳で見きわめることが出来るからだった。障害者としての受け取る保護資金の上に、猟による稼ぎが加算される。当時のルーウィルの稼ぎは、かなり高い水準にあった。そして、それでも慎ましい生活を送っていた。貯蓄額は個人の蓄えとしてはもう十分老後の生活の心配など必要のない水準に達していたものの、近年の彼はむしろ貪欲に狩を行うようになっていた。
「オ-ル・ハンドメイドの一品物ホミーと言えば、確かに耳への響きは良いでしょうけど、実態は馬鹿高いくせに前時代的な、不安定で扱いにくい、もはや価値のないガラクタですよ。他のパーツはともかくとしても、主神経回路の構築を一から出来る人間が、この世にただ一人、例の『伝説の女神様』しか居ないのですから。どこの製品も、この問題に関しては完全にノータッチで、行うのは最後のオーナーさんの意向と御本人の人格とのすり合わせといった部分くらいです。お客様は障害者として認定されていて格安で最高級の性能のホミーを入手する権利をお持ちでいらっしゃるのに、どうしてそんな酔狂な事をお考えになるんですか? ハンドメイドで曲がりなりにもホミーと呼べるような代物は、もう開発後期のプロトタイプの数体しかこの世に存在しません。無謀にもオリジナルの主神経回路の組み込みに挑んだ製品は、みんな何らかの人格障害を起こして大惨事を引き起こすような欠陥品ですし。いったい既存のホミーの何処がお気に召さないのですか?」
 以前、ある大手ホミー・製造メーカーの支店に見積書を依頼する手紙を送った時、自分が障害者であることをメールで告げた瞬間に返って来た、その支店の店員の電話で告げられた言葉。ルーウィルが会話が出来ないことを知りながら、嫌みで駆けて来た、あの電話。
 ルーウィルが何を欲しているのか、判っていてそれをわざと遠回しに拒絶した、あの電話。
 ルーウィルが欲しいのは、その『女神様』の手による最新の神経回路を登載したホミーそのものなのだから。正確には、補助神経回路と言うのだそうだが、長年なじんだホミーの人格そのものを変えることなく、最新の機能の追加が行える上位機種は存在するし、ホミーのシンボルである「マリナ」自身が長年最高級の性能を維持し続けているのは、その副神経回路を頻繁に更新しているからだということくらい、少しこの業界のことをかじった人間なら誰もが知っている歴然たる事実だった。それは、CMに登場するマリナとその主のコミュニケーションが年々自然に、そしてお互いを理解する度合いが増して行くことからも容易に想像が出来るし、実際にそれは事実なのだろう。更新のペースは衰えるどころか、むしろますます頻繁になっているというのが業界に詳しい者の報告だ。
 マリナは街で目にする一般的なホミーとは明らかに一線を画している。
 そして、ルーウィルが欲しているのはそんな自分の気持ちを細大漏らさず理解してくれる存在なのだ。一般の製品でそれが不可能ならば、「マリナ」と同等のモノを求める――それは、極自然な欲求ではないのか?
 そのために10億必要だというなら10億を、100億掛かるというのであれば100億を、キャッシュで支払ってでも手に入れ、目の前に積み上げてでも、必ず自分の要求に対してYesと言わせてやる!!
 それが、その電話の直後にルーウィルが決意した事であった。だから、あの日を境にルーウィルが、唯一の自力で収入を増やすことが出来る手段――狩猟に対して精を出したことは、全く無理のないことであった。
 そしてそんな無茶をしたら、狩尽くされて獲物が自宅の周囲から居なくなってしまうことも――

 その日。
 ルーウィルは鹿の親子と思われる気配を察知して興奮していた。この所すっかり獲物が減ってしまっていたが、遠いところから新天地を求めてきた鹿が、この一帯を食べ物が豊富な楽園と勘違いして住み着いたのだろう。
 無神論者のルーウィルでさえ、この思いもかけぬプレゼントに対して神に感謝を捧げたくなったほど、彼は興奮を抑えきれず上気していた。周囲から生き物が急激に居なくなったこと。その原因を作ったのは他ならぬ自分自身であるということは、この世界の誰よりもルーウィル自身が最もよく理解していたのだから。
 2頭のウチの一頭が少し離れてガサゴソと餌を漁り始めた。気配の大きさからして母親の方で間違いあるまい。そして、「ムームー」と母を恋しがるような鳴き声。生後まだ間がないために、この程度のことで母を恋しがるのだろう。まず子鹿の方に深手を追わせて、駆け寄ってきた母鹿を次に仕留めるのが良いだろう。その逆のやり方も有効だろうが、今、母鹿は崖のすぐ側にいる。撃てば衝撃で崖から落ちる可能性がある。そのうえ、まだ何も判らない子鹿まで、母親の後を追いかけ、崖を転がり落ちて死ぬ可能性すらある。鹿が死ぬ事自体には問題はないが、高値で売れるその皮が無価値になるのはバカバカしすぎて選択肢から外すのは、当然のことであった。たとえ母鹿が子鹿を置き去りに逃げようとしても、ここはルーウィルの庭そのもの。必ず仕留めてみせる自信が有った。注意すべき事は、崖から落としてしまわないこと。ただそれだけ。実にあっけなく、そして美味しい仕事であった。
 そのはずであった。
 ルーウィルは躊躇うことなく初弾を子鹿に打ち込むと、熟練の技で瞬時に次弾を放つ準備を終えた。そして構えて駆け寄ってくる母鹿を撃った。
 否……

 撃った相手は母鹿ではなかった。
 鹿の角に似た唯一のクラウンを持つ世界に唯一無二の存在。ルーウィルの放った銃弾をその身に浴びたのは、これまでルーウィルの信仰の対象であった、ホミーのマリナその人であった。残酷なほど克明に、彼の右目はその後の全てを捉え続けた。
 マリナが手にしていたもの。主から離れて摘んでいたもの。それは花だった。その花びらが衝撃で飛び散り、辺りに舞った。ホミーは万が一の自体を考え自重を極限まで軽く作られている。マリナは当初のルーウィルの想定をたやすく裏切り、マリナを崖まで易々と吹き飛ばした。駆け寄ると、マリナの主は車椅子の上で意識を失い死にかけており、崖の下では、それまで「マリナ」であったモノの頭部が「マリナ」が崖を転がり落ちた衝撃で崩れたのであろう岩に粉砕されている状況まで、その右目は克明にルーウィルに対して突きつけた。それが、紛れもないルーウィル自身が引き起こした二人の生涯の結末であり、受け入れなければならない現実である、と。

『それでもソレを修復する者(第零話――『犯罪者(下)』――)」

2009年09月23日 14時58分00秒 | 物語・創作


 その先は、彼自身も欲はおぼろげにしか覚えていない。

 急いで応急処置を施し、警察に通報して自分が子鹿と間違えて人を撃ったこと、現場は山中付近にあり、事態は一刻を争う為に、可能であれば救難へりを要請して欲しいと。民間で引き受けてくれる会社があるなら、経費は全額自分が支払うと告げ、おしまいに、付き添っていたホミーのマリナも親鹿と思い撃ってしまったことを告げ再びマリナの主の元へ戻ると、放心状態のまま、マリナの主の命が尽きないように思いつく全ての措置を試み、そして心の中で神と己自身を深く呪った。

 次に気がついたときは、警察署の中で事情聴取を受けていた。
 世界中が大騒ぎになっていた。
 生きる目的を失ったルーウィルはどんな刑罰でも甘んじて受け入れるつもりであったが、皮肉なことに、彼は有罪とされ銃を所有する資格を剥奪されはしたものの、刑に対しては執行猶予が付いた。
 そして、裁判の最中に、マリナの主が死亡した。

 だが、世間がリンチを行う可能性があると判断した法廷は、ルーウィルの刑を重くするどころか、それとは全く逆の事を行った。新しい姓名と住む場所を施してくれたのだ。そして、当分の間、世間とは隔絶した状態で暮らすように指示を下した。もちろん、その「世間との隔絶」の中には、残された肉親への謝罪等のために面会に行くことも含まれていた。

 だが、それはルーウィルにとって最後の謝罪の機会さえ奪う死刑よりも重い仕打ちであると、ルーウィルは思った。

 一人で、生きる希望もないまま、ただぼんやりと新しく与えられた山奥の家の中で、指示された以上に大人しく――いや、大人しいのではなく無気力となって、過ぎて行く月日をただ静かに見送る日々が炎々と続いた。食べ物や日常生活に必要なモノは全て、政府が手配して届けてくれた。それどころか、取り上げられた狩猟による収入の代わりとして、月々に狩猟の稼ぎとほぼ同額の対価が支払われることさえ決まってしまった。
 ルーウィルは今にも気が狂いそうだった。
 なぜ、罪を犯した自分がこんなにも厚遇されるのか。
 まるであべこべではないか。
 全財産を遺族に賠償金として支払いたいという至極まっとうな申し入れさえ、「不幸な事故で殺意があったわけではないから金員を受け取る理由がない」とあっさり袖にされ、しかたなく、ルーウィルは所有していた全ての財産を慈善団体に寄付することを申し入れ、ようやくそれだけは容認して貰う事が出来た。
 そして、すぐに慈善団体からは感謝状が届いた。
 ルーウィルは生きることの意味が判らなくなり、いつしか死ぬことだけを考えるようになっていた。
 そんな時だった。
『女神』が天使を従えて、ルーウィルのもとに現れたのは。
 女神の名はAkemi・cruzon。ルーウィルが撃ち、結果として命を奪った、「マリナ」の主の実の妹であり、マリナを含めた全てと言ってもよいであろう、「単なる人間に似た作業機械」に『魂』を吹き込み、人間にとって最も信頼できるパートナー「ホミー」に生まれ変わらせるという奇跡を起こした、世界で最も名前の知られた人物の中の筆頭の一人。そして、機械に魂を与えたことから『女神』というふたつ名で称されるようになった女性。
 映像では飽きるほどその姿を目にしてきたルーウィルだったが、実際にその肉眼に写った『女神』は、疲れ果て今にも倒れそうなほど儚くか細い印象を受けた。
 ルーウィルは、謝罪することすら忘れてしばしそのまま立ち尽くした。
「初めまして。石田さん。私は明美・クラージンと申します。この度は、色々と心を痛める事故が重なり、心労の極みあるということ。心中お察し申し上げます」
 そう言って、頭を下げたのは女神の方だった。
「うぁぅ、あっ、ぁっ……」
 生きながらにして死んだような状態で過ごしてきた歳月は、いつしかルーウィルから、自分がしゃべることが出来ないことすら忘れさせていた。  
「そのことなら、すべて不幸な事故ですから、そこまで気にやまないで下さいというのが明美先生のお考えです。猟師が獲物を仕留めるのは、仕事です。それに、あの二人は最後まで幸せに過ごせました。生涯に悔いは残っていないと、明美先生も私も、その点では全く同じ見解です」
 ルーウィルの言葉と言えない言葉を汲み取り、口には出さなかったその先の意志まで正確に把握し返答したのは、小柄で褐色の肌を持つ、ルーウィルが今まで見たことのない型のホミーであった。
 その認識能力のあまりの正確さに、ルーウィルは寒気すら覚えた。
「大丈夫です。すぐに慣れますよ」
 何が起こっているのか全く理解できないルーウィルに対して、『女神』は容赦なく話しを進めた。
「この子は、ヒーラーと申します。失われたマリナの残してくれたデータの結実で、実質上のマリアの妹に当たる子です。身体を小さく設定したのは一度の充電で稼働出来る時間を少しでも延長することが目的であったことと、石田さんの場合、マリナのように身体的な介護を必要とする場合はそれほど必要ないであろうと考えた上でのことです。石田さんは右目が特に優れているという事なので、伝えたい情報を目で伝えられるよう、ヒーラーの目には少々特殊な仕様のモノを試験的に組み込んでみたのですが、どうやら上手く機能しているようですね。安心しました。それから、この子はすでにマスター登録を石田さんに設定してありますので、石田さんがこの子を引き取る意志がない場合は、石田さんの個人情報の保全のために自壊モードが働いてこれまで構築されたこの子の人格は消滅する事になりますが……、もちろん、身請けしていただけますよね?」
 勝手に話しを進めてしまう「女神」の言葉を理解し終える事など全く無視して、女神は更にたたみかける。
「兄のこともマリナのことも、悔いがないといえば嘘になります。一応、我々にとっても、世界中委人々にとっても、マリナは特別な思い入れのある子ですので、可能かどうかは判りませんが、果たして一度死んだホミーを蘇らせることが可能かどうかを検証する意味も含め、唯一の例外として再生を試みるプロジェクトを立ち上げる予定ですが。しかしとにかく、私の仕事はホミーが社会に受け入れて貰えるよう、橋渡しになる事です。だから、石田さんも気持ちの整理がつかない所にこのような話しをいきなり持ち出されて迷惑だとは思いますが、それでも事態を受け入れてください。業界は、石田さんにはホミーの存在が不可欠と判断しました。ですから、この子は無償で石田さんに無期限で貸与されます。年に数回、不具合が起きていないかスタッフが確認に来ることになると思いますが、その手続きはこの子自身が行えるので石田さんには特に負担は生じることはないと思います」
 そして、『女神』は容赦なくとどめをさす。
「ここだけの話しです。わたしも、『女神』だなんだと余りにも重たいふたつ名を押しつけられて業界の客寄せパンダに祭り上げられて、正直なところ非常に迷惑しています。しかし、それが自分で選択して生きてきた結果である以上、与えられた使命は全うしようと考えております。ですから、石田さんも、僅かでもマリナに対して贖罪の気持ちがあるなら、せめてマリナの妹であるヒーラーを幸せにしてやって下さい」
 そこまで言い終えると、女神はルーウィルに対して深々と頭を下げた。そして、頭を再び上げてルーウィルの瞳を、みじんの濁りもない瞳で凝視した後は、小さく「それでは。お騒がせして申し訳ありませんでした。私は、これで失礼させていただきます」と言い残し、振り返ることもなく去ってしまった。
 開け放たれたままの扉の外に残されたのは、ヒーラーという名のホミーただ独り。
「これから先、マスターとお呼びしても宜しいですか?」
 しばらくの間の後に、おそるおそるヒーラーが言葉を発した。
『女神』が言い残していった言葉の中にあったように、ヒーラーの目は単なるカメラなどではなく、相手の心の機微も余さず全て理解する機能が備わっていて、それは設計者の意図したとおりの機能を正常に発揮しているようだった。
 業界のイメージ戦略の都合とやらで、押し掛け女房を引き受けざる終えないと言うことが、『犯罪者』であるはずの自分がここまで至れり尽くせりの状態で据え置かれた自分に対する本当の罰なのだと、ルーウィルは悟った。マリナという存在に妹が居ることがいずれ人々の間に広まり、その主が他ならぬマリナを死に追いやった張本人であることも、それに併せて囁かれるようになるのだろう。確かに、そうなればプライバシーも何もかもなくなるであろうし、犯罪者である自分に対して正面から非難する人々も現れるだろう。

 しかし。
 そんな騒がしい暮らしを送ってみるのも、一度しかない生涯、体験してみるのも、一興なのかもしれない。なぜならば。今までの静か過ぎる暮らしにはもう十分に味わったのだから。
 ようやく、嵐のようにやってきたこの騒動のからくりを理解し、それを受け入れる事も死にたい程の制約と静寂の日々に比べればまだ楽しみも伴うだろう。と心に決めた瞬間に、ヒーラーの顔に満面の笑みが浮かんだ。
「わたし、一生懸命がんばりますので、よろしくお願いいたします。マスター!!」
 深々と頭を下げたヒーラーを、家の中に迎え入れ、扉を閉める。

 ホミーはその生涯の中で、基本的に主――特に指定されていない限りは「マスター」と呼ぶように設定されている――を独り限りにするという不文律がある。それは、ホミーがあくまでも個人情報を蓄積し続けることと深く関連している。そして、マスターが死に、他に家族が居ない場合は、そこで全機能を停止し、自壊して二度と再びその場に魂は宿らない構造になっている。家族が残されている場合は、あくまでも家族の一員という形でその家に残る場合もあるが、それでも極限られた差し障りのない思い出話以外、主の情報は漏らさぬようになっている。
 そして、自壊したホミーはメーカーが回収し、状態が特に良ければボディーをそのまま再使用して、新しい主神経回路に交換して、表皮と顔の作りを改め再出荷される。状態が悪ければ、補修部品として使用可能なパーツだけをリビルドして、残りは資源としてリサイクルの対象となる。
 それは、ホミーが『魂』を手にしてしまった時から定められた宿命だ。人と同じように、誕生があり、死がある。メンテナンスを続ければ理論上半永久的に使える機械ではなくなった証なのだ。
 だからこそ、ホミーは無機物でありながり、生きて人と交わり心を通わせることが出来る存在になることが出来た――

 ルーウィルと、ルーウィルのモノとなったヒーラーが、その後どのような生涯を送ったかは、敢えて語りはしないことにする。
 しかし、ヒーラーの名前の由来が(ヒーラー=治癒するもの)である以上、あえて彼女にその名を付けた人々の想いが天に届いたと、信じたい。



 第零話
――了――



 あとがきというかのうがきというか。

 怒りの力は凄まじいなぁ。まじで、一つ目の話しまで勢いだけで出来ちゃったよ。
 まぁ、あらけずりだけど、もともとテロップなし、羅針盤なし。出たとこ勝負の怒りの大爆発絶賛炸裂中!!

 っつー。単にそれだけが原動力で書いてる話しだし、ホントならこれは他人に公開するレベルじゃない(だって、推敲とかしてねえもん。ほんとに、ただの下書きだもん)。

 ただ、一つだけ言わせてくれ。怒りが執筆の原動力なのは事実なんだけど、だからといってその怒りの感情の他の感情に返還できないほど、河豚公国は幼くはないって事だけは、判ってくれ。

 あと、『マリオネットカンパニー』はあくまでも影響を与えてくれたきっかけで、『ロボットと人との交流』というテーマは共通するけど、後の設定は全部完全オリジナルだから。まぁ、主人を「マスター」と呼ぶという設定は『マリカン』以外にも『ファイブスターストーリー』なんかも使ってる(っつか、どう考えても『ファイブスター』の方が圧倒的に先だわな。作者に、生きている間に完結させようという意志があるのかどうかは不明だけど。まぁ、面白いから良いんだけど。あの当時、全部設定だけは練り上げたからこそ、こうやってどうどうと物語の細部にのみ気を配りながら書けばいいと言うか、いつ死んでも良いように年表見ればどうなったかは判るでしょ。ってどうどうと胸張って威張れる、突然変異というか天才だしなぁ)。

 で。『マリカン』が『ファイブスター』の影響を明らかに受けている以上、この物語も両者の影響をうけてはいます。いますが、それでも断固としてどっからどうみても『オリジナル』だろう!! って胸をはれるように、物語のテーマとかはまぁ、絞り込んでみたんですけど。

 やっぱり出たとこ勝負の行き当たりばったりなので、どんなモノが出来上がるかは不明ですし、このまま逃げる可能性の方が高いです。

 んで、あえてこの話しを第零話と通常では有り得ないナンバリングをあてたのは、この話しがプロローグより過去に起きた、過去形の物語だからです。

 まぁ、物語の間に挟むのは無理だな。
 でも、外文とか書くような状態じゃないしな。

 まぁ、そういうこってすわ。

 お気に召した方は感想などお聞かせください。
 お気に召さないけど感想を言いてえぜ、という方ももちろん大歓迎です。

 あと、ホミーってのは、ホムンクルスとホームとロボットのMEの4つを掛け合わせた造語です。英語表記だと『HOme』って感じかな? うん。ノリだけで強引にでっち上げた言葉だから、あんまり重箱の隅はつつくな。

 以上。
090924/05:15:00
微熱がある状態で、完全徹夜にて執筆

 まさか、上下にわけなきゃならんハメになるとは、さすがにビビった。ちなみに、本文だけで原稿用紙だと27枚ね。徹夜明けの人間にこの仕打ちはマジで鬼だと思ったよ。本文だけにして、何とか指定された10000字以下にまで抑えても、タイトルとかも見えないところでカウントに入っているのか、受けてくれねぇって。それじゃ、本文 xxxxxx文字とか表示する意味ねぇジャンかよ~!! これで、完全に精も根も尽きちゃったけど、医者に言って戻って来るまでは眠れないというこの地獄。今がまさに生命の危機といった感じだゼ!!
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【ぼくらの】 漫画『ぼくらの』の9巻が、あまりにもアレな点を検証する 【疑問箇所】

2009年08月11日 23時20分00秒 | 物語・創作

 たまには、こういう路線の記事を書いてみる。
 漫画の中の、「ここおかしいよ!!」ってやつですね。

 題材は『ぼくらの』というSF漫画。アニメにもなってますね。

 注:ネタバレ大爆発なので、取扱いには十分注意して下さい。

疑問その1.
 P067において、コエムシが「田中にやらせろ」と言った時点で、新しいジアースのパイロット候補者を選出し(コエムシの性格を考えたら契約も済ませるべき)、ジアースのコクピットに搭乗させ、ジアースでの戦闘がどういうものかを体験させないのは、次の戦闘に限りなく経験値ゼロに近いパイロットを送り込み戦わせるということであり、人類の命運を欠けた戦いに挑む者として有り得ない選択である。

 P096において88式軽戦闘機をコクピットに持ち込んでいるが、ジアースは自分のパーツの位地を把握する能力があることは、第1回目の戦闘の時点で既に明らかにされている。
 戦闘直後に適当なパーツを相手にめがけてぶん投げるか、時速1000キロの速度とやらで突撃して相手に自分のパーツを埋め込めば、敵位地の把握はそれで十分達成することが出来る。
 ということで、わざわざ戦闘機を持ち出す必要はないはずである(むしろ、偵察用の小型無人機と受信機、モニターを搭載するべきである)。

 敵陣営の無人機もどき(無人機としての性能を最大限引き出し、パイロットを消耗品として使用するという仕様の戦闘機&爆撃機)が作戦行動に参加しているが、どう考えても仕様変更して完全無人機にしてしまった方が、出撃等も瞬時に行え有利なはず(死体じゃないんだから、乗り込む手間などを考えれば、無人機として自立飛行出来るならその方がマシであろう。かりに、刑罰の一貫として無人機に乗せられているとしても、食事や排泄の時間が惜しかろう。無人機そのものがある種の独房であり、食事やトイレが設置されているというのなら、それはもう戦いに勝とうという意志を放棄しているとしか思えない。劣悪な環境で待機中に死亡したら、作戦に大きな支障が出るであろうが、バカヤロウ!!)であるが、まるで、ジアースの操縦者の性格を熟知しているかの如く有人のままにしてあるという設定はおかしすぎる。中のパイロットは、無茶な制動で意識を失うか、臓器を著しく傷つけるか、死ぬかする可能性が高いです。

 相変わらず、ジアースにコンピュータ器機が搭載されていない件。
 思想テスト等を行うほどの重要な事態なら、戦闘時の会話の記録なども当然無ければ政治が納得しないであろう。たとえ自国の軍隊であっても、政治家は超兵器を管理する軍によるクーデターを警戒するだろうし、ベストを尽くしているか、操縦者を子供に任せておくことは適切なことなのか、検討する必要もあるだろう。すぐにではなくとも、事態が解決した場合は、後日他国に対して公表する資料ともなるモノであるだけに、最低でも記録器機は乗せるであろう。また、他の地球の技術、文化、戦術などで参考になるモノはどん欲に持ち帰れとの指令が出ていて当然であり、やはり記録器機が一切無いというのは異常な話である。

 不利な状況でも逃げない点。
 時速1000キロで移動できるなら、敵の用意した戦場から逃げればよいのではないか?
 そうでなくとも、超音速で走り回れば煙幕なんて吹っ飛ぶだろ?

 アウェイ戦においては、敵軍の指令系統を麻痺させるために、相手側の地球を半壊させるぐらい、勝つためならやるべきであるし、ジアースにはそれだけの能力がある。
 無差別攻撃を前にしてどう対処すべきか戸惑っている相手のスキをついて一気に畳み掛けるぐらいやらなくては、全人類の生存の鍵を握るものとして無責任であるとさえ言える。

 ジアースが操縦者の精神に感応するというのなら、麻薬の類の使用は当然検討すべきである。(悪い方に転んだら、殺して次のパイロットに引き継がせれば良いだけであるし、相手の身柄を拘束した後、どうせ死ぬ運命にある操縦者を使用して実験するという事も可能なはずである。外道ではあるが)。

 寛治戦。ジアースは自分のパーツの位地を性格に把握できるのだから、核を投下する作戦の際、あるいは決死隊が敵の懐にマーカーとして出撃する場面に、パイロットの関ではなく、ジアースの装甲の破片をもった者がぐるりと円周状に敵のコアを遠巻きに取り囲めば、人的被害のないまま敵を撃破できたはずである。また、ジアースの装甲は人類の力では傷つけることすら出来ないのだから、ICBM等も輸送手段と成り得たはずで、たとえコエムシが協力してくれなくともこの戦いは状況をひっくり返すことが十分に可能であった筈だ。

 コエムシがあまりにも非協力的な件。
 戦闘には、自分の妹の命まで掛かっているというのに、あまりにも、「無事に勝たせよう」という意志が感じられない件。普通なら、ルールの範囲内で可能な事はどんどん教えてさっさと勝たせて仕事を終わりにするだろう。自分の妹のメンタル面への配慮が余りにも欠如している。

 アメリカがおとなしすぎる件。

 日本から、地中を貫通する方法でハワイに存在する核兵器でも傷つかなかった存在があっけなく一撃でやられた。ということはアメリカの主だった兵力、火力を一瞬に無力化することも可能であるという想定をアメリカが持ってもおかしくはない。マスメディアを内部へ入れた日本軍に対して、予防措置としてアメリカ兵の同乗を要求するぐらいのことは当然行われてしかるべきであろう。


 以上。気がついたら、こんな文章が出来上がっていたので、せっかくだからブログに載せます。
 注:これは、地球の存亡を賭けて子供達が戦う漫画「ぼくらの」という作品、その世界感の中で成しうること、行われなければ成らないことに対して河豚公国が感じた違和感を書き記したものであって、別に、現実世界でそんな過激なことを求めたりということは一切無いと思われます。



 まぁ、判んない人は全然判らない話題ですね。
 でも、そういう主人公が次々死ぬことが運命づけられている中で、ロボット同士で全人類の存亡を賭けて戦うロボット漫画があって、かなり残酷なテーマで、それでいてウケてる、っていうことを頭の隅っこにでも置いておいて頂けると幸です。

【ハルシオン飲んで】 夢はネタ帳 【寝てました】

2009年03月21日 12時04分02秒 | 物語・創作
 空いた時間があると、河豚公国はすぐに眠ります。
 薬物使いますから、ほぼ確実に眠ります(睡眠役を飲んで徹夜するということも不可能ではありません。結局、本人の脳が『休みたい』と思っているかどうかです)。

 んで、夢を見ていました。
 実に変な夢でした。ただ、最近のネットゲーム、ポリゴン使って登場する人間やヒューマノイド(人型生命体)が実在のように感じられるゲームの中にいた、と解釈すれば、解くにこれといった疑問も持たず「あー。こういう夢か」で済ませられたのですが、最後の最後に、現実の世界で、『死んだ人間を甦らせることは可能か?』
 と尋ねられ、返答に困ってしまいました。

 ん~。自分の書く小説の中で、『死者の甦り』はタブーとしてあります。ほぼ唯一の例外が『御霊宿らせ化し借りる神・瑠璃花ちゃん』なのですが(他にも若干似たようなやつらはいます)、彼女も『現代』ではその力を行使しません(たぶん)。

 で、『死んだ人間を甦らせることは可能か?』という夢の終わりの一言。
 これは挑戦なのでしょうか?

 自分の構築した物語の世界観(『やどか瑠璃花ちゃん』も、この中のひとつのピースでしかありません。)を崩さずに、『死者の甦りを可能とする話を書くことは可能か?』

 そう、自分の頭の中にいる住人から、問いかけられたように感じました。

『やどか瑠璃花ちゃん』は、もうしばらくしたら、ネットで少しずつ発表しようと思っていました。その矢先に視た夢。物語り一つ分以上のネタを仕入れることが出来た素晴らしい夢でした。その夢のお終いに突き付けられた問いかけ。


 物書きの端くれとして、これは挑まなければならない課題であると感じました。

『死ぬまで君を離さない』

2009年02月17日 12時49分15秒 | 物語・創作
『死ぬまで君を離さない』
 すっぽん著


 僕と君が出会ったのは、まだ肌寒い桜の季節。
 あれは、運命だったのだ。
 君が池に落ちてきて、驚いた僕は、思わず君にかみついた。
 あれから、どれだけの歳月が過ぎていったのだろう?

 えっ?

 まだたったの30分? そんな馬鹿なはずはない。だって、僕は今、生まれた時のことや、君と出会った時のことを、こんなにも懐かしく思い出しているんだから。

 えっ?

 ちょっと、何その凶悪そうな刃物。
 やめてよ。ねぇ。もっとよく話し合おうよ。僕たちは、ずっと一緒だとちかったじゃーー


 僕の体が、すとんと落ちた。
 不思議なほど、痛みは少しも感じない。
 僕は、もうすぐ死ぬんだね?

 なら、せめて死ぬまで、君と一緒にいさせ、て、欲しい、な……


~完~



あとがき

エア出版した勢いで、中身まで書いてしまいました。
タイトルと著者名と勢いが全てです。
文庫本購入を希望される方は、
↓の方へお願いします。まあ、全てがネタなので無理でしょうが。
http://airbook.jp/AirSIN/14163



ペンネームが、ひとつ増えたてしまった……

『ヲッタヲタ』な少女との遭遇。ただ自分が書きたいと思う物を書く者への恐怖と憧れ。

2009年01月23日 00時35分21秒 | 物語・創作
 一応、物書きの端くれである。
 それが職業ではないけれど。趣味として、小説を書く。
 知人には決して読ませはしないけれど。

 十代のころに書きはじめたまま、その気持ちのまま、その世界をひきずって、物語を書いている。だから、自然といまでいう『ラノベ』によく似たモノが出来上がる。
 いい歳をこいたオッサンとしては、知人には、決して見せられない。

 そして、自分と同じように十代で小説を書きはじめた人を見つけると、無性に嬉しくなる。
 いきなり、書き込みをしてみたりする。

 もともと、表面的には、他人との垣根は低い方なのだ。
 正し、一定以上には決して近づけないのだけれど。
 昔流行った言葉。『ハリネズミのジレンマ』と言うヤツだ。
『河豚』の自己防衛力は、すさまじい。膨らみ威嚇し、猛毒をもって、殺されてもただでは死なない。自分は、まさにソレなのだ。

 つい今しがた、面白い少女(本当かどうかはわからない)を見つけた。
 オタだった。正式には『ヲタク』か。『ヲッタヲタ』の、ヲタ一色に染まっていた。

 もしかしたら、いいとしコイタ♂のオタクが、『少女』を騙っているのではないか? と、疑問を抱く程の見紛うばかりの、純天然のヲタだった。こんな大物がいて良いものかと、疑いたくなる程、ヲタで光り輝いていたw
『少女』はやはり『少女』であり、あの拙さは演技では出せ無い。それだけのパワーが、演技では出せない、と直観するに足るだけの、存在感が彼女にはあった。

 自分は、やっぱり『オッサンなのだ』と叩きのめされ、若さの力を思い知らされた。
 本当は、オッサンというほどではないはずなのだが。世間に流されて、やっぱり、情熱というヤツが、やせ衰えてしまったのかね?
 っつか『河豚』って魚は、『泳ぐのヘタクソ』だしな。自分も、世渡りは下手だ。

 自分の作品を公開しても、アイデンティティーが崩壊しない強さなんてもう無くした自分が居て、だけどそれでも世に出したいと願うもう一人の自分が居る。

 たった今自分が見つけた少女は、そんなことに悩んだことなど、おそらくはまだ無いのだろう。自分の好きなものだけを見つめて、突進できるエネルギーがあった。

 断っておくが、自分はテレビはもう十数年、観てはいない。その間、唯一観たのが、悪友が問答無用で送りつけてきたエヴァンンゲリオン全話収録のビデオだけである。あぁ。歳がバレるな。

 こんな風に、自分を飾ろうとするのが、『老い』の始まりなんだろうなぁ。
 5年後に、あの少女の中から、どんな物語が紡ぎ出されるだろう?
 その時、自分は少女に対抗できるだけの物語をもって、返り討ちにすることが出来るだろうか?

 数年間コネクリ回した物語だ。脹れあがり、派生して、次々と芽吹き、巨大な木のようになった物語だ。この先も、この一本の木の手入れだけで、自分の手は一杯だろう。

 今はたとえ模倣でも、5年後には、本物になっているだろう。
 自分が今やりたいことを精一杯やりとげたあと、『少女』がどんな本物の『作品』を書きあげるのか、ブログのわずか一片を覗いて見ただけで、恐怖と期待を感じてしまった。
 せめて、自分にできるのは、その前に、いくつかの枝葉の作品を書き残して、自分の足跡を残すことぐらいなのだろう。幹の部分は完成している。完成しているが結えに、枝葉を生み出す立った一本のその木の幹を、切り倒すことが出来ずにいる。
『少女』は、きっと、切って切って切りまくるのだろう。
 刈り取る木が無くなれば、次の山へ、また木を切り倒しにゆくのだろう。
 自分が、たった一本の盆栽を後生大事に手入れをする、年寄りのように錯覚させられた。
 それ自体が、『ヲッタヲタの少女』達の力なのだろう。
 なんの疑念も抱かず、選んだ好きな道をつっ走れる。

 自分が、振り替えって懐かしむ側になってしまったということを、痛感させられた。
 負けるものかと思う自分はいるけれど、
『ヲッタヲタの少女』は、そんな自分の存在など気にもとめず、目にもすこともなく、ただ駆け抜けていくのだろう。

 自分が、何を書いているのかわからないのだから、読んでくれている方には、輪をかけて意味不明であろう。それでも良い。
 今、自分は、その『少女』について感じたことを、心の赴くままに、書き綴っている。
 結論は、出ているようでもあり、出ていないようでもある。
 よくわからなくなってしまった。
 迷いだな。
『迷ったら負け』なんだけれどな。
 そうか。自分は、負けたんだな。ただ、その存在感に、圧倒され、怖じ気づいてしまったのだな。しかし、たとえ自分が敗者だとしても、その運命を甘んじて受け入れよう。
 負けたことを認めた上で、自分も、書くことに、どこまで本気になれるのか? 自分が良く知っている、もう一人の自分の力に、掛けてみよう。老兵には老兵としての戦いかたがある。
 勝負は、下駄を履くまでわからない。強いものが、必ず勝つとも、決まってはいない。

河豚公国流・小説のための執筆法・執筆環境。後編。

2009年01月16日 23時30分13秒 | 物語・創作
 さて?
 見事に、今回で終わりになるか? 突然始まった河豚公国流、小説の書き方講座。
 受講料無料。

 ここまででの過程で、PDA等でお話を書き上げられた場合、今度はPCでおかしな点を捜し出し、しかるのちに、一度、全文をプリンとアウトします。
 ここまで、PDA等がなく、何も文章が出来ていない場合、ひたすらPCに向かい、キーを叩くことになります。頭の中で組み立てたお話に従い、とにかく最後まで完成させてください。
 プロット?
 プロットなんざ、下書きを書き終えた後に、後悔しながら修正箇所を書き出す作業のことを言うんだ!!
 つべこべいわず、まずは形にしやがれこん畜生。そのぐらい出来んで、プロになれるか~!!

 と、自分のことは棚にあげて主張するだけ主張してみる。

 でも、なにはともあれ、書きたいものを文字の形で他人に伝わるようにせねば、小説は完成しないのですよ。だから、とにかく、勢いで書いてください。
 ちなみに、河豚公国では、PCへの長文の書き込みには、飛鳥入力を採用しています。
 疑似、親指シフトの一種です。疲れないのが最大のひとつ前の特徴。最大の特徴は、開発者が次から次へと、最終版を乱発するので、本当はどれが一番なのか、もう収集が付かなくなってしまっている。ということです。
 河豚公国は、飛鳥入力[21-345](123数字)版を使用しています。
 覚えた時点の最新版、決定版、最終版、ということだったので。
 まぁ、300も400も種類があるというだけで、何かが間違っているということは、確実に伝わると思います。それでも、間違っているのは、製作者の在り方であって、入力方式そのものは、極めて合理的で、なによりも、指が疲れません。腱鞘炎になりたくない人で、無謀な程の冒険心と暇の有る方、河豚は、3ヶ月でマスターしました。まぁ、覚えてしまえば楽なので、迷ったら、やってみて、毎日練習して、損得考える前に指に覚え込ませちゃった方が、悩みがひとつ解消されて、ストレスから解消されます。

 さて。プリンとアウトしたら、赤ペンを持って、修正してゆきます。主人公の口調や性格が途中でころっと変わって別人になっちゃうことなんて、ザラですし、当初まったく出番のなかった、オマケのようなキャラクターが、話の主軸に食い込んでしまって、いちばんおいしい役回りになちゃったりは、珍しくもなんともないし、ヒロインが入れ替わったり、死んじゃったり、死ぬはずだったのが生きてたり。様々なことが起こっていると思います。そういう事故が起こっていないお話は、最初から予定調和でこじんまりとまとめちゃった、努力の足りない作品なので、本当に面白いか何度も確認してみましょう。あの人が、この場面で、こうなっちゃった方が面白くないか? あいつがあそこで、こうしていたらどうなったんだろう? IFの世界を検証しましょう。そして、何か気づいたことが有ったら、それを盛りこんでみましょう。

 そして、粗筋を書いてみます。プロットみたいなもんです。
 細かい時系列は、エクセルでもなんでも使って、自分の好きなようにやってください。

 直すべきところ、修正しなければ物語が破綻する箇所。そういう箇所を洗い出します。プリンとアウトした要しに、赤ボールペンで、印をし、削除や訂正を入れていきます。
 まるまる削ぎ落とす箇所。書き直す場所も、しっかりと、どんな理由で、どういう訂正を入れるのか、書き込み、納得できるまで、検証作業をしましょう。

 そして、もう一度、PCで、最初の一文字から、入力をしなおします。
 無駄な行為だと思いますか?
 そういう天才さんは、最初からぶっつけ本番で、好きなように書いてください。
 凡人は、努力の積み重ねしかないです。面白いお話が思い付いた。他人に伝えたい。
 そういう時、他人は役に立ちません。書くのは、自分しかいません。
 だから、ひたすら、自分がベストだと思う表現、話の展開、読者の裏をかく伏線、
 正攻法で攻める場所。ひたすら、並べ替え、ひとの配置をキチンと整え、
 無駄なく、美しく、統一感の有る文章に仕上げましょう。

 そうです。統一感なんです。
 だから、この過程の作業を「清書」といいます。

 書き直すのは、その、統一感。乱れのない世界観を詠み手に伝えるための、
 作業なのです。
 絵だって、下絵やデッサンが有るわけじゃないですか。
 それを、満足のいく出来に仕上げて、初めて色を付ける作業へ進めるわけでしょう?
 小説も、パッチワークのような部分を綺麗にならして、このひとはこういうひとなんだな。
 この発言は、あいつだな。と、詠み手がすんなり受け入れられるよう、注意して手直しをし、加筆をしましょう。誤字脱字をとるのは、当然のこと。初歩の初歩です。一文字一文字、自分でチェックをし、意味を調べて、直して行きます。

 キャラクターが、最初と違う動きを見せたら、そのまま、自由にさせてみましょう。
 自分の意志を持ち、自由に動き始めたキャラクターほど、ありがたい存在は有りません

 ただし、さらなる推敲、第二、第三の清書が待っていることは、肝に命じておいてください。

 そうこするうちに、清書も仕上ったはずです。
 プリンとアウトをして、再び赤ボールペンを持ちましょう。
 おっちょこちょいのひとの原稿は、100や200の修正箇所が、しっかり残っているから不思議です。
 何ひとつ直すべき点の無い人は、病的な程の完璧主義者です。

 何度も何度も、間違い、くどい表現、重複した単語、そういったものを、削ったり置き換えたり。
 この作業を、納得が行くまで徹底的に行います。
 原稿用紙で100枚なら、24時間有れば、書ききるのは不可能じゃないです。
 翌日のことを考えても、40枚ぐらいは、行けるものです。
 登場人物と、自分を重ね合わせましょう。

 それでも、傑作が出来たわけでは無いです。傑作は、努力だけでは生まれません。
 まずは運。そしてひらめき。技術。信念。自分の前身から湧き出す書くことと、伝えたい想いの全てが、ひとつのベクトルに整った時、「傑作」だと思える物語が出来るのだと思います。

 ただし、それでも、誰かのパクリだと、いわれる可能性は付いて回ります。
 人は、既に、あらゆる物語を書き尽くしてしまったと、言われることが有ります。
 全てが、誰かの模倣になるのかもしれません。
 しかし、先人を凌駕し、詠み手を驚かせ、唸らせ、悔しがらせ、喜ばせることが出来たなら、それは、パクリでは無く、オリジナルの作品であると、皆に認めてもらえるはずです。

 さて。
 なぜ、いきなりこんなことを言い出したかといいますと、自分自身への戒めだからです。
 これから、約二年ぶりに、ちょっと本気で、いや、マジの本気で、作品を書こうと思ったからです。月月火水木金金の生活から、突然開放され、途方にくれていましたが、自分のやりたいこと、やれること。また、やり終えていないこと。
 その作業に、しばらく籠ろうかと思った、その決意表明です。

 では、みなさま。よい物語をお書きくださいますよう。

 これにて、河豚公国のお勉強会のまね事は閉幕とさせていただきます。

 知らなければいけないこと、知っておいたら楽になること、いろいろとノウハウは有るでしょう。

 けれど、この続きは、あなた自身でお探し下さい。

河豚公国流・小説のための執筆法・執筆環境。中編。

2009年01月16日 07時44分07秒 | 物語・創作
 は~い。みなさんお待ちかね~?
 河豚公国での、小説の書き方の正しいマナーをお勉強する時間です。

 今日は、道具と、その使いかたに付いて記述します。

 っつか、前編書いたのも数時間前だろ。なに言ってんだ>>折れ
 こういのは、勢いでやっつけないと、飽きちまうんだよ>>折れ

 まずですね。執筆の道具です。最初期使うモノ。
 PDA

 はいはい。いきなりとんでもない物が飛び出しましたね。PDA。携帯端末。
 ザウルスとか、WindowsPoketですね。
 後者の方が好ましいです。手書き入力の認識能力が、ある時点を堺に、逆転しました。
 これに、手書き入力で書き込んでいきます。
 最大の利点。寝転んで書けること。
 天井見上げたまま、コンピュータに文章入力できる、横寝で肘付いて書ける。これ最高。
 文章の書き出し、物語の始まりは、終わりとともに、もっとも重要なシーンです。これを、リラックスしながら、惰性と閃きで書き上げる。この方法、生産スピードも決して劣っていません。ただ、画数の多い漢字より、ひらがなで入力することが多いため、誤変換が多いと感じるようならIMEをAtokePoketに変えてみるのも手です。このAtokePoketの辞書は、隠しファイルとして隠されていますが、「隠しファイルの表示」を選択した後、CF等、他のデバイスにコピペして、辞書の設定で、そのコピペした先の辞書を使用するように変更すれば、辞書の大幅なカスタマイズが可能です。小説で使用の多い語句などは、この辞書に入れてしまうのが良いでしょう。逆に、ユーザ辞書はある程度鍛えたら、それをひとまず別名で保管し(例”小説用基本”等)、さらにもうひとつ作品のタイトルのユーザー辞書を”小説用基本”の複製としてつくり、そこに、その作品の登場人物の名前やあだな、使用頻度の高い単語を入力すると、後の入力作業が楽になります。
 そして行けるところまでPDA&手書きでガシガシ書きます。短めの作品なら、このまま、最後まで書き上げても構いません!!
 ただし、これはあくまで下書きです。清書作業が待っています。
 また、PDAだけでは途中で文章の読み憎さから作業が停滞した、止まった、という場合、ここまで書いたデータを、次のマシンに移して作業を続行することになります。
 ユーザー辞書も、変換して次のマシンのIMEに取り込めるようなら取り込みます。

 河豚公国的には、次に使うマシンは「テリオス」という、いま流行りの小型ノートPCと同じサイズの「Windows CE 2000」という、ちょっと古めのマシンです。
 このマシンの魅力は、手書き入力が可能なこと。画面がわりと広いこと。
 そして、キーピッチが狭いので、片手入力が楽だということ。
 この場でも、横寝状態でだらだら書きます。手書き、キーボード、どちらで入力しても構いません。また、文章の間に気がついたこと、新しいアイデアを積極的に書き出しましょう。赤い文字がいいですね。それから、PDAの段階も含め、ファイル形式はリッチフォントが良いでしょう。
 ほぼ全てのワープロ、エディターで、文字化けを気にせずに移行することが出来るからです。
 機種の壁をいくつも越えるので、その際に、「ファイルが読めません」「文字化けして、何がなんだか判りません」、では、泣くに泣けません。
 この段階でいちおう、エンディングまで持っていきたいですが、この手のマシンが無い、PDAも無いという方は、最初からPCで作業することになります。

 あぁ、さらに長くなる。これは中篇として、後編に残りを託します。

河豚公国流・小説のための執筆法・執筆環境。前編。

2009年01月16日 04時56分14秒 | 物語・創作
 我輩は河豚公国(かわぶたこうこく)の河豚である。
 一応、もっとも長く続いている趣味は小説書きである。
 実力は、たいして自慢できる程のものではないけれど。

 我輩の執筆環境や道具は、少々他人と違うようである。
 だから、それについて、書いてみようと思う。

 まず、主戦力。初期の段階で活躍するのは一太郎とAtok。
 タイトルと登場人物の名前、性別等は、この段階で決定する。
 人物は、多目に作る。特に、主人公は天涯孤独でない限り、両親、兄弟、祖父母、叔父叔母、従兄弟、
恋人、元恋人。学生なら担任と、クラスメート。社会人なら上司と同僚。そこまで作る、

 河豚の物語の基本は”A boy meet a girl.”なので、次に相方を作る。
 出会いの場面からお終いまで、頭の中で大まかに決めて、それに沿って、過去も作る。
 話が途中で路線変更となったり、主人公と結び付く相手が変わったり、主人公達を喰って真の主役に踊り出るトンでもない脇役もいるが、そういう状況になった方が、書いていて遥かに楽しく、筆が進む。

 次に、頭の中で物語のアウトラインを幾く通りか練ってみる。
 この時点で、複数の選択肢が見えて来ない。あるいはエンディングまでたどり着けないと思った場合は、その時点で没である。ただし。黄金色に輝く一筋の道が見えてしまった場合は、例外である。そのばあいは、傑作になる!!と信じ、石にかじりついてでも、とにかく書き終える。
 完成して、実は駄作だった。ということはよくある。そのときは、自分の実力を嘆く。かなり良いと思えたり、書いてて泣けて、読み返しても泣ける場合、ひと月以上保管する。冷却期間である。その後、もう一度読み直しそれでも泣けたら、感動できたら、他人に読ませて評価を聞く。結果はどうあれ、この時点で話は完成している(注:地獄の校正作業がまだ残っている!!)ということなので、次は、間、実際の執筆道具について書く。前編後編に分かれちゃったな。こういうボリュームの見積もり間違いもよくある。気にしないで、適当に誤魔化せ。

前のネタが使えなくなったので、次の話を考えた。

2009年01月10日 22時15分34秒 | 物語・創作
住所不定無職の天使ががんばって仕事する話は、
「派遣村」の出現によって、消えた。
ってか、不景気のときに『お仕事がんばる~!』
というだけで、気持ちよく読んでもらえないな。

というわけで、ネタ帳という名の引出しに仕舞った。

今度は、ブギーポップ臭い感じになりそう──いや。
現時点でヒロイン脳味噌お天気だから、それはない。

あとは、キャラクターがどう踊るかだなぁ。

自分は、テロップは、書かない主義。
キャラクター設定だけは、途中で綿密にすれば、
話なんて、収まるところに収まるもんだ。

ちょっと、悲壮感漂わせた方がいいんだろうな。
これから、恐慌に突入かもしれないんだから、
明る過ぎたらダメな気がする。

それにしても、欝からの回復期は、
ネタがポンポン出てくるな。

ある意味、音楽、芸術やってる奴が、
薬やってるのと同じ状態なわけだからな。
っつか、薬信仰が生まれた理由がよくわかる。

ネタが~。

2009年01月08日 09時34分44秒 | 物語・創作
 天使の人が、人間の世界で「お仕事」をする、
陳腐でよく目にする物語を書いていた。
 住所不定、保証人なしの「人間」を、
お店が雇うかどうか揉めるところが、
一番最初の見せ場だった。

 例の「派遣村」で、
それが無意味になってしまった。


 政府が悪いんだ。大企業が悪いんだ。
 人のネタ使うなよ。。。
 しゃあないなぁ。別のを書くか……
 今日中に次の話の構想を決めよう……